第18話 旬

 池谷家では定期的に夕飯の席で果物がきょうされるが、十一月に入ってからというもの座卓の上に常にみかんが置かれているためか他の果物が出なくなってしまった。


 椿は本日とうとう柑橘類ではないものが欲しくなった。しかし食事を出してもらっている身でみかん以外の果物を出せと言うのは傲慢ではないか。一瞬、向日葵に打ち明けて向日葵からそれとなく手を回してもらえば、というのも考えたが、あまりにも甘えている。さすがの椿もいい加減向日葵に依存しているのは自覚し始めた。


 思い詰めた椿はひとりでスーパーに行った。自分で用意すればいいのだ。まったくお金を持たされていないわけではない。旬の果物を家族全員分買ってきて提供すれば自分も満足だし家族を喜ばせることもできるのではないか。


 徒歩圏内にあるスーパーに行く。店頭に柿が並んでいるのを発見する。一個68円、種無しだ。柿は皮つきなので食卓に出す前に剥く必要があるが、普段世話になっているのでそれくらいの貢献はしたい。


 そういうわけで夕方台所で黙々と柿を剥いていると、義母が夕飯の支度をしに現れた。


「あら、柿? 今度は誰にもらってきたの?」


 ひょっとしてこの家は果物を買わないのだろうかというのが脳裏をよぎったが気づかなかったふりをして微笑んだ。


「スーパーに行って買うてきました」

「椿くんが?」

「はい」

「ひょっとして人数分?」

「はい、みんなで食べませんか」

「あらー悪いわね、お金出そうか?」

「いいですよ、僕が食べたくて買うてきたんですし」


 義母が隣に立つ。


「あと何個剥くの?」

「三つです」

「じゃあ手伝うわね。一個ちょうだい」


 シンクの下から包丁を取り出す。まな板の上で四等分にする。そして包丁で皮を剥き始める。


 しばらく二人並んで無言で柿を剥き続けた。

 思いのほか時間がかかる。義母が来てくれて助かった。どう考えても料理上手な彼女が剥いたほうが速い。


「――柿の皮は剥けるのね」


 はっと気づくと、義母が二個剥き終えて椿の手元を覗き込んでいた。


「じょうずじょうず。綺麗じゃない」

「ありがとうございます」

「やあね、ひまったら、椿くんのこと何にもできないなんて意地悪言っちゃって。こうしてると結構いろいろなことができるわ」

「いや、もう、ひいさんや大樹だいきさんに比べたらなんもできひんも同然やし――」


 そこまで言ってから、ひとりでふと笑う。


「こういうの、大学の時にひいさんに習ったんですわ。ひいさんの下宿の部屋で、何もせんでわたしの部屋でごろごろしよる、たまには料理ぐらいせえ、と言われたことがありましてん」

「あらら! さすがひま、強気!」

「僕実家ではほんまに家事一切してきいひんかったし、中学高校の家庭科の調理実習で何しとったんやろってぐらいやったんで、ひいさんに密着指導を受けたんです」


 最初こそどうして自分がこんな目に遭わなければならないのかと思ったものだが、二人で作ったものを向日葵がおいしいおいしいと言って食べているのを見ていると疲れが吹き飛んだ。


 自分たちは大学四年間だけの関係だと思っていたので、そういったひとつひとつのことがとても大切だった。


 二人でいられることがこんなにも楽しく嬉しく愛しくて、大学を卒業した後自分はこの記憶だけを頼りに生きていくのだと思った。当時からこういったことすべてがのちのち自分の暗い人生の中で唯一の幸福な思い出になるのだと確信していた。


 今でも時々胸を掻きむしりたくなるほど狂おしく切ない。


 でも、大丈夫だ。自分の住民票は今向日葵と同じ家にあって、あともう少し待てば向日葵が仕事から帰ってきてくれる。


「お湯も沸かしたことなかったんです。それが、ひいさんがバイト中に米を研いで炊いてレトルトのカレーレンジでチンしてよそったご飯にかける、ぐらいのことはできるようになったんでめっちゃ進歩しましたわ。僕のなけなしの生活力全部ひいさんのおかげで培われたんです」

「なにそれチョーウケる」


 義母が包丁を洗いながら笑った。


「ええ思い出ですよ」

「何よりよ。うちの娘がきちんとパートナーを教育できる人間に育ったことを知って親としては嬉しい限りです」




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