第17話 流星群

 母屋から離れまでほんの二、三メートルだが外を歩く。その間椿は星が見えると言ってはしゃぐ。聞けば沼津の空気がいいからと言うが、京都にいた時の彼が空を見ていなかったのだろう。京都の夜は静謐せいひつで、神社仏閣の灯火が星とともに神秘的に輝く。そういう京都の美しさを知らぬまま彼はこっちに引っ越してきたのだと思うと悲しい。


 天気予報で今日は流星群が見られると言っていた。椿と向日葵は二人で流れ星を見ようと話していた。しかし一番よく見られる時間帯は深夜二時だというので、十時前後に布団に入ってしまう二人には厳しい。二時にアラームをセットして仮眠を取ることにした。


 はたして椿は起きなかった。熟睡してしまっていて、スマホのささやかなアラーム音に気づかないようなのだ。


 向日葵は寝るのが上手だと言われる。寝つくのも早ければ目覚めるのも早い。眠りはけして浅くはないが、レム睡眠とノンレム睡眠のリズムを考えて十一時に落ちれば三時間で起きられるとふんでいた。そして今夜もそのとおりになったわけだ。


 対する椿は少し不眠気味だった。結婚するまでひと晩一緒に眠ったことがなかったので知らなかった。沼津で暮らし始めてから徐々に改善されつつあるとは言うけれど、当初は向日葵が寝たあとも一、二時間ぐらいひとりで天井や星月を眺めて過ごしていたらしい。日中一緒に野良仕事や散歩をし、寝る前はカフェインを控えさせ、ドラッグストアで不眠にいいというサプリや睡眠改善薬を買い、できる限り温かい恰好をさせてから布団に入るように促し――向日葵が試行錯誤を繰り返してようやく最近普通に眠れる日が増えた。一番効くのは眠るまで向日葵に手を握っていてもらうことだと笑っていたがどこまで冗談かわからない。


 いつになく深く寝入っている椿の様子を見ていると起こしたくない。そのまま朝まで安らかに眠っていてほしい。電灯をつけるのもスマホを見るのもためらわれる。カーテンを開け、自然光を頼りに椿の寝顔を見た。生きて息をしてくれているのなら十分だ。


 学生時代の彼は無理をしていたのだと、今になって思う。当時の彼は上っ面だけ穏やかで中身はもっと冷淡で皮肉屋だった。ここのところ芯から穏やかでおっとりしているのが見えてきてとてもよい。リラックスしている今のこれこそが彼の本性だ。一周回って、真の意味で京都人っぽくなったのかもしれない。落ち着いていて、けして声を荒げない、上品で高貴な人。静岡県民は良くも悪くも雑だ。


 せっかくなので離れの玄関に向かう。暗順応した目がたたきのクロックスを認識する。極力音を立てぬよう静かに扉を開け、閉める。


 見上げると夜空に煌々こうこうと月が輝いている。これでは周りの星が見えない。向日葵はちょっと笑ってしまった。あの能天気な月が自分に重なる。自分はちゃんとひっそりと同居する星の話を聞けているだろうか。


 ふと、星が流れた。祈るより前に溶けて消えた。次に見られるのはいつだろう。見えたら彼の健康を祈ろう。ずっと一緒に暮らせますように。



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