第6話 どんぐり
自宅の門の正面は田んぼで見通しがよい。しかも地面はきれいに舗装された平らな道路だ。その上バス通りから一本入ったところで交通量はほとんどない――より正確に言えばこの地区の人間しか来ない。したがって他の脇道やバス通りよりは安全性が高いと言える。
椿は毎週決まった曜日の決まった時間に近所の保育園の園児たちが散歩でここを通過することに気づいた。
いつも十人前後の園児を二人の女性保育士が連れている。園児たちはみんな素直に迷子防止ロープを握っているが、それでも大変は大変だろう。しかも交通量が少ないからこそごくまれに猛スピードの車が突っ込んでくることがある。
何より自分自身が基本的に暇だ。
この二、三ヵ月、椿は何気なくを装って園児たちの散歩を見守ることにしていた。
今日も園児たちが奥の寺に向かって歩いてくる。幼い笑い声がきゃっきゃと響く。こうしていると少子化など嘘かのようだ。
男児がひとり、こちらを指さす。
「ひまちゃんのおむこさんだ! ひまちゃんのおむこさんおはよう!」
「おはよう」
保育士の女性が「こら、指さすのやめなさい」とたしなめた。
子供たちがわらわらと群がってくる。
「このまえのかめんライダーみた?」
「見てへん、ごめんな。今度のは見とくわ」
「きょうのあさごはんなにたべた?」
「ひまちゃんのお母さんが作ってくれはったさつまいものお味噌汁やで」
「きのうママがおむこさんがでっかいいぬさんぽさせてるってゆってたけどほんと?」
「親戚のわんちゃんを散歩させるバイトしてるんやわ」
ある女児が羽織の袖をつかんできたので、椿は彼女にあわせてかがみ込んだ。
女児が耳元にささやきかけてくる。
「ひまちゃんきょういないの?」
会いたいのだろうか。地域の冠婚葬祭や秋祭りのお囃子の練習で顔を合わせるので、この辺の子供もみんな向日葵が好きだ。
「工場におるよ。家にはおらんよ、今は僕ひとりでお留守番なんや」
ある女児は「ひとりでおるすばんさみしいねえ」と言ってくれたが、当該の女児は「そう」と嬉しそうな顔をした。
スモックのポケットに手を突っ込む。そんなに小さなポケットでは何も入らなさそうだが、彼女の小さな手は収まる、と思うとなんだかむずがゆい気持ちになる。
ポケットからどんぐりがみっつ出てきた。
「あげる」
椿が手の平を差し出すと、彼女はそこにどんぐりを置いた。つやつやのブラウンのどんぐりだ。どこで拾ってきたのだろう。
「ありがとう」
彼女の小さな手が、ぎゅ、と椿の手を握る。
「ね、おむこさん」
「僕の名前は椿やで。椿って呼んでや」
「つばきくん、ケッコンしよ」
「僕が? 誰と?」
「わたしと!」
思わず笑ってしまった。女児が顔を真っ赤にして「なんでわらうの!」と怒った。
「僕ひまちゃんと結婚してるの」
「えっ、なんで!? なんでわたしにナイショでケッコンしちゃうの!?」
半泣きで地団駄を踏む幼女を保育士が抱え込む。
「すみません、本当に、いつもいつも」
「いえいえ。大変ですねえ」
「地域の方々が見守ってくださって感謝してます」
「僕はヒマやし一応男やから何かあったら声かけてくださいね」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
泣き喚く園児を引きずって歩くところを見ていると余計なことをしてしまった気もする。
手の上のどんぐりを眺める。
こういう人生も悪くない。
残念だが、大人の椿が彼女のようにどんぐりを神聖視することはできない。しかもどんぐりは虫が湧くという。しばらく仏壇に置いておいたが、夕方庭に放ることにした。
「なにそれ、どんぐり?」
向日葵が問うてくる。
「もろた」
「誰に?」
「いつも家の前通る保育園の女の子」
塀の手前に落ちるよう、できる限り優しく静かにひとつずつどんぐりを投げる。こうしておくといつか庭の中で何かが芽生えるのだろうか。小鳥が拾って食べる気もする。
「くれる時プロポーズされたよ。僕もうひまちゃんと結婚してるんやで、て言うたら泣かはった」
「へえ、モテモテじゃん。罪な男だね」
「嫉妬しいひん?」
「椿くんは世界で一番わたしのことが好きなんだと思ってるもんで」
「大した自信やわ。そのとおりやけど」
小さくふと息を漏らしつつ、「悪ないな」と呟く。
「僕昔子供大嫌いやったんやけど、こういうのもええなあ」
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