『発狂頭巾 対 殺戮オランウータン』

お望月さん

材木河岸、申の刻


 0.


 江戸、材木河岸(現代の東京都中央区神田付近)。


 昼間は材木の売買で賑わう河岸も、申の刻(深夜4時~5時)にもなると、ひとっこひとり通らない。通りがかるのは、ネズミと猫と野良犬と、愛人宅からこっそり朝帰りの若旦那くらいなものだ。


 前将軍の時代に、木材廻船で大稼ぎした材木問屋「駒木根屋」の二代目は、典型的な阿呆のボンボンで、愛嬌だけは人一倍の誰からも愛されるアホであった。

 先代もこの若旦那には手を焼いていた、だが年老いてからの一人息子は、文字通り"目に入れても痛くいない"可愛げがあったのだ。


 深夜に家を抜け出して愛妾へ通い、早朝に戻ってくる若旦那。

 さすがに若妻の堪忍袋も温まってきた。店員も全員が行動に気が付いており、そろそろ雷が落ちることを、興味半分心配半分で見守っている。


 これで「誰にも気づかれていない」と本人だけは信じているのだから、阿呆というか懐が深いというか、大店の二代目というものは、とかく読めないものである。


 その阿呆が、何かにつまづいた。

「こらっ こんなところに丸太を転がしておくやつがおるかああ!」


 酔った拍子か気も大きく、二代目の威厳を示そうと声を上げた若旦那だが、目の前には何もいない。つまづいたはずの丸太もない。


 きょとん、とした若旦那は、材木が高く連なる材木河岸を見上げる。


「あ」


 そこには、宙にぶら下がる丸太と、それを掴む丸太のような腕があり、若旦那が首を直角に見上げるほどの高さにつぶらな瞳が光っていた。


「あああああ……」


 その巨大な存在が腕を振るい、若旦那の首をつかむ。片腕で六尺に届こうかという巨漢を吊り上げると、指に力を込める。


「あああああがががが」


 メシッともグチャッともつかぬ湿り気のある音と共に若旦那は意識を失う。そして、若旦那は、何者かの手によって、あすなろの大木の頂へ運ばれていった。


 1.


「大変だ!大変だ!」

「なんだい。藪から棒に大騒ぎしやがって」


 長屋に血気盛んな若者が駆け込んできた。彼の名は十三(じゅうぞう)。長屋育ちのチャキチャキの江戸っ子だ。彼に声をかけたのは白髪の老人、年老いても背筋は伸び、背が高い。注視すると目が滑る家紋を染め抜いた羽織を肩にかけて、目をすがめながら煙管をふかしている。眼前には書見台があり、舶来物の推理小説を読み進めているようだ。


「ご隠居!それが大変なんですよ。材木河岸で死体が上がったんです」


「また土座衛門かい?」


「そんなんじゃあ、もう江戸っ子は驚きはしませんよ。それがね、ご隠居。死体は高い高いあすなろの木のてっぺんに吊り上げられてたんですよ」


「あすなろの木?」


「ご隠居、知らないんですか? なんでも植物狩人プラントハンターとかい胡散臭い香具師が御公儀を説き伏せて、江戸に世界一の耶蘇記念樹クリスマスツリーを設置しようとして河岸に移植したばかりの、あの大木ですよ」


「なんでそんなことを?」


「そうなんですよ、わざわざ死体を吊り上げるなんて、俺は恐ろしくて……」


「いや、世界一の耶蘇記念樹の方」


「上様が代替わりしてから、倹約令は解かれ、このところ慶事・催事が多いですからね。耶蘇記念樹に、軽業公演に、見世物小屋……よっぽど溜まってたんですねえ」


「ふーん」


「そんなことより、死体ですよ死体!」


 老人は書見台の、類人猿が表紙に描かれた文庫本を閉じ、懐にしまうと、こう言った。


「殺戮オランウータンがやったんじゃない?」


「何言ってるんですか、吊り上げられたのは材木問屋の若旦那。あの人は、まったく仕事はできねえが金払いもよいし、なにより愛嬌があった。俺は許せねえよ。きっとあの人を恨み、怨恨の筋あるいは物取り、あるいは材木問屋組合カルテルの仕業かもしれねえ、畜生ゆるせねえ」


「殺戮オランウータンがやったんじゃない?」


「何言ってるんですか。だから、俺はご隠居の知恵をお借りしたくて駆け込んできたんです」


「なるほど」


 ご隠居、かつて吉貝狂四郎と呼ばれた男は煙管を深く吸い、煙を吐き切ると、こう言った。


「それ、殺戮オランウータンがやったんじゃない?」



 2.


 材木河岸に集った群衆は、あすなろの木を見上げていた。

 三度の飯より喧嘩と血華はなが好き、と言われた江戸っ子たちも、この凄惨な死体には息を呑んだ。

 若旦那の巨体は見るも無残に破壊され、めちゃくちゃな方向に折り曲げられバッグクロージャ―のように変形した両腕が、かろうじて枝に引っかかっているのである。


 北町奉行所の与力達も頭を抱えていた。


 ・犯行時刻は目撃者のいない申の刻(深夜4時~6時)

 ・大男の若旦那を破壊する暴力

 ・顔面に無数のひっかき傷

 ・あすなろの木の頂上に若旦那を投げ捨てる瞬発力

 ・現場に残された緋色の毛


 事件は迷宮入り寸前になっていた。

 そして何より、奉行所を悩ませている問題がある。


 この100尺(約30m)の耶蘇記念樹クリスマスツリーは、徳川幕府の開府150年記念行事として、樹齢150年の樹木を水戸藩山中から引き上げ、移植したものだった。頂上には葵の紋が綺羅星の如く飾られている。その威光が穢されたという事実に奉行所は騒然となった。


 将軍うえさまに、いや、田沼様に知られたら、良くて全員切腹。悪くて全員一族獄門。連鎖処罰で江戸の三割が死滅しかねない、奉行所大絶滅レイオフ間違いなしの大失態である。奉行所は、捜査よりも政治的な隠ぺい工作に右往左往している。ゆえに、煙管を吹かしながら事件現場の封鎖トラロープを潜り抜ける老人に気を留めるものは居なかった。吉貝狂四郎である。


 懐に片手を入れたまま、煙管を吹かして沈思黙考する吉貝。若旦那を殺された怒りに燃える十三はこぶしを握り締めてご隠居を見つめている。


 この吉貝という老人、異常に勘が鋭いところがあった。十三が考えていることをピタリと当てるし、失せ物はすぐに見つかる。十三の五代前の爺さんと面識があるとか、幕府は爬虫人類に乗っ取られているとか、明暦の大火を防いだのは俺、だとか、わけのわからない繰り言を言い続けているけど、十三にとって吉貝は"嘘はつかない"、信用できる男であった。


 その吉貝が、数々の証拠品を目の前に沈思黙考している。白髪を手櫛で撫でつけながら、苦み走った表情で目をすがめている。背筋をピンと伸ばした6尺半(約193cm)の長身は老人のそれには見えない。吉貝は懐から煙管を取り出して一息に吸い、煙を吐き切ると、煙管で頂上の若旦那を指し、その後、足元の赤い毛を指し、最後に大木に残された爪痕を指すと、十三の方を向き直り、言った。


「殺戮オランウータンがやったんじゃない?」


「だから、何を言っているんですか、これは怨恨ですよ怨恨!」


 二人の言い争う声を聴いて奉行所の連中も近づいていた。


「俺の推理を聞いてください、真相はこうです」


 十三は群衆を前に語りだした。


「駒木根屋の若旦那は、遊び好きで知られていた。あちこちに愛人がいるくせに、江戸で一番の美女を娶っている。この事実に、江戸中の男たちは憤っていた」


 うんうん、と何人もの同心が頷く。


 当時の江戸は「入り鉄砲に出女」として知られる通り、大量の銃器が流入し、女性人口が流出する、世界有数の淫極都市メキシコであったことが知られている。町民は士農工商関係なくセクシーを目指し、素肌に裃を羽織り、胸をはだけては、数少ない女性を射止めようと必死になっていた。それゆえに女性関係を巡る刃傷沙汰は日常茶飯事であった。そして女は情熱的に男同士の闘争を求めた。


 十三は、調子づき推理を続ける。


「犯人は周到なやつです。若旦那は、いずれ女を巡って殺されることが目に見えていた。江戸メキシコでは、女を巡った決闘は死に損。ろくな捜査もなく事件は葬り去られる」


 なるほどなあ、と与力が膝を打ち十三に問う。


「で、誰が犯人だっていうんだい?」


「それは……」


 十三は、指先を反り返るほど伸ばし、周囲を取り囲む一同を一通り指してから、材木問屋駒木根屋の店先で大木を見上げることなく顔を伏せる、若妻を指さした。


「あなたが犯人です!!」


 おぉ~~。

 周囲がどよめきながら拍手をする。得意げな顔をしながら十三は周囲オーディエンスの拍手を制止すると、告発を続けた。


「奥様、あなたは若旦那が他の女やチヤホヤするだけの腰ぎんちゃくにイイ顔をすることを憎んでいた。江戸一番とも言われた美女が歯牙にもかけられず、材木問屋の軒先でただ乾いていく。あなたにはそれが耐えられなかったのです」


 若妻がハッとした顔で十三を見上げる。


「涙を流さないその姿が証拠です。あなたは材木問屋で用いる滑車を使い膾切りにした夫を……」


 若妻は、十三の指摘を聞きながら、顔を紅潮させ、やがて青黒くなり、最後には鉛のように表情をなくすと、店内に戻って八尺鋸を掴み、軒先に戻ってきた。

 そして、肩に大鋸を担ぎ、両腕で持手を抱えると 背中が見えるほど大きく振りかぶって強溜め斬りチャージ姿勢、「言いたいことはそれだけか!」と叫ぶやいなや、勢いよく十三に大鋸を叩きつけたのである。


 その時、バゥンともガキンとも聞こえる不思議な音が響いた。

 十三の前に立ちふさがったのは長身の老人。片腕で大鋸の刃を掴み止め、もう片腕は十三の頭にゲンコツを叩きつけていた。


 大鋸を受け止めた左掌は浅く裂け、血が流れだしている。だが老人は動じずに若妻に対して頭を下げた。


「身内の不始末はお詫びする。鋸を引いてくれ」


 若妻は硬直していた。江戸一番の材木問屋の妻として磨いた斬撃が、素手で受け止められた驚きもあるが、何より老人の瞳の優しさが身に染みていた。それは荒野の砂漠ウェスタンに注がれる一滴の雫。心に沁みた。若妻の感情が決壊する。


「おっと、鋸は引いたら斬れてしまうものな、面目ない。下ろしてくれ」


 血を流しながら笑う老人の細められた目の愛嬌に、若妻は泣きながら微笑んだ。それは夫を亡くしてから初めての涙だった。


 十三は頭を抑えてうずくまっていた。


「なんだよ、ご隠居。俺の推理が間違っているっていうのか?」


 涙目で反論する。だが、吉貝の態度はにべもないものであった。


「十三よ、お前は間違っている。この事件は……」


 十三は、吉貝の瞳に不安を覚える。この表情、長年の経験で取り繕ってはいるが、表面上のものだ。十三は、その光を返さぬ瞳孔の奥に、この世のものとは思えぬ闇を見た。その瞳は、正面を見据えているようで何も見ていない。きっと吉貝はこの場の誰も見ていないのだ、と十三は恐怖した。


 そして、次に吉貝狂四郎がつぶやく言葉を、彼は完璧に予測することができた。


「殺戮オランウータンがやったんじゃない?」


 騒然とした現場が、水を打ったように静まり返った。


 その瞬間、群衆の後ろから逃げ出す男たちの姿を吉貝狂四郎は見逃さなかった。


「追うぞ、ハチ!!」

「痛てて、俺は十三ですってば!」


 3.


 賊を追いながら、吉貝は手拭いを顔に巻き付けようとした。だが、負傷した左腕では容易に覆面を巻き付けることはできなかった。途端に息を切らし、年齢相応の足取りで道端に崩れ落ちる吉貝。


 意識が乱れる。

 俺が俺で無く亡って逝く。


 覆面も巻けず、吉貝狂四郎としての最後の意識を手放そうとしたときに、そっと頭にかぶせられたものがある。それは、年代物の宋十郎頭巾であった。紺で染められた頭巾の匂いをかぐことで"吉貝"は蘇った。戦いの記憶が脳神経から全身に行き渡る。


「爺さんの言ったとおりだった。江戸に災厄が訪れるとき、頭巾の男が蘇る」


 全身を震わせながら立ち上がった姿は、もはや老人のそれではなかった。四肢に満ちた肉の束、伸びた背筋、羽織は筋肉に持ち上げられ逆三角形のピラミッドを映しだしている。何より、目元まで引き上げた宋十郎頭巾からのぞく視線は、おお、まさに発狂した者のそれである!!


「正気では裁けぬ、真の悪を狂気によって成敗する、その名も!!」


 十三の呼び声に応え、立ち上がる発狂頭巾!!


 カァ~~~ッ!!

 壁に立てかけられた竹竿が次々と倒れて奇妙な音を奏でる!!


「行くぞ、ハチ!!」

「へい、旦那!!」


 発狂頭巾は竹竿を手にすると、賊の後を追い走り出した。


 4.


 材木河岸を逃げ出した3人の男たちは深川の水車小屋まで逃げ込んでいた。


 この男達、実は、軽業公演と見世物小屋を併設した、現代で言うサーカス団の男達であった。日頃から、ある目的で飼育していた見世物の類人猿が逃亡し、逃亡先で殺人を犯す姿を見かけて、証拠隠滅にやってきたのであった。


「ここまでくれば大丈夫だろう」

「完全に足跡も消した」

「一度、水路に飛び込み匂いも消した」


「これで見つかったら、相手は千里眼の持ち主だ」

「しかし、どうする、あの殺戮オランウータン」

「殺処分しかなかろう」


「団長にバレねえかな」

「大丈夫だろ」

「何その時は……」


 男達は懐から自動式拳銃を抜き放つ。入り鉄砲の恩恵、江戸で銃器の調達に困ることはなかった。このまま河岸へ戻って類人猿を殺害し、問われるようなら団長も消し、全ての痕跡を消してサーカス団をたたむ。そのあとは、あのお方に上納金を納めて何事もなかったことにしてもらおう。


 そのように話がまとまり、水車小屋の影から身を乗り出したところ、彼らは長身で頭巾をかぶった男と鉢合わせた。


「あっ」

「あッ!」


 拳銃を抜き放つ間もなかった。一人目の男は発狂頭巾の裏拳に弾き飛ばされ壁に打ち付けられた。


 二人目の男は、拳銃を抜いたが、照準を定める前に竹竿で拳を打たれた。


 三人目の男は、発狂頭巾に対して距離を取り、拳銃の狙いを定める。必殺必中の間合いであった、もう一人の存在を考慮しなければ。


「オラァッ!!」

 ズガァン!


 横合いから飛び出した十三の飛び蹴りと銃弾が交差する。


「あぶねえなぁ、こいつ!!」


 したたかに蹴り飛ばされた男は、壁に体を強く打ちつけ失神。死に体に十三から惜しみない八つ当たりの蹴りをもらうことになった。


 拳を手で押さえる男を発狂頭巾が捕らえていた。吉貝は、両手で男の頭を挟み前後に揺さぶりながら、陰謀を聞きだしていった。


「お主らの狙いを言え!なに!?そうだったのか!!やはり江戸幕府は爬虫人類の巣窟、このままでは上様が危ない!! すでに十二老中も奴らの手に……」


 十三は、すでに気を失い一方的に揺さぶられ続ける男と"会話"を続ける発狂頭巾を見て見ぬふりをすると、しばらく時間を空けて、慎重に吉貝に話しかけた。


「ご隠居、首尾はいかほどで?」


「ハチか」


「十三です」


「このたびの事件は、上様を狙う陰謀であることが明らかになった。おのれ爬虫人類め。こやつらは、我々を材木河岸から引き離すためのいわば囮、上様が危ない!いますぐ河岸へ戻るぞ!ハチ!」


「え、あ、はい。ご隠居、お大事にしなさってくだせえ」


 吉貝は、地面に散らばる自動式拳銃を拾い懐に入れると、来た道を駆け戻っていった。


 5.


 丑三つ時、大江戸見世物小屋。材木河岸の貯木場に仮設されたサーカス公演のテントを兼ねた建物である。そのテントの片隅に設置された檻の中から、類人猿が団長の様子を眺め怯えていた。類人猿、サーカス団に育てられた殺戮オランウータンは、反省をしていた。見世物小屋の男たちに受けた訓練通りに、目の前にした人間を引きちぎってしまったのだ。殺戮オランウータンに、殺してよい人物とそうでない人物の区別はつかない、だが殺してはいけない人物を殺したときは、かならず団長からの懲罰があった。

 

 吉貝が材木河岸を離れている間に、再び類人猿を捕らえた団長は、殺戮オランウータンを檻に閉じ込めていた。江戸で評判を高めたサーカスに、将軍と老中を招待し、殺戮オランウータンを解き放って暗殺するという壮大な計画は、類人猿の脱走によって破綻してしまった。


 (これでは、あのお方に面目が立たん)

 サーカス団長は頭を抱えていた。


 (こうなっては、次なる手、「まだらのひも」計画に着手するしかない)

 団長が深くため息をつくと、小屋の外から悲鳴が聞こえた。


「ぐわーっ」「ぐわーっ」「なんだこの男は!?」


 蹴り飛ばされた巨漢のサーカス団員が、扉を突き破り団長の前に転がり出る。


「何者だ貴様らは!」


「赤い毛を辿ってきて観れば、元の木阿弥、まさか見世物小屋に戻っているとは……」


「名を名乗れ!」


「ハチ、『青い鳥』って物語を知ってるか?」


「知らないっす、どこでそんな話を聞いてきたんですか」


「探し物は案外近くにいるって話さ」


「灯台下暗しみたいなもんすか」


「なんなんだお前らは!」


「今日はとっておきを見せてやるぞ、ハチ」


 そういうや否や、懐から拳銃「 S&W M29」、通称44マグナムを抜き放つ発狂頭巾。銃口を団長に向け、頭巾の奥の目をすがめて言い放つ。


「サルくん、こんなところに居てはいけない、帰ろう」


 発狂頭巾は十三に檻の開錠を指示し、十三は檻へ向けて走った。十三は、吉貝が懐に入れた拳銃と、取り出した拳銃の形状が違うことを訝しんだが、いまはそれどころではなかった。


「な、な、な、なんなんだおまえらは!!名も名乗らぬ!説明もせぬ!あげくに檻を開けようとする!! なぜ我々の邪魔をする!!そんな殺戮オランウータンごときを救おうとしてどうする!狂っているのか!狂っているのだな、ハハハハ!!」


「なに……《狂っている》だと?」


 発狂頭巾の瞳に怒りがこもる。


「動物の虐待、殺人兵器としての利用、将軍を狙うだけに及ばず、さらには明暦の大火を起こし、東京を空襲で焼き、挙句の果てにワールドトレードセンターを炎上させる狼藉……許せん」


 過去と未来の混在した光景が発狂頭巾の瞳に炎を宿らせる。


「な、何をわけのわからない世迷い言を……狂人め!!」


「狂うておるのは、狂うておるのは、貴様らの方ではないか!!」


 カァーーッ!!


 発狂頭巾の怒号が合図になった。四方八方の扉が奇妙な音を立てて開く!


「やれ!やってしまえ!」


 サーカス団員の生き残りが、二人に殺到した。


 6.


「うぉおおおお!」


 十名以上の玉乗り武装道化師がクラブをジャグリングしながら殺到してきた! 発狂頭巾が44マグナムを連射すると、道化師が顔面が赤く染まり弾け飛ぶ。しかし、多勢に無勢、あっという間に弾丸切れしてしまう。


「ヒャハハ!!死ね!!」


 武装道化師の二列目が、当時の江戸では珍しいトランプを投げつけて攻撃をしてくる!だが、発狂頭巾は懐から二挺目の44マグナムを抜き放ち応戦、さらに懐から三挺目の44マグナムを抜き、四挺目の44マグナムを抜き、二挺拳銃で前進しながら武装道化師の群れを血煙に変えていく。


 発狂頭巾の懐は別の時空につながっている。吉貝は撃ち終わった拳銃と《5分前の拳銃》を交換して、射撃を続けているのである。この「時空」に関しては、いま語るべきではない。いずれ吉貝の口から真相が語られることがあるだろう。


 玉乗り武装道化師が全滅すると、武装軽業師軍団が攻め込んできた。トランポリンで宙を舞い、空中ブランコからナイフを投擲してくる。この三次元立体機動を前にしては、さすがの発狂頭巾も退避せざるを得ない。大樽の裏に隠れる。


「あわわ、思ったよりやべえ、はやく錠前を外さないと……」


 十三は必死で南京錠に挑むがびくともしない。そこへ、殺到するのは殺戮アルマジロだ!見世物小屋の暗殺プロジェクトに用意された動物はオランウータンだけではなかった。猛獣使いの鞭さばき一つで、殺戮アニマルは人を襲うのだ。


「やってしまえ!殺戮アルマジロ!」


 団長が鞭を鳴らして叫び、アルマジロは回転しながら十三に体当たりを繰り返す。アルマジロは体長30㎝程度で腹側の毛はふさふさしているが、背中に背負った甲皮は固く、さらに爪も鋭い。鎧のように重なった甲皮を丸めて体当たりをするならば、その威力は無視できるものではない。


「意外と痛てえ!」


 アルマジロの回転攻撃に十三はノックアウト寸前だ。


「危ない、ハチッ!」


 十三の危機を察知した発狂頭巾が44マグナムを放つが、右腕に軽業師のナイフが突き刺さり、殺戮アルマジロに命中することはなかった。拳銃を取り落した発狂頭巾を軽業師軍団が取り囲む。


「ワーハッハッハ!バカめ! 仲間を助けようとするからそうなるのだ。仲間など、所詮は使い捨ての駒よ!!」


「果たして、そうかな?」


 発狂頭巾は、懐から煙管を取り出すと火をつける。


「ピギーッ!?」


 団長の背後で、殺戮アルマジロが丸太のような腕につかまっていた。


「俺が狙ったのは、あの檻だよ」


 44マグナムに撃ち抜かれた南京錠は砕け散り、殺戮オランウータンが檻を脱出していた。殺戮オランウータンは、発狂頭巾を一瞥すると、殺戮アルマジロを握る腕に力を込めた。


「ピギャーッ!!」


 殺戮アルマジロが弾け散った。


「バカな殺戮アルマジロの甲皮の強度は世界一、高熱低温や深海の圧力に耐え、宇宙空間にも適応するという地上最強の生物のはず!それを握りつぶすとはいったい!?」


 殺戮オランウータンは殺戮アルマジロを軽業師軍団に投げつける。血しぶきが目つぶしとなり、軽業師軍団は顔を覆う。その瞬間が命取りとなった。

 殺戮オランウータンは高く跳躍し、落下しながら長い腕と爪を旋回させる。発狂頭巾を取り囲んでいた軽業師は膾切りにされて全滅した。


「ホキャアアアア!!」


 殺戮オラウータンが叫ぶ!!

 目の前には、長年にわたり殺戮オランウータンを虐待を繰り返してきた団長である。類人猿は、にじり寄るように団長に近づき、腕を掴むと肩に噛みついた。


「うぎゃああああああ」


 猛獣使いが悲鳴を上げる。だが、殺戮オランウータンの復讐は終わらない。次々と、教え込まれたとおりに、全身の骨を逆方向に曲げていく。


「かくなる上は……!」


 オランウータンが団長のコートを引きちぎると、腹に巻き付けた自爆帯が露出した。


「き、貴様らごと証拠隠滅をしてくれるわ!!」


 瞬間、自爆装置が着火。奥歯に発火装置を仕込んでいたか。


「ひひひひひ、レ、レ爬虫人類レプタリアン様バンザーーーイ!!」


 その瞬間である、殺戮オランウータンは、団長を抱えたまま大跳躍をした。それは見世物小屋の天井を突き抜け、約100尺の高さにも達していた。


 殺戮オランウータンは、上空から江戸八百八町を見渡す。研究所から連れ去られて以来、初めて優しくされた。それはどこか暖かく解放された気持ちになったのだ。


「サル!タマヤだ!見事なタマヤだぞ!!」


 そして、発狂頭巾の叫びをかき消す轟音と閃光が江戸中に響き渡った。




 7.


 見世物小屋を訪れた奉行所の同心たちは、凄惨な死体の群れに顔をしかめた。死体処理のために呼ばれた小者に至っては嘔吐するものが絶えなかったほどである。


「いったい誰がこんなひでえことを」

「ほら、見てみろよ、この緋い毛の束と……猿の死体」

「まさか」

「爺さん、何か知ってるかい?」


 奉行所の与力に問われた老爺、かつて発狂頭巾と呼ばれた男は煙管を深く吸い、煙を吐き切ると、こう言った。


「殺戮オランウータンがやったんじゃない?」


「なるほどな」

「そうかもしれねえ」

「俺もそう思っていたところだ」


 検死に呼ばれた、バイオ医学の権威、杉田玄白医師も、同様の見解だった。


「おそらくバイオ改造された殺戮アニマルが脱走して暴れたのでしょう。痛ましい事故です。やはり、ただの人間の管理能力には限界がある」


 関係者が全滅したこともあり、一連の事件は殺戮オランウータンのしわざであるというで決着した。


 この事件の真相について、十三は何も語らなかった。

 いまさら真実を話しても誰も救われないし、誰にも信じてもらえない。この長身の老人が、伝説の発狂頭巾で、しかも数十名を皆殺しにしただなんて、いったい誰が信じる?


 見世物小屋の外で朝日を浴びながら、吉貝は煙管をふかしている。姿勢がよく背筋を伸ばしており、かくしゃくとしている。だけど、その姿はどこか儚く、煙のように掻き消えてしまいそうだと十三は思った。


「ご隠居、いや、吉貝の旦那!」

「なんだい


「へへっ 旦那がよく呼ぶ、そのって人の話を聞かせてくれませんか」

「ハチ、ハチか……もうよく覚えちゃいねえが、そそっかしいやつだったなあ」


「なんか情けねえ、野郎ですねえ」

「お前にそっくりで、放っておけないやつだったよ」


「帰りにそば食っていきません?」

「いいね、俺は富士そばが好きだ」

「なんすかそれ」


 二人は長屋へ向けて歩き出した。


 その姿を江戸城天守閣から遠眼鏡で見守るものがいる。老中田沼意次、そして、その横に侍るのは、全身機械化により永遠の生を得た、大発明家平賀源内その人である。


「源内の予測通りであったな、発狂頭巾は蘇った」

「ガガガピー」

「その通りだ、彼らにはまた働いてもらわねばならぬ」



『発狂頭巾 対 殺戮オランウータン』おわり。

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『発狂頭巾 対 殺戮オランウータン』 お望月さん @ubmzh

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