サクラ咲く

となし

桜舞散るその季節、出会いは青春の一頁。

 チィリリリリリィン!!

 時計のアラームの音がけたたましく鳴り響いた。

 夢を壊す、改心の一撃。

 入学式当日、寝起きは最悪の気分だ。



 僕――弓野目一穂は今日、高校生になる。

 季節は春。

 世の中の高校生が『青春』の二文字を夢見て、迎えるであろう入学式。

 青春を夢見てその学校の敷居を跨ぐ。



『私立下見桜学園』

 春を代表する町として知られる、桜が有名なこの町に建てられた最も桜が見所な建築物。

 何てことない普通の私立高校なのだが、囲うように植えられた桜は優に百本を越える。


 それらが一斉に開花する、春という季節は下見の為にあると言っても過言ではない。

 咲き乱れた花弁が風に煽られ宙を舞う。


 舞い上がり、踊るように辺りを漂い、散っていく。

 その様を「まるで春という季節を過ぎていく通り雨のようではないか」と言い表したものがいた。

 あまりにも的を得ていたもので、いつしかそれは『桜春雨』と呼ばれ、下見を代表する名物となったのだ。


 取って付けたようにご利益があるだのなんだの騒がれれば、毎年の定員オーバーは当たり前の結果なのかもしれない。

 中学の頃の自分、よく頑張ったよ。



 ――凄惨たる有り様だ。

 ワックスで固められた髪、ハリツヤ溢れる顔から繰り出されるキメ顔が女を狙う。

 ギラついたその視線に込められた想いは――本気マジだ。


 中にはゴリラ顔のムキムキマッチョな女子(?)もウィンクしていたりするのだ。

 先程から悪寒がすごい……。

 もうやだ、青春って何だよ。

 胸に花をつけてくれているゴリラ顔のムキムキマッチョな女子生徒から必死に目を背けて、血眼で知り合いを探した。


 今すぐにでも立ち去らなければならないのだ。

 胸に花をつけて貰っている親友の姿を見て、声をかけた。


「まなと、おはよ!」


「ん? あぁ一穂じゃねぇか。おはよーさん」


 彼は相田愛斗。

 幼い頃に引っ越した幼なじみを覗けば唯一の友人。

 短く刈り込んだ短髪に、目鼻立ちハッキリとした顔つきの青年。

 眼鏡の奥から覗かせる知的な瞳が、鋭い目付きながらも僕を安心させた。


 良かった、彼はいつも通りだ。

 しかし……。


「笑えー。目付き、怖いよ」


「ん? 悪い。この顔は生まれつきでな、怖がらせたか」


 愛斗に花を付けている女子生徒の手は震えている。

 先程から針を差しては留められず、四苦八苦している彼女を見かねて、仏頂面な親友に声をかけた。


 心の底からすまないと思っていそうなオーラを漂わせる彼に女子生徒の緊張はほどけた。

 手の震えは収まり、声には快活さが出ている。


「あの、ご入学おめでとうございます! ……また、ね」


「? あぁ」


 去り際に小さく手を振る彼女に、何も分かっていなさそうな親友。


「まなとはカッコいいからなー」


「そういうお前は可愛いぞ」

 チガーウ……。


「ソレ、さっきの子に言ってあげなよ。僕はカッコいいって言われたいんだ」


「何でさっきの奴が出てくるか分からんが、お前が可愛いのは事実だ」


「ちょっとだけ背が小さいだけだよ!」


 そう、僕は背が小さい。

 180センチある彼の胸の位置に顔があるのだ、お陰で首が痛い。トホホ……。


「さっさと行こうぜ。お前、どのクラスだ?」


「んー、僕ら同じ四組だよ。でも先に体育館で入学式だからね?」


 一緒で良かった、そういって笑う彼の横顔は同じ男でも見惚れるほどだ。

 新たな扉を開きそうな気がして、慌てて首を振る。

 数歩先に行ってしまった彼に駆け足で横に並んだ。


「席も近いと良いな」


 素知らぬ顔で歩いている彼がクラスに向かうので慌てて止めた。

 足りない背は膝に蹴りを食らわせて解決し、首根っこ掴んで体育館に運ぶ。

 入学式を知らない振りしないで下さい……怒られるの僕なんです。



「――新入生の諸君は、本日より晴れてこの学校の生徒となりました」

 校長先生の話に始まり、式は順調に進んでいく。


 それから祝辞、祝電披露、在校生の歓迎の言葉と会が進むにつれ生徒の頭は下がるばかりだ。

 式が終わる前に終わりのムードがその場を支配していた。


 高校と言っても、先月までは中学生だったのだ。

 規律の厳しい高校でない限り、これが当たり前の雰囲気なのかもしれない。

 ふぅ、と息を吐くと、肩の荷も降りて気が楽になった。


「新入生代表挨拶――」

 変化があったのはそれからだ。


 背筋を伸ばし、腰にまでかかる黒髪を靡かせながら、赤いカーペットの上を歩いて行く。

 白磁の肌に黒いロングヘアーがよく似合う、日本人形を思わせる女子。

 踏み出す一歩、揺れる手の一挙一動に視線が集まる。


 起きていた生徒の視線は勿論、教職員、保護者、果ては来賓すらも彼女に注目している。


「桜の花弁が咲き乱れ、春の訪れを感じられる季節となりました――」


 波一つない水面に一滴、雫が落ちた時のように静かに、けれど確かに響き渡る。

 鈴を転がすような声だ、皆が聞き入るのもよく分かる。

 気付かぬ内に前のめりになっていた生徒が、前の席にぶつかっている光景があちらこちらで伺える。


「――本日は私たちのために、このような盛大な式を挙行していただき誠にありがとうございます。新入生を代表してお礼申し上げます」


 僕と同じく困惑している人間が出てきた。

 何故だろう、彼女の声は右から左に抜けていく。

 意識して聞いていても、前述の言葉を思い出すことが出来ない程だ。

 その魅力に圧倒されているとでも言うべきなのか。

 彼女の顔を食い入るように見つめた。


「以上を持ちまして私の宣誓の言葉とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」


 締めの言葉と共にごく自然に笑みを返された。

 見つめすぎていた……。

 胸の内に溢れるいたたまれなさを、俯くことで誤魔化すのだった。



 入学式を終えた僕らは、担任の先生の案内のもと各クラスに移動した。


 予想以上の時間を入学式にかけてしまったらしい。

 それが安易に予想できるくらい、あっという間の出来事だった。


 教室に入ると骨と皮しかないような年配の担任が、風のように動き回りプリントを配っていた。

 唖然とする僕らが席に付く頃にはプリントを配り終えた後だった。


「プリントは親御さんに渡してね。明日の予定とか付箋に書いてあるからよく読むんだよ」


 恐る恐る付箋を見る――ちゃんと書いてあった。

 先生を見上げる。

 額から滝のような汗を流しながらも、笑顔を崩すことはない。


「ご入学おめでとう」

 続けざまに解散と言われ、僕らは蜘蛛の子を散らすように次々と教室から出ていった。


「一穂、俺は部活動見学してくるがお前はどうするんだ?」


「良さそうな部があれば入るんだけどね、でも僕はスポーツできないから……」


「まぁどちらかと言えばマネージャーだもんな一穂は」


「どういう意味だよ!?」


「あはは、じゃあまた明日なー」


 笑いながら軽快に去っていく親友を見ながら溜め息が漏れる。

 中学時代に全国まで行った猛者だ、きっと剣道部に入るんだろう。


 クスクスと女子生徒の笑う声が聞こえた。

 嘲笑ではなく、微笑み。

 向けられている相手が親友であることが想像できて、僕の口角も自然と上がっていた。


 クラスに入ったときの怯えは、もう彼女からは伺えない。

 その調子で親友に話しかけてくれれば……なんて勝手に期待していたりする。

 シャイで人前でよく仏頂面を浮かべているが、喋りたくないわけではないのだ。

 生まれつきの顔を怖がっている相手に遠慮している、彼の優しい一面でもある。

 うんうんと首を振ってみるが、そこには女子生徒はもう居なかった。


「あはは……こりゃ僕の方が心配だよ」

 一人、ごちる。


 窓の外の景色は一面桜が多い尽くしている。

 圧巻と言うべき光景に、気分はふわふわしている。

 夢の中にいるような、そんな気分。


 気付けば昇降口に付いている辺り、高校生になって少し浮かれすぎているのかもしれない。


「気を引き締めなき――ゃあ?」


 決意が早くも揺らいだ。

 靴箱に入れられた僕宛の紙、靴箱を確認しても間違いなく僕のである。


「これが、僕の青春の一頁目……」


 ごくり。

 喉が嫌な音をたてながら唾を飲み込む。


「『桜公園で待っています』か」

 運動嫌いな僕でも十分あれば着くだろう距離。

 迷うことなく足がその場所へと向いていた。



 目的の場所、桜公園に着くと一人の女子生徒がいた。

 黒髪のロングヘアーが風に揺れている。

 一種の芸術のように一際存在感を放っていた。


「君は、代表挨拶の……」


 やっぱり覚えていませんでしたか……そう聞き取れたのは彼女が、言葉を最後まで発し終えた後だった。


「初めまして、一穂君…………私の好きな人――」


 鈴を転がすような声が耳朶を打つ。

 直後、頭に電気が流れたような衝撃を受けた。

 引っ越した筈の幼なじみ、記憶の中の少女の面影を目の前の女子生徒に感じる。


 熱を持ったと感じるのは自身の顔か、その声か。

 彼女の顔を確認しようにもそれは叶わなかった。

 生暖かな風が頬を撫でる。


 髪の毛が軽く揺れる程度の、何てことないそよ風。

 それでも桜の花弁を巻き上げるには充分すぎた。

 彼女との視界を遮るように、辺りを覆い尽くす程の花弁が辺りを舞う。


「はわぁぁぁああ」


 感嘆の声が聴こえてくる。

 僕にはただ、ただ彼女を見つめ続ける事しか出来なかった。

「そんなに見つめられると照れてしまいますね」


 どれほどそうしていただろうか。

 彼女が居るであろう場所から視線をはずし、舞い散る花弁に意識を向ける。


 今が、日が落ちた暗がりであることに気が付かなかった。

 ましてや電灯の明かりを反射した花弁が煌びやかで、星星の輝きかと錯覚してしまうような、幻想的な光景であることにも。


 まるで夢見心地だ――。

 頭が熱を持ったようにぼんやりとしている。

 今はただ、その光景を眺めることしか出来ない。


 遥か高く。

 大空へと舞い上がった花弁は、ひらひらと雨のように降り注ぐ。

 桜春雨と呼ばれるそれは、新たな恋の門出を祝福しているかのようで――。

「これからはずっと一緒ですね!」


 桜春雨――男女でそれを見ることが出来たならその二人はその一生を共に過ごすことが出来る。

 舞い散る花弁はこれから創る思い出の数。


 突然の別れに枕を濡らしたあの夜の事を忘れない。

 取って付けたようなご利益でも、信じてみよう。

 思いを告げるのは今なんだ。


「僕は君が――」


 塞がれた唇に感じる熱を、この先一生忘れないだろう。

 彼女の肩に一枚の花弁が乗る。


 これが彼女との最初の思い出だ――。

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サクラ咲く となし @tonasi4869

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