聖女?いえ、私は、聖印を預かっているだけの、ただの治癒士です

@terrntz89U

信念を灯して

 ガルデアの大地に治癒士はそう少なくないものの、リデアほどの治癒士はそうはいない。


 凶悪な魔物の毒を中和し、かと思えばえぐれきった皮と肉を自身の回復魔法で再生させる。


 彼女、リデアはここ数年の間、ガルデアの大地で目覚めたと言われる、『月の聖女』を何年も探しつづけているのだ。


 月の女神の信託によれば、この『月の聖女』は、そう遠くない未来に訪れる大災害の一つ、死の疫病に屈することのない唯一の人間で、人々をその魔法で守り抜くと言われている。


 治癒士リデアは、その『月の聖女』を何年もガルデアの端からはしまで探し回っているものの、彼女の月の聖女探しは未だに終わる事は無い。


 『月の聖女』を見つけたのならば、自分に手の甲に託された、この聖印を譲り渡そうと思っていたが、リデアはいつも自分より優れた治癒士に出会う事は無かったのだ。


 普通の治癒士ならば、根負けしてこの使命を投げ出していただろう。


 だが、治癒士リデアが人を救わんとする思いと、自分にしか出来ない事をやり遂げたいという精神は尋常ならざる決意をとどめていた。


 そう、リデアは普通の治癒士ではなかった。

 非常に優れた回復術を使っては、道行く人々を救った。

 報酬は感謝の言葉だけで良いと訴え、貧困にあえぐさびれた村一つの流行病もたちまちに治した。


 始まりは曇りの日だった。

 リデアは病に侵された母の病状を鎮めるために、特効薬を買いに出かけていた。

 幸い、金銭に不自由した事がなかったリデアにとって、いくらの高値であろうとも家族の命と比べれば、いくらでも財布をはたく心構えは出来ていた。


 王都の聖堂に出向き、神官から高値の特効薬を買い付けようとした、ちょうどその時、自分の母親より2、3歳上の女性が泣きながら自分の横を通り過ぎて行ったのだ。


 その泣き顔を見ていられなかったリデアは、彼女に声をかけた。


「どうしたんですか?」

「……薬を買うのに、お金が足りなかったんです」


 リデアは辛い事を聞いてしまったと後悔したと同時に運命だとも思った。


「よければお金を出しますよ」


 そう軽く答えた時、泣いている女性は何度も断ったが、最終的にはリデアに根負けして、何度も会釈を繰り返しながら薬を買うお金を受け取り、晴れた笑顔で女性が聖堂から出て行くのを見送った。


 急いで自分も特効薬を買わねばならない、そう思い神官に薬を頼むと、ちょうど今売り切れてしまったと言われ、リデアは深く後悔した。


 深くため息をつきながら、途方もない顔で聖堂から抜け出たリデアは運命と神を呪った。


 浅く昇る青い月が、雲に霞んでいるのをみて、リデアは酷く憂鬱を感じ、どうにもならない思いを胸にしまっておくことが出来ず、項垂れながら天に祈った。


 世界が滅びに近づく時には、神から祝福を与えられた人たちが、この世を救うと古くから謳われている。


 大地の騎士に太陽の魔法使い、空の勇者に月の聖女……。


 誰でもいいから私を救ってくださいとリデアは深くそれは深く祈った。


 神からすればその願いは子供がこねる駄々と同じだった。


 彼女に打ちかかる不幸など、この世界の危機と比べればなんの変哲もないよくある事で、寧ろ娘に思われただけ、その母は幸せのうちに幕を閉じる事を感謝すべきだと神は思っていた。


 病に倒れる母を看取ったリデアは、焦燥感に打ちひしがれながらも、あの日、泣き崩れる女性に肩を貸した事を思い悩んだ。


 母の最期の言葉を胸に、故郷を旅立ったリデアは、願わくばこのガルデアの大地に豊穣を願った。


 人を癒す事を誓い、貧しき者達の為に、病める者達を癒す為に、絶え間なく世の中に蔓延る小さな滅びから、人々を癒し、護る事を心に決め旅の道を歩んだ。


 そんな行き当たりばったりの旅路の中、修道女の列が見えた。

 リデアは何か製薬方法に関しての事柄が学べるのではないかと、その列に混じり、刻々と旅を進める。


 修道女の列にはリーダー的な存在が居た。

 彼女は金色の刺繍が結われた白衣をまとい、人々に次から次へと治癒魔法をかけていた。


 修道女のリーダーの名はユリアと言うらしい、彼女は治癒魔法を5歳で学び、その頃からずっと人々を癒し続けていると言う。

 ユリアの頬は痩せこけて、目は疲れ切り、もはや焦点が霞んでいるが、治癒魔法を唱える時だけは目の奥に光を灯した。


 血が灰色になる病魔が蔓延るなかで、安全な場所からいつもユリアの治癒を眺めていたリデアは、いつしかの自分を彼女に重ねた。


「こんな事はずっとは続けられない、いつかあなたの身がもたなくなる」


 そうリデアはユリアに伝えると、ユリアは黙って頷いた。


「私にちかづいてはいけないのよ、もう私も長くないから」


 リデアは悟った。

 ユリアは既に、病魔に侵されているのだ。


「何故自分で自分を治癒しないんですか⁉」

 そうリデアが言い放つと、ユリアは静かに手を組み祈りながら口を開いた。


「自分で自分は救えないのです……」

 リデアはいち早く、ユリアを救おうと決心し、修道女の列から彼女を誘拐しようともくろんだが、それをすることはどうしても出来なかった。


 なぜならば、彼女、ユリアは既に、このガルデアの大地の希望の光となっていたのである。


 貧しい者も病める者も際限なく訪れては、ユリアの魔力を持っていく毎日で、ユリアは休まぬ日々を送っていたのだ。


 ある日、ユリアも死の運命に引き寄せられた。鼻から灰色の血を吹き出したのである。

 周りの修道女は狂乱し、昔、助けて貰った事のある修道女たちも、誰も病魔に侵されたユリアを看病しようとしなかった。


 自分が病に侵されてでも、誰かを救う信念のある高潔な魂を持つ者は、修道女の中に、いや、このガルデアの大地にはユリア以外に居なかったのだ。


 病魔の恐怖を間近で見てきた事のある、修道女たちだからこそ、自分が病魔に侵される事の恐ろしさをよく知っていた。


 リデアもその一人だったが、聖堂で打ちひしがれた女性の泣き顔と、看取った母の安らかな笑顔が脳裏で幾重にも交差し、迷いに迷った彼女はもうどうにでもなれと、ユリアの看病を始めた。


 結局の所、ユリアの治癒魔法でなければ、病魔からは助からないようだった。


 死の扉とせめぎ合ったユリアは、その淵でリデアに自分の最後の魔力と、古の一族より、代々受け継がれてきた聖印を託した。


 死の床で、ユリアはリデアに一族が代々受け継いできた言い伝えを伝えた。

「世界が滅びに向かう時、『月の聖女』が現れるわ。あなたは彼女にこの聖印を託して」


 その言葉がユリアの最後の言葉となった。


 リデアはガルデアの大地を灯していた小さな光の最後を見送った。


 その『月の聖女』が手にするべき力である、聖印はリデアの予想を超えていた。

 それは聖女というに相応しいほど圧倒的で、治癒に関しては他に並ぶ能力などこの世界には存在せず、病める人々を瞬く間に癒していった。


 ユリアの臨終に、必ず意味があるとリデアは信じ、『月の聖女』を探しながらも、散っていた修道女たちの代わりも務めるべく、リデアはガルデアの大地を癒して回る旅に再び出るのであった。


 しかし、神にもユリアにも思いもよらなかったのは、このリデアという女性が、月の神の加護も受けずに、後に訪れる死の疫病はおろか、数々の病魔たちから後世に続く人々を守り抜いたのである。


「ああ、月の聖女、リデア様、ありがとうございます」


 詠唱ひとつでとある一家の不治の病を治すと、村の人々からリデアはそう呼ばれた。


「……聖女?いえ、私は、聖印を預かっているだけの、ただの治癒士です」

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