ノルウェーの森と街 #6
シルヴィアとジャンが、ロイズと邂逅を果たす10分前。
霧島とアプリオリは侵入した無機質な白い通路を進んでいた。
入り口の
「全力まで使えるのはどれくらいなんだ?」
霧島が先頭に立ちゆっくりと歩をすすめるなかで、ふと声をひそめて尋ねた。
「全力…とは?」
アプリオリもタブレットの入ったバックパックを背に、声をおとして答えた。
「ん?いや、なに…あんたの能力は全力を出したらどのくらいすげぇのかなって思っただけさ。前のカジノでは随分活躍したからな」
「どの程度までが全力と言えるかは分かりませんが…」
アプリオリはしばらく、掘りの深い眼窩に眉根をよせて考え込んで答えた。
「…視界に映る全てを分析しようとすると、目や耳が痛みますし、頭痛がしますね。あまり長い時間は保たないと思います」
「…なるほどね。まぁ、逆に言えばその間はほぼ無敵のチート状態になれるってことか」
「…意味はよく分かりませんが、たぶんそういうことですね」
「ゲームはしないのか?最近のは…おっと」
霧島は通路の出口から20m程のところで、突然口に手を当てて足を止めた。アプリオリもそれにつられ、ピタリと足を止める。耳をそば立てると、通路の先にある制御室では話し声や床を踏みしめる音が聴こえる。
ふたりは足音を立てないようにそっと通路出口のかげまで近づき、室内の様子を確かめた。
『…私はもともとロサンゼルスの生まれなんだ。ロスは一年を通して暖かくて過ごしやすくてね。寒いところは本当は苦手なんだ…』
なかでは短髪の男がジャンと立ち向かい、その背後のモニターのあたりにはシルヴィアがタブレットを手に座り込んでいる。彼らのさらに向こう側にはガラス越しには巨大な水の柱が勢いよく落ちており、なかなかに圧巻な光景に見えた。
「…どうやら、出番のようだな」
霧島はそう言って、手に構えた愛銃のチェンバーをのぞき込み残弾を確認した。
アプリオリも次いで拳銃を取り出そうバックパックを降ろすと、室内から激しい打撃音が響いた。ふと顔を上げると、ジャンはロイズから強烈な膝蹴りを受け倒れ伏した姿が目に入った。
反射的に飛び出そうとするも、霧島が手で制した。
「まだだ…まだ狙いがつかん。待つんだ」
非致死性の弾丸はその特性上弾頭が脆く、弾速も遅い。寒冷地仕様のぶ厚いコートを着た相手をその服の上から弾を当てて倒すのは難しく、基本的には肌の露出した部分に命中させなくてはならない。
(…厳しい仕事ですね)
アプリオリはじりじりと背中が焼かれるような焦燥感をぐっと押さえ込んだ。
ガシャンという拳銃のスライドが引かれる音が室内に響いた。
***
バキッという激しい打撃音が凍りそうな程に澄んだ空間に響いた。
アプリオリのアシストもあって、ジャンの放ったハイキックはロイズの側頭部を捉え、見事面目躍如を果たすことができた。
どうと倒れ伏したロイズは、すぐさま起き上がり再び霧島とジャンと拳を交えていく。
その隙を見計らって、アプリオリは背負ったバックパックからタブレットを取り出すと、シルヴィアの隣で素早く制御室にあるコンピュータへと接続を試みる。ピピピという電子音とともに、タブレットには施設で管理している仮想通貨用のデバイスが順に羅列されていった。
「入りました。これからハッキングを開始します」
アプリオリはそう言うと、無線接続されたキーボードを前にしばらく画面をじっと眺めていた。
画面には青雪によってプログラミングされた複雑なコードが蠢いている。
シルヴィアはすでに隣で発電所のハッキングへと着手していたが、アプリオリの様子に怪訝な目を向けていた。
「すみません…」
しばらくの沈黙の後、アプリオリはシルヴィアの方に目線は合わせずに呟いた。
「…先ほどの射撃の時に能力を使ったせいです。思考が上手くまとまらなくて…」
アプリオリはもどかしさや苛立ちを隠さず、キーボードの上にかぶせた両手を悔しそうに握りしめた。
「大丈夫です。任せてください。」
シルヴィアは特に狼狽えることはなく、すばやく目の前のキーボードをタイピングしていく。
「一時的にですが、発電所の給水口をいくつか止めました。これでしばらくはタービンを回すための水量に制限がかかるはずです」
シルヴィアの言うとおり、ガラスの向こうに見えた滝のような水が次第に細くなっていき、6割ほどの大きさに減じてしまった。だが、水量が減ったからと言って電力の供給を止められるわけではなく、あくまで時間稼ぎにしか過ぎない。
「アプリオリさん。貴方のタブレットを私に…」
シルヴィアがそう言って差し出した手に、アプリオリは悔しそうにタブレットとキーボードを手渡した。
「申し訳ありません…」
「心配いりません。貴方は私とジャンさんを助けに来てくれましたし、さっきは霧島さんの身も守りました。立派に務めを果たしていますよ」
シルヴィアは表情こそほとんど変化はなく、いつもの氷のように怜悧な顔を見せるだけだったが、その声色には確かに仲間への信頼の感情が感じられた。
「ん…」
シルヴィアはいくつかのハッキングを進めるうちに違和感を覚えると、はたと手を止めてしまう。それと同時にアプリオリが「シルヴィアさん」と言って肩を軽く叩いた。
「あれを…」
そう言ってアプリオリの指さす方向を見てみると、そこにはマザーボードがぎっしりと詰め込まれた部屋に二人、三人と覆面で顔を隠し銃を携えた集団が侵入してきていた。
しばらくして、ひとつふたつとモニターの画面が真っ黒に落ちていく。
どうやら、どの部屋のモニターも闖入者の持つ銃によってカメラを破壊されているようだった。
「どうなってるの…」
シルヴィアは珍しく狼狽えた様子で呟いた。
***
アプリオリとシルヴィアの奮闘の最中、ロイズと執事ふたりの戦闘もまた大詰めを迎えていた。
先ほどまでのジャンをいたぶるようなヒットアンドアウェーの戦法はナリを潜め、今度は拳法やボクシングを基にした積極的な攻撃方法でふたりを相手していた。
しかし、いくら身体能力が高くとも、さすがに2対1という構図の前ではワンサイドゲームという結果にはならない。
「ふっふふふ…」
しばらくして、ジャンと霧島というふたりの手練れを前にロイズは可笑しそうに口元に手を当てて笑った。
世界中で様々な人物と接してきたふたりにとってみれば、戦いの最中に笑い出す相手はさして珍しくはなかったが、こういったとき相手は嫌な攻撃や隠し武器を潜ませていることが多い。ふたりは一層ロイズの動向に警戒感を強める。
「いや、失礼。こんなに楽しいのは久しぶりでね。両親からクリスマスプレゼントを貰った時の様なわくわくした気持ちだ。両親はゲーム機をくれてねぇ。何日も夢中で遊んだよ。次の日が来るのがいつも待ち遠しかった」
ロイズはそう言うと、口元についた血を手でぬぐった。それを見て、再びにやりと口端を持ち上げるとさらに続ける。
「この発電所もコンピュータももう私には無用だ。せっかく作ったモノを捨てるのはこの上なく惜しい気持ちではあるが、さらに先の楽しみの為に諦めなくてはならない時もあるものだからね」
ロイズはそう言って、じりじりと後ずさりを始めた。
おそらく、このまま駆け出して逃走するつもりなのだろう。
霧島もジャンもこう言った手合いの次の考えは読める。
ふたりもともにじりじりとロイズへと足下を進める。
静寂と緊張感が満たされるその刹那は何の脈絡もなく突如打ち破られた。
バァンという銃声が空間に響いた。
今度はアプリオリも霧島もロイズも銃を手にはしていない。
気付けば、ロイズの腹には赤いシミがにじみ出していた。
「そう。貴方にはもうこの施設もコンピュータも必要ありませんねぇ」
その場にいた全員がその声の主の元へと目を向けた。
中国分家の執事長、
ヴィアレット家物語 執事とメイド達との話 Yuna=Atari=Vialette @AtariYunaV
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