モモちゃんのTシャツ

尾八原ジュージ

モモちゃんのTシャツ

 服それしか持ってないの!? って、驚いたようなモモちゃんの声を、私は今でも覚えている。それあたしが中学のときにあげた服じゃん。そんなのもうダサいよ。美奈、東京行ってダサいとめちゃくちゃ浮くよ? いじめられるかもよ?

 幼馴染みならではの遠慮のない言い方をされて、高校生の私は、ははは、と曖昧な笑い方をする。

 そんな私が上京して十年が経った。今は土曜日の午後、中央線を降りて吉祥寺駅の東改札を出たところだ。

 休日も吉祥寺はそれなりに人通りが多い。高校生くらいの女の子が、ショートパンツから伸びるすらっとした足を動かして、足早に私を追い抜いていく。友達と待ちあわせだろうかなどと考えながら、私はぶらぶら歩く。

 私は量販店で買ったなんの変哲もないデニムの上に、ピンクとグレーのTシャツを着ている。髪はひっつめてまとめただけだし、靴もくたびれたスニーカーだ。顔も日焼け止めを兼ねたファンデーションを塗って眉を描き、あとはマスクで誤魔化している。

 もう色あせて、首元もダルダルになりかけている、何度も袖を通して洗濯したTシャツ。胸元に太いゴシック体で「HAPPY DAYS」と書かれたこれは、十年前にモモちゃんがくれたものだ。「これ、餞別」と言いながら、セレクトショップの紙袋を差し出したモモちゃんは涙目で、怒ったようなしかめっ面をしていた。


 モモちゃんはたぶん、家が隣同士でなかったら仲良くなっていないタイプの女の子だ。

 美人でおしゃれで、休日には同じようにおしゃれな友達と電車に乗って東京に遊びに行くような子。だから全然遊んだりしない時期もあったけれど、でも決して仲が悪くなったわけではなかった。

「美奈、四月から東京暮らしかぁ。いいなぁ」

 私が第一志望の大学に合格したとき、モモちゃんはそう言った。私は東京でモモちゃんは地元。どちらの親も、友達も、「逆の方がそれっぽいよね」と言って笑った。

「美奈、イモいからなぁ。ナメられないかなぁ。いじめられたりしたら、電車ですぐ行くから言いなよ」

 それはまるっきり「田舎の世間知らずの女の子」丸出しの心配だった。上京してすぐ、私は都会の懐の広さを知った。

 色んな人が色んな地方から集まる街では、ちょっとダサいくらいでは浮きもしないし迫害もされない。ただのモブだ。訛りだって気にならない。大学には広島弁丸出しの人も、東北訛りを全然隠さない人もいて、私の方言がバカにされることはほぼなかった。「美奈ちゃんがたまにいう『ナントカざぁ』っていうの可愛いよね」なんて言われて照れたりしているうちに、それはいつの間にか消えてしまった。

 つまり、モモちゃんの心配は杞憂だったのだ。そんな話をすると、彼女は「えーっ、なんだぁ〜! 心配して損した!」とのけぞって笑った。

 モモちゃんは高校を卒業後、地元で就職した。田んぼに囲まれた実家から軽自動車に乗って、おじさんとおばさんばかりの勤務先に出社する。とびきり若いモモちゃんは、みんなの娘みたいに可愛がられているらしかった。

「いい人ばっかりなのはいいんだけどさ、みんながお菓子とかくれるから太っちゃった」

 平和な愚痴をこぼすモモちゃんは、自分で言うほどは太っていなくて、やっぱり美人でおしゃれだった。社会人になったモモちゃんは、相変わらずファッション誌で研究した服装と髪型でばっちり決めていた。そんな彼女がド田舎にいると雑なコラ画像みたいで、浮いてるのはキミの方だよと私は思ったけれど、モモちゃんは絶対にやめなかった。


 モモちゃん。


 十代の女の子が、彼女なりのセンスで、彼女の大好きなお店で選んでくれたTシャツを、私は捨てることができない。

 退勤途中、通いなれたはずの道で、モモちゃんは自損事故を起こした。私はその知らせを大学の学生寮で聞いた。

 葬儀の日、棺の窓はぴったりと閉められていた。だから私はモモちゃんの死に顔を見ていない。大きく引き伸ばされた遺影の、キラキラした笑顔の彼女を見ただけだ。

 お焼香をしただけなのになぜかひどく疲れてしまって、セレモニーホールのロビーで休んでいると、喪服を着た人たちが何人も前を通り過ぎていった。

(おしゃれじゃないよね、ダサくもないけど)

 頭の中でそう呟いたら、急に涙がこみ上げてきた。人前で、かっこ悪い、ダサいよ、と思いながら、私は小さな子供みたいに泣いた。


 駅を出て、またぶらぶらと歩く。平和通りを、パルコの方に向かっていく。

 道行くひとの服装なんか、見ているようで見ていない。美人でも何でもないアラサー女が十年前に買ったTシャツを着ていても、誰も笑ったり呆れたりしない。

 そんなものだよ、モモちゃん。私は東京のそういうところが好きで、大学を卒業したけどまだ東京で働いて、一人暮らししてるよ。イヤなことはあるけど、今のところダサくていじめられたことはないよ。

 心に澱が溜まったと感じたとき、私はモモちゃんのTシャツを着て、彼女がおしゃれだと言いそうな場所を選んで歩く。モモちゃんが生前よく訪れていた原宿や渋谷はもう何度も行ったから、今日はあえて吉祥寺。賑やかで洒落たお店もたくさんあって、でもどこか都会らしくない雰囲気は、私にとって心地よい。吉祥寺に来たことがあるかは知らないけど、きっとモモちゃんはこの街も好きだろう。

 こうやって散歩していると、心が十代の頃に戻る気がする。まだ新鮮で柔らかかったあの頃、モモちゃんが生きていた時代に。

 歩きながら、私は達成されなかった世界線のことを思う。みんなが「それっぽいよねぇ」と言った世界。モモちゃんが上京して、私は地元。そしたらモモちゃんは自損事故で死んだりしなかったはず。心に十代の柔らかさが戻ってくると、そんなことばかり考えてしまう。

 マスクをしていてよかったな、と思いながら、私はひっそりと、きつく唇を噛む。


 今日も東京にはたくさんの人がいて、そして私のことを、モモちゃんのTシャツを、たぶん誰も気にしていない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モモちゃんのTシャツ 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ