断章 或いは 序章

「……が終わるまで呼ばないで。もしかしたら、今回の王花は本物かもしれないのよ。そうなれば――」


 死者を葬送する竹の仮門が立てられた家屋の近くで、二人の男女が王花について話していた。

 その中の単語の一つを耳聡く拾ったレカは、いつものように深く考えず問いかけていた。


「本物なの?」

「!」


 問われた女性が、驚いたようにレカを見下す。それもまたいつものことだった。

 レカは傭兵部隊に所属していた頃の癖がまだ抜けず、つい気配を消して歩いてしまう。そのせいで、大抵の人は突然近寄ってきたように感じて驚くのだということを、最近知った。

 連れがいれば自分は黙っているのだが、先程気になるものがあると言って離れてしまったばかりだ。

 けれど王花に関することだけは、聞き逃してはならないから。

 

「……誰?」


 左目尻にある泣き黒子が目を惹く女性が、蘇芳色の瞳に微かな緊張を持たせて問う。

 レカは、素直に名乗った。


「レカは、レカ」

行けレカ?」


 それは名前だろうかと、女性が首を傾げる。

 だがレカは、自分の本当の名前を知らない。戦場で「行け!」と言われ続けていたから、そう名乗っているに過ぎない。

 だが今はそんなことはどうでもいい。


「王花、本物なの?」


 現在、西大陸の王花は二の王花の開花期が始まり、一の王花である今上の譲位が行われることが決定していた。御花大宮おはなのおおみやもまた、今上の坐す波夷はい州から、二の王花が坐す安底あんて州への移築が早速始められている。

 だが三の王花は百年前に生まれてすぐ行方不明になったまま、未だ見つけられずにいる。このまま新しい王花の誕生までが遅れれば、待っているのは西大陸の王花はたった一人という最悪の事態だ。


 そんな益々治安の悪化が懸念される西大陸で最近噂されているのは、三の王花が見付かった、或いは、新たな王花が誕生したという話だった。

 だが当代に王花は三人より多く存在したことはない。新たな王花の誕生は気の逸った平民たちの勝手な思い違いだが、中には意図的にそんな噂を流す華族もいる。

 全ての噂を確認して回ることは不可能だが、それでも近くでそんな話を聞けば、レカたちは一々真偽の程を確認して回っていた。

 だがこの女性は、その噂に好奇の目を光らせることもなく、淡々とこう答えた。


「さぁ。神魔デュビィが消えれば、本物なのじゃない?」


 それは、ある意味では真理であった。

 華族の寿命は、平民の三倍は長いと言われている。王花となると僅かに短命となるらしいが、それでもほぼ百年ごとに生まれるといわれる王花は、いつの時代も常に三人は存命時期が重なるのが一般的だ。

 その王花が一人欠けるごとに、神魔が人里に現れだすというのは昔からの通説だ。そしてそれは、歴史的に見ても齟齬がない。

 神魔が目に見えて減るならば、確かに本物の王花が現れたと言っても良いかもしれない。

 だが実際には、神魔は人の弱った心に付け込む。王花が揃っていたとしても、その被害は皆無になったりはしない。

 それも承知しているが、レカは新しい見解だなと少し納得した。


「そう」


 こくりと頷く。

 そこに、別の声が上がった。


「レカ!」


 焦ったような声に振り返れば、二十歳前後の青年が駆けつけてくるところだった。

 ロフェルだ。


「レカ、やたらに聞いてはいけない」


 待っていろと言った場所にレカがいないから、慌てて探していたらしい。ロフェルが事情を聞く前に女性からレカを引き剥がす。

 去り際に、ロフェルが申し訳なさそうに女性に一礼すると、女性は連れの男性を一瞥してすぐにその場を立ち去ってしまった。

 やはり、迷惑だったようだ。


(やっぱり、上手くいかない)


 いつも、誰かと交渉したり情報を聞き出すのはロフェルがしてくれていた。レカも出来るようになった方がいいとは分かっているが、中々思ったようにはいかない。

 だが今はそれよりも大事なことがある。


「本物だって」


 ロフェルに引きずられるように歩いていたレカが、ぽつりと繰り返す。

 ロフェルは足を止めると、胸元までしかない少女の琥珀色の瞳を真摯に覗き込んだ。


「どこの誰とも分からない人の意見は、あまり参考にしない方がいい」

「でも、本物なら、戦争が終わる」

「……そうだね」


 かつてロフェルが教えた言葉を繰り返すレカに、ロフェルは複雑な心境で頷いた。

 出会った頃のレカは、戦争に終わりがあるということも、終わった方が良いということも知らなかった。

 それを思えば、今の言葉はまた一つ、二人の願いに近付いたとも言える。

 だがそれは同時に、二人の旅の終わりを意味してもいた。


「レカは、戦争が早く終わってほしいかい?」


 ロフェルは握っていたレカの腕から手を放して、改めてそう聞いた。

 それは、百人に聞けば否と答える者を探す方が難しい質問だろう。

 だがレカは、表情に乏しい眉間にかすかに皺を寄せて、ゆるゆると首を横に振った。


「戦争がないと、傭兵は食べていけない」

「……そうだね」


 幼い頃の記憶が曖昧で自分の名前も覚えていないレカにとって、傭兵として過ごした時間はほとんどの価値基準になるほど長かった。

 今更また傭兵稼業に戻るという可能性はないだろうが、完全に切り離して考えることは難しい。

 だが彼女の心を最も占めていたのは、次の言葉だったろう。


「それに、戦争が続いてた方が、殺しやすい」


 無気力な琥珀の瞳に、ジリ、と小さな熱が灯る。

 そこには、確かに情があった。

 ロフェルがずっと理解してほしいと願い、レカもまた取り戻したいと望んでいた感情が。


(喜ぶべき、なのだろうか)


 人形兵器とまで呼ばれていた能面の少女に、たとえ負の感情でも芽生えたのであれば、喜ぶべき変化のはずだ。

 だがもう随分長いこと旅を共にしているが、ロフェルはいまだにそれ以外の感情を見たことがなかった。

 この悪感情の発露が、たとえば兵士ロフェルと名を偽ってまで傍にい続けたことによる結果ならば。


「早く行こう。戦争が終わる前に」


 白い髪を隠すように巻いた赤布をぐっと引き下げて、レカが促す。

 強い意志を宿した琥珀色の瞳はどこまでも美しく澄んで、それを取り上げようと考えるなどあまりに罪深く思える。

 ロフェルは誤魔化すように笑うことすらできず、ただレカの隣に並んで歩を揃えた。


(俺には、とてもではないが償いきれない……)


 いつかの願いとは裏腹な思いに、胸中で苦く悔悟しながら。

 それでも、足を止めることは出来ない。

 レカの瞳に、復讐の火が灯り続ける限り。




       ◆




「そちらの島で生まれた女神の子が、どうやら私の島に逃げ込んだようだな」


 東大陸の具眼者を務める爍約しゃくやく=アドーム・ルフェソーク=ミズラハは、具眼者の館エ・ウ・ニルの一室で、完璧に磨き上げられて曇り一つない、全ての光を反射する石鏡に向かって文句を並べ立てていた。

 その石鏡が、文句など受け付けるかと言いたげに光を散らす。


《無知なくせに里の秘術を濫用し、出鱈目に時を彷徨い続けていたのだ。とても捕まえきれるものではなかった》

「生まれた時に気付いていたのなら、最初から捕獲しておけば良かったのではないか。そもそもそこからの手落ちであろう」

《ふざけた事を抜かすな。女神の子は見つけても何もしないのが暗黙の了解であろう。何の罪も犯していない赤子を、無闇に殺して回れとでも言う気か》

「保護しろという話だ」

《仙の居並ぶ中で、何の力も教えず飼い殺しにして、屈託のない娘が育つとでも? それこそ分の悪い賭けだ》


 頭の悪いことをほざくなとでも言いたげに、石鏡が――それを通して繋がっている時辰ときの島の具眼者、縡齋こととき=ラヴァン・タヘール=ズマンが顔を歪める。

 相変わらず、年端もいかぬ小娘のような姿形なりをしながら、言うことに容赦がない。

 だがその言い分には一理あるとも、爍約は唸った。

 女神の生まれ変わりである子供たちは、具眼者にとってはいつ芽吹くか分からない厄災の種に過ぎない。見つけたならば早めに摘み取りたいと誰もが思っている。

 だがその厄災は、時に芽を吹かぬままその生涯を全うすることがあるのもまた、事実だった。

 そして縡齋は、そこに一人の少女としての命と感情があるのだと、聞きたくもない真実を突きつける。

 そんな些事に一々振り回されていれば、具眼者の役目などまともに行えないと、知らぬはずもあるまいに。


「そちらには限られた者しか住まぬから簡単に言うかもしれぬが、こちらはあまりに栄えた。危険を放置したままでは、いつか取り返しのつかぬことが起きるのだ」

《……そんなものは、大小に関わりなく起きる。そして一度起こってしまえば、後には守るものなど何一つ残らぬぞ》


 それは達観でも忠告でもなく、慈悲を施す余地もないほどの現実だと、爍約は知っていた。

 かつては幾人かの人々が集まった小さな里を擁していた時辰の島は、今では誰の立ち入りも許さぬ廃墟があるばかりだ。

 それは敢えて縡齋が仕向けたことであるものの、そうなるに至る経緯を思えば、軽口のようにああすればよかったなどとは言えるものでもない。


「それでも、私は動くぞ。女神の子が禍を振りまくというのならな」

《……好きにしろ。ぬしの縄張りだろうて》


 まるで巣から零れ落ちてしまった雛鳥を憐れむように、縡齋が言う。その後には、石鏡は沈黙を持って光を飲みこんだ。

 爍約のへやに、再び静寂が訪れる。

 この一室に再び女神という言葉が放たれる時は、そう遠くない。




       ◆




 時辰の島で見失ったままの女神の気配は、二百年もの時を経て、東大陸のまるで違う所に現れた。


「どこに隠れていたんだか」


 くんくんと鼻を動かしながら、狗尾くびは女神の気配を追うようにあちこちに首を巡らせた。

 無念の内に死した肉体を利用している死花屍カファラにとって、雨は相性が悪い。止むまで追いかけることは出来ないが、今度こそ見失うことはないだろう。

 何せ、あれだけ無節操に神撫かんなの力を使っているのだから。


「苦しみを移すことで癒しを与えていたはずの羽根が、こうも堕ちるとはね」


 華殿や州府の中は結界があるため、鬼魄ルアハと違い肉体を持つ死花屍は入り込むのに苦労するし、中の様子も中々伺えない。だがこれだけの距離を隔ててもなお、神魔が好む苦しみをまき散らしていることだけはびしびしと感じられる。


「だがまぁ、これでついに女神も二人かぁ。残る一人も、時間の問題だろうし……くひひっ」


 思わぬ誤算に、つい笑みが漏れる。

 決して同じ時代に生まれぬよう、天人マルアハにその輪廻を仕組まれた三人の女神の転生体が、時を歪めたことによってついに同じ時に立った。

 こればかりは、女神の魂を三つに引き裂いた天人にも読み切れなかったようだ。


「あぁ、楽しみだなぁ」


 跳黒狗スキロスの髭をひくひくと揺らしながら、これからの女神の絶望に想いを馳せる。

 女神を巡る長い旅は、あと少しで終わりを迎えるだろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三花繚乱 ~女神は世界の終わりを望む~ 仕黒 頓(緋目 稔) @ryozyo_kunshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ