第十九話 豺虎まさに災いをなす


「追手もないようですし、少し線路の方に向かうのも良いかもしれませんね」

「センロ?」


 市からの帰り道、春が野遊びでも提案するように楽しげにそう言った。

 市の話が出た頃から、春は思いつく度に薄雪にあれをしようこれを見ようと提案することが増えていた。そのほとんどが薄雪の知らないものか、聞いたこともないものばかりで、薄雪はいつもすぐには答えが出せない。

 今回も、線路が何か分からず戸惑う薄雪より先に、楸がげんなりと突っかかった。


「何のためにだよ」

「勿論、薄雪の見聞を広めるためです」

「大陸列車なんか、平民は見たこともない奴の方が圧倒的に多い」

「見て損になるものでもありませんよ。もしかしたら、いつか乗る日が来るかもしれませんし」

「霊石も魔石もないのにか」

「また次の機会に用意すれば済む話です」

「途中乗車なんかできねぇぞ」

「勿論、遠くから眺める程度です。でも、こん車站えきのある町で色々と見ることができれば、きっと楽しいでしょうね」

「……俺はもう出さねぇぞ」


 春がにっこりと恐喝し、楸が心底嫌そうに拒絶して足早になる。薄雪は遅れないようにと慌てて早歩きになりながら、少しだけ大陸列車への興味が膨らんだ。

 列車や線路に乗るには、どうやら貨幣では駄目らしい。辻馬車のように融通も利かないようだし、何のためにあるのかよく分からない。坤車站はごん車站と反対に西大陸の北端にある乗降口で、やはりとても賑わっているのだとか。

 そんなことを考えながらあくせく歩く薄雪を、春が気にしなくて良いと元の歩速に戻しながら、こう言った。


「もう影に入りますし、筒灯つつあかりを使ってみましょうか」

「いいの?」


 郡都桐楽とうらくの門を出て、外れに広がる田畑を見やれば、早くも西日が棲雲山の急峻な山端にかかろうとしていた。

 花圃と華族が切っても切り離せない関係から、州都をはじめとする主要な都市や施設はどれも花守の森に近い立地に構えることが多い。そのため、棲雲山の影に入る時間も必然的に長くなっていた。


「早く使い慣れないといけませんからね。早速実践です」


 言いながら、春が早速購入したばかりの照明具に手をかける。


「筒灯は、ここ――覆いを少し回すとさねが外れて、芯に塗られた炎虫ホノオムシの幼虫の粉末が風を感じて発光します。今は夕刻ですから弱く感じますが、夜の森なら十分頼りになりますから」


 春が説明しながら薄雪に持ち手を差し出す。薄雪は今更ながらに自分の物として受け取っていいものか迷いがあったが、よく考えれば使わない方が愚かだ。そわそわしながらも手を出して受け取った時、頭上でバサバサッと羽音がした。

 楸と春が、ほぼ同時に西の空を振り仰ぐ。


「カヌヌ」


 楸が聞き慣れない響きで呼びかけて腕を差し出した。

 鳥ならば薄雪は見ていけない。薄雪は空から目線を外した。

 その時、来た道からも足音が聞こえた気がして、ふと目線を向けてしまった。


「……え?」


 道の先に、人がいた。慌てて視線を下げる。

 ほんの一瞬だったが、すぐには数え終わらないくらい人がいたような気がする。郡都の城門に続く幅広の道を、ほとんど塞ぐように広がっていた。

 しかも人影の間には、箒や火かき棒など、まるで慌てて手に取ったと言わんばかりの長物の柄が見え隠れしていた。


(なん、だろう)


 薄雪とは関係ないはずなのに、少し怖い感じがする。こんな時間に畑に行くというでもないだろうし、何かの集まりだろうか。

 薄雪は何だか不安になって、楸のもとに行ってしまった春の傍に行こうと踵を返した。

 そこに、声が聞こえた。


「……いたぞ」

「あれが春か」


 ひそひそと囁き交わすその声は、どことなく聞き覚えのあるものだった。

 薄雪は顔で人を見分けられない代わりに、無意識に声質で他人を識別している。だがさすがに聞くともなしに聞いただけの声は、すぐには思い出せなかった。

 市場の店主か、それともすれ違った誰かだろうか。

 そう思考を巡らせながらも、足は逸る。その背に、夕陽に伸びる幾つもの長い人影と長物の柄の影が、幾つもの足音とともに迫り。


「甘言に惑わされる弱き春など……」

「春を独り占めする卑劣者め……」

「!?」


 怒りを滲ませた声が、濃い影となって薄雪の頭上に覆いかぶさった。薄雪の小さな影をすっぽりと呑み込み、筒灯がぼんやりと明るさを増す。近い。

 けれど背後にいるのは人のはずだ。街道でも、誰かとすれ違う時には目を逸らして、人のいない方へと逃げてきた。

 だが薄雪の足元に伸びるその影がまるで巨大な怪物に見えて、薄雪は言いようのない恐怖から振り返らずにおられなかった。

 赤い絹鞋や黒い革鞋と、袴の裾と帯の先と、竹や木の長い棒の先が見える。

 そして。


「――――」


 その上にあるはずの目と目が合うより先に、人々が口々に何かを叫びながら、握りしめた道具を薄雪に振り下ろした。




       ◆




 聞こえてきた羽音に向かって道の端に寄り、楸が腕を伸ばすと、真似梟ククヴァイアのカヌヌは力強く鉤爪を食い込ませてきた。

 魔獣の本能なのか元々の気質なのか、いつも痛い。が、文句を言うと肝心の伝言を出し渋るので、楸は黙って市場で買った干し肉を一片ひとかけ差し出した。

 パシッと瞬時に消える。


(こいつめ)


 相変わらず、餌とつがいのためにしか働かない奴だ。だが、その甲斐はあった。


『花の特定ができた。恐らく不凋花アマラントスで間違いない』


 聞き知った聖仙リシの声がカヌヌの狂暴な嘴から紡がれるのは、いつ聞いても奇妙なものだ。だが今回ばかりは、きちんとその伝言に意識が向いた。


「不凋花?」


 横で聞き耳を立てていた春が、聞き慣れないという声を上げる。

 さもありなんと、楸は声を潜めて説明した。


「凋まない花、得れば凋落しないと云われる、花圃にはない幻花の一つだ」

「まさか……薄雪が、力持つ花?」


 春が愕然と呟く。

 花圃には万花が咲くと言われているが、例外もある。伝承にのみ聞こえる花々で、華族のみが扱える操花術と違い、花自体に特別な力が宿っているとされる。

 四季として春に咲く地上の花しか知らない春にとっては発想の埒外だったろうが、その長い歳月の中で名前くらいは聞いたことがあるだろう。ひとたび発見されれば、どれも暴価で取引される代物だ。

 いわんや、それが半花となれば。


「だから彼らは、薄雪を……」


 州軍が春を狙う中、薄雪を追っていた男たちのことを思い出す。あの時は理由など考えもしなかったが、薄雪の花に高い価値があるというのならば納得できる。


(あるいは……)


 薄雪が閉じ込められていたのはあの目のせいかと思っていたが。


(もしや、不凋花の価値を知っていた?)


 だが薄雪の母は平民で、州の要職に関わっているようでもなかった。どこから知ったのか。

 だがその疑問が解決する前に、カヌヌが残酷な現実を突きつけた。


『お館様の意見を聞く必要はあるが、力弱き者であれば、誰かに利用される前に棲雲山で保護するが良かろう。拒むようなら、抹殺しろ。了』


 しまった、と楸は思った。不凋花に気を取られて、春を遠ざけるのを忘れていた。伝言の最後にはそう付くだろうと、予想していたのに。


「……は?」


 春が、目を点にしてカヌヌを見、それから楸を見た。

 言語として理解できないという顔が、刹那、反意に変わる。


(まずい)


 距離の近さに、身の危険を感じる。咄嗟に飾り紐に手が伸びるが、それよりも速く本能が花気を呼び寄せていた。懐に忍ばせていた種が狂暴に芽吹く――寸前。


「!?」


 ぶつかっていた楸と春の視線が、後方からの不自然な反射光を捉えた。刃物だ。

 何故と視線を下ろせば、道端で栗鼠のように蹲る薄雪めがけ十人以上の人々が斧や槍、箒などの長物を今まさに振り下ろそうとしていた。


(気付いたならそのまま凝視すればよいものを!)


 カヌヌに気を取られて接近を許してしまった苛立ちが、力があるのに何もしない薄雪に向かう。その横で、春が風のように駆け出した。


「薄雪!」


 叫びながら手を翳した先――連中の立つ道の両側がひび割れ、蔓草が異常な早さで伸び上がる。鏡草かがみぐさだ。


「なっ」

「何だこれ!?」


 幾つもの蔓が男たちの足に手に絡みつき、武器を取り上げるだけに留まらず、その首を締め上げる。食い込む蔓に手をかけ足掻く連中は、やはりどう見ても素人だった。


「ぁガ……っ」

「くるし……!」

「……え……あれ?」


 降りかかるはずの痛みの代わりに妙な苦鳴が聞こえてて、薄雪がやっと顔を少し上げる。その矮躯を、春がすかさず抱き上げた。

 その瞬間を待っていた楸もまた、風気をぶつけて彼らを吹き飛ばし、ついでに土埃を舞い上げて目晦ましもお見舞いする。


(くそっ、最近こんな役回りばっかりだな)


 したくもない尻拭いばかりしている大小二つの尻を追いかけながら、楸はもう一度風気を纏って両足に力を込めた。




       ◆




 再び花守の森の際に逃げ込んだ三人は、すっかり暗く翳った木々の間を慎重に進んだ。追手の気配はない。

 だが、三人の面持ちは森と同じくらい暗かった。


「薄雪、怪我はないですか? 痛いところは? 気分はどうですか?」


 薄雪を抱えたまま、春はずっと心配げに質問を続けていた。だが当の薄雪は、先程一瞬見えた人々の表情や言葉が脳裏に焼き付いてそれどころではなかった。

 薄雪を見下した目の恐ろしさ、振り降ろされた武器の躊躇いのなさ。そして何より、憎悪の籠った震えた声。


『甘言に惑わされる弱き春など……』

『春を独り占めする卑劣者め……』


 あれは、四季を独占する大罪人を断罪する言葉だ。つまり。


(わたしに、向けられたもの……)


 それは、春との旅を続けると決めた時から、分かっていたことだ。けれどいざ悪意をぶつけられた時の身震いするほどの恐怖は、想像など足元にも及ばなかった。

 その頭上で、楸もまた苦い呟きを零す。


「妙だな」

「妙、とは?」


 どうにか頷いた薄雪にひとまず納得したらしい春が、やっと薄雪を解放しつつ楸の言に興味を示す。


「四季だと気付かれることは、まぁ、ないことではない」

「そうですね。四季はみな同じ道を通りますし」


 四季はそれぞれ、連綿と続く一体の精霊だ。生まれ変わって、性別や外見年齢が変わっても雰囲気がかけ離れることはないし、着装も自然と似通る。四季の通り道も変わらないし、探そうと思えば難しいものではない。

 それでも四季に旅の道連れがいないのは、誰もが世の理法を理解し、大罪を犯してはならないという道徳と良心を守っているからに過ぎない。だからこそ、その傍に特定の誰かが居続ければ、悪意をぶつける者が出るのも道理だ。


「だがあの連中は、恐らく市にいた奴らだ」

「そう、でしたか?」


 春が、顔など見てもいないと首を捻る。だが楸の言葉に、薄雪はやはりと納得した。薄雪の聞き間違いではなかったのだ。


「もとから春への不満があったというのならば、最初にお前を見た時に疑ったはずだ。今年は諸事情で経路がずれているとはいえ、春だと気付く条件は揃っていた」

「それは……確かに、そうかもしれませんけれど」


 心当たりでもあるように、春が視線を落とす。その脳裏を過るのは、荒れた野を追われるいつかの春の記憶だろうか。


「あの後、皆さんで話し合って、意を決したとか」

「市が終わる前にか? 不自然だ」

「では、突然そういう衝動に襲われたということになってしまいます」

「あぁ。あるいは、誰かがそう吹き込んだか……」


 どの可能性も違和感が残ると顔を顰めていた楸の最後の言葉に、二人が異口同音に呟いた。


「「神魔デュビィ」」


 その単語を聞いた時、薄雪は何故か分からないけれど、背筋がぞっと凍り付くような錯覚を覚えた。


(まるで、誰かに見られているような……)


 思わず辺りを見回したが、筒灯は春に抱き上げられた時に覆いが閉じていたから、森は暗く、何も見つけられなかった。だがその不安は、薄雪だけのものではなかったようだ。


「王花が欠けているとは聞きましたが、四季に手を出すにはまだ早いのでは……」

「阿呆。生まれるはずの王花が見付からないと噂されて、既に八十年近い。季絶期となれば益々混迷は深まる。神魔にとって、四季あんたらは手っ取り早い獲物カモなんだよ」

「そう……かもしれません。ですが」

「固執している、か?」


 ぴりり、と楸の声に意味深な緊張が走る。春は逡巡するような間を置いてから、えぇ、と小さくうなずいた。


「四季を捕まえようなどと考えるのは大抵神魔に唆された人々でしたが、飢饉の只中でもないのにこうも立て続くというのはあまり記憶にありません」


 そう言って首を振る春に、楸も物思わしげに眉根を寄せる。

 だが、その間に挟まれていた薄雪は内心どきりとした。


(わたし、だ)


 遥か昔から引き継がれてきた記憶の中と違うことを、薄雪は知っている。

 旅の道連れ――自分がいることだ。


『四季に道連れなど揉め事の種にしかならない』


 楸の最初の忠言が蘇る。旅の道連れは悪意を呼ぶ。


(わたしがいるから、春が)


 理解した瞬間、薄雪は膝から崩れ落ちそうになった。

 薄雪が自分の願いのためだけに春を連れて行こうとしたから、何もかも悪い方へと動いたのだ。春は何度も襲われ、違う道を歩かせて。

 そして、市の彼らにまで必要のない凶行に走らせた。


(わたしが、いなければ)


 彼らはきっと、遅れてきた春をただ喜んで見送っただろう。

 だが傍に薄雪がいたから、恐れたのだ。また春が奪われるのではないかと。それが神魔に唆されたせいだとしても、薄雪がいなければそもそも起こらなかったはずだ。

 それに、彼らの顔が正気を失っていたわけではないことを、薄雪は一瞬だったがちゃんと見ていた。彼らのあの悲愴な顔は、ただ小さな可能性から生まれた恐れに突き動かされ、意を決して行動しただけだった。

 大切なものを失わないために。恐ろしいものを、危険なものを排除しようとした。あの荷車の父子のように。魔獣を視た薄雪のように。


(わたしと、同じ……)


 そう気付いて、薄雪は理解してしまった。自分を撲殺しようとした彼らを、それでも視ることができなかった理由わけを。


(……はなれ、なきゃ)


 春の言葉に甘えていた自分の方が、悪だったのだと。

 薄雪は最初から、無意識のうちに、認めていたのだ。




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