第十八話 上天に雲あつまり


 うろちょろする薄雪を監視する傍ら、結局楸も白酒を一瓶買ってご機嫌になった辺りで、大路が交わる辻に至った。辻の中央には市を管理する役所が建ち、そこを通り過ぎるとまた通りの雰囲気が変わる。

 呼び込みの声が野太い大声から柔らかいものに変わり、行き来するのも妙齢の女性や年若い男性が増えた。特に露店の格や品物の輝きは明らかに違う。

 造りは見るからに洒落て立派になり、品物は艶やかな朱縷あかぎぬの上に並べられ、一つ一つが丁寧に磨き上げられ、或いは綺麗な化粧箱に収められている。

 特に若い女性たちが惹き寄せられているのは、美しい漆器に入れられた鉛粉おしろい胭脂ほおべにといった化粧品だったり、精緻な花鈿かみかざり玉梳たまぐしといった装飾品だ。

 玉や瑪瑙で作られた連珠飾くびかざりや、金や銀で飾られた手鐸うでわも人気だ。色とりどりの反物が積み重ねられたみせでは、女性たちが頬を染めながら何やら話し合っている。

 それにもつい何度も足を止めてしまった薄雪だったが、さすがにここまで来た目的を忘れてはいない。


「これ、全部、魔具なの?」

「いいえ。この辺りは一般的な装飾品ですね。魔具はもう少し先です」


 目をきらきらさせながら商品を食い入るように見ていた薄雪に、春が申し訳なさそうに答える。だがそっと通りの先を窺っても、薄雪は落胆しなかった。

 ここよりも男性が多そうに見えたことには少し腰が引けたが、それ以上に店の品揃えは魅力的だった。

 店種が変わってすぐの肆では、装飾品と近い位置にあるからか、一見すると今までとどう違うのか分からない装飾品が並んでいた。

 連珠飾や耳墜みみかざり歩揺かんざし帯鉤おびどめ塗香ずこうなどは、どう見ても女性向けだ。だが更に奥の肆を見やれば、筆や針、短刀や鏃と、少々毛色の違うものが混ざっていた。

 最も多かったのはやはり武具で、その種類は多岐に渡った。魔化した玉鋼で鍛造した大刀や鎖鎌、斧、矛などといった兵士が一般的に用いるものから、魔獣の皮を用いた甲衣ぼうぐや外衣、魔化した樹木で作った丸盾や鞘など。不気味なところでは木彫りの偶人にんぎょうや、漆黒の酒器、鋭く尖って彩色されてはいるものの、人の生爪にしか見えないものもあった。

 その中でまず春が足を止めたのは、馥郁たる香りに満ちた肆だった。青や赤の小さな絹の袋が、色とりどりに並べられている。香包かおりぶくろだ。


「これは、何に使うの?」

「香は用途が幅広くて、薄雪には魔獣除けや姿隠しなどが良いと思いますよ。身に着けるだけで良いですからね」


 そっと尋ねた薄雪に、春が幾つかを指さしながら教えてくれる。だがそれだけでは勿体ないと割り込んだのが店主だ。


「おや、長旅かい? お嬢ちゃんは可愛いから、こっちの体身香たいしんこうや塗香も一緒にどうかね?」


 言いながら、薬にしか見えない丸薬や、小さな陶器の容器に入った練り薬を見せる。薄雪は咄嗟に春の背に隠れようとしたが、ぐっと思いとどまった。まだ少し怖かったけれど、自らの口で聞き返す。


「な、なにに、使うんですか?」

「こっちの丸いのは、毎日飲んで内側から良い匂いを発して男の気を引くもので、こっちの塗香は体に塗って男を惑わすものだ」

「まど……?」

「魔獣の香嚢こうのうと魔化した山査子さんざしの実とを煉り合せたものでね、香りは勿論のこと、男がこの匂いを嗅ぐと」

「結構です」

「え? でも、まだとちゅ……」


 流暢に説明しだした店主の言葉をばっさり切って、春が薄雪の背中を押した。品物が視界から遠ざかる。


「あぁ~、ちょっとぉー!」


 店主が情けない声で引き留めるが、


「もう少し品の良い肆を探しましょうね」


 春は構わず歩き続ける。


「慣れないことをするからだ」


 と、楸が酒を呷りながら笑っていた。

 結局、時々ぼそりと入る楸の助言に従いながら肆を回り、手に入れたのは四つ。

 薄雪の持つ鷹鳴枕イェラーキと対になる御先烏コラーキの刺繍が施された、山椒や七竈ななかまどの実から作った魔獣除けの香包が一つ。

 円筒型の覆いを上下に開閉させる持ち上げ式の細長い芯に、炎虫ホノオムシの幼虫の粉末が塗られた、風に触れるとぼんやり光る筒灯つつあかりが一つ。

 傷口に塗ることで止血と治癒を早める、不死蠑アンピビア茶蘭ちゃらんよもぎを混ぜた膏薬ぬりぐすりが一つ。

 最後に、魔化した黄鉄鉱バイライトを魔除け効果のある七竈の花形に加工した、持ち主を守る頸飾くびかざりが一つ。

 楸曰く、耐魔布で仕立てた外衣の方が防御力が高いらしいのだが、仕立て済の品は大人用しかなく、薄雪では引きずってしまうので駄目だった。

 代わりにと、無くしたままだった袱包つつみの代わりに、鞄を買ってくれた。小振りの斜め掛けだが、筒灯や膏薬は勿論、ずっと鷹鳴枕に入れっぱなしだった折り畳みの小刀や地図、火打石と、僅かな路銀も入った。

 お陰で、やっと鷹鳴枕が本来の柔らかさを取り戻した。ふわふわだ。

 本当は、目線を隠す頭巾も欲しかったのだが。


「僕は、薄雪の顔が見えなくなるのは寂しいです」

「でも、もし春を見たら……」

「それは薄雪が気にすることではありません。薄雪だって、見たいものを、見たい時に見て良いのですから」


 そう、春に穏やかに断られてしまった。その後もしばらく押し問答は続いたが、しびれを切らした楸が二人を小突いたことで終わりになった。




「すっかり軽くなっちまった……」


 西日が強くなってきた帰路。長く伸びる影に向かって歩きながら、楸は郡都に入る前よりも随分寂しい音しか鳴らない銭入れを物悲しげに揺らしていた。


具眼者の館エウ・ニ・ルに補充を頼むしかねぇか。……あーあ、絶対文句言われるなこれ」

「守るべき民へ還元ができて良かったですね」

「……お前、大精霊のくせに性格ひん曲がってんな」

「それでもあなたよりは人間味があると自負していますよ」

「その言葉選びに腐った性根がよく出てるぜ」

「仙よりは長生きしていますからね」


 間に薄雪を挟んで、二人は相変わらず楽しそうだ。けれど肩にかかる鞄の重みを感じるたび、やはり薄雪は申し訳なくなった。


「あの……ごめんなさい。魔具って、高い、ですよね?」


 相場などは皆目分からないが、粥一杯と魔具とでは出していた銭の枚数が違うことは薄雪も見ていた。意気揚々と声をかけてきた店主たちも、皆一様に魔具はどれも貴重で高価だと、熱心に説明していた。

 楸はいつも以上に肩身の狭そうな薄雪の旋毛つむじを見下すと、ふむ、と顎を撫でた。


「じゃあ、出世払いだ」

「しゅっせ?」

「早く世に出て、働けってことだ」


 初めて聞く言葉に首を傾げた薄雪の頭をポンと撫でて、


「ま、期待してないけどな」


 と笑う。だが確かに、楸が肩代わりしてくれた代金だけでなく、楸と別れた後のこともある。


(はたらく……)


 その言葉に、頭に浮かんだのは市で見た人々の姿だった。

 大きな声を張り上げ、客と楽しげに会話する店主たち。お使いを頼まれたと威勢よく注文する小間使いの子供たち。役所の前に立ち、市をくまなく監視していた官吏たち。

 他にも井戸の水を運ぶ者や、荷物を届ける者、薬草をすり潰している者、筆を持ったままぼうっと空を見上げている者もいた。勿論、兵士も仕事の一つだろう。

 薄雪も、大きくなればそんな風に働くのだろうか。


(全然、想像できない)


 人の顔を見ることもできない自分が、どうやって他の者たちと同じように働けばいいのか、皆目見当もつかない。そもそも半花は仕事に就けるのかさえ、薄雪は知らない。


(それに……)


 働くということは、恐らく、大人になるということだ。


(大人に、なったら)


 ちらりと、隣を行く春を盗み見る。

 楸の軽口にはいつも辛辣な返しを入れるのに、春は前を見たまま何も言わなかった。




       ◆




 市というのは、売り手と買い手の欲望が隠されることなく始終ぶつかる、神魔デュビィにとっては心地よい場所の一つだ。

 特にここ桐楽とうらくは州都に近い郡都の一つであり、かつ花守かじゅの森への途中にあることから、特に棲雲山への祈祷品や供物、祝いの品から奢侈品まで、少々値の張るものが集まっていた。欲丸出しの金持ちは見栄っ張りで値切るということをしないから、商人たちはここぞとばかりに値を釣り上げているのだ。

 だがその客層と立地のせいで、北部の郡都よりも貧富の差や犯罪が少ないのは頂けない。どいつもこいつも暢気な気風なのだ。

 因陀州が春を監禁していたという噂はここにも聞こえていただろうに、突然動き出した春を何の疑問もなく享受するだけで、探そうともしない。


「それじゃあ詰まらないんだよなぁ」


 目深に被った頭衣の下、ぎょろりと大きな獣の目を動かして、狗尾くびは舌なめずりをした。

 郷都隆桧りゅうかいでは郷司一人を唆しただけで、他の楽しみは全部手駒の神魔に譲ってしまった。だが今回は、獲物が確定したこともあり自分で好きに動き回れる。


「さて、どこから回ろうかな」


 言いながら、どこまでも続く露店を嘗め回すように眺める。例の男に腐臭について指摘されたこともあり、自然と香房の一つに目が留まった。


「さぁ、楽しくなるぞ」


 くひひ、くひひと、笑みが漏れる。その足取りは、恋する少女のように軽かった。




       ◆




 ついていない、と香房の店主は思った。

 新たな王花がいつまで経っても生まれないせいで、この辺でも神魔が出たという噂があちこちで聞かれている。加えて長い冬のせいで物流が減り、原料も手に入らず、品揃えもめっきり減った。

 この冬の間に潰れたみせは片手に余る。次は自分かもしれないと、誰もが怯えていた。だが一週間程前から少しずつ春めいてきたことで、市は俄かに活気づいていた。

 店主も後れを取ってはならぬと隠していた在庫を出したが、やっと来た客は妙に過保護で潔癖な親が引き剥がしていった。

 全く、男親というのは女心が分かっていなくていけない。


「ついてねぇなぁ」


 相性も無視して商品を出したものだから、香りが全部混ざってそろそろ頭が痛くなってきた。耐魔薬は飲んでいるから影響はないが、いい加減諦めて香りがぶつかるものは仕舞わなければならない。

 今日の夕飯も具のない粥一杯かと諦めかけた時、店主の顔に影が差した。


「ねぇ、この塗香、良いと思わない?」

「そうねぇ。わたくしは、もう少し上品で控えめな方が好ましいと思うけれど」


 顔を上げれば、母子らしき二人の女性が、一つの商品を手に話していた。客だ。店主はすかさず母子の求める物を推考した。

 娘の方は十三、四歳ほどで、近頃装飾品や化粧品などに興味が出てきた年頃だろう。母親の方もまんざらでもなさそうだから、もしかしたら嫁ぎ先か、懸想する相手でもいるのかもしれない。

 となればまずは、今持っている物よりも相手の気を惹く香の方が良い。その上で体身香や、母親用の誘惑用の塗香も売れたら万々歳だ。

 だがまずは褒めるところから。それが客商売の基本だ。


「さすがお目が高い」


 店主は飛び上がりたい気持ちを抑えて立ち上がった。


「それも大変良い品ですがね、お嬢さんなら」

「先にこっちの香包で相手の目を節穴にしておかないと、全部無駄買いになっちまいますよ」

「え……?」

「……ん?」


 自分の声が変なところから割り込んできたような気がして、店主は首を捻った。目の前の娘が、信じられない言葉を聞いたという風に傷付いた顔で店主を見ている。

 やはり喋ったのは自分のようだ、が。


「……今のは、娘への侮辱かしら?」


 俄かに怒気を孕んだ母親に、店主は考えるのは後回しにして精一杯否定した。


「っい、いやいや違いますよ!」

「つい本音が漏れちゃって」


 が、再び自分の声が喋ってもいない言葉を発した。最早自分でも訳が分からない。


「え、あ、あれ……? いや、だから……っ」

「酷い……!」

「こんな失礼な肆、二度と来ませんわ!」


 娘は両手で顔を覆って俯き、母親は顔を真っ赤にして商品を叩きつけると、娘を連れて足音も荒く立ち去った。


「あっ……」


 思わず手が伸びるが、最早引き留められるはずもない。店主は、力なく元の丸椅子に座り込んだ。


「何だってんだ、突然……」


 折角の好機なのに、まるで上手くいかない。まるで今までの鬱憤が無意識に外に出たかのようだ。


「いけないなぁ。客商売に本音は禁物だろうに」


 自己嫌悪に落ち込む店主の背に、慰めに似た声が降る。それは明らかに不自然なはずなのに、それがまるで心の声のように聞こえて、訝しがるよりも前に返していた。


「そんなの百も承知だが……」

「折角馬鹿みたいに長い冬が終わったってのに、この調子じゃ今度は店主の評判で店が潰れちまうぜ?」

「全くだ。まだ新しい商品も入ってこないってのに」

「それもこれも、全部春の傍に妙な子供がくっついてるせいらしいぞ」

「……何だって?」


 四季は、見かけて声をかけたり、茶の一杯や菓子で一席だけもてなすことはあっても、食事を続けて摂ってはならない。度を超す親切はかえって良くないという意味の「四季への三食、天人マルアハを呼ぶ」という諺もあるほどだ。

 だというのに、子供といえど同行者がいるという。


「春を唆して、桐楽をとっとと通り過ぎて帳尻を合わせようとしてるみたいでさ」

「そんなことをしたら結局天候不順で入荷が遅れるじゃないかっ」

「だが遅れていた分の四季を取り戻す分には天人や具眼者は動かないからって、良いように操ってるらしいぜ」

「そんな……!」


 店主はたまらず立ち上がっていた。ただただ許せないという感情が頭を支配する。

 自分は春のことも、子供のことも知り得るはずがないのに。何故か自分の声で囁いてくる言葉を、最早疑うということも忘れていた。


「春を捕まえるのは大罪だってのに」

「許せないよな? そもそも、何度も捕まったり騙されたりする春なんて、いない方がいいんじゃないか? ほら、新しい春の方が、きっとみんな喜ぶよ」

「新しい、春……?」


 考えたこともない囁きに、店主はけれど天啓を受けたように視界が開けた気がした。

 目の前に続く市の通りは活気に溢れているように見えるが、市が閉まる時間になれば誰もが暗い顔をして今日の売り上げを数えている。景気の良い声が聞こえる肆など数えるほどだ。誰もが少ない銭を握りしめてため息を吐きながら帰路につく。

 それもこれも、愚かな春のせいだ。それは間違っていない。

 それでも、迷いはあった。


「でも、春絶期が……」


 春絶期は恐ろしいものだと、その末期に生まれたという曾祖母が春が来るたびに言っていた。決して春を捕えてはならない。欲など出しては身を滅ぼすだけだと。


「そんなもの、あっという間さ。それに、旧い物が壊れたら新しい物に取り替えるのは当たり前のことだろう?」

「そう、かな……だが、やはり春絶期は……」

「これは自分のためじゃない。今の春に苦しめられている、皆のためなんだ」

「みんなの……」


 とんと、優しく背中を押される。その時には、誰かが傍にいたのかと思考する発想もなくなり、ただ当てもなく歩き始めていた。

 曖昧で不確かな、けれど背を焦がすような使命感に押されて。


「春はさっき郡都を出たばかりだ。急いだ方がいい。手遅れになる前に」


 店主は、露店の品を仕舞うことも忘れ、走り出した。




       ◆




「ああ楽しい。やはり人とはこうでなくてはなぁ」


 一目散に城門へと駆けていく店主の背中を見送りながら、狗尾は満足げに丸薬の一つを摘んで呑み込んだ。生命活動を止めた獣族の胃の腑に、芳しい香りを放つ丸薬が虚しく転がる。

 鬼魄ルアハは実体を持たないことで人々に最も近付けるが、代わりに「気のせい」に留まる確率が高い。

 逆に死花屍マヴェットは実体があることでその存在を疑う力が弱まる上、その声自体に人々の本能に訴える力が宿っている。不自然と違和感を上手く消し合えば、その力は面白いほど強く働く。


「さぁて、あと何人くらい、とち狂わせてやろうかなぁ」


 うきうきと通りに戻りながら、新たな標的を探す。春に追いつく頃には、お手軽な暴徒が出来上がっていることだろう。あとは、例の男が用意するといった暗殺者がどさくさに紛れて上手く殺してくれればいい。そうすれば、もっと面白いことになる。


「また楽しい逃避行をしようぜ、女神ちゃん?」


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