第十六話 草木萌え動る

 その日の夜から、春は薄雪を背後から抱きこむ形で座り、二人して鷹鳴枕相手に会話をするようになった。まるで雛と親鳥だ。

 それはまだいい。微笑ましいなどとは皆目思わないが、楸に害はない。などと放っておいたら、突如として芽吹いた春の父性に暑苦しく巻き込まれた。


「薄雪に、身を守る術を教えてあげてください」

「……お前が教えればいいだろ」

「人間の術が、僕に使えるとお思いですか?」


 確かに、春は精霊だが精霊術とは対極の存在だし、他の術が使えるわけでもない。何より、薄雪の目のこともある。

 人選としては間違っていないのだが、それが故に納得がいかない気もする。が、ごねていても始まらない。


「まず、俺が止めろと言うまで俺を見ろ」

「で、でも……」


 夜、木の実と川魚中心の質素な食事を終えた後、楸は薄雪と焚火を挟んで向かい合った。

 楸の前には、通力で作った水の壁がある。ゆらゆらと揺れる薄い水面が、炎の赤や森の緑を不規則に映して、複雑な色を作り出している。

 その向こうで所在なく佇立する薄雪が、困ったように春に助けを求めて続けている。が、こんなことも出来ないようでは話にならない。


「お前の目が何に干渉しているのか確かめるだけだ」

「はい……」


 ようやく頷いた薄雪が、長い前髪を揺らしてその細い顎を上げる。

 現れた円らな黒瞳が、静かに水面越しの楸を捉えた。


「!」


 途端、覚えのある異変が楸を襲った。

 血流が止まるような息苦しさと脱力感が指先から全身に広がり、通力の操作がぐらぐらと不安定になる。狙いや力加減の制御が阻害されるような感覚で、指先の延長のように感じていた水気が俄かに遠くなる。


(やはり肉体からだではなく通力こっちか)


 問題は、この力が何なのかだ。

 受けた限り、精霊の気配はない。魔獣が放つような魔力とも違う。楸の通力をぶつけて相殺することもできない。

 となると残るは、と考えたところで呼吸困難に近い感覚にまで及び、楸は手を挙げて終了を伝えた。薄雪が慌てて顔を伏せた途端、全身を押さえつけていたような不可視の力が霧散する。呼吸が一気に楽になり、ぜぇはぁと肩で大きく息を吸う。額には大粒の汗も浮いている。

 殺されないと頭では理解しているのに、本能が恐れていた。

 言葉が脳裏で蠢く。


(力を奪う……消す……無に帰す……無……烏有うゆう


 ふと辿り着いた単語が、にわかに胸をざわつかせた。

 パリョ神族は、主神である大気を司る天宇玉貴大神あめのうたまむちのおおかみより、それぞれ神具を賜っていた。その中の一つに『烏有の指輪』というものがあったと思うが。


(くそ、引きずられてんな)


 持ち主はパリョ神族唯一の生き残りにしてネオン神族の祖、幸運を司る女神ラナ・ラウレア・エア・ヒアだ。明らかに春の悠長な授業に毒されている。


(あの神具は、どうなったんだっけか)


 パリョ神族の神具のほとんどはネオン神族に引き継がれたが、ネオン神族が世界の外側に追い出された時、幾つかの神具は域外を含む世界十二大陸全土に散らばった。それを回収し封印するのも具眼者の仕事の一つであるため、楸も嫌々ながら頭に叩き込んだものだ。

 しかし神具の気配は具眼者の館エウ・ニ・ルで知っているが、薄雪から同じものを感じたことはない。何よりこんな小娘が神具を持っていようものなら、神魔デュビィや具眼者が見逃すはずがない。

 ネオン神族は地上に舞い戻るため、神体具――千切れ飛んだ自身の体だけでなく、神具も狙っているのだから。


(ダメだな。春のせいで、女神のことから思考が離れない)


 楸は答えの出ない問題を得意の棚上げにした。それよりも、今ので一つ確信したことがある。

 春はずっと薄雪を心配して途中からその背に触れていたが、薄雪は一切の反応を示さなかった。力の変化もない。視る以外の何かをしている形跡はなく、視線を外せばそれだけで対象への効果が切れるからだろう。

 つまり見ている間、薄雪は誰よりも無防備だということ。薄雪に身一つの武力があれば対応できるのだろうが、そんなものは期待するだけ無駄だ。


(やはり、身を守る術は必要か)


 薄雪が母や兵士に翻弄されるのは、幼く無知である以上に、弱いからだ。女子供でも兵士を相手に逃げ切るためには、精霊術を覚えるのが一番だろう。

 操花術は具眼者の末裔である花の一族――華族にならば使えるが、半花は自らに咲く花としか相通ずることができない。特に薄雪の花はそこら辺で見かける類のものでもなく、汎用性はごく低いと見た方がいい。


 四操術は土水火風の一族の末裔――平民に伝わるもので、通力さえあれば誰でも使えるが、長き歳月で四つの一族の血は交じり合い、上代から時が下ると共にその力は衰微の一途を辿っている。

 時折卓抜した者が現れるがこれは天与のもので、生来の通力を増やすことはできない。この不足を補うため広く浸透しているのが精霊術だが、これにも相性がある。無力ながら精霊に愛される者もいるが、基本的には精霊は純粋な霊力の塊のようなもので、ゆえに通力も強い者を好む。


「あ、あの、大丈夫、ですか?」


 目を逸らしても一向に発言しない楸が心配になったのか、薄雪がおずおずと声をかける。


「あ? あぁ、忘れてた」


 沈思していた楸は悪びれなくそう答えた。案の定春がぶつぶつと文句を言ったが、それも無視して本題に入った。


「まず、薄雪の適性を見る。土水火風のどれでもいいから、掌に持っているような感覚を想像してみろ」

「え? え……と」


 突然の要求に、薄雪が何のことか分からないという顔をして春を窺う。実際、これには感覚以外に教える術はなく、通力を持つ者は赤子の頃からでもその力を発現すると言われている。

 のだが。


「……あの」


 暫く自分の掌を見ていた薄雪が、困り果てて声を上げた。


「ま、そんなもんだ」


 楸は一人納得した。


「いい加減にしてください、楸」


 春に怒られた。


「あなたは気遣いとか察するとか親切心というものがないのですか」

「は?」

「薄雪はただでさえあなたを見たことを気に病んでいるのに、その上何の説明もせずに命令したり勝手に自己完結したり……説明なさい」

「……」


 小姑ぶりが悪化している。自分だって色々で済ませたくせに。

 だが悄然としている薄雪を見れば、確かに言葉足らずだったかとも思う。


「あー……、今のは、四操術が使えるかどうかを見た」

「はい……」


 薄雪が心なし気落ちした声で頷く。才能がないことは、既に察しているようだ。


「で、あとは精霊術だが……」

「はい」


 今度は少しだけ気合の入った声が返る。うむ、と頷いて、楸は言った。


「もう疲れたから、明日にしよう」

「楸!」




 翌日から、森を歩きながらの精霊術講義が始まった。

 精霊術は基本的に、精霊の力の源である霊力や通力を香餌えさに、近くにいる精霊に呼びかけてその力を借りるというものだ。そのために必要になるのが、少量の通力が込められた招願文だ。

 術士は精霊に敬意を持って古き言葉で呼びかけるとともに、精霊が属するモノの名を特定し、願いを申し奉る。問題は大抵の精霊が気紛れで、機嫌を損ねれば一切反応しないということもある。

 精霊にもまた人の忌名と同様にその本質を表す名があり、それが分かればほぼ強制的に力を引き出すことが可能だが、習い始めの者にそこまで近しくなる精霊のあるはずもない。


「春も、呼べるの?」


 一向に精霊の気配を呼び寄せることのできない薄雪が、気分を変えるように隣の春に問う。

 それは無邪気な疑問ではあったが、西大陸の最高学府である花子学かしがくでも細々と研究されているような分野でもある。

 そして、その答えは決まっている。


「……四季は、人々の願いに応えることはありません」


 春が、申し訳なさそうに断言する。

 四季は、どんなに望まれても良心や善意から行動することはできない。四季はいわば、当てもなく吹く風と本質は大した違いはない。そこに上位精霊としての自我と明確な世の理法があるために、孤独が生まれるのだ。


「あ……」


 薄雪が、無遠慮なことを聞いたと眉尻を下げる。

 また辛気臭くなるのも面倒で、楸はそろそろと話題を変えた。


「機会があったら、どこかで霊石と、あとは魔具か魔石を確保するといいかもな」

「あぁ、それは良いですね」


 内心では薄雪の才能の無さに同意見らしい春が、にこにこと便乗する。


「まぐ? って、何?」

「魔具というのは、魔化した材料で加工された道具のことですよ」


 霊石で精霊を呼べるとしても、精霊術には相性とムラがある。それを補うために用いられるのが、地中に閉じ込められた古き時代の魔物が放つ怨念――魔力だ。

 魔力は土地によって濃度の違いがあったり、当たりすぎると魔力汚染を起こしたりと危険も孕んでいるが、魔力汚染の末に魔化した物質の特性はそこまで変わらない。そのため、植物や動物、鉱石由来のものは特に力を留めたまま加工することが可能だ。

 加えて、魔力と通力は相性が良い。魔具に通力を流して強化するなど、様々な手法がある。


「武器もあれば、日用品や薬や、装飾品もあったりしますね」

「装飾品も……?」

「身に着けられるお守りみたいなものでしょうか。薄雪が持つには、そういう方が不自然でなくて良いかもしれませんね」

「そう、かな」


 春に飾り物が似合うと言われ、薄雪が俯いたまま頬を染める。


「けっ」


 楸は何となく嫌気が差して、今日の授業は早々に終了することとした。




 夜。

 すっかり春の腕の中が定位置となった薄雪が、うつらうつらと舟を漕ぎ出せば、一日の終わりだ。落ちそうな頭を支えて鷹鳴枕の上に置き、その身にうわぎを着せかけてやる。それから、春もまたその傍らに腰を下ろして目を閉じる。

 楸はそんな二人を見下ろせる近くの木に登って、念のため周囲を警戒しながら睡眠を取る。

 が、その日は少し違った。


 楸は樹下の二人を一瞥したあと、懐からずんぐりした梟型の呼笛を取り出し、夜空に向けて吹いた。それから、静かに更に上の枝へと跳躍する。

 樹冠近くの細い枝先に器用に足をかけ、赤や青の星々が夜空に妙なる濃淡を描く藍色の空を見遥かす。

 バサバサッと遠く微かな羽音に顔を上げれば、薄雲が領巾のようにかかる妻月に小さな鳥影が差しかかった。腕を差し出せば、音もなく滑空してきた丸々とした鳥が遠慮なく鉤爪を立てて留まる。


 それは、普通の梟よりも一回り大きな体躯を持つ、真似梟ククヴァイアだった。夜空と同じ紺色の羽毛で夜の闇に紛れ、様々な声を真似ては獲物を惑わす魔獣だ。

 鋭い鉤爪や短い嘴を持ち、野生では多少獰猛だが、大きな両翼を器用に折り畳んだ姿はまるでふわふわした卵のようだとは、女性仙の言葉だ。

 他の魔獣同様、吸葛すいかずらの花を用いて騎獣にしており、普段は棲雲山に放たれているが、仙が下山する時には専用の呼笛に宿ったおとを介して呼び寄せることができる。

 だが最も重宝するのは、空間を司る伊岐許理道神いきのこりじのかみの眷属であるため、つがい同士であればその隔たりも介さず、その声を伝い合えるということだ。


「よく来たな、カヌヌ」


 懐に隠しておいた兎の肉の一欠片を差し出すと、カヌヌは当然だと言いたげにすぐさま食らいつく。ろくに咀嚼もせずに呑み込むのを待ってから、楸はカヌヌの左右非対称の耳に口を近づけた。


「伝言だ、カヌヌ。半花の花だ。調べてくれ。どうも妙だ。繰り返せ」

『半花の花だ。調べてくれ。どうも妙だ』


 カヌヌが、鳥の嘴で器用に繰り返した。声まで似ている。


「よし、いい子だ」


 丸い頭を一撫でしてから、その嘴に袖に仕舞っておいた花を咥えさせる。

 それは夜の闇にぼんやりと光る、少しも萎れていない花だった。まるで摘み取ったばかりのようだが、既に二日は経過している。


(薄雪は他の半花を知らないから気にもしてないようだが)


 半花の花といえど、肉体から離れれば凋む。朽ちない花など、異常だ。


(あるいは薄雪も、保護対象になるのか)


 面倒だなという思いと、どこまで力と知識を与えるべきかと迷う。だがそれも、カヌヌに持たせた花の結果が届くまでは保留だ。確証のない話に悩むほど、楸は神経質ではない。


「行け」


 留まっていた腕を軽く振る。カヌヌは静かに夜空へと飛び上がった。

 伝言を伝えるだけであれば、棲雲山に戻らせる必要はないのだが、今回は実物はなを見てもらう必要がある。問題の先送りは大歓迎だ。

 隙あらば怠けようとする楸よりも、魔獣の方が余程勤勉だった。




「薄雪のこと、どうするつもりですか」


 元の枝に戻ってきてすぐ、眠っていたはずの春が低い声で詰問してきた。

 食事も睡眠も必要としない春だから、気付いても不思議ではない。とはいえ、小姑の文句が面倒だから目を盗んでいただけで、疚しいことは何も無い。


「さぁな」


 楸は、正直に答えた。が、それが気に喰わなかったらしい。冷たい眼差しで睨まれた。


「薄雪はいま、母親に押し付けられた呪縛から少しずつ逃れようと努力しています。それを邪魔するようなら……」

「邪魔なんかするかよ」


 出会ってから今まで、相変わらず春は楸を仮想敵としているらしい。だが楸にとっては、全て仕事を終わらせるための行動でしかない。そのために生まれる障害があるのなら、排除することに躊躇いはない。

 だが今は、楸には別の懸念があった。


「だが、今度はお前の行動が薄雪を縛っているように、俺には見えるがな」

「! 僕がそんなこと――」

「お前に自覚はなくとも、薄雪は今、お前がいることで前を向いている。お前が消えればどうなるか、俺には容易に予想がつく」


 食って掛かった春に説明すれば、春はその未来を違わず想像できたのだろう。眉根を寄せて黙り込んだ。

 それでも、その目から力が消えることはなかった。


「それでも、僕は薄雪の望む限り傍にいます」

「大人になってもか」

「そんなことは関係ありません」


 案の定、春が決然と断言する。予想通りすぎて、楸は呆れるしかなかった。


「お前にはなくとも、大人になるってことは、良くも悪くも世を知り、知恵がつくということだ。今まで幾度となくお前を捕えた大人たちのようにな」

「……薄雪に限って、そんなこと……」


 楸の指摘に、春が明らかな軽蔑と、僅かな可能性を否定できない苦悩を沈黙に込める。だが楸からすれば、浅はかな希望としか言いようがなかった。


「一人ならば、ほとんどの者が己の不条理な欲を屈服させることができるだろう」


 社会の法に反する思想に取り込まれるのは、えてして集団となったり、力に屈服したり、神魔デュビィに付け込まれたりする時だ。そうでなければ、大抵の者は自らの力で踏みとどまることができる。

 だがそれを望むのならば、やはり問題がある。


「薄雪は、ずっと独りなのか?」

「…………」


 二人の寿命が圧倒的に違うのは厳然とした事実であり、仙でもない薄雪が春と二人だけで死ぬまでいられるとも思えない。

 目を背けることのできない現実に、春がついに反駁を諦める。その横顔の険しさに、さすがに後味の悪さを覚えた。

 春と薄雪の仲が深まるのを良しとしないわけではない。だがいざその時がきてどちらかが混乱に陥る可能性が高いのなら、楸は仙としてその予防線を張る。

 楸だとて、春と別れて途方に暮れたすえ、声もなく泣き叫んで蹲り、どこにも行けずに野垂れ死ぬ薄雪を見たいわけではないのだから。


「……薄雪は、冬芽のようです」

「は?」

「ずっと春が来ると信じて耐え、そして今、やっとその芽をひらこうとしている」


 話は終いとばかりに再び幹に背を預けようとした楸に、春が憫然たる声で告げる。

 それは、毎年花開く冬芽を見続けてきた春らしい言い方だった。楸も、そのことに異論はない。


「薄雪が大人になることを望むのならば、その時はちゃんと身を引きます。二度と近付いたりしません」


 本心でない言葉は、白々しく痛々しい。だからこそ、後に続いた声は一転、まるで殺気を含んでいるかのように鋭かった。


「ですが、薄雪が幸せになるのを邪魔するようなら、仙でも具眼者でも、容赦はしません」


 普段は抑えている上位精霊の本気に、仙といえどぞわりと鳥肌が立つ。だがそれは一瞬で、春はやっと元の姿勢に戻ると目を閉じた。

 だが楸としては、それに対する答えなど一つしか持ち合わせていないという他なかった。


(バカだな)


 内心で毒づきながら、楸もまた幹に背を預けて目を閉じる。


(俺の意思なんか、関係ないんだよ)


 この世に起きる全てのことは、この世の理法が既に定めているのだから。


 だが。

 無力な少女が森闇の底の中、花が風にそよぐように身じろぎすることまでは、天意の埒外であったろう。

 ぼろぼろの鷹鳴枕だけが、それを知っている。




       ◆




 棚引く白雲を貫いて伸びる棲雲山の山腰を見上げながら、まがきは思案に暮れていた。


「春を助けに向かったと聞いたから、もう少し動くかと思ったのに……大仙ムニが一人だけとは」


 さすが西大陸の具眼者の館エウ・ニ・ルというところか。

 もっと深刻な事態にまで進めば、或いはもっと手透きになるだろうが。


「さて、忍び込めるかな」


 本来、具眼者とはその起源より、力を持ちすぎた人々の行いを見極め、諫め、秩序を守るため、自らの館に留まって監視すべき大陸に目を光らせているものだ。

 だが、西大陸ここの具眼者は仙に仕事を押し付けては大陸中を放浪し、魔獣を狩っては騎獣にしたり、変な精霊を山に住まわせたりと好き勝手している。その分聖仙リシの権限が大きく、忍び込むにも中々容易ではなかった。

 今回の騒動で仙が幾人か行動してくれれば、或いはと思っていたのだが。


「あんまり長く離れていると、またシャルにちくちく言われちゃうしなぁ」

「であれば、良い方法がありますよ」


 唐突に背後から声がかかり、籬は静かに背後を振り向いた。

 具眼者の館に不法侵入しようなどと不埒なことを考えていた最中だ。周囲への警戒を怠っていたはずもない。

 だが籬の影に隠れるように、見知らぬ男は立っていた。近い。

 雨でもないのに頭衣を目深に被り、表情どころか種族さえ判然としない。だが、その身が放つ鼻を突くような腐臭と禍々しい魔力ばかりは、分からぬと言ってやれるほど弱くない。


「神魔ごときが僕に声をかけるとは、良い度胸をしているね」

「やはり見抜かれますか」


 見抜かれたと言いながら、神魔はくひひと耳障りな笑声を上げる。

 実体を持つ死花屍マヴェットの中でも、特に長い年月を経ると知能や力が上がるのは精霊と同じだ。特にネオン神族の体の欠片を加工した品――神体具を隠し持つ者は強い自我を持ち、ネオン神族を解放するためだけでなく悪逆に走る。

 関わり合う道理はない。

 だが、籬は平気な顔で会話を続けた。


「死花屍ならしきみを焚きなよ。礼儀だろう?」

それがし腐臭これが気に入っておりましてね」


 鼻を摘んで手を振ったというのに、やはり神魔は誉め言葉を聞いたようにくひひと笑った。やはり見ているだけで虫唾が走る。


「それよりも、具眼者どもを驚かせたいのでしょう? ならば、簡単。春を、殺してしまえばいいのですよ」

「……春絶期を招けと?」

「そうすれば、向こう十数年は棲雲山は混乱するでしょう」


 確かに、棲雲山は大きく揺らぐだろう。狂った季節の中、いたずらに続く不作と飢饉に喘ぐ民たちの苦難と引き換えに。

 早速の神魔の囁きに、籬はふむと鳶色の瞳を細めて考えこんだ。それは先程ちらと考えたばかりの案だった。そして止めた。己の目的と引き換えにするには、あまりに重すぎる。

 考え込んだのは、自分の思考が神魔と同種かもしれないという点についてだ。


(シャルに知られたら軽蔑の眼差しを向けられるな)


 とりあえず知られないようにしようと思いながら、籬は口を開いた。


「で、手順は?」


 くひひ、くひひと、神魔が嗤う。

 揺らぐ人の心を不安にさせる、相変わらず気味の悪い声だった。

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