第七話 雷、すなわち声を発す

 具眼者は、初めから正義など掲げていない。

 元々は世界中に跋扈する、魔獣から逃れる力のない人々のため、神々が授けた火、水、風、土の力――現代の四操術しそうじゅつを、我欲のために乱用する者を戒めるために選ばれたのが始まりだ。その存在意義を全うするためならば、雨や風が人を選ばず殺すように、阻害者は迷わず殺す。

 それがひさぎの左膝だけで隠れてしまうような、いかにも憐れを誘う少女こどもだろうと、関係ない。

 少女の左手を左膝の下に回し、空いた左手を細い首に伸ばす。その時、


「やめてください」


 出し抜けに背後から伸びてきた枝が、楸を強引に少女の上から押しのけた。大きく飛びのいて周囲を警戒すれば、傍の床板が割れ、そこから真新しい枝が伸びていた。


(春か)


 敵意がないから気付けなかった。舌打ちする楸の前で、床板の枝は少女を優しく春のもとへと運び、楸が打ち捨てていた鷹鳴枕も拾い上げる。


「何のつもりだ、春」


 近くで蠢く枝を拾った刀で切り落としながら、楸は少女を抱き抱える春を睨み据えた。すると、春は意想外の返事を寄越した。


「彼女は……僕の案内人です。手を出すことは許しません」


 ハッと、楸は言下に吐き捨てた。


「四季に案内など要るものか」

「四季は粛々と歩くだけ……分かっています。でも、彼女は僕に、苦しんでいる人のいる場所を教えに来てくれたのです。僕は……春は、そこに行かなきゃいけない」

「四季に道連れなんぞ、揉め事の種にしかならない。当の本人が知らぬと言うなよ」


 何という青き戯言かと、楸は冷たく切り捨てた。

 新たな四季は、必ず長い季絶期の後に生まれる。初めて目にするのは歪んだ時代と荒んだ人心で、その脳裏には本能と共に歴代の記憶が刻まれている。その始まりは常に凄絶で、歩を進めるほどにその記憶が警鐘を鳴らす意味を知る。

 人に近付いてはならないと。誰の手も借りず、誰にも求めず、ただ独り、本能が命じるままに歩き続けろと。

 でなければ同じことの繰り返しだ。苦しいと縋りつく者はいつまでも後を絶たず、彼らは皆、四季の苦しみになど気付きもせず、要求だけを突きつけ続ける。

 四季は、決して消えない使命と良心と孤独に対する疑問や苦悩を全て呑み込んで、喘ぎながら受け入れるところから始めるのだ。

 だというのに。


「彼女の行き先は、冬です。問題はないはず」


 春は平然を装って、頑なにそう言った。

 史籍や噂から想像する性格と違い妙に頑迷なその態度に、楸は少なからず困惑を覚えた。

 四季は古きパリョ神族の眷属ではあるが世の理法の一つでもあり、その存在に私情や願望が差し挟まれることはまずない。どんなに惨い場面に遭遇ようとも、哀願されようとも、四季は助けず関わらず立ち止まらない。それがひいては、世に生きる全ての生き物の幸福に繋がるからだ。

 少なくとも、楸は仙になってそう説明された。


(この春はまだわかいのか)


 生まれたばかりの四季は、過去の四季の記憶に振り回され、良心と使命の間で板挟みになることもあるとは聞いた。そのせいで人々の哀願を振り切れず、捕まり、辛い目に遭っては逃げ出し、ぼろぼろになりながらまた歩き出す。それを繰り返してやっと、四季は四季らしくなるとも言えるが。


(となると、面倒なことになりそうだな)


 仙の目的は、春を守り、その巡りを正すことだ。

 少女という不確定要素が傍にい続けることは、本来重要ではない。だが他の者に見られると揉め事が起きる可能性が高く、それが春の道行きを妨げることに繋がるのならば、やはり許容できない。

 が、ここで突っぱねて春が楸を拒絶することになれば、どうなるか。

 春が少女のために道を逸れ、再び元の通り道に戻って正しい時季に追いつくまで、遠くから見つからないようにこっそり監視したり、再び捕まらないように警戒し、何かあれば守る。


(……めんっっどくさ!)


 楸は盛大に顔を顰めた。楸は面倒なことが大嫌いだった。


「わかった」


 楸は熟考の末、面倒事は一か所に纏めておくのが無難と判断した。春がパッと愁眉を開く。余計な口を開いて余計な期待をされる前に、楸は釘を刺した。


「ただし、その子供の目的地までだ。あと、妙なことをしたら殺す」

「ありがとう!」


 まるで最後の物騒な警告など聞こえていないかのように、春が花が綻びるように笑う。人誑しの笑みだというが、楸には厄介事製造機にしか見えなかった。




       ◆




 具眼者に仕える仙には理はあるが、法の番人でもなければ正義の執行者でもない。春を捕まえていた郷司も、わざわざ罰する必要もなければ、その大罪について滾々と説明する義理もない。というか、したくない。

 公明正大とも誠実とも無縁の男、楸は、往路と同様、復路もまた静かに逃げるの一択を採用した。のだが。


御春みはる様? ――だ、誰だ貴様!?」

「……チッ」


 少しでも楽をしたいと、道々に気絶している兵士たちの間を戻っている途中、ついに発見された。表門に近付くほど倒れている兵士が減っていたのは気付いていたが、彼らは忠実にも報告に走ったり増援を求めるなど、真面目に任務に復帰したらしい。全く困ったものである。

 だが何より困ったものは、春である。


(やはり目立つか)


 仙の潜行能力をもってしても、春の存在を希薄にすることは無理があったらしい。結局、表門まであと二門ほどという辺りで、三人は殺気立った郷兵たちにすっかり囲まれてしまった。全員がそれぞれに抜刀し、行く手を阻んでいる。


「さて、どうしたものか」


 面倒臭くなってきたと辺りを見回す。


「え? 何かしら策があるのではなかったのですか?」

「ねぇよ」

「でも、随分堂々と歩いてゆくから」

「あんたがいなけりゃ、静かに歩いていくだけで済んだんだよ」

「ごめんなさい……」


 無神経に口を挟む春に辛辣に嫌味で返せば、しゅんと捨てられそうな子犬のように謝られた。それはさっさと無視して、楸は誠に嫌々ながら戦闘態勢に入った。

 既に日はとっぷりと暮れ、曲がり角ごとに焚かれた篝火と春の淡月だけが足元を照らすだけで、視界は悪い。

 背後には戦闘には不向きな春と、その背に隠れるように例の少女――蚊の鳴くような声で薄雪と名乗った――がいる。薄雪には、へやを出る前にその目で二度と楸を見るなと釘を刺してある。

 足手まとい二人を守るのは厄介だが、阿呆みたいに直立不動であれば問題ない。

 それに、ざっと見た限り敵の武器は刀ばかりだ。

 通力の強い術士がいれば、破壊力のない物でも――例えば糸や液体などでも武具として使用することができるし、逆に通力の弱い者でも、地中から滲み出る古き時代に閉じ込められた禍々しい怨念――魔力を練り込んだ魔具を用いれば人の膂力を遥かに凌駕した力を揮うことができる。

 だが基本的に生物に有害な魔力を無毒化させて加工する職人は貴重で、田舎の郷府にそこまでの物品が大量支給されることはまずない。

 加えて、州都と比べればそもそも練度が低い。蹴散らすのは難しくない。


「仕方ねぇから、さっさと片付けるか」


 楸は気怠げにそうぼやきながらも、通力への感覚を研ぎ澄ませた。

 遠古、灰の時代、水の時代と、何度も滅びては入れ替わり、積み重なり、連綿と続いているこの世には、様々な有形無形の力が入り乱れている。

 例えば天人マルアハや神々、具眼者と魔王は、世界を形作ると云われる神力を操り、精霊はその世界が持つ力――自然物が放つ霊力により存在していると云われている。そして魔獣など、地中から滲む有害な毒素――魔力に汚染されたモノたちは、その魔力を、という具合に。

 その中でも人間はその加工技術と節操の無さにより、精霊に力を借りる精霊術や魔具、果てはネオン神族の体を使った神体具まで扱うが、基本はその血に宿る通力を用いて、かつて古き神々により与えられた力を行使する。華族であれば操花そうか術を、平民であれば土水火風の神々より賜った四操しそう術を。

 ちなみに、仙は具眼者に仕え不老長寿を賜っても、人間である本質は変わらない。使えるのは通力だ。

 そして通力は、他の力と同様、強ければ強いほど、念じるだけでその力を意のままに操ることができる。


「かかれ!」


 取り囲む兵士の一人が野太い号令を上げる。それに合わせて、楸もまた身を低くして駆け出した。

 足の速い兵士が早速楸の首を狙って刀を振り下ろす。それを寸前まで引き付けて横に避けざま、空を切る刀の峰にそっと指で触れて通力を流す。

 途端、パキッと乾いた音を立てて、刀が真っ二つに折れた。


「は?」


 当の兵士だけでなく、後に続こうとしていた兵士からも間の抜けた声が上がる。その隙を逃す理由もなく、楸は文字通り手当たり次第に刀に触れては破壊して回った。


(楽勝だな)


 まず武器を破壊するのは、楸の常套手段だった。

 魔具などの特殊武具でなければ、小さな通力で簡単に破壊できる。先程春の足枷を破壊したのも同じ原理だ。

 脅威を排除できるし、新たな武器の調達にも時間を浪費させられる。命令されているだけの相手ならば、武器の使い手を倒すよりも遥かに少ない労力で済むという点で、楸は気に入っていた。


「相手は仙だ、術士を呼べ! それまで近寄るな」


 隊長格らしき男が、再び兵士たちに指図する。このまま全ての武器を失う覚悟で突撃させるよりは、マシな選択だろう。だが。


(仙を侮るとは、浅はかだな)


 楸は少量の水を呼び寄せると、口を開けている間抜けな兵士たちの気道目がけて連続で打ち込んだ。


「ッが!?」


 兵士たちが咽るように動きを止め、その後一斉に咳き込んで苦しみだした。


「な、何が起こって……」

「やはり、あれもこの仙の仕業か」


 小さな水の粒で気道を塞がれることを免れた兵士たちが、気味の悪いものでも見たかのように後ずさる。確かに、水の粒を視認できなければ薄雪の力と似たような現象にも見えるかもしれない。

 楸は、春の背後で言われた通り鷹鳴枕を抱きしめたまま怯えた表情で足元を見ている薄雪を一瞥した。この様子を見る限り、春がいた室までの見張りを全て昏倒させた当人とは誰も思うまい。この状況ならば、薄雪を囮に油断したところを陰から攻撃したとでも考えるところだろう。


(ま、どうでもいいが)


 楸にはそれを正そうなどという自尊心も矜持も毛頭ない。使えるモノは全て使う。


(あとは……)


 薄闇に慣れてきた目で、改めて周囲を確認する。

 十人近くいた兵士は、既に残り四人にまで減っていた。中には先程の水の攻撃を防いだ者もいるようだ。目が良いか、多少の通力持ちか。号令をかけた隊長らしき男も残っている。


(あと一押しだな)


 少し本腰を入れるかと警戒を強める。そこに、野太い招願文しょうがんもんが聞こえてきた。


「乞いや来い請い、岩やこい。いざさせ給え、いわよ、礫となりて貫き給え!」


 叫び終わると同時に中空に杭のように鋭い岩の粒が生まれ、空気を裂いて楸に襲い掛かる。楸はすぐさま風気を手元に呼び寄せると、見えない扇で払うように礫を横凪に叩き落した。ごうっと近くの木々が揺れ、礫が白壁に食い込む。


(やはり、こんなものか)


 通力を有する者の中でも、その差は天と地ほどに大きい。それを埋めるために用いられるのが精霊術や魔具だ。

 魔具は基本的に高価だが、精霊術は僅かでも通力があれば学び、習得することが可能だ。精霊ネティンの餌でもある霊力の宿った形代に招願文で呼びかけ、近くにいる精霊を呼び寄せ、力を借りることができる。

 だが今のは招願文もぎこちないし岩の大きさも形も不十分。楸の相手には力不足だ。


(ただの嫌がらせ程度か)


 楸は杞憂だったかと肩を落とした。

 春を拘束しているからどこまで厳重なのかと思ったが、想像したほどの手強さはまるでない。やはり州はあくまでも無関係で、州境の警戒に派兵しているという体裁のようだ。

 楸は残る四人をそのまま風で飛ばしてしまえと、両手に再び風気を集める。殺してしまわないようにと手加減を気にしたその時、


「!?」


 ぞくりと悪寒が走った。バッと背後に視線を走らせる。

 郷府の極彩色の瓦屋根、その更に向こう。見えるのは、揺れる木々の影と、淡い双月を今にも呑み込もうとしている春の闇だけ。何もない。


「楸、危ない!」


 春の叫び声と風を切る音とが重なり、楸は振り返るより先に飛来する岩の塊に風をぶつけて粉砕した。それを追うように、慌ただしい足音が幾つも近付いてきた。


(来ちまったか)


 増援だ。まだ兵士の多くが州境に出払っているとはいえ、のんびりしていれば増える一方だろう。松明を掲げて走ってくる兵士は、ざっと数えただけでも二十人以上はいる。

 彼らに守られるように中心にいる中年の男が郷司だろうか。兵装は付けていないくせに、他の誰よりも横幅を取っている。額には汗を浮かべ、その顔には明らかな焦りがある。


「ま、まことに仙ではないか! 仙を逃がしたら、今度は具眼者が来てしまうっ」


 どうやら、わざわざ息を切らしながら確認しにきたらしい。周囲の兵士に喚き散らしている。恐ろしいのなら奥に引っ込んでいれば良いものを。 

 だが楸の目に付いたのは、その郷司の背後に隠れるように立つ男だった。

 薄手の風衣かぜよけについた頭衣を目深に被っているが、その頭部が不自然に尖っている。恐らく獣の耳だろう。獣族だ。

 だが彼らは主に、北にある巨石群や魔獣が多い大陸――魔窟陸まくつりくに多い一族で、他の種族同様他大陸に出ることは好まないはずだ。


(王花がいない隙を狙ってきたのか?)


 東西の大陸を華族が統べるように、魔窟陸には獣族、南の海上都市には海族、内海の氷の島には鬼族という風に、暗黙の住みわけが行われてきた。

 だが今、西大陸は王花が欠け、神魔デュビィが跋扈し、治安が悪化の一途を辿っている。特に魔窟陸や氷の島は資源や治安の観点からも快適とは言えず、貧富の差も激しい。目的が何であれ、好き勝手するには良い時期ではある。

 だが、気になることは他にもある。


(この匂い、何だったか……)


 春の夜風に乗って、妙な匂いがする。篝火から漂う松脂と充満する煙臭さでも消えない、どこか鼻につく臭さ。


(どこから……)


 しかしそれを特定する時間を許すほど、敵も暢気ではなかった。


「乞いや来い請い、風や稠。いざさせ給え、よ、刃となりて切り裂き給え!」

「!」


 招願文の重奏が風の刃を生み出して楸に襲い掛かる。風には回避が最適だが、後ろにはお荷物が二人もいる。楸は行儀悪く舌打ちすると、髪に括った飾り紐を引き抜いた。

 糸の一本一本に通力を流し込み、柔らかかった紐に一瞬にして硬度を与える。それを刀のように構えると、襲い来る風の刃を片っ端から弾き飛ばした。

 バシュッと空気の塊が破裂するような鋭い音が上がり、その度に両側の壁や石畳がガッと削られ、薄雪が身を縮こませる。


「ヒッ」


 その薄雪を守るように春が庇う。そこに隙を見た兵士の一人が、春を取り戻そうと道の脇を駆け出した。その足を風気で切り裂いて食い止める。

 その僅かな隙をついて、今度は別の兵士が楸に向かって斬り込んできた。風の刃を叩き落すと同時に身を捻り、踊るように躱してその背を力任せに蹴り飛ばす。

 そこから、術士と兵士との連携が始まった。


(面倒くせぇな)


 多勢に無勢でまで不殺生を徹底するほど、楸は善人ではない。下界への干渉や影響はなるべく最小限に留めるようにとは毎回口酸っぱく言われているが、関係ない。


(効率優先だ)


 楸は飾り紐を腕に巻き付けてから両手を石畳につけると、一気に大量の通力を流し込んだ。絨毯を持ち上げるように石畳の下の土がぐわりと盛り上がり、そのまま周囲の兵士たちに波頭となって雪崩れ込む。


「わあああっ」


 野太い悲鳴があちこちで上がり、それもまたすぐに土の下に呑まれて消える。


「さすが、仙ですね」


 春がまた小声で呟く。だが今度は、感嘆というよりも皮肉の色が強かった。人々のために歩き続ける四季にとって、その人々を害すというのは許容しがたい行いなのだろう。

 だが、楸にはそんなものは微塵もない。


(これでちったぁ静かになったか)


 手の平についた土埃を払い落しながら、辺りを見回す。割れた石畳の突き刺さった即席の土塁の向こうに残っているのは、僅かな兵士と数人の術士のみ。ここまで人員を削いでおけば、因陀いんだ州を出るのも楽になる。

  そう考えた時、


《随分派手にやってくれたなぁ》


 歪な声が聞こえてきた。


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