第2話 後編・そして甲子園へ

あと×××××

オヤジの容体が、急変したと病院から連絡が来た。

顧問とハン子と一緒に、慌てて病室に駆け付けたが、その時にはもうオヤジの意識は無かった。

オレはオヤジの、血管と骨が浮き出た手を握って、初めてその時、オヤジに向かって死なないでくれと言ったが、オヤジが目を覚ます事は無かった。

そのまま、一時間して、死んだ。

甲子園まで、オヤジの命は持たなかったんだ・・・・


×××××

呆然とするオレを差し置いて、周囲は慌ただしく動いていた。

オレの後見人は、ハン子の父親がする事になっていて、成人するまで面倒を見る事は、前もって承知していた。

だから葬儀の喪主も、ハン子の父親がこなしてくれた。

オレは立派なスーツを来た、葬儀客たちから、オヤジの仕事の話を次々聞かされて、適当に相槌あいづちを打っていた。

オレは、ハン子に、オヤジとした最期さいごにした会話について話した。

日付はおぼえていないが、金曜日だったのは間違いが無い。

何故ならオレはその日、買って来た少年サンデーと少年をマガジンを持ってオヤジの病室に行き、そこでオヤジが病院のコンビニで買って来た少年ジャンプと少年チャンピオンと交換したからだ。

ついでに先週オレが置いて行った、マガジンとサンデーも回収する。

オレの都合が忙しなくなってから、毎週金曜日にこんな事をするのが、オレとオヤジの習慣になっていた。

オレは病室で、ワンピース(ジャンプ)とバキ(チャンピオン)を読んでから、オヤジと何てこと無い話をするのが常だった。

「なあ、オヤジ」

「・・・ん?」

血の気の無くなったオヤジは、鈍い会話しか出来なくなった。

「何で、母さんと別れたんだ?」

「ぁぁぁ・・・何で・・・かなぁぁ」

喉から、空気が漏れ出るような音がするようになったのは何時からか。

もう呂律ろれつが回らないのだ。

「嫌いになっちゃたのか?」

「そう・・・言う、事では、ぁぁぁ・・・無い、なぁ」

「金の問題?それともオレの子育て?」

「だった・・・・かなぁ・・・」

「いや、どうなんだよ」

「・・・・」

オヤジのたんの吸引に、看護婦さんが来たので、オレはジャンプの新連載も読む事にした。

看護婦さんが出て行って、

「思い出した、な」

「あん?」

「母さんが出て行った理由だよ」

ちょっと、意識が覚醒したらしい。

「何で?」

「母さんな、わたしと一緒に居るのが、苦痛になっちゃったんだよ」

「嫌いになった、て事?」

「いや、お互いに気を使いすぎる生活をしていてな」

「?」

「お前は、ハン子ちゃんに気を使っているか」

「いや全然、全く」

「そうだろう、そうだろう」

「話が見えねえんだけど」

「お前も、大人になれば解るよ・・・」

「煙に巻いてんじゃねえよ、クソオヤジ。今言えや、今」

「距離を、間違えてしまったのさ。恋人か、友人であれば良かったのに、夫婦になってしまった。父と母になってしまった」

「友人、恋人、夫婦とランクアップしていくもんじゃねえの?」

「いや、その三つは完全に別物なのさ」

「ふうん・・・」

それから直ぐに、オヤジは死んだ。


5日後

葬儀が住んで、オヤジが荼毘だびに伏されて、オレは家で一人ぼっちになった。

誰も来なかったが、ハン子は来た。

オレは、何もしなかった。

朝、水を飲んで、夜小便をするだけの一日を送っていた。

ハン子が、オレの口を無理矢理こじ開けて、栄養ゼリー飲料を流し込んだが、おれは呑み込みもせずに、それを口からこぼした。

ハン子がくる時間は毎日一定で、まるではんを押したような行動だった。

オレは、ただ大きな窓ガラスが有って日当たりの良い居間の、壁一面を覆う本棚を日がな一日眺めていた。

ハン子が外に連れ出しても、オレは直ぐにその場所に戻って、本と本棚を眺めていた。

ある日、ハン子が何か変な事を言い出した。

立ち直れ、だの

オヤジが見たら何て言うか、だの

何か言っていたが、オレは全く反応しなかった事だけは憶えている。

ただ、そこでハン子は

アンタの気持ちは解るけど・・・

と言った時、オレは全力で動いていた。

ハン子を突き飛ばしたのだ。

「このクソバカ!何て言ったテメエ、アアア!?」

オレはその後、ハン子を口汚く罵り、終いにはオレの気持ちが解りたいってんなら、お前の父親も殺してやろうか!?

と言ったみたいだ。

オレは、体は激高しているのに、心の中ではそんな行動を冷めた眼で見ていた。

ハン子は泣いて、泣いて、大いに泣いた。

そして台所からおたまを持って来ると、それでオレの頭をしこたまま殴った。

オレは、水しか飲んていないから、あらがう元気も無くて、そのまま、風になびく草のように倒れた。

ハン子は、出て行った。


6日後

ハン子は来なかった。


7日後

朝起きた時から、オレはとうとうたまらなくなった。

ズボンだけ履くと、小雨の降りしきる中、オレはオヤジの墓まで走り出す。

裸足だったから、足の裏が切れて痛かった。

何も気にしない。

近所の寺に行き、受付を通るのももどかしくて、柵を乗り越えて侵入した。

オヤジの墓の前に行き、オレは墓石を殴った。

「アアアアア!!アアア˝ア˝ア˝ア˝ア˝!!アッ!アッ!アッ!アッ!アアアアア!?」

殴るのももどかしくて、頭突きもした。

「オヤジィ!死ぬな!!死ぬなぁぁぁぁ!!」

手からも額からも血が出て来たが、何も気にならない。

「何で死んだ、何で死んだ、何で死んだぁぁぁぁぁ・・・・」

そこで意識が途切れた。


気が付くと、オレは知らない天井を見上げていた。

のっそりと、布団から体を上げる。

畳張りの和室。

すると左手の方で、障子が引かれた。

「眼を覚ましたか」

「ああ・・・?」

「先ずは食え。明らかに栄養が足りておらんぞ」

禿げたオッサンが、肉そぼろを乗せたおかゆを差し出して来た。

匙を受け取る間もなく、ぬるい温度のそれを素手でっ込む。

オッサンは、食い終わったオレの手を丁寧にぬぐうと、オレの右手の方に有る、仏画の方に歩き出した。

ハンニャだ、とそのオッサンは言ったが、何の事やら分からん。

すると直ぐに声を張り上げだしたので、般若心経の事だと解った。

「仏説魔訶般若波羅・・・・」

意味はサッパリ解らないが、オレは布団の上に正座して、聞くことにした。

お経は短くて、直ぐに終る。

するとオッサンはかねを一回ならして、此方こちらに向き直った。

「おんしは、先日墓に葬られた、あの人の息子だな」

「知ってんのかよ」

「有名人だからな。第一おんしの祖父も、同じ墓に眠っておるのだぞ」

「良く知らねんだ、それ」

「だろうさ。あの大震災で、おんしの親戚は軒並み死んでしまったからな」

「ああ、だからハン子の父親が、オレの後見人になってんだ」

「ハン子?・・・ああ、あの子か」

会話が途切れたので、オレの視線は仏画の方に流れた。

つられてオッサンも顔を向ける。

変なパンチ頭の、ウサンクセー顔のインド人が、オレを見ていた。

オレはオッサンに尋ねた。

「なあオッサン。オレのオヤジはどこに行っちまったんだ?」

「ふん。今日は初七日だから、ちょうど三途の川に着いた頃だな」

「んな事聞いてんじゃねーよ」

「ふふん・・・」

オッサンは、魔法瓶と急須を持ってくると、二人分のお茶を入れた。

おかゆと同じ熱さのところを見ると、このオッサンはどうも猫舌らしい。

「端的に言えば、行くべきところへ行ったのさ」

「だから何処だよ?」

「知らん。ワシは死んだ事は無いし、お釈迦様でも無いのでな」

「何でオヤジはオレの前から、そんな場所に行っちまったんだよ」

「死んだからだな・・・」

オッサンは、オレをジッと見つめていて、オレもオレの手を見つめていた。

オレの手は、ピクリともせずに、湯呑ゆのみを持っていて、中のお茶にも、揺れは皆無だった。

オレはお茶を飲み干して、湯呑を畳の上に置く。

「死んで、どこに行ったんだよ。霊界か、天国か、浄土か、地獄か、冥界か、異世界か」

「このような愚僧には解らんが、少なくともこの生者の住まう俗界からは、完全に旅立ったと言って良い、な」

「・・・オヤジには、不安とか、後悔とか、無いのかな」

「有るだろうさ。だから盆には帰って来ようて」

「そんなのじゃ無くて!」

「おんしな、科学でも哲学でも宗教でも、死者が蘇らない事は、同意見なのじゃぞ」

「でもよ・・・」

「一つ、言える事が有る」

「うん」

「親からすると、子供は元気であれば、言う事は無い」

「うん」

「それでいて、生者として、立派な振舞いをしていれば、なお安心だ」

「どう云うの、それ?」

「行くべきところへ行く、為すべき事を為す。その事よ」

「一人の人間として?」

「そうだ。男であるように、女であるように」

「じゃあ、オレは?オレはどうすりゃ良いんだよ?」

「全てはごうえんるもの」

「何だよ、それ」

「おんしの過去と、おんしが出会って来たもの。それがおんしを決定付ける」

「・・・野球?」

「そうよ」

「でも、オヤジはもう死んじまったんだぜ?」

「野球をするのは、おんしの手と足だ。父親の手足では無い」

「でもオレは、切っ掛けが要るんだよ。言い訳が必要なんだよ」

「それは父親しか無いのか?」

「え・・・・?」

「おんしの過去には父親しか居ないのか?おんしの出会いは父親だけで満たされておるのか?」

オレは黙った。

黙って、うつむいて、固まっていた。

するとオッサンが、障子を開けて、外の景色をオレに見せた。

雨が上がって、夕日に照らされて虹が出ていた。

オレは立ち上がる事にした。

体をほぐし、軽く飛び上がる。

「ありがとな、オッサン」

「もう日が暮れる。家に帰っても誰も居ないのなら、ここに泊まって行きなさい」

「いや、家にゃ、ハン子が来ている筈だ。謝るなら今すぐしておかないと」

そう言うと、オッサンはオレにサンダルを貸してくれた。


寺門を出て、虹と同じ方向に向かって歩くオレに、オッサンが声を掛けて来た。

「坊主、どこへ行くのだ?」

「甲子園!」

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オヤジと甲子園 ラーメン大魔王 @Eneruga

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