オヤジと甲子園

ラーメン大魔王

第1話 前編・オレとオヤジの人生

オヤジが死ぬのだと、今日聞かされた。

末期がんだと言うらしい。

どう死ぬのかと聞いたら、具合が悪くなって、生気がえて死んで行くのだと言う。

よく分からない。

取りえず、オヤジはもう仕事をしないのだと、そう言う事はわかった。

オヤジは名うての弁護士で、太客ふときゃくを何人も抱えているらしい。

そのおかげで、我が家は裕福な暮らしをしている事は、間違いが無い。

母親は、オレが小さい時にはもう家を出ていて、オヤジは自分が死ぬ事を知らせるつもりは無いらしい。

ただし、死後に墓参りに来たら、何も言わずに許して欲しいと言った。

オレにしてみれば、写真でしか見た事が無い女性でしかない。

別にそれでも構わない、と伝えると、ホッとした表情になった。

結局、今住んでいる家は、オヤジと母さんが結婚して買った家で、オレもこの家で生まれ育った。

オヤジは、オレの当分の生活費は全く問題が無く、大学を出るだけのついえは問題無く有ると言っていた。

よく解らない。


あと150日。

取り敢えず、朝起きても、オヤジが家に居る事は、ハッキリしていた。

急ぎの仕事は全て片付けたので、今は後始末と引継ぎだけをやったいるらしい。

これでリモートワークが達成できたと、そう言っていた。

まあ、弁護士の重要な仕事の一つは、人と直接会う事なのだから、リモートワークとは、縁の無い仕事のだろう。

オヤジは普段家に居らず、オレはほとんど一人暮らしと言っても良い状態であったので、何やら違和感が有る。

オレは、オヤジが死ぬ事を、近所の人にも学校の友達にも言っていない。

家を出る時、オヤジが行ってらっしゃい、と言った時は思わず、え?と驚いた。

オヤジは未だピンピンしている。


あと130日。

オヤジがニートになった。

仕事が粗方あらかた終わり、しかしやる事が無い。

そういう状況だ。

そんなこんなで、家でゴロゴロしているのが日課になった。

家庭菜園でも作ろうか、等と言っていたが、その世話と収穫は誰がするんだよ、と言うと黙った。

すると鎌を持って雑草刈りを始めた。

草刈り機を使えば良いのに、何故か手持ち鎌だけで済ませようとしていた。

変なオヤジだ。

朝早く起きて、朝食の担当する事になったが、しかし下手くそだ。

お米を台所用洗剤で洗ったとか言い出したので、その場でオレは激怒した。

今はスポーツチャンネルで、プロ野球を熱心に見ている。

昔は野球部でエースだったんだぞ、と言っていたが、地方大会の三回戦敗退したエースである事をオレは知っている。

しかし良く考えると、ペナントレースの決着が着く前に、オヤジは死ぬんじゃないだろうか。

オヤジの晩酌の量が増えた。


あと100日。

この1か月、何やら忙しかった。

オヤジが、何処どこに行こう、此処ここに行こうと、あっちこっち連れまわしたからだ。

部活も休みがちになり、顧問とチームメイトの視線が痛い。

オレはわびしい懐だと言うのに、手土産を買い集める羽目になった。

オヤジが、自分が出そうか、と言って来たが、これはオレの役目である。

キャンプに行き、富士山に登り、温泉に入り、遊園地に(男二人で!)行き、海水浴に行き、釣りに挑戦し、プロ野球を見に行って、アイドルのコンサートまで行った。

顧問に、アイドルグッズとあじの干物と阪神タイガースのペナントを贈った時は、お前は一体何て場所に行って来たのか、と本気の顔でいぶかしがった。

アイドルグッズは、その後しばらく、部の連中の間で仮想通貨のように使われた。

オレでも知っている人気アイドルの、ライブ限定盤DVDだったからだ。

プロデューサーが、オヤジの客であったらしい。

幾つかの寺社巡りもした。

お参りする時に、オヤジの口元が何やらモゴモゴしているので、耳を澄まして聞いてみると、オレの平穏無事を祈っていた。

余計な事を言うな、クソオヤジ。

オヤジが、自分の死期が迫っている事を近所に言い出した為に、家に毎日客が来るようになって、周囲がオレの事を見る眼が生暖かくなった。

しかし近所(と言っても田舎の事だから、1.5kmは離れているが)の幼馴染も来た。

オレは堅物なこの女を、ハン子と呼んでいる。

判を押したように、型どおりの行動をするからだ。

父親は家に定期的にお米を届けてくれる人で、ハン子はクラスメイトで、部のマネージャーも兼ねているので、頭が上がらない。

何で黙っていたのか、と一日中、口やかましく怒られた。

すると、毎日弁当を作りに来る、等と言い出した。ふざけるな、止めてくれ。

しかし其処そこにオヤジがひょっこり顔を出して来て、じゃあ一緒に作るよ、等と言い出した。

その口をい付けてやろうか、クソオヤジ。


あと70日。

庭で素振りをしていると、オヤジが何か欲しいものは無いかと聞いてきた。

何もない、と言おうとしたのだが、死なないでくれ、と言いそうになった。

慌てて口を閉じると、呑気のんきな顔をするオヤジに、手塚治虫全集、と言っておいた。

大会が近いのに、変な事を言うんじゃねえよ、このオヤジは。

しばらくして、家に届いた全集400巻を見て、オレは発言を後悔したのだが、ぐにどうでも良くなった。

手塚治虫スゲエわ。

鉄腕アトム、ブラックジャック、三つ目がとおる、ジャングル大帝。

滅茶苦茶面白いぞ、コレ。

一筋縄では行かない世界、一筋縄では行かない物語、一筋縄では行かない結末。

鉄腕アトムとか、21世紀でも、ここまで差別問題を堂々と扱える作家なんて、居ないだろう、絶対。

オレはユーチューブ実況を見る時間をほぼゼロにして、手塚治虫を読み漁った。

直ぐに、オヤジは昔の情熱を取り戻したのか、こち亀全200巻も買って来た。

石ノ森章太郎、赤塚不二夫にも手を出し始めて、新しい本棚まで日曜大工で作り出した。

今まで、家の数少ない本棚には、オヤジが仕事で使う専門書の他には、西村京太郎、赤川次郎、重松清、あさのあつこ、夢枕獏と、地図くらいしか無く、漫画は何故かナニワ金融道が半分くらい入っていた。

しかし、今、壁一面を覆う、巨大な本棚が出現し、そこにところせましと、漫画が整列して並び出した。

みなもと太郎の風雲児たち、長谷川裕一のクロスボーンガンダムシリーズ、ドカベンシリーズ、ジャンプコミックスでも、名作は粗方あらかたそろえていた。

ぐに、オヤジは少年ジャンプを買いだした。

こうなると、対抗上、オレは少年サンデーと少年マガジンを買わざるを得ず、するとオヤジは少年チャンピオンも買って来た。

夜遅くまで漫画を読み漁っていたので寝不足になり、幼馴染にこっぴどく怒られた。

オヤジは、元気の無い日が、多くなった。


あと50日。

部活の顧問が、オレのオヤジの事を聞きつけて来たらしい。

どうするかと聞いて来た。

オレは、今度の大会でレギュラーメンバーである事が確定していた。

だから言った。

オレたちは、生きているから戦うんです。

死んでいくオヤジの為に、チームが動く必要は有りません。

オヤジも大会が終るまでは生きる目算ですから、チームには秘密にしておいて下さい。

ちゃんと、言ってやった。

声はまったし、涙も鼻水も止まらなかったが、オレはちゃんと言ってやった。

顧問は、静かにわかったと言った。

キャプテンのお前がそう言うのならば、尊重すると。

家に医者が来て、オヤジの入院について話をしていた。


あと40日。

予選大会が始まった。

オレたちは、順調に勝ち上がり、とうとうオヤジの代では突破出来なかった3回線まで駒を進めた。

すると、入院しているはずのオヤジが、幼馴染に連れられて、球場に応援に来た。

ふざけるな、何てことしやがる、無許可で連れ出しただろと叱りつけると、この女はじゃあ勝ちなさいよ、と言い返して来た。

冗談では無い。

今日戦うのは、去年の大会で甲子園に出場した高校なんだぞ。

こっちの最高戦績は、オヤジの代で達成された、3回戦敗退でしか無い。

確かにオレは、夏からかなりレベルアップした。

自転車通学を止めて走って登校するようになり、これまでやってなかった朝練も追加する事を部の連中に課し、筋トレ用具を柔道部や近所の家から貰い受け、グラウンドの整備も自主的に行い、広い練習場所を確保した。

機械いじりに強い連中に頼んで、壊れたピッチングマシーンを修理して、グラウンドを照らす照明も無いから、お囃子会が祭りに使う照明を無理言って借りて来た。

遠くの強豪校の練習の見学に部の連中を連れて行き、練習試合も大量にぶち込んだ。

オヤジとの旅行中にも、バットとボール、グローブを持って行き、オヤジにキャッチャーをやってもらって、練習を絶やさなかった。

だからと言って、勝てる程甘くは無い。

相手だって、十分に強いのだ。

「甲子園に行きたく無いの!?お父さんが死ぬ前に、県大会の優勝旗くらい、見せてあげなさいよ!」

「落ち着けよ、お前・・・それは部の連中には秘密にしているんだぞ・・・」

「とっくにバレているわよ」

「え」

すると、オレの後ろに部の連中が勢ぞろいしていた。

控えのメンバーまで居る。

「・・・何で」

「監督は、あんたのお父さんと同じチームでプレイしていた人よ。そんな人が死ぬと解って、あんな涙もろい人が隠し通せると思う?」

「だって、オレは・・・」

「あれだけ旅行を繰り返しておきながら、チームの強化に奔走する。こんな不自然な行動をしていれば怪しまれるのは、当然じゃない」

「でも、オレは、死んで行くオヤジの為に戦う訳じゃあ無くて」

「じゃあ何であんたは泣いてんのよ!?」

泣いていた。

オレがだ。

幼馴染も泣いていた。

廊下の角に隠れている監督も、泣いていた。

「あんたのお父さんの為に、チームを付き合わせるのが悪い?ふざけないないで!」

「ハン子・・・」

「あんた、あれだけチームの為に頑張って来たじゃ無い!」

「オレは、最期に努力する姿をオヤジに見せたくて」

「だからチームの皆も、あんたの頑張りの為に戦うのよ。それだけの事が何でわからないの!?」

「本当、なのか」

全員が、しっかりと肯いた。

「努力する姿も良いけど、どうせなら、勝った姿も、お父さんに見せなさいよ」

「オレの・・・オレの頑張りは、オヤジの為だったんだぞ?オレは部の連中を言い訳に使っていたんだぞ?」

「じゃあ、あたしたちは、お父さんの為に頑張るアンタを言い訳にして、頑張るだけよ」

試合開始のコールが、ウグイス嬢の声で、廊下まで響き渡る。

チームメイトは、オレの肩を力いっぱい叩くと、試合場まで走り出した。

蝉が鳴いて、試合が始まる。

オレは涙をぬぐうと、ハン子と一緒にグラウンドへ向かった。


あと30日

オレたちのチームは、甲子園出場を掛けた決勝戦を迎えた。

三回戦を勝利したオレたちだが、その後駆け付けた病院の人にこっぴどく怒られた。

実行犯はハン子とその父親なのに、何故かオレもスタメンも控えメンバーも監督も一緒に怒られた。

ハン子の父親も、オレのオヤジのチームメイトだった人だ。

二人とも同い年で、監督の一年先輩に当たる。

そして今日の試合。

一進一退の攻防のまま、九回を迎えた。

四対三で九回裏。

初回にオレたちは四点を奪い取って、相手の先発投手を打ち崩したと思ったのだが、二回から見事に建て直して来て、その後はノーヒットに抑えられている。

オレはと言えば、初回こそ無失点に抑えたが、その後じわりじわりと点を取られて、いつの間にか一点差になってしまった。

そして今、二死一、二塁だ。

打順は三番。

だがオレは、次打者の事ばかり気にかけていた。

あの男は、この試合絶好調で、この時点で四打席三安打一ホームランだ。

そして、オレは勝ち逃げは許さない男さ。

だから、キャッチャーに向かって、敬遠すると伝えた。

このバカは驚いて、審判にタイムを告げやがった。

この女房役は、中学以来六年の付き合いが有るのに、何でかオレの心情を理解してくれない。不思議だ。

どうした、と聞いてきたから、二死だから満塁策だよ馬鹿野郎、と言ったらぶん殴られた。

それを見て、内野陣はドッと笑い出した。

この馬鹿野郎どもが。

「キャッチャーとして言うぞ、真面目に言え」

「言ってらあ、バカヤロー」

「じゃあ何で今日無安打の三番を敬遠して、猛打賞の四番に勝負を挑むんだ」

「何でもだよ!地方大会の四番如きに逃げていたら、甲子園じゃ全員敬遠じゃねえか!」

「今日は地方大会とは言え、決勝戦だ」

「分かり切った事を言ってんじゃねえよ」

「地元テレビが、オヤジさんの病室でも放映してくれている筈だ」

「・・・・」

「そのオヤジさんの前で、カッコいい所を見せたいんだろ」

「うっせえよ・・・」

「今日絶好調の四番を、九回裏二死満塁の場面で、カッコよく三振に取る所を見せたいんだろ?」

「だったらどうだってんだよ!?」

「初めからそう言えと、言っているんだ、アホウが」

そう言うと、キャッチャーはテクテク歩いて戻って行った。

このバカ、結局元に戻っただけじゃねーか!

なんの為にタイム取ったんだ。

苛立ったオレは、ロージンを叩きすぎて、粉が気管に入って咳き込んでしまった。

それを見て、内野陣はまた笑い出す。

お前等全員、この暑さに頭をやられちまったんじゃねーのか。

三番を敬遠すると、実況がけたたましく、雑言を喚き始めた。

うるせえよ、どいつもこいつも。

二死満塁、逆転サヨナラの場面で、絶好調の四番を迎えるだけじゃねーか。

こっちの顧問は青い顔しているし、この四番は左打席でランランと眼を輝かせていやがる。

うざってなあ、オイ。

キャッチャーを見てみろよ、平然と初球にフォークを要求してやがるぜ。

こいつはなあ、去年までオレのようなヘボピーに相応しい、ヘボキャッチャーだったんだ。それがオレがエースとして球速も変化球のキレも上げてくると、パスボールだけはしないように特訓を重ねて来たんだ。

監督のコネで、大学チームの練習にも参加して来た。

野手もマウンドに立たせて、どんなデタラメな球でも受け止めてみせた。

肩は未だに弱くて、打撃もへなちょこだけれども、落球だけは無くなったんだ。

練習試合も含めて、もうパスボールなんて、二か月以上もやっていない。

だからオレは、平気で、初球外角に落ちるフォークを投げ込めるのさ。

ほら、空振りした。へへ、どんなもんだい。

実況も打者も会場もどよめいているが、大した事ねーよ。

こんなもん、キャッチボールの進化形でしかねえんだから、な。

見ろよ、あの自信に満ちた四番が、青ざめていやがる。

あとは簡単だ。

外角低め、直球。

さっきのフォークと、途中までは全く同じ軌道で、でも今度は落ちない。

はい、見逃しストライク、とな。

すると、四番がタイムを取った。

いけねえ、冷静になられると、コッチの勝ち目が消えちまう。

どうするかと、思ったら、キャッチャーが、ある球を要求して来た。

気が狂ってんのか、テメエ。

その球は、この大会を通じて、一度も投げてねえ球だぞ。

なんせいまだ未完成で、三回に一度しか成功しねえからだ。

首を振ったんだが、駄目だと言いやがる。

ふざけやがって、オヤジが見ているんだぞ。

あと一球なんだぞ。

そんなところで、こんな冒険を侵せるかよ。

何度首を振っても、駄目だと言われた。

このバカ、このクソ、このボケ。

何が、お前の右腕を信じろ、だ。

上等だ。投げてやんよ。

オラッ、食らえ!シュート気味のツーシームだ!

左打者には、この球はビーンボールのように見えるだろう。

しかし、見送ると、手元で曲がって・・・・

ほら、ストライク。

良いぞ、審判、もっと言え。

ストライク、バッターアウト!ゲームセットだ。



※正確には「栄光は君に輝く」なので、「ああ」は曲名には入りません

あと20日

オレたちは、一躍いちやく時の人となった。

あちこちの新聞、あちこちのテレビ、野球雑誌、写真週刊誌まで来た。

オヤジが死にかけだと言うドラマ性も、拍車を駆けたのだろう。

オレたちは、終業式で表彰されて、その足で校長に頼んで地方大会の優勝旗をオヤジの病室まで持って行った。

オヤジは、酷く衰弱していたが、甲子園まで持ちそうだと、医者も言っていた。

ひょっとすると甲子園が終っても、生き延びるかもしれない、とも。

但し、現地に応援に駆け付ける事は絶対禁止だ、と怖い顔で言われた。

まあ良いだろ。

阪神タイガースの試合で、オレとオヤジは一足先に甲子園に行って来たしな。

寝ていたオヤジは、ここで歌を聞きたいと言った。

甲子園の歌だ。作詞加賀大介、作曲古賀裕而

『ああ、栄光は君に輝く』

オレたちも歌いたくなったので、その場で野球部一同、合唱する事にした。

顧問は、歌う前から泣き出した。

ハン子は、歌の途中で泣き出した。

オレたちは我慢した。

本当だぞ。

ちゃんと歌い終わるまで我慢したんだ。

医者が他の患者の迷惑だ、と怒っていたが、結局何も言わなかった。

泣き虫に向かって声を荒げてもしょうがないと言っていたが、何の事やら。

さあ、オヤジ。

甲子園だぞ!

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