冒険好き

 助手席の女はレバーを引き、シートを倒し、からだを捻り、後部座席にあるバッグに手を伸ばした。ピンクのハートのついたバッグは助手席側の後部座席にあった。右肩を支点として運転席のほうに胸をそらせ右手の指をバックに引っかけた。女は、からだはそのままに頸を廻し、男をみた。男の視線も女のほうにあった。

 唐突に視線をぶつけられた男は苦笑した。

「みてない。みたけど、みてはいない。人間の視野ってやつは200度あって、たしかに、視線がいったことは間違いない。が、それってやつは原始そもそも注意を集めるようにできてて、それをみようとしてみたわけでなく、ごく自然とそこに視線が落ちついただけにすぎない。視線がいっただけさ、やったわけじゃない」男は早口だった。

「穴があったからそれを埋めた?」彼女は口角は釣りあげ言った。展示用のりんごのような艶の唇だと男は思った。

「そうさね、山があるからそれに登る、謎があるからそれを解く、蠱惑的な胸があるからそれをみる、みな同じことさ、単純だろ?」と男は言った。男はあいかわらず早口だった。

「欲望の奴隷ね」と女は言って腕を組んだ。

「奴隷だって? 心外だね。冒険家と呼んで欲しいものだね。ぼくは冒険が好きなんだ」と言って男は笑った。

「でも、あなたは冒険小説が好きなだけね」と男に聞こえない声で女は独り言ちた。

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超短編小説集(ショート・ショート集)【10月】 はちやゆう @hachiyau

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