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 日は傾き。


 村を囲む柵の外。荷馬車の周囲に集まっていた村人たちの影を長く伸ばしている。夕暮れも迫る中。荷台に置かれた妖魔の残骸を遠目に眺め見る瞳の多くに安堵の色が見られたが、同時に同じだけの拭えぬ不安に表情を曇らせていた。


 当然だろう。


 依頼は果たされ当面の危機は去ったが......それは一時の事でしかない。これは始まりでもなく終わりでもなく。繰り返される日常の一端に過ぎないのだから。


 月に一度。週に一度。巡りが悪ければ幾日に一度。村の周囲で。或いは付近の街道で。人を喰らった妖魔が現れれば討伐者を雇い排除せねば暮らしが脅かされる......そんな生活に苦悩せぬ方が難しい。妖魔が与える地方への影響は測り知れず。豊かな実りを得られても蓄えが増える事はなく、恵まれなければ減るばかり。働けど貧しさからは抜け出せず命の危険は常の日常を蝕み続けている。農村での未来が希望より絶望が勝るなら、選択肢のある若者たちが故郷を捨てるのも道理の内で。農村部の過疎化に拍車を掛けていた。


 こうした負の連鎖が生み出す特有の閉塞感はどの地方の農村部でも見られるもので。大陸公用路と定められた交易路を領内に有するラフォーヌ地方であれど、類に漏れずその例外ではなかった。


 この話の内で何よりも皮肉に尽きるのは、通して語られる地方領の大半が税制を含めても決して悪政が齎す弊害ではないと言う事であろうか。一領主の権限と裁量では限界を迎え破綻を期している妖魔の問題は。王国が制度としての在り方を抜本的に改革せねば変わらぬ国難である事が......誰の目にも明らかな埋伏の毒の如くモノであった事だろう。



 報酬を受け取ったアフリーの乗る荷馬車が村の境界を離れ。頭を下げて見送る村長らの影が遠く遠く点となり、軈ては夕陽に染まって消え、枝道から街道に進路を戻した荷馬車は鞭を入れ一路領都へと速度を上げて往く。


 刻は流れて。


 夕陽も深く領都を目前に。


「助かりました。本来は道中で夜営して明日中に領都に着ければ良いと思ってましたから」


 見渡し述べるアフリーの感謝の言葉に鋼の猟犬の面々の表情は複雑で。実に使徒らしいと言うべきか......それ以外の者の言葉なら鼻で笑っていただろう、感情に。返すべき言葉選びは難しい。


「皆さんは領都を拠点にしているようですが、お若く優秀な皆さんが何故地方に留まってるんですか。中央に渡った方が実入りが良いのでは?」


 流れる空気は曖昧で。微笑むアフリーが沈黙を嫌った訳でもないだろうが、唐突に前振りすらなく立ち入った事を口にする。


 尤もその疑問が不自然かと問われれば否と答える種のモノで。地方と中央では落差も激しく討伐者の待遇にも明確な高低の差が存在していた。単純に領主が支払う懸賞金と国王の名の下に国庫から支払われる懸賞金が、額に置いて差が生じるのは当然で。依頼を含めて変動制ではあるものの、対価が概ね三倍は高いともなれば、其れだけで腕に自信を持つ者たちが中央へ集まるのは自然な流れで合ったと言える。


 此処で違和感を持つ者も出てくるだろう。地方と中央の格差は余りにも明確に過ぎて。地方自治。領主の権限を尊重する政策ゆえと建前を掲げる王国は地方の救済に本腰を入れて取り組むつもりが毛頭ないのではと。


 噂を越えた真実味のある話。妖魔の被害は地方に力を持たせぬ上でより良い役割を果たしているのだ、と。


 生かさず殺さず、適度に力を削ぐのに建前を都合良く利用しているのではないのか、と。


 真実は不明なれども噂は絶えず。民衆の多くが拭えぬ疑問を抱いていたのは確かであった。


「アフリーちゃんが地方を軸に活動しているのと理由は大して変わらんよ」


 悩む様子もなく、軽い調子で答えたのは御者台のリュース。半日も行動を共にしていれば各々の性格面も見えてきて。


 必要がなければ滅多に口を開かぬアルダルは別格として。ネイトもアリシアも程度はあれど口数の多い方ではない。この面々の内、重要な場面を除けば会話の大半に絡んで来るのがこの優男であった。


「大規模な討伐者集団が幅を利かせてやがる上に。組合も王国と露骨につるんで利権を貪る中央は。古参に有利な暗黙の決め事やら何やら新参が稼ぐには敷居が高いだろ。それに高額の依頼ではアフリーちゃん見たいな使徒が競合するって話も珍しくないって訊くし。色々と面倒臭いなら愛着もある地方で活動する方が気楽で良いさ」


 中央の街道は地方とは比較にならぬ程に安全性が確保されている。それは日々の討伐数が一桁違うと噂される討伐者の活動ゆえではあるが、質の面でも王都や近郊の街を拠点とする討伐者チームには使徒を始めとした錚々たる顔ぶれが並んでいるのも確かな事実としてあったのだ。


「それもあるけれど......」


 言い方は兎も角として。リュースの言葉は鋼の猟犬の方針に則したものなのだろう、付け加えるアリシアに否定の意は見られぬが別の杞憂に声音は曇る。


「貴女も地方を巡っているのなら感じているんじゃないかしら。近年、地方の妖魔の被害が急増している事に。人喰らいの被害は右肩上がり。加えて変異種の異常な増加。それだけじゃないわ。隣接する地方の領主が交易路の占有権を強硬に主張しだしたのも二年近く前......今の地方は人や妖魔に影響を与える何かに蝕まれている。そんな予感がするのよ」


「その話はやめろアリシア。魔術師であっても討伐者なら、身内の席以外で己の憶測を垂れ流すような真似はよせ」


 ネイトは強くアリシアを諌める。


 討伐者や傭兵は世相に疎くては商売に差し障りが出るゆえに日々の動静に。情報収集は欠かせない。が、それが長じて陰謀論の如く思想の闇にも嵌まり易いきらいがあり。特に魔術師のような思考を巡らす知者に多くその傾向が見られるのは事実としてあった。


「アフリーさん。随分と言葉に含みを感じるんだが、気のせいじゃなければ真意を訊きたいんだけどな」


 仲間の軽率さを諌めながらもネイトの声の調子には、これ迄見られなかったアフリーに対する警戒心が色濃く宿る。それだけ話の内容が世間話の範疇を越えていたと言う事なのだろう。


「なにやら素性を探るような真似をして失礼しました。実は皆さんに私から受けて欲しい依頼がありまして。その為に暫く領都に居られるか確認したかっただけなのですが、遠回りさせてしまいましたね」


「俺たちが妙な勘繰りをしただけだと?」


「ええ、そうですよ」


 詰問にも似たネイトの響きに絶えず微笑むアフリーに動じた様子は微塵もなく。


「私が領都に滞在する間。鋼の猟犬を私の身辺の護衛として雇いたい。それが依頼の内容です」


 夕陽を受ける蒼い瞳は朱に染まり。


 ネイトの視界に映るアフリーは使徒の名に恥じぬ魔性を秘めて......幼さは影を潜めて可憐なる朱なる黄金は。情景ゆえの印象ゆえか。依頼の内容の違和感を一時忘れさせる程の妖しい美しさに満ちていた。


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