鋼の猟犬

 街道を一台の荷馬車が走る。


 荷台に座るアフリーの流れる視界に映す光景は遥かに望む西方山脈の壮大なる山影と広がる草原地帯。二馬引きの馬たちに鞭打つ程には速度を上げぬ緩やかな歩みは淀みなく領都を目指して進んでいた。


 アフリーが同乗する荷馬車の御者台で手綱を握るのは丸太の如く野太い腕。筋肉質な巨漢の名はアルダル。長弓を傍らに。隣に座る長髪を背中で束ねた優男の名はリュース。彼らは鋼の猟犬の面々で。ともなれば後ろの荷台に居る三人の内。アフリーを除く残りの二人の素性は察するまでもなく容易に想像が付いただろう。


「済まないなアフリーさん。知らぬ事とは言え、あんたの獲物を横取りするような真似をしちまって」


 荷台に対面して座るネイトと名乗った若者が軽く頭を下げる。彼は先程出会った討伐者チームのリーダーであり荷馬車の主でもあった。


 鋼の猟犬は四人組の討伐者集団であるらしく。構成的にも特筆する点は見られぬが、突発的な変異種との戦闘でも冷静な対処が可能であった経験の豊かさに裏打ちされた練度の高さは、二十代も半ばと訊かされたまだ未成熟さを残す若者たちとは思えぬ程で。外見は十代の少女でも中身の年齢は四十も間近なおっさんにして見れば。彼らはまだ子供の範疇にあって、どうしても感心が先に立ってしまう。


 「いやいや、妖魔が売約済みの看板を下げている訳じゃなし。取った取られたは良くある話。それに『人喰らい』は獰猛で人間の気配や匂いを辿って向こうから襲ってくるのだから仕方がないですよ」


 口調も表情も過分に意識して。


 ジョゼフの勲功宜しく、街での立ち振舞いはお嬢様然と割りきれても。元々が素の自分とは大きく隔たりがあるお姫様を演じているのだ。その上で更に使徒の討伐者......しかも見た目は年少の少女と言う難解な設定の性格面まで繕えとは土台にして無理な話で。


 討伐者としてのアフリーが偽物フェイカーと。『人間の真似事』と恐れられる要因の大半は其処に有る。設定が定まらぬから軸がぶれ、態度も口調も一貫性に欠けて。それが他者の......畏怖に淀んだまなこには人間を装う化け物と映ってしまうのは、本人にしても不本意ではあるが、皮肉にも人払いの効果は覿面てきめんで。それは出来の悪い喜劇の如くモノと言い換えても過分ではないのかも知れない。


 だが、今回は表裏。見た目に合わせて統一させていこうとアフリーは心に決める。印象の乖離はなるべくない方が良い。領都での滞在はこれ迄とは異なる大きな転機になるだろうから、と。


「そう言って貰えると助かる」


 ネイトは謝意を告げる。言葉は短く飾り気もないが、終始アフリーに接する態度は丁寧で見た目とは異なり生真面目な性格なのだろう事が窺えた。警戒心の強いアフリーが何故ネイトの態度が使徒である己への畏怖ゆえのモノと思わなかったのか、と訊かれれば相応の理由から。


 使徒アフリー・ヴァルシアの名は地方では有名で。特徴的な容姿に加えて狩りのさままで目にすれば、あの状況で偽物と疑う方が難しい。


 使徒の存在が妖魔と同一視された時代は遥かな昔。数も多く今の世で、この手の稼業に身を置く者であるならば尚の事。頻繁にとは言わずとも必ずしも縁の遠い存在ではない。


 なれども。所詮は人外と。


 例え同じ言葉を話そうが、近しい価値観を有していようとも、真には歩み寄れぬ異質な生き物なのだと。理屈ではなく本能的に拭えぬ不信と嫌悪感。それが人間が使徒に対して抱く畏怖の正体であると言えるだろう。


「皆さんは使徒が恐ろしくはないんですか?」


 迷惑をかけた責めてもの償いに、妖魔の残骸を集めて運ぶ手伝いと領都までの道行きに荷馬車を提供すると名乗り出た彼ら若者たち。アフリーの名を知って使徒と知り。だが驚きを見せてもその瞳には誰もに見られる畏怖はなく。


 それが思惑の上での演技ではないのなら、使徒に対して対等に付き合える人間は実に珍しい。ゆえに興味とは異なる理由で提案を受け入れたアフリーは。真偽をはかる為に一歩踏み込んで見る事にする。


 不意の質問に鋼の猟犬の面々は互いに顔を見合わせて。


「アフリー・ヴァルシア......それって愛称と春の花を組み合わせた偽名よね?」


 答えたのはネイトの隣。アリシアの翡翠の瞳がアフリーを見据える。が、質問を質問で返し。求めた解答こたえとしても不十分。何よりアフリー自身の事情からも其れは危うさを秘めたモノで。


 ────ガタン。ガゴンっ。


 人より鋭敏な感覚を持つゆえに。馬たちが嘶き暴れて荷台が大きく揺れる。


「────待ってくれアフリーさん!!」


虚ろなヴィオラ深紅バイオレッド


 密度の増した空気感を察したネイトとアリシア。二人の発した言葉の意味合いはまるで異なるもので。


「使徒の全てが、とは思わないけれど、私たちの恩人と貴女は......」


 哀愁だろうか、アフリーを見据える翡翠の眼差しが僅かに揺れる。


「偽名の付け方も取り繕った微笑み方もとても良く似ている。そんな印象の持ち主に......増して借りが出来たなら、それを返さぬという選択肢なんてない。だから貴女がどうとか、誰とかではないのよ。私たちは自己満足でしてるだけ」


 アリシアの想いに皆が頷く。


 その光景はヴィオラと呼ばれた使徒との思い出が彼らにとって如何に大切で。掛け替えのないモノであったかを如実に証明するもので。


「無粋な事を訊きました」


 と、アフリーが素直に折れる。


 同時に馬たちも平静さを取り戻すと荷馬車はまた歩みを進め、誰しもが安堵の息を付く。使徒の気分を害する意味を考えても見れば、この程度の感情の機敏は当然で、不信に繋がるものではないが。


 この時のアフリーはもっと別の理由で思案に耽っていた。


 領都でのこれからを思えば協力者がジョゼフだけと言うのは如何にも人手に欠けて。使徒であろうと個人として好感を抱いていると公言して見せた彼らを上手く利用出来ぬものかと。


 甚だ悪党染みた思考法ではあれども正当に対価を払うなら構わないのではと。傭兵暮らしで染み付いた碌でもない価値観が直ぐに抜ける筈もなく。しおらしく黙り込むアフリーに対してアリシアは罪悪感を覚えるが、それが如何に無用なモノであったかを知る術はない。


 物憂げな表情は仮初めで。胸中で胡乱な考えを巡らせるアフリーであった。



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