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 確実にヴァレリウスの頭蓋を粉砕する威力が籠められた蹴撃。己の命すら対価に替えて。ダグラスは全てを代償にする事で絶望的なまでの差を埋めて見せた。


 ────だが。


「貴様の過ちは『本物』の魔術師を知らぬ事。誤算であったな」


 眼前に。触れるか否かで静止するダグラスの膝蹴りを前にしてヴァレリウスは泰然と告げる。空間を振動させてせめぎ合う程に。両者の間に生じている衝撃力は凄まじく、その一字を以てしてダグラスの蹴撃の威力が過不足であった訳ではない事を物語っていた。


 単純に。純粋に。ヴァレリウスが展開する魔術障壁の強度が桁違いで合っただけ。求める答えは簡潔で......それだけに残酷でもあった。


「これが現実と言うものだ。物語の如く都合の良い結末など望めはせぬ。悪しきも正しきも合理も不条理も。所詮は力の優劣で決まる紛い物モノ。我より貴様は弱かった。只それだけが、この運命を決定付けた要因よ」


 敗北者に語るにしてはらしくなく。嘲る事なく淡々と。


 拮抗など続かぬ刹那の攻防は。軈て弾かれたダグラスの膝が力なく宙をさ迷い。最早余力など残されている筈もなく、体勢を維持できずその場に崩れて倒れ込む。


 が......。


 ……。


 ……。


 一瞥するヴァレリウスの視界に。伏して尚、まだ絶命に至らず鼓動を止めぬ男の姿を前にして、未だ衰える事なき強き意志を内に視る。


「久方ぶりに悪くはない余興ではあった」


 葬送と。それはヴァレリウスにして最大限の告別の言葉であったろう。その背を蹴りて。運命の結末の如く祭壇より転がり堕ちて逝くダグラスに決別を告げるのであった。


 静寂は束の間に。


 発光の魔術の効果が失われ。祭壇を飾る篝火は僅に。再び地下聖堂は暗闇に包まれていく。が、最早光は要らず。


「我が悲願......此処に体現せりっ!!!!」


 両手を高く掲げ。宣言の如く言い放つヴァレリウス。祭壇を中心に刻印を以て施された地下聖堂そのものが巨大な儀式装置ゆえ。術式の展開に呪印による構築を必要とはせず、言霊を以て発現の刻を見る。


 床に。壁に。天井に。そして虚空に。空間を埋め尽くすが如く魔紋が浮かび上がる。それは鮮やかなる花の狂乱。眩い魔なる輝きは聖堂全てを照らし出す。


「アルフリーデ。お前の肉体と魂は此より原初に還り起動式の鍵となる。お前と言う個を魔力の核とする事でこの儀式魔術は発現に至るのだ」


 祭壇とアルフリーデに施されていた術式が虚空の魔紋と呼応するように淡い輝きを放ち出す。


「お前も本望であろう。忌み嫌われる黄銅姫よ。その名と所業に相応しく、王国を滅ぼす災いの根源となれるのだからな」


 ヴァレリウスが行っている儀式魔術は。基礎たる魔術『呪詛カーズ』を応用し発展させ再構築させる事で新たに誕生させた儀式系の大魔術。


 発現に至るには数多くの制約を満たさねば為らぬゆえ。その干渉力は個に非ず群に非ず世界にまで及ぶ。内実は名に刻まれた概念に呪詛を籠める事で際限なく拡大し膨張を重ねる事で関わる全てに災禍を撒き散らす疫病の如きモノ。


 災いを刻む名はトリスタニア。


 それはヴァレリウスが奪われ、そして二度とは取り戻せぬ執着と未練の形であればこそ、穢らわしきアウレウスの末裔だけに責を負わせるに留まらず、その恩恵を甘んじて享受してきた民もまた均しく咎人であるのだと。


 ────王国そのものを呪う。


 それはまさに前代未聞にして常軌を逸した、禁忌に属する大儀式であった。





 痛覚すらも失われ。麻痺した身体は意志に反して指一つ動かす事すら敵わない。いや....指どころか腕がねえや、と。皮肉に苦笑を浮かべようにも、今のダグラスには口角を僅に歪める力さえ残されてはいなかった。


 幸運と言えるかは甚だに疑問ではあるが、転がり落ちた先、仰向けに倒れたお陰で辛うじて周囲の状況を窺える事であろうが、それすらも今は然したる意味はなく、目前に迫る死を除くとしても、網膜を焼かれた両の瞳では確かな映像を捉えるなど最早無理な話であったのだから。


 映らぬ瞳で感じる色は一色で。


 祭壇から昇る黄金の粒子。螺旋を描いて天に留まるソレこそが魔力なのだと、現す形を見えぬからこそ、ダグラスにはソレが視えていた。


 黄金色の魔力の奔流は無数に伸びる触手の如く空間へと広がりを見せ。伸びる先、骸と化した者たちの遺骸を覆ってその肉体までをも魔力へと変換して取り込んで往く。これこそが、アルフリーデを贄として。その血と肉を。魂までもを魔力と為して核とした予備儀式の最後の手順。禁忌の儀式魔術を確実に発現させるに足る安定した魔力量を得る為の術であった。


 ゆえに。


 ダグラスの下にもソレは訪れる。己を包み込む黄金が齎すものは消失感。何かを......ではない。全てが失われていく感覚をダグラスは知る。これが魔力に還る感覚なのか、と。普通であれば生涯体験出来ぬ未知なるモノに場違いな、そんな感慨すら抱いていた。


 だが同時に心に触れるモノがある。


 それは孤独。


 それは愛情。


 それは苦悩。


 それは悲しみ。


 己とは異なるその感情の奔流がアルフリーデのものだと不思議と直ぐにダグラスは理解する。意識ではなく記憶でもなく、最も根源的であるがゆえ、魔力に染み付いた残滓の如くものなのだろうと。


 暗愚にして暴虐の徒。黄銅の姫君と民衆に蔑まれた娘が最後に残した断篇が、陰鬱なる負の感情ではない事にダグラスは拭えぬ違和感を覚える。魂までも魔力とされた哀れな少女の最後の想いが偽りであろう筈もなく。ゆえにすとん、と腑に落ちる。アルフリーデに纏わる噂の多くは何かしらの思惑の上で仕組まれ作られた虚像なのかも知れぬと。すんなりと受け入れられはしたが......だがそれも今となっては詮なき事。彼女は死に俺も死ぬのだからと。終わりを目前に真実に価値はなく、何の意味も持ちはしない。


 ────だからそれは希望ではなく、奇跡ですらない。理由などなく只の現象と呼ぶべきもの。なれども運命とは必然で。


 消え往く意識。最後に残る思考の際で。ダグラスは最後の最後。アルフリーデが残した最も強い想いに触れる。


 ────ああっ......同感だ、と。


 だだ一つ。たった一つの感情に。ダグラスはアルフリーデに共感を抱く。それは生きたいと願った生への渇望。祈りと呼べる感情に。


 此処は魔術の粋を尽くした空間なれば。言霊で結ばれた感情は制約となりて。


 外に流れる消失感は失われ、内へと満ちる黄金をダグラスは感じ取る。全体からして流れ込む魔力は微々たるものなれど、それは絶後に及ぶ魔力量の極一部。


 ゆえに内なる黄金は堕ちたりて器は満たされる。



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