内なる黄金を刻みて

 また一つ。弾かれ落ちた篝火が消え、祭壇を照らす光源が失われていく。既に周囲の暗闇は色濃く。祭壇は薄闇に覆われていく。


 からんっ、と。ヴァレリウスの足元に転がり当たるモノがある。松明を弾き飛ばしているソレに元凶たる気配を追いながらも僅かに意識を向ける。視界に映すは砕かれた欠片。拳大の石片。


 石畳を踏み砕いたのだろう、形も歪な瓦礫は勿論の事、投擲に適した形状を持ち合わせてはいない。であればこそ、次々と視界を支える光源を奪っていく正確な投擲は高い技能に裏打ちされたモノ。魔術師を相手に姿を捉えさせぬ意図した立ち回りを含め見ても相手が魔術師との戦闘に慣れた輩である事に既にヴァレリウスも気付いていた。


 攻性魔法を得意とする魔術師は世に多く、彼らが扱う魔術は妖魔の討伐のみならず、対人間との戦闘に置いても絶大な効力を発揮する。が、魔術とは神の奇跡とは似て非なるモノ。人が有する技能ゆえ万能とはほど遠く、破る事が敵わぬ制約もまた幾つか存在する。


 一つに。魔術に必中は有り得ぬというモノ。


 特に攻性魔術の多くが固定させた座標に魔術を発現させる為、精度に関わる要素の大半は術者の演算能力に依存され、空間認識が本人の視界のみに限定されるのも、また前記を含め。ある意味で道理と言えるのだろうか。


 ヴァレリウスの眼前で行われている対策は、論じる事なく魔術に対する知識の深さが窺える。加えて相手が置かれた状況を踏まえて見ても、混乱の極みにあるだろう、思考と負った筈の身体的な負荷にも関わらず、やるべきを誤らぬ冷静さは感嘆すべき精神力の持ち主だと言えようか。


 ────だが。


 ヴァレリウスにして見れば、鼠にしてはと。評しながらも下に見て。見下すがゆえに煩わしさが先に立つ。


「小賢しい鼠めがっ」


 絶対的な強者を自負する魔術師の隠せぬ苛立ちが地下聖堂に木霊して。ヴァレリウスの無造作に翳した右手が虚空に術印を刻む。瞬時に構築された術式は複数に及ぶ魔紋となって視界を奪う暗闇へと展開される。


 瞬時に砕ける魔紋。発現するは『発光ルミナス』の魔術。


 陽光ほどに激しさはなく、月光ほどに儚さはなく、暗闇を消し去る淡い輝きは祭壇を含めた周囲の空間総てを照らし。


 ────制約の一つ。


 如何なる魔術であっても術式を介さず発現に至る事は出来ない。


 それはダグラス・エイヴリングが見出だした勝機とすら言えぬ、僅かな可能性の結実の瞬間でもあった。



 照らされる地下聖堂。


 重なる段差の壇上から見下ろす視界の先。暗闇であった空間に潜んでいる筈のダグラスの姿は────ない。


 この逆境でダグラスが持ち得た優位性は只一つだけ。暗闇に潜む事でヴァレリウスよりも広く視野を保てていた事だけに過ぎず。それを最大限に利用する術もまた限られて。


 ゆえにダグラスは迷わなかった。


 魔術が発現する刹那。両者の開けた視界の内で。即座に行動出来る優位性を生かして石畳を蹴り上げる。負傷の度合いなど意識させぬ瞬発力を以て、軽やかに肢体をしならせヴァレリウスの死角となる側面へと。至った刹那に踵を変えて祭壇へと駆け上がっていた。


 魔術に連続性など有り得ない。どれ程に優れた魔術師であろうとも、術式を構築する為には僅かなりと時間が必要とされる。それが即撃に属する魔術を有する攻性魔術であろうとも。いや、攻性魔術である程に。


 ヴァレリウスは一瞬と呼ぶべき刹那の間。ダグラスの姿を見失い、気配を感じて振り向く白眼に登り来るその姿を視界に捉える。が、格闘主体であるがゆえ、近接の戦闘にこそ本領を発揮するダグラスにとって、既にその距離は、獲物を捉えたと言える必撃の間合いであった。


「薄汚く小狡いどぶ鼠め、だがさかしい鼠よ知っていたか?」


 迫るダグラスにヴァレリウスは泰然とした様子で指差す如く片腕を向ける。だが、後二呼吸の間にはダグラスの拳が届く間合いに入る。新たに術式を構築して発現させるより、明確な差を以てダグラスの方が早かった。


「確かに術式の省略は我にも出来ぬ。なれども────」


 後一呼吸......なれど現実は虚像の如く姿を変えて。有り得ぬ筈の事象を現し。ダグラスの眼前に術式は展開され。刹那に弾けた魔紋より魔術は発現する。


 魔術の名は『火球フレイム


 下級の魔術なれども殺傷力に長けるゆえ。


 脆くも後は一瞬の惨劇。


 生じた火球は違わずダグラスの身に直撃すると広がり盛る火柱へと転じ。回避など不可能な間合い。それは必然の結果であった。


「知っていたか、どぶ鼠? 簡略化は可能であると言う事を」


 昇る炎の柱を前にしてヴァレリウスの口元に嘲笑が浮かぶ。肉が焦げ、油が燃えるえた匂い。人間が燃え死ぬ際の残り香に白濁した瞳に愉悦を湛える。


 ────瞬間。その瞳が見開かれ。


「知ってるに決まってるだろうがっ......糞野郎っ」


 炎の柱を突き抜けてダグラスがヴァレリウスの眼前へと迫る。が、その姿は余りに惨たらしく無残の一言に尽き。火球の直撃から頭部を庇った両腕は炭化して消失し。熱波に寄る重度の火傷は全身に。頭皮すら失って焼け爛れた熱傷は最早個人を特定出来ぬ程に全身に広がっていた。


 確実に一撃を叩き込む為に、それは避け得ぬ代償であった。魔術師が最後の拠り所とする魔術障壁。それを砕くに必要な速度と威力を得るにはどうしてもための動作が不可欠となる。魔術師が扱う簡略化の技法を知るだけに。障壁を破れぬ一撃に意味などないとダグラスは分かっていたのだ。


「俺が殺すと決めたっ。ならその意志がお前如きに砕けるものかっ」


 必殺と定めた覚悟。ならば即死さえしなければ耐え切れると。決して意識は手放さぬと。ダグラスの鋼の意思が言霊に宿る。


 後一歩。踏み込めば息すら届く両者の距離は。簡易術式ですら間に合わぬダグラスにして必殺の間合い。


 踏み込んだ軸足の振動で石畳が揺れ。伝わる力は最大限に。籠められた腰の回転から繰り出される膝蹴りはしなりを上げてヴァレリウスの頭部へと確かな軌跡を描いて放たれる。


「見事だ。貴様は猫を噛み殺す類いの鼠であったか」


 刹那に交差する二人の視線。ヴァレリウスの呟きは鼠と嘲っているにも関わらず何処か感嘆にも似た響きを帯びたものであった。



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