変転

 魔力とは大地に満ちて植物に、大海に満ちて生物に、流れ伝わる命の波動。世界という大樹の枝葉の如く全ては理の内に在り、古来より人間はソレを身近なモノと認識し。長きに渡る研鑽の末に利用する術を身に付けてきた。


 理に干渉する為の技法を術式と。


 万象を具現化する為のすべを魔術と。


 そして────知識を求める真理の探求者。彼らは総じて魔術師と呼ばれていた。


 ★


 暗転する世界。


 曖昧な意識の内で感じる奇妙な浮遊感。時間の概念すら消失させる深淵の如く闇の中を漂っているような感覚。それは一瞬。それは永遠。揺蕩たゆたうダグラスの覚醒を促したモノは物理的な痛覚による刺激であった。


 「うげえええええええええっ」


 込み上げてくる吐き気を抑えられず、ダグラスはその場に吐瀉物を撒き散らす。意識が戻った刹那の激痛。伴う不快感。幸いにして酒しか胃に入れていなかった為に石畳に染み込み溜まるのは液体のみで......だが、どす黒く濁るソレを目にしたダグラスは己が吐血した事を知る。


 傭兵としての経験が危険に対する耐性となっていたのだろう、痛みよりも、不快感よりも、状況の把握に向ける意識が強く勝り、意識的とは言えずとも無意識に、ゆらりとダグラスは立ち上がり周囲を見渡していた。


 其処は街道とはまるで異なる光景。


 天高い空はなく、風抜ける草原はなく、立つ地面こそ似た石畳ではあったが、それ以外、広がる空間全てを覆うは剥き出しの岩盤の如く岩壁。ダグラスの視界を確保しているモノは陽光に非ず、壁に備え付けられた無数の松明の灯火。見渡し最初に抱いた印象は広大な地下墓地の情景。死に近く、隣り合わせで生きる暮らしの内で。決して無縁では要られぬ為に。この空気感には覚えがあった。


 地下の空間。石畳の床に広がる倒れ伏して動かぬ人間たちの姿。数にすれば三十では利かぬだろう。一見して年齢も性別も多様な上に明らかに異質で異様。しかしダグラスは直ぐに彼らがあの街道に、あの場に居合わせていた者たちだと気付く。答え合わせは余りにも簡単で。武装した騎士たち。侍女らしき女性。旅装の男たち。


 ────そして。


 「冗談がきついぜ、なあ......おっさん」


 動かぬ者たちに対して遺体と表現しなかったのはダグラス本人が生きてこの場に立っていたから。あの現象......いや、あの魔術が直接的な原因とまだ断定出来ぬから。しかし......仰向けで目を見開き、微動だにしない行商人の胸元に置いたダグラスの手に伝わる感覚は冷ややかに。脈打つ鼓動も既にない。


「死んじまったら終わり。全くその通り。見事に家族を路頭に迷わせやがって......この糞親父っ」


 朱に濡れたダグラスの口元から発せられる暴言は憤りに満ちていて。咳き込み血を吐きながらも食い縛る悲痛な表情は襲う痛みに起因せぬ異なる感情で有るようにも見え。出会ってから大した時を共にせずとも、その生き様は共感できるモノであったのだろう、と。


「じゃあな、おっさん」


 垣間見える哀愁は。最後に送った言霊は。何処か哀悼にも似ていた。


 視界に広がる地下の空間。向ける視線の更に先。一際に照らされる祭壇の陰影が浮かび上がっている。灯火に照され揺れる炎の照り返し、確かな気配と揺らめく人影は二つ。


 遠目ゆえ、はっきりとはしないが、浮かび上がる影は祭壇の台座に寝かせれている全裸の少女とその眼前で佇む黒衣の男。


 祭壇とはそれなりに距離がある。ならば今は置かれた状況に悩むより他にやるべき事があった。先ずはまだ生きている。であれば生存を最優先に。幸いにして痛みに対する対処法を心得ているダグラスは、肉体の損傷具合は分からずとも、まだ動く事が出来た。


 あの黒衣の男が気付く前に出口を探す。例えそれがどれ程に無様な行為であろうとも、蔑まれ腰抜けと謗られようとも、行商人が語った教訓は傭兵にもそのまま当て嵌まる。それが真言だと知るからこそ共感し。事実、これまで生き残れてこれたのだとダグラスは信じている。


 前に進めば間違いのない死が待ち受けている。ならば例え出口が有ろうと無かろうと、選択肢などは存在しない。選ぶべき道は祭壇とは真逆の後方しかあり得ない。


 それを不合理と嘆いたところで事態は変わらず、立ち止まっていても悪化すれども好転などは望めない。


「全く......糞腹が立つ」


 苦笑と呼べる調子の呟きがダグラスの口元から漏れる。ソレははっきりと強い意思の籠った響きを以て。


 理解して納得する事と感情は異なるモノ。


 思えば。


 必要以上にあの行商人に感情移入していたのかも知れない。


 或いは意味すら分からず巻き込まれ、命の危険に晒されている理不尽に対する憤りなのかも知れない。


 理由付けなど幾らでも。起因するモノなどダグラス本人ですら分からない。


 だからこそ、もう本当にこれは仕方ないのだ、と。


 定めた視線は祭壇に。ダグラスは前方へと一歩を踏み出していた。



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