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「時期的に考えれば別の街道から王都を目指すべきだった。今更もう遅いが王国の姫様がヴァルシアの花の品評に出向く毎年の恒例行事を考慮せんかったとは儂も随分と呆けとったわ。王都に住んでるというに抜かったのう......」


 ヴァルシアは大陸でも可憐な春の花として知られ。気候的にも西方域が最大の生産地として有名ではあるが、育て易く希少な訳ではない上に純粋に鑑賞用の花である為に、限られた需要に比べ供給が勝る事も多く市場でも高値で取引されているモノではない。


 だがそう言えば、この街道からの分岐路の先に大規模な王家の花園があり、ルメス王家にはヴァルシアをこよなく愛する王族が居た事をダグラスは思い出す。傭兵として世情を知る為に得た知識の一つではあったが、重要度として低くこれ迄忘れていたのだ。


 振り返り、来た道に視線を向ければ、視界に映る限りに人影は見られない。恐らくは大分後方から同様の規制が始められたせいなのだろう。道中で騎馬に抜かれた記憶はない。ならば前方の騎兵は連絡を受けて王都を出立した一団だろうとダグラスは推察する。


 王都に続く街道の一つにしては人や物資の往来が少な過ぎると不信に思ってはいたが、分かってみれば当然だ。王族の警護に関わる制限ならば、下手をすれば長時間に渡って足止めを食らってしまう可能性もあり得る。知っていたら当然避けるし、時期的に憂慮していたならば念の為にも避けるだろう。つまり一番割りを食うのは地元以外の他所から王都を訪れる旅人なのは間違いない。のだが、行商人の言う通り結局最後は自分が選択した結果に過ぎず、文句を言っても所詮は自己責任と言う事になる。


「真鍮の紛いモノには困らされるねえ、全く」


 前言撤回。自己責任といった傍からダグラスは愚痴を溢す。理解して納得する事と感情はまた異なると言う事だろう。


「おいっ、兄さん。止めてくれよ。王女殿下の陰口なんて、もしも近衛の方々の耳にでも入ったら......問答無用で投獄されて一生涯檻の中って事だって有り得るんだぞ」


 ダグラスとて馬鹿ではない。考えなしに愚痴った訳でなく、距離もあり、確実に聞こえぬと確信していたからの軽口であったのだが、王都に住むと言うだけあって行商人としては笑えぬ話。縁起でもないとばかりに酔いの冷めた顔でぐいっと酒を呷っている。


 アルフリーデ・ルメス・トリスタニア。


 真鍮の第三王女の存在は災いと同義。いや、王都の民にとっては災いそのものと言う事なのだろう。


「そんな湿気た話はもう止めようぜ。なあ、おっさん。俺たちはどんなに早くても暫くは此処で足止めだ。だから時間潰しに俺なんかに声を掛けて、こうして酒を振る舞ってくれてる訳だよな」


 なら、と。ダグラスは行商人の背中をぱん、と調子も軽く叩いて見せる。


「その旅慣れた様子は行商人とは言ったって、どう見ても王都の民って雰囲気じゃねえ。おっさんはおっさんで何かしら訳ありなんだろう? 袖振り合うも多生の縁っていうじゃねえか。此処は一つおっさんの自分語りを訊きたいね」


 酒が少し入っているせいもあるのだろうか、木像に刻まれた仏頂面の如くあったダグラスの表情の変化に......行商人は呆気に取られた様子を一瞬見せるが。


「なんだい兄さんも笑えるんじゃないか。けど、仏頂面よりよっぽどその方がええ。笑顔ってもんは良いもんさ。心からの笑顔でも、痩せ我慢の作り笑顔だろうとなんだろうと、笑い飛ばしてやろうって精神の強さは人外の化け物では持ち得ない人間だけの特権てやつさね」


 それが行商人が長年の経験から学んだ教訓。ゆえにその年相応にしわが刻まれた顔にもまた笑みが溢れていた。



 日没までにはまだ間があるものの、状況は変わらぬまま。日が落ちればこの辺りですら妖魔と遭遇する危険が増すだけに、旅人たちは王都までの距離を測りながらもざわめき始め。一方でダグラスと行商人は我関せずとばかりに酒を酌み交わしていた。


「おっさん。行商人ってのは......そんなに儲かるもんなのか?」

 

 女房と二人の子供を王都に残し一年のほとんどは地方の村を巡っていると答えた行商人に対する。それは素朴な疑問であった。


「妖魔の被害の少ない安全な中央では、大店おおだなが物流の相場を仕切っとって儂らの様な小売りは稼げんからな。四十も大分過ぎてから子を授かったのはええが、まだまだ小さい子らに毎日飯を食わせ、着るものを与え、文字を学ばせる。安全な生活が約束されている王都の如く大きな街は総じて物価も高く何かと金が懸かってな。女房に満足な子育てをさせてやる為には多少の無茶はせねばならんのよ」


「それで態々、地方まで足を伸ばしてるって訳か」


「領主の力が弱い地方では領都近辺の安全を確保するのが精々で、遠く離れた街や村などは物資の運搬も命懸け。ゆえに農村部などでは出向いてくれる儂らの様な行商人は重宝されてな。割増した値段でも飛ぶように売れるのよ」


 勿論の事。護衛などを雇っていては利益が上げられず、妖魔に遭遇して荷を失えば破産してしまうかも知れない。妖魔に襲われる危険が常に付き纏う。己の命すら天秤に掛けた商売が言うほどに割りの良い職業である筈がない。


 傭兵を生業としているダグラスは直ぐにソレと気付くが。


「地方の行商にはコツがあってな。金以外の何か大切なモノを持つ事だ。それが重要でな。それがない連中は積み荷を惜しんで妖魔相手に迷いを見せたり、利益を上げようと無謀な挑戦に駆り立てられたり......本当に簡単に死による。何よりも大事なのは己の命。命さえあれば儲けもの。人間何度だってやり直せるもんさね」


 自分が死ねば残された家族が路頭に迷う。そう思えば常に慎重になれるのだと。それがこれ迄も......そしてこれからも、生きて帰ってこれる理由なのだと行商人は笑った。


「なるほどね」


 と、柄にもなく感心するダグラスであったが......行商人の肩越し。街道の先から上がる土煙に気付く。それは前方からでなく後方から。


「それに地方の街で荷を買い付けていると色々と耳にする情報もあってな。些細な噂話程度でも組合が意外な値で買い取ってくれる場合もあって、それが良い小遣い稼ぎにも────」


「おっさん、どうやら頃合いらしいぜ」


 熱が入り周囲への意識が散漫になっていたのだろう、状況の変化に気付かない行商人の肩を叩いて立たせると、ダグラスは近付いてくる土煙へと視線を誘導する。


 見る間に接近してくるのは騎影。考えずともソレが先触れである事は誰の目にも明らかであった。


「聞けええっ!!!! 此より高貴なる方の車列がこの道を御通りに為られる。速やかに脇により跪いて頭を垂れよ。姫様の御尊顔を拝そうなどと不遜な輩には誅伐を与えん。貴様らはただ息を止め従順な子羊が如く威光に平伏して見送るように」


 先触れの騎兵は高らかにダグラスたちに告げると走り抜けていき。同時にその場に残る前方の騎士たちが反復するように文言を繰り返している。


 元々、さっさと済ませて欲しいと願っていたのは此方側の人間たちであったがゆえに、特に感じ入る必要もないのだが、逆らう者はなく皆がそれに素直に従っていく。勿論、ダグラスも。


 ──それを危機感の欠如と責めるのは、神為らざる人の身には余りにも酷と言うモノであっただろう。


 束の間の時を経て。


 馬群が近付く馬蹄の音が。複数の馬車の車輪の音が。周囲に満ちる喧騒と共に地面を見つめるダグラスの耳にも届く。


 ────瞬間。


 がくり、と両膝を地面に突いているダグラスが体勢を崩す程の振動が大地に走る。誰もが地震か、と予期せぬ災害を想起する中で......ダグラスだけが周囲に満ちて激しく唸りを上げるソレに気付いていた。


 傭兵として多くの戦場を駆けてきたゆえに、肌で感じるこの特有な感覚が放出された魔力の奔流なのだと。それも事象に干渉する程に桁違いなモノであるのだと。


 それに気付き見上げた刹那、ダグラスが見たモノは。視界の全て、見渡す限りの虚空に展開された魔術紋。それは恐ろしいまでに精巧で、魅入られる程に美しい......発現する時を待つ魔術の輝きであった。


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