ダグラス・エイヴリング

 見上げれば一面の蒼穹。街道沿いに広がる草原を駆け抜ける風が男の黒い短髪を細やかに揺らす。男が歩む石畳の道は僅かな登りの傾斜で先まで続き、地平を望めば遠望ながら王都スレイスヤードの荘厳な姿を映し出していた。


 日を見れば中天を過ぎ、傾き掛けてはいたがまだ高く、春先の気温は涼やかで心地良い。ゆえに歩く男の表情が億劫そうで何処か陰鬱なのは、気候や環境の問題ではなく性格的なモノなのだろうと推察できた。男の名はダグラス・エイヴリング。よわい三十二を半ばも過ぎて顔立ちと風体こそ垢抜けず、ぱっとした印象こそないが、注意を向けて観察すれば、中肉中背。くたびれた革鎧の内の体の線はくっきりと良く引き締まっていると気付けただろうか。


 緩やかな登りの終わり。下りに差し掛かる道の半ばでダグラスの足が止まる。足取りから見ても疲れが要因とは言えず、理由は視界の先に映す光景ゆえに。そしてこの場に留まる人影はダグラスのモノだけではなかった。


「ようっ、兄さん。暫く先には進めんようだぞ。此処でぼけっと突っ立っとっても暇だろうし兄さんも此方きてちょっと休憩せんか?」


 気安い調子の声がダグラスに掛けられる。促され傾けた視界の先に街道沿いの小ぶりな岩にどっかりと腰を下ろして招くように手に持った水筒を振っている小太りの男の姿があった。


 見た目ダグラスよりも大分年嵩としかさの年配の男。旅慣れた様子に身に纏う衣服。脇に置いている背負い袋。並べて見れば男が行商を生業とする商人であろう事が窺えた。


「遠慮せんと。兄さんの分もあるから」


 ほんのりと赤ら顔で予備の水筒に目配せを送る行商人。様子を見るに水筒の中身は水ではなく酒の類いである事は間違いないようだ。


「確かにただ酒を振る舞ってくれる御仁の誘いを断るのは無粋だな」


 相変わらずの仏頂面ではあったが、見た目の印象とは異なって付き合いの良さを見せるダグラスは誘われるままに行商人の下へと歩みを寄せると隣の岩に腰を下ろす。


「でっ、おっさん。アレは何の騒ぎなんだ? 真っ昼間に妖魔が街道を徘徊でもしてるのか」


 勿論、只の酒目当てと言う訳ではないダグラスは視線を坂の下へと向けて行商人に事情を訊ねる。映すのは三騎の騎兵が馬上のまま道に広がり、街道を塞いで通行を規制している穏やかとは言えぬ光景。幾人かの旅人が説明を求めて騎兵に話し掛け、複数人の人影が諦めたのだろう、脇の草むらに腰を下ろして待機していた。逼迫した状況ではないのか口論になっている様子は窺えないがダグラスとは距離が有る為に内容までは聞こえてこない。


「おいおいっ、兄さん。見た感じ、あんた渡りの傭兵さんだろ。そんな注意力で大丈夫なのかい」


 ダグラスに水筒を手渡しながら行商人は軽口を叩く。が、本気ではなく冗談なのだろう、その態度は変わらず友好的で。実際、行商人の人物眼は大したモノで正確にダグラスの素性を言い当てていた。


 長旅用の外套を纏っている為に目立たないが、ダグラスの右腕......正確には肘から手首に掛けて付けられた鉄製の籠手は飾りの為の物ではなく、刃を防ぐ盾の機能を果たす本格的なモノ。握った拳を覆う手甲部分も硬度の高い金属で出来ている。それは明らかに殺傷を目的に作られていた。


 加えて、荒事を生業とする人種の内でも妖魔を専門に扱う討伐者と対人を専門とする傭兵は異なる分野とされている。両方こなす頭のネジが飛んだ人間たちも居るには居るが、其々に相応の実践的な知識と経験が必要な為に、まずは生き残る事が第一とされる世界に置いて、己の生存確率を高める為にもそんな物好きは少数に過ぎなかった。


 行商人がダグラスを傭兵と認識したのも、生命力が高く強靭な外骨格を有する個体が多い妖魔を相手に人間の筋力のみに頼った打撃では致命傷どころかまともな傷を負わせる事すら難しいと知っていたゆえ。討伐者が好むのは高重量の大槌や大剣が一般的とされている事を含めてもダグラスが討伐者とは考え難い為。


 己の素性を一目で言い当てる事が出来るだけの知識と経験。そして洞察力。少なくともこの行商人にはソレがある、と。短い会話の内にダグラスは理解する。


 意外に食えない親父かもな、と胸中で思いながらも改めて行商人を一瞥するダグラスに特段に警戒や態度を変える素振りは見えない。傭兵だと素性を隠していた訳でもなく、始めて見るこの行商人に思い浮かぶ限り恨まれる謂われがなかったからだ。


 再度促される形で、今度は注意を払って騎兵へと眼差しを送り。見下ろす形の位置関係。開かれた視野だけに直ぐにソレと気付く。


「あの鎧の刻印......おいおい、アイツらまさか近衛騎士か」


 騎兵の鎧に刻まれた刻印は翼有る獅子。それはトリスタニアの国旗に象徴として象られる神獣の姿。


 紛れもなく王国を統治するルメス王家の家紋であった。


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