第三王女アルフリーデ
大陸の西方域。その全てを版図に治めるトリスタニア王国は列強最大の大国として、西方の雄として、大陸全土に名を知らしめていた。だが統一より百数十年。安定した治世が続く理由には泥沼とすら揶揄される大陸の情勢が大きく関わってもいた。
国境を接する中央域は大陸で最も数多の資源と肥沃な土壌を有するゆえに、その豊かさが生み出す争いは群雄割拠、歴史的にも統一国家の誕生を阻み。地政学的に見ても、寒候期が年の大半を占め、広大なれど土地は貧しく蛮族が台頭する北方域。豪商たちが権力を掌握し交易に主軸が傾き過ぎている南方域。多民族国家であるがゆえ、内紛が絶えぬ東方域。
それら民俗的、思想的にも大きな問題を抱えている国々に比べ、同様の問題はあれども民衆の意識的にも緩やかな西方域に統一国家誕生への土壌が整っていたのもまた歴史的経緯を踏まえても事実としてあったのだろう。
過去に学び現在を見ても、西方域を治めるトリスタニア王国の七代目となる現王は智王と称され、安定した
だがしかし。
隣の芝生は青々と見えるモノ。
内から覗けば悩ましい難題は山積し、望めども平穏などは遥かな道の先にあった。
★
トリスタニア王国。王都スレイスヤード──水晶宮──
国王が住まう宮廷には王族個人が所有する離宮が複数に及び存在している。この水晶宮もその一つ。長女にして王位継承順位第三位。ヴィクトリア・ルメス・トリスタニア。その誕生を祝い建てられた彼女の為だけの箱庭であった。
手入れの行き届いた庭園を望む長閑な日溜まりのテラスに一人の女性の姿が在る。陶器の杯に注がれた紅茶を傾ける洗練された所作は彼女の美しさを際立たせ。美姫揃いと讃えられる三姉妹の内でもヴィクトリアは別格と。今年で齢二十四。既に侯爵家に嫁ぎ夫との間に一子を儲けていても尚、咲き誇る薔薇の名は健在で。窓辺の反射が西方の真珠の尊称に恥じぬ美貌の主の姿を映し出していた。
「姉さん、此処に居たのか」
穏やかな時の終わりを告げる青年の声。ヴィクトリアはそろそろだろう、と予期はしていたが、最近は毎日の如く訪れる騒がしい弟の登場に落胆した様に紅茶の杯を置く。
「相変わらず騒々しい登場ね、アルフレッド。ご機嫌は如何かしら」
振り向くヴィクトリアの視界に自分へと歩み寄せてくる愛しい弟の姿が映り込む。
弟の為に新たな杯に紅茶を注ぐヴィクトリア。間を開けて彼女の向かいに座る青年の名はアルフレッド・ルメス・トリスタニア。継承順位二位を有するルメス王家の次男の姿であった。
「それで何の御用、と訊くのは野暮かしらね」
徐に用意された紅茶へと伸ばすアルフレッドの手が止まる。整った顔立ちに渋い表情を滲ませる弟の姿は殿方として観察すれば武辺者。ヴィクトリアの趣味ではないが、血の繋がる弟として見れば、その無骨さが可愛いものだ、と感じられ己の矛盾にくすりと笑みが漏れる。
「笑い話ではないよ、姉さん。いい加減父上をどうにかして欲しい。日和見主義の兄さんは相変わらず動かないし、姉さんしか父上を説得出来る人間が居ないんだから」
興奮気味に、ぐっ、と身を乗り出して距離を詰めてくるアルフレッドをヴィクトリアはあしらう如く流麗に身を躱す。
王国の剣聖が認める剣才。何れは軍を統括する総師の任を拝命するだろう、稀有な逸材は......今はまだ幼さと未熟さが垣間見え。しかしヴィクトリアはそれが姉である自分の前だけと知るだけに、姉弟ゆえの甘えと油断を敢えて諌めるような真似はしなかった。
「『あの子』の件から貴方は距離を置きなさい。考えなしに何度も何度も勢いだけで面会を望むから父上も理由を付けて貴方を遠ざけるようになったのよ。少しは兄上に倣って思慮の言葉の意味を学びなさい」
「そうは言うけど、もう一年......アイツが失踪してから一年だよヴィクトリア。とっくに死んでるに────」
「アルフレッド!!」
決まってる、と続く言葉は鋭い美声に遮られ。美しい眦もきつく。ヴィクトリアはアルフレッドを強く諌める。
「仮にもあの子は貴方の妹なのよ。血の繋がった......ね。不謹慎な発言は厳に慎みなさい。良いわね?」
普段は穏やかで優しいだけに、姉の剣幕に畏れ入ったのだろう、アルフレッドは素直に頷き口を閉ざす。
一見してヴィクトリアの行動は失踪した妹を案じる感情の発露。しかし真に彼女の胸中にある憂慮はアルフレッドだけのモノ。この水晶宮は自分の箱庭ではあるが何処に他の目や耳が有るか知れたモノではない。王宮とは多くの思惑が絡み合う伏魔殿。特に
その悪魔の名はアルフリーデ・ルメス・トリスタニア。継承順位第五位を有するヴィクトリアの末の妹。
アルフリーデに対して肉親の情はある。愛していると言葉に出す事に躊躇いはない。だが......それでもヴィクトリアは妹の死を願っていた。死んでいて欲しいと祈っている。それは国の為。民衆の為。家族の為。何よりあの子の為に。
トリスタニアの歴史に置いて災厄の子と。悪しき名と業をこれ以上刻ませぬ為にも。あの子にとって死とは救いであり最良の結果であったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます