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とんとんっ、と満足げにテーブルを指で叩き、アフリーは報酬が入った皮袋を懐に仕舞うと僅かに間を空けて美しい面貌を上げた。浮かべる満面の笑みは一片の翳りなく可憐で愛らしい。それが自然に齎された感情の発露の現れであるならば、好感以外の感情を差し挟む余地のない花の如く笑顔と言えるのだろうが......。村長は既に事前にロッテンから同行したアフリーに対する印象と憂慮を訊かされている。ゆえに芽吹いた不安の種は別の感情を呼び起こし眼前に映る可憐な花の二面性にゾクリと背中を震わせた。
勿論の事、ロッテンの人物眼が必ずしも正しいとは限らない。看破の魔術ではあるまいし、専門的な知識や訓練を積んだ訳でもない只の農民の主観的な印象を鵜呑みに判断するのは普通に考えれば馬鹿げた話であるだろう。
だが、多くの事柄が自己完結される、この狭い
ロッテンは村の青年団を纏める。言わば次の世代の中心的な存在。村長は彼を定期的に訪れる行商人との交渉の席にも欠かさず立ち会わせ、一部の取引を任せる程に信頼を寄せている。実際に目端が利くロッテンは村長の期待に良く応えていると言っても良いだろう。ならば、村長にとって考慮するべきは、大事は、信じる事であり、求めるモノは必ずしも正しさではない。
「報酬は確かに」
と、花の音色が村長に告げた。
銀貨を確認し終えたアフリーは特に雑談を交わす気はないのだろう、早々と席を立つ素振りを見せる。受ける印象が華やかで友好的なだけに、この淡白で性急にも思える行動は違和感を覚えさせるもの。しかし社交的な演技をして見せても本質は異なるのだとすれば納得出来ぬ事もないと。未だ見た目の印象に引き摺られそうになる村長はそう思い直す。
「では今宵はこのまま我が家にお泊まり下され。見ての通りの老骨ゆえ満足な歓待も出来ませぬが、夕食と寝床くらいであればご用意出来ますゆえな」
窓を見れば既に日は大きく傾き始め、宿がある最寄りの街は徒歩であれば成人の男でも半日は掛かる。今後の関係性を思えば村の恩人を妖魔の活動が活発になる日暮れの街道に放り出すような真似など出来る筈もない。他に選択肢がないゆえに覚悟も準備も迅速で。事実、既に村長は娘夫婦と孫を親類の家へと避難させていた。
「ああっ、それはお気持ちだけで結構ですよ。私に何時までも村に留まられては落ち着かないだろうし、何より迷惑でしょ」
「そっ......そのようなことは」
「いえいえ、使徒なんてモノは本当に録でもない代物だし、幸いにして近隣の街までは大した距離じゃない。懐も温かくなった事だし、私としても今晩は派手に騒ぎたいですしね」
悪感情の欠片すらその表情からは窺えず、崩れる事のない微笑みをアフリーは村長へと向ける。此方の事情と感情を理解していて尚、気遣いを見せる少女の態度に隙はなく、其処に好感以外の心証を抱きようがない。流石にロッテンへの信頼が揺らぐ......とまでは言えないが彼女への評価には何か誤解があったのでは、と疑いを抱く程度には村長の心を揺らがせる。視界に映す可憐な花はそれ程に魅力的で好感の持てる存在に見えていた。
しかし......この場にはアフリーに対して村長とはまるで異なる印象を受けていた者が居た。語るまでもなくロッテンである。
村から半日も掛かる街までの距離を大した事はないと言い切り、妖魔が跋扈する夜の街道を散策するが如くまるで意に介さぬ言動に。ロッテンが抱くのは背筋に滲む畏怖が齎す冷たい汗と......抑え切れぬ劣情にも似た興奮であった。彼女の強さを実際に目の当たりにしていたゆえに強く、強くそれを意識する。
妖魔を路傍の石の如く扱える程の。夜間でも......例え光すら届かぬ闇夜であっても怯る事なく生きられる力。持たぬ者が持つ者に抱くのは焦がれる憧れと激しい嫉妬。若者ゆえにロッテンの胸に灯る
「待って下さい。契約の内容をもう一度確認させて貰いたいんですが」
既に席を立っていたアフリーをロッテンは呼び止めていた。予期せぬこの行動に村長は嗜めるような眼差しを向けるが、それに気付ける余裕は今のロッテンにはない。
アフリーは全ての村に対して安価で妖魔の討伐を請け負う代わりに必ず一つの条件を提示する。それはアフリーが個人の窓口を持つラノアの街の組合に一人の魔術師に関する情報の提供を要請するもので。特異的ではあれど概ねその条件を拒む村は存在しない。何故ならば言葉で受ける印象程に敷居が高いものではなかったからだ。
この先、もし得られた場合で構わない。この文言のお陰で条件を満たせぬ村は存在せず、定期的な報告義務も『情報なし』の一文だけで済まされる。ラノアまでの早馬に相応の金額は懸かりはするが、街に組合が常設している寄り合いの早馬であれば値も安く然程の負担にはならない。何よりこの先幾度となく依頼する事になるだろう、アフリーとの間に直接的な連絡手段を得られるのだから寧ろ村側が断る理由を探す方が難しい。
アフリーが情報を求める理由は兎も角としても、少し知恵が回る者であればこの仕組みの意図は明らかで、本当の目的が地方の村を定期的に訪れる行商人たちである事に気付けただろう。多くの街を巡り仕入れた品々を村に売り納める行商人たちは大なり小なり足の早い生きた情報を得られ易い。内容自体も得意先である馴染みの村人に気軽に問われれば応じるに難しいモノではないだけに、効率的に地方の村を繋げる事でアフリーは各地の行商人たちによる情報網を確立させていた。それは金銭には換算出来ぬ貴重な財産。仕組みとしては単純。発想としても奇抜さはない。然れどそれを可能とさせている要因が使徒としての力ゆえに誰しもが簡単に真似が出来る代物ではなかった。
「ふうんっ、それで何を確認したいって?」
既に結ばれている契約に今さら予断などあろう筈もなく、村長ですらロッテンを諌める様子を見せる中、問い返すアフリーの表情は揺るがない。たおやかな花の微笑みは絶えず美しく、僅かに細められた眼差しがロッテンを見据えるのであった。
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