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  使徒の存在が大陸史に登場してから現在に至るまで。未だ発生から転化に至る過程プロセスも齎される事象の理由すらも何一つとして解明されてはいない。それでも、と注釈を付けるとすれば、長き時を経る事で移ろいながらも変わっていったモノもある。


 それが使徒に対する解釈である。


 当初、妖魔の上位種として混同されていた使徒の存在は、数百年と言う時間の経過の内に起きた人間と使徒による数多の争いと軋轢の果て、軈て共存と呼ぶべき一つの帰結を迎える事になる。


 理由は複雑にして明快。


 長き時、使徒を巡る様々な事例ゆえに。


 多くの村を襲い人間を喰らっていた妖魔が使徒に昇華した事で人語を理解し知性を得る事で人間との共生への道を示し著しく被害が沈静化したと記された書物。


 徳の高さで知られていた高名な司祭が使徒に堕ち、己が住まう街一つを滅ぼす程の虐殺に手を染めたとされる文献。


 歴史と共に語るに多く。様々なれど酷似した使徒との接触を経て、人間たちは一つの事実に気付き学ぶ事となる。使徒そのものに善も悪もなく......全ては獲得した個性に起因するのだと。使徒とは全ての生命が『成り』得る可能性を秘めた事象の名前なのだ、と。


 そして現在。


 決して希少と呼べぬ数にまで至った使徒との関係は、打算的で複雑に利害が絡んだモノへと定着していた。害獣である妖魔とはまるで異なる人外の存在として、決して人種ひとしゅの同胞とは認めずとも......それでも人間の営みの内に共生する存在として。



 コダス村。――村長宅――


 村の規模として決して大きくはないコダス村は牧畜と農業を生業とする地方の農村であった。其処に目新しさはないものの、牧歌的で馴染みの深い光景は、地方の利点を活かした見渡す限りの田園と牧草地。しかし見渡し見れば土地の広さに比して村を形成する戸数は多くはない。


 その原因は明らかで。


 日中の街道ですら妖魔との遭遇に怯えねばならぬ地方領......中でも農村部の置かれた現状は長閑な風景とは裏腹に過酷さを秘めていた。地方を治める領主たちの経済力では領地全体を守護するだけの兵員を常設するに敵わず、王都近郊や自衛を可能とする規模の街との格差は広がるばかり。


 村を襲う野犬や狼の被害であれば家畜や農産物の被害で済むだろう。だがソレが妖魔であれば奪われる命は人間のモノ。それは親しい隣人。或いは己の命、家族の命かも知れない。誰かの埋葬に立ち会うたびに明日は我が身と誰もが強く自覚する。追い払えぬ脅威ゆえに人々は日々の日常に。夕暮れの薄闇の先に不安を抱き恐怖する。それら蓄積され続ける緊張感ストレスは若者たちを中心に安全な中央への憧れと希望へと成り変わり。軈ては愛着のある故郷を捨てさせるに十分な動機と成り果てる。


 大陸列強の内でも屈指の版図と豊かさを誇る大国トリスタニア。その礎であり土台を支える地方の穀倉地帯は過疎化の一途を辿っている。その顕在化した如く光景が其処には広がり。ゆえにだろう、村長むらおさの邸宅とは言えど、平屋の広間は簡素な佇まいを見せ、見渡せど値を張る逸品の如く品々は見当たらない。室内はいたって質素。それは文字通りに村の内実に則したモノであるとも言えようか。


 暖炉を隅に中央に置かれた木製のテーブル。広間に人の気配は三つ。向かい合う形でアフリーと村長が座り。村長の隣に控えて立つロッテンの姿が垣間見える。


「この度は有り難う御座いました」


 丁寧に頭を下げる村長に対してアフリーは鷹揚に手を振って応えて見せる。が、意識の大部分は小さな皮袋から覗く銀貨にいっているのだろう、対話に重きを置くといった意識はアフリーの側からは見て取れない。


 依頼主と討伐者。


 人間と使徒。


 両者の関係性に定められた優劣は存在しない。それは時と場所。各々の事情や状況で立場が様変わりする希薄で移ろい易い代物。ゆえにこの場にあって小娘の如く外見で、しかも人外の化け物である筈のアフリーに対して丁寧で礼を重んじている村長やロッテンの対応は当然、極めて打算的で間違えても心からのモノではない。例え胸中に無意識の反感や拭えぬ畏怖があろうとも、アフリーに対して敬意の欠片すら抱いてはいずとも、彼らにはないがしろに出来ぬ事情が別にあるのだ。これはコダス村の、と言うよりは地方領全体が抱えている問題と言い換えても語弊は生じぬだろう。


 報酬の銀貨を指で摘まんで数えているアフリーの姿が村長の視界に映る。映す銀貨は枚数にして十枚。それは貨幣価値に換算して十万ゴルダ分に相当するモノ。それは妖魔一体の討伐報酬としては、まさに破格の金額であった。彼らにとって良い意味で、と言う注釈を其処に欠かす事は出来ない。


 妖魔と一括りに語っても、人間と同様に明確な個体差は存在する。人間の高名な騎士や勇猛な戦士が強者であるように、妖魔の脅威度にも大きな高低と差異がある。そして脅威度の低いとされる個体であっても高額の手数料が掛かる組合に依頼すれば最低でも五十万ゴルダは下らない。組合を通さず交渉すれば値は下がるが多くのリスクを抱える事となり、それでも相場を見れば三十万を切る事はないだろう。


 領主に嘆願しても遅々として対策が進まぬ中、多くの地方の村では高額の依頼料が必要な妖魔の討伐に懸かる費用は少ない蓄えを圧迫し、結果として犠牲や被害が出てから対応するしかない後追いの対応は精神的にも金銭的にも村人の生活を苦しめていた。いや、はっきりと言えば地方領全体の農作物の出荷量に反して富める村が少ないのはそれらの事情が主たる要因と言っても過言ではないだろう。


 そんな中、登場から僅か一年足らずでアフリーが地方領で名を広める事となるのは、彼女にとって最適な土壌、適した環境下であったがゆえの必然であったと言わざるを得ない。地方でしか通じぬ知名度なれど安価で妖魔の討伐を請け負う彼女の需要は日増しに高まり続けている。


 依頼を受ける条件として、隻腕の魔術師の情報を求める謎めいた素性と、使徒であるがゆえに無意味な事柄ではあれど、見目整った少女の身姿は、暗い話題に事欠かぬ地方の人々の希望とはなれずとも、使徒に対して信頼などは抱かぬゆえに、それはある種の慰めにも似た道化の役割を果たしつつあったと言えるのかも知れない。

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