使徒アフリーと黄銅姫の夜想曲

ながれ

落日の始まり

使徒アフリー

 魑魅魍魎、妖魔と呼ばれる獣の被害は大陸全土にまで及び、人の世の歴史に存在を刻んでより数百年。街道で林道で。時には村や街を襲い人を喰らう妖魔とは血肉に飢えた人喰いの化け物。人間たちの営む社会を壊し蝕む、それは理性に乏しい悪しき害獣。そんな最悪がなにより身近な脅威として人々に周知され、争いの絶えぬ荒れた世ゆえに悪鬼は生じ広がる混沌は未だ収まる気配を見せない。




 トリスタニア王国。――西部地方領コダス村近隣――



 草原に轟く雷鳴の如く炸裂音。


 瞬時に視界を過る黒い塊を前にして村の若者......ロッテンは目を見張り。束の間の思考の空白を埋めるが如く一瞬の攻防の後に呆気なく迎えた顛末を追って過ぎ去った残影へと首を傾ける。向けた視線の先、勢いのままに大樹へと激突した妖魔の四肢は千切れ飛び、大地に伏せる潰れた残骸から流れ出た黒血が血溜まりを作り出している。農夫として力仕事に慣れたロッテンの立派な体躯。その腰回りの倍はあろうかという大樹の幹が伸びる先からへし折れ掛けている事からも一撃に込められた破壊力の凄まじさの一端を物語っていた。


「ふうっ」


 呆然と佇むロッテンの耳にころりと鳴る鈴の音が届き、妖魔と対峙していた主の些細な仕草に触れた彼が、内に抱く恐れに反して彼女へと視線を移したのは立会人としての強い義務感も動機の一端としてあったのかも知れない。


 絶命した妖魔の残骸を見下ろし息を付く少女の姿。年の頃にして一四、五歳であろうか、黄金の髪を腰まで流し見据える眼差しは澄んだ泉の蒼を湛える。整った目鼻立ち。幼さを残しながらも流麗な立ち姿。凡そ場違いなこの深窓の令嬢の如く風情を漂わす少女が打ち振るった拳の一振りで妖魔を粉砕したのだと誰が信じられただろうか。だが居合わせぬ者には決して理解が及ばぬ異様な光景を、それでもロッテンは正しくこの状況を認識していた。何故ならば少女に妖魔の討伐を依頼したのは村の総意。村長の独断では決してない事は立会人に自ら志願したロッテンが誰よりもそれを良く知っていたからだ。


 ならば解答こたえは一つだけ。


「この種の妖魔はなまじ生態系の上位に居る為に人間に対する警戒心が欠如してる輩が多いんだ。まして人を襲いその血肉の味を知った連中は尚の事、慎重さの欠片も見せず街道まで姿を見せるようになる」


 気さくに説明してくる彼女は......人より堕ちしモノ。ゆえに一般的な常識も倫理観も理解すらも彼女には当て嵌まらない。人外へと変転したモノには最早性別も容姿も年齢すらも意味を為さないからだ。その能力は人間の臨界を越え。ゆえに人々は彼女の如く存在をこう呼称する。


 人より堕ちし者。


 妖魔より昇華せしモノ。


 悪しきにして善なる――使徒と。



「あの......アフリーさん?」


 腰に携えていた短剣を抜いて妖魔の残骸へと歩みを進めるアフリーと呼ばれた少女は掛けられた戸惑う声音に背を止める。諫められた訳ではないが、声の調子から何かに気付いた様子が見えた。微妙な空気の原因はロッテンにしてもこれから彼女が何をしようとしているのかは知識として理解をしていても、初めて接する使徒という存在に対しての畏怖が勝ち、その行為が不必要だと断言出来る自信が湧かず知らず曖昧な調子になっていたからだろう。


「ああっ、君は立会人だったね。なら他の証明は必要ないのか」


 組合からの斡旋であれ直接的な依頼であれ、討伐者が報酬を得る為には賞金の懸かった妖魔の固有の部位を持ち帰る事が必須条件とされている。確実に絶命させたと証明する。不正に対する防止措置ではあるが、この面倒な手順を省略する方法も一つだけ存在する。それが今回のように立会人を同行させて目視による確認を行う事であった。この手法が一般的ではない理由は語るまでもないであろうが、立ち合い人、見届け人。呼び方は様々なれど依頼側の人間が妖魔と対峙する危険を負わされる為である。ゆえに今回の様に組合を介さない突発的な依頼。所謂、両者の間の信頼関係に疑問符が付く場合にのみ往々にして見られる光景であったと言えるであろうか。


「なら戻ろうか。お互い日が傾く前に終われて幸いだったね。うんっ」


 花の如く少女の微笑み。自分に向けられる少女の好意染みた態度にロッテンが抱くのはちぐはぐな......まるで出来の悪い舞台役者の演技を見せられている。そんな違和感。


 彼女の取り繕ったが如く友好的な態度が。


 恐らく意識して作っているのだろう、奔放で愛らしい口調が。


 豊かで飾らぬ表情の全てが。


 彼女が他者に見せる全ての印象が余りにも作り物めいている。


 それは眼前で見せられた驚異的な戦闘能力ゆえでなく。地方で未だ根強い使徒に対する偏見ゆえでなく。近しい表現を探すなら例えて好感を抱かせようと演技を止めぬ詐欺師に抱く不信感に近い感情と言えようか。


 人間でないモノが人間のふりをしている......そんな拭えぬ感覚を抱かせる。それが愛くるしい少女の身姿をした彼女......使徒アフリーに対するロッテンの正直な印象の全てであった。


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