3 パイシート

 わだかまり。違和感。消化不良。

 由香里の話を聞いて、私の内側の混迷は深まった。藤の自殺未遂に対して、由香里の説明は一方的過ぎる気もした。単に私が納得していないだけかもしれない。彼女たちの本性は、私が思い込んでいたものとはあまりに違っていたから。

 事の真相を確かめなくてはならない。由香里を疑っているわけじゃないけれど、どうしても腑に落ちないのだ。自殺にも、色恋沙汰にも。

 高嶺くんが認めた時点で、疑いもなにもないのだが、私自身が藤の本性を認めたくないだけの悪あがきなのかもしれない。だからこそ、自分で確かめたいのだ。

 なぜ自殺にいたったのか。

 なにを見せようとしたのか。

 人伝の話じゃなく、私が事実をもとに知らなければならない。

 それが本当の藤に迫る方法だろうから。彼女が無事に目を覚ましたら、答え合わせをしよう。

 探偵好きの藤を真似するなら、こうだろう。

 Why done it ?

 なぜ、おこなったのか。

 自殺に至る動機。浮気、二股に至る過程。なぜ、メッセージを送ったのか。

 解き明かすべき問題は多い。


 手始めとして、私は目撃者を探すことにした。由香里の話のなかに、藤と高嶺くんがZOWにいた現場を目撃したひとがいるという情報があったはずだ。あの画像が合成でなければ決定的だが、あの場面だけを切り取って語るのは事実を歪曲することにもなりかねない。噂自体は広まっている話であるようだし、友達の友達から聞いた、とかいう目撃証言でなければ、辿り着くことは可能だろう。

「うん、見たことあるよ。その目撃談って、たぶん私の話だと思う」

 翌朝の教室で、隣の席の諏訪さんは頷いた。調べはじめで早々にあたりをひく。藤が自殺しようとした動機を知りたいのだと言ったら、彼女は私を気の毒に思ってか、真剣に話を聞いてくれた。

 他の生徒たちも噂のことは知っており、自殺の原因も痴情のもつれ的なことだと思っているようだった。私が世間の風聞に疎すぎるのは言わずもがなだが、他の子たちは噂を鵜呑みにしすぎなきらいがあった。

「先週かな。ほら、先生の都合で20分ぐらい早く終わった日があったでしょ。職員会議だとかで。ちょうど吹奏楽部も休みだったから、ホームルーム出ずに帰ったの。私、帰り道がZOWの方向だから、前を通ったときに偶然見つけちゃって」

「何時ごろの話?」

「う~ん、授業終わりが4時過ぎで、自転車だったから、15分か20分ぐらいじゃないかな。限定アップルパイ食べていたみたい。窓から見えたの」

 窓から見えた、という言葉に引っ掛かりを覚える。脳裏に浮かんだのは、あの画像だ。気になったのは高嶺くんの座っていた位置。窓際に張り付くように身を寄せていた。通りに面してはいるが、カーテンと壁に遮られて外からは確認しづらいはず。まして諏訪さんは自転車で通り掛かっただけ。

「前を通ったとき、一度止まって確認したってこと?」

「ううん。道路を挟んで反対側だったし、ちらっと見えただけ。元から噂もあったし、紅崎さん目立つから、遠目でも見間違えないよ」

「高嶺くんの姿もはっきり見た? 見えたのは藤とアップルパイだけじゃない?」

 私は件の画像をみせて、高嶺くんを示す。

「この位置にいたなら、外から見えないんじゃない?」

「そう言われてみれば、そうかも。でも、アップルパイは確実にふたり分見えたよ。向かい側の席にも置いてあったし、それは間違いないよ」

 諏訪さんは私の食いつきに対して、不思議そうな顔をした。私自身もなにがそこまで気になるのかわからない。確認できたことは、一週間前にZOWでアップルパイを食べている藤がいたこと。画像の確かさを強めただけで、藤の素行を否定するものは聞けなかった。


 昼休みになり、私は普段寄りつくことのないグラウンド近辺をうろついていた。高嶺くんに直接話を聞くためだ。とはいえ、隣の教室に入ってまで声をかける度胸はない。彼が昼休みに練習することもあると小耳にはさみ、偶然のバッティングを期待してさまよっていた。

 グラウンドに併設された運動部のクラブボックスまでくると、ちょうど部室から出てきた春川茜を見つける。私の記憶が確かなら、サッカー部の女子マネージャーのはずだ。一年のとき同じクラスだっただけでほとんど親交もないけれど、背に腹は代えられない。直接高嶺くんに話しかけるよりも幾分ハードルが低い。

「あの、ちょっといいですか?」

「あなた、紅崎藤の取り巻きの……なにか用?」

 彼女はつっけんどんな態度で私を見る。サッカー部の女子マネは、高嶺くん目当てで入部したという話もあるぐらいだ。お付き合いの噂もさることながら、自殺の一件で藤への心証がすこぶる悪くなっているのが手に取るようにわかる。春川さんから発せられる視線には、敵意がふんだんに含まれている。

「藤と高嶺くんの噂のことを詳しく知りたくて。なにか知っていることがあれば、教えてもらえたら」

「ふん、自殺で気を引くことしかできない子のくせに。噂なんて本当なわけがないわ。アレね、私もみたけど、合成に決まっているじゃないの。昂生くんの優しさに付け込もうとして、やらしいったらない」

 歯に衣着せぬ物言いをする彼女に、語気だけで気圧される。

「第一ね、昂生くんが学校帰りにZOWに寄る暇なんてあるわけないでしょ。練習は絶対に休まないし、誰よりもはやくグラウンドにでる。サッカーに真剣なの。だからマネージャーである私も、こうして昼休みのうちに準備しているわけ。昂生くんがいち早く練習に集中できるようにね。わかる? 昂生くんのことを一番に考えて、つくしているのは私らマネなわけ。それを横から……明田小夏の噂が消えたと思ったら、今度は紅崎藤? 冗談じゃないわよ」

 それを私に言うのは完全な八つ当たりで、色恋沙汰とマネージャーとしての献身は本来別物じゃないのか、と思ったけれど、すんでのところで口をつぐむ。

 彼女の口から出た別の噂、という新しい情報のことが気になった。

「前にも噂になったことがあったんですか?」

「一年の頃の話。あのときは、確たる証拠もなかったから、本当に噂レベルだったけど。しょうがないの、昂生くんのかっこよさに対する税金みたいなものだし。でも厄介だったのは、噂のせいで却って本気になった明田小夏だわ。あのストーカー女、しばらく昂生くんに付きまとって、私たちがガードしなかったら大変なことになっていたかも」

 どうやらサッカー部の女子マネージャーたちは、淑女協定を結び抜け駆けを防止する一方で、他の女子たちを寄せ付けないように高嶺くんの近辺を固めていたようだ。はっきりいって、虫よけというより監視だ。性格上無下にもできない高嶺くんは、さぞ息苦しい思いをしていただろう。その上で、彼女らマネージャーにばれないよう関係を保っている由香里は、相当なやり手ということになる。別の噂が出てきたのに、由香里の話は一切出てこない。由香里とて日陰者のオタクだから、ありえないと見過ごされている可能性はあるが。

「もういいでしょ」

 春川さんは道具を抱えて背を向ける。私は背中に軽く頭をさげ、その場を退散する。私の方も、春川さんに探られたら、言わなくていいことを喋ってしまいそうだった。サッカー部の女子マネは、想像以上に危険な組織だ。由香里のことが明るみにでれば、由香里はもちろん、親しい私もただではすむまい。

「まあでも、紅崎藤が男と付き合うなんて、信じられないのよね」

 春川さんは背中越しにぽつりとつぶやく。

「どういうことですか?」

「どうもこうも、あの子の母親、父親の浮気で自殺したのよ。小学校も一緒だったから、知っている子も多いはず。口さがないPTAのお母様方は、噂話が大好きでしょう。人の口に戸は立てられないってね」

 春川さんは捨て台詞を残して去って行った。私の知らない藤のことを。


 私は諏訪さんと春川さんから聞き集めた情報を整理する。会話を思い出しながら、要点を手帳にまとめていく。

 諏訪さんの話によると、目撃情報は一週間前のこと。七限がはやめに終わったことから、ホームルームに出ず下校。16時15~20分ごろ、ZOWの窓に藤をみかける。みえたのが藤だけなのか、藤と高嶺くんなのかは、記憶があいまいで断定できない。ふたり分のアップルパイが注文されていたという、新しい情報もあった。

 春川さんからは主にみっつ。

 高嶺くんは部活にいち早く参加し、休んだことはない、ということ。

 この点に関しては女子マネージャーの結束と強い監視体制を信頼して、間違いのない情報だろう。いつも早く来る高嶺くんが遅れて来るようなことがあれば、水面下での探り合いや調査という話になる。春川さんからは、それぐらいの強い執着心が伝わってきた。一種のアイドル親衛隊的なものだろうか。

 もうひとつは、一年の頃に噂になったという明田小夏。噂が彼女の恋心に火を点け、春川さん曰くストーカー化したという。彼女がまだ諦めていないなら、画像の撮影者という線も考えられる。ただ、こちらに関しては、いまはまだなんとも言えない。

 最後に、藤の両親について。藤の母親の自殺は、父親の浮気によるもの。真偽については藤以外に確かめようもないだろうが、春川さんは確信のある口調だった。この件についても、小中学校の藤を知らない私には判断できそうもない。手帳には真偽不明の文字を書き落とした。

 私は手帳に箇条書きにした情報を眺めて、由香里の証言を再考する。諏訪さんと春川さんの話は、由香里の証言より精度が高く、知り得なかった情報も含まれている。

 春川さん曰く、高嶺くんは部活の練習のために、ZOWに行く暇はない、と言っていた。部活にいち早く参加するということは、ホームルーム終わりすぐグラウンドに出ているのだろう。七限終わりが16時20分で、ホームルームが10分あるか、ないか。少なくとも16時30分過ぎにはグラウンドにいるということだ。

 限定のアップルパイにありつくためには、七限をさぼり、ZOWの店内で16時を迎える必要がある。ZOWまでは徒歩20分。自転車で急げば10分は切れるかもしれない。オーダーからサーブに5分かかったとしても、10分は食べる時間がある。諏訪さんの目撃時間も16時15~20分。そのあとすぐにZOWを出れば、ぎりぎりで部活開始に間に合う。一番早いかはわからないが、女子マネージャーたちに不審がられない時間には、グラウンドにいることができる。

 いや、そうじゃない。

 ここまで考えて、私は自分の見落としに気が付く。高嶺くんはその日に限って、ZOWにいることはできなかったはずだ。なぜなら、その日は授業がはやく終わったから、だ。職員会議という都合上、私たちのクラスだけ早く終わる、ということはない。その日の部活開始は、授業の切り上げがそのまま反映されて20分早まる。つまり、16時10分。とてもではないが食べている時間はないし、部活開始までに戻ってくることはできない。

 やはり、諏訪さんは高嶺くんをみていない。

 一週間前の目撃証言と、画像はまったく別ものだということになる。

 私のなかの疑いが、突如として強く立ち上る。本当に浮気や二股など存在したのだろうか。春川さんの言い残した、『男と付き合うなんて信じられない』という台詞が信憑性を持ったように近づいてくる。

 まだ目撃証言と画像が別だと分かっただけだ。目撃時に藤は誰かとアップルパイを食べていたが、その相手は高嶺くんではなかった。だが、そのことがどう繋がるのかはわからない。一番決定的な画像の事実や、高嶺くんの自白が崩れなければ、由香里の話を否定することにはならない。

 私はスマホに例の画像を表示させる。何か見つからないかと、拡大して細部まで観察する。今度は疑いの目をもって、なにかを見つけようとする。はじめてこの画像を由香里に見せられたとき、違和感を覚えた気がした。その感覚はいまも消えていない。しかし、なにに引っ掛かりを覚えているのかがわからない。

 窓際の座席に座るふたり。表情、格好。テーブルの上のグラスにはいった水。閉じられたメニュー。

「そうか、メニューだ」

 私は違和感の正体を声に出していた。

 メニューがテーブルの上にあることがおかしいのだ。

 ZOWは注文をとったら、店員がメニューをさげる。しかし、テーブルの上にはメニューが乗ったままで閉じられている。店員がオーダーをとりにくるのを待っている場面なのか。よほど常連でなければ、普通オーダーする際にはメニューをみながらするものではないだろうか。

 もうひとつ気になっていたのは、高嶺くんの座る位置だ。わざわざ壁際に詰めて座っている。私ははじめ、誰かに見られないようにそうしているのかと思ったが、荷物の位置が不自然になる。壁と体の間に押し込むように置いてあるのだ。普通なら、空いている通路側のスペースに置くのではないだろうか。

 放置されたオーダーと不自然な座り方。もしかすると、三人目がいるのかもしれない。藤と高嶺くんともうひとり。三人の待ち合わせで、先に到着したふたりが店内で三人目を待っている。それがどこの誰かは検討もつかないが。

 ひょっとすると、明田小夏のストーカーと関係している可能性もみえてきた。藤は同好会をつくってまで探偵をしている。自身でも言っていたではないか、『ストーカーの特定も請け負ったりしたかな』と。藤にストーカー調査の依頼をしようとしている場面と考えられなくもない。

 どちらにせよ、高嶺くんが認めたという話と矛盾している。

 やはり、高嶺くんに直接確かめる必要がある。

 昼休みの終わりをチャイムが告げる。私は手帳と見つけた手掛かりを握り締め、駆けだしていた。

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