ライム・スクエア

アンビシャス

ライムスクエア

 あなたを吊るしあげるなんて、私にはとっても簡単なことだった。

 だって、あなた嘘が下手なんだもん。


「はい、人狼は……仁志でしたぁー!」

「くっそぉー! 一回も勝てねぇー⁉」


 放課後、仲良しグループでいつもやる『人狼ゲーム』。

 あなた一度も勝てなかったね。仕方ないよね、だってあなた嘘つくと、自分の眉毛撫でるもん。


 みんなは知らない、私だけが知ってる必勝法。

 あなたにだけの必勝法。


「卒業するまでに……一回くらい勝ちたかったなぁ」

「そうだねぇ~残念だったねぇ~」

「お前のせいだろがぁ~~~!」

「きゃはは!」


 放課後の帰り道、あなたは私の髪をくしゃくしゃに撫でようとしてきたね。

 ひどいなぁ、せっかく綺麗にしてきたのに。あなたの隣を歩くために、オシャレしてきたのに。


 高校2年の夏から卒業の今日まで続けてきた私の努力。あなたは無邪気に気づかず、私の髪に指を差し込む。


 夕日に染まる川沿いの土手で、私はぴょんと爪先で立つ。

 踵を降ろした拍子に、くしゃくしゃに乱れた髪が跳ねる。

 おでこに付けてやった私の反撃に、彼の顔色が夕陽になる。

 おでこを擦って俯くあなたの横顔をニヤニヤと見つめる。

 でも不意に、あなたは顔を上げた。


「ん? なんか匂わない?」

「どんな?」

「甘い……キャンディみたいな」


 惜しいなぁ。

 鼻を鳴らすあなたに見つからないように、私は口元を抑えてほくそ笑む。

 唇から香るライムキャンディの香りが、手の平の中にこもった。


 私のオシャレにやっぱりあなたは気づかなくて、呑気に「キャンディを買いに行こう」と私に笑いかけた。

 私は目を細めて、微笑みを返す。

 ——この時に気付けば良かった。


 あなたの笑顔が見えなかったのは、夕暮れのせいじゃなかった……って。


 2人で上京してすぐ、

 最初は小さかった四角が、どんどん大きくなって、視界を塗りつぶしていく。

 それでも気にしてない振りをして、仕事を頑張った。

 頑張るしかなかった。

 もう養護施設へは戻れない。

 巣立ちをしてしまった。

 22までに生計を立てないと、でないと。


「今まで頑張ってくれたんだから、今度は俺が頑張るよ」


 四角く欠けた視野に、2人で借りた部屋と眉毛を撫でるあなたが映る。

 私は仕事を辞めさせられてしまった。あなたは大学を辞めた。

 へたり込んで、ごめんしか言えなくなった私の頭を、あなたは撫でた。


「大学の先輩がさ、割の良い仕事教えてくれたんだ。最初は全然かもしれないけど、頑張り次第で幾らでも稼げるようになるって!」


 ワックスで固めてパリッとカッコ良くなったけど……あんまりにも似合ってなくて、思わず笑っちゃった。


 ブランドもののジャケットを羽織った背中を見送る。微かに漂ってくるワックスの匂いが胸をもやもやさせた。


 それを振り切るために、私は部屋の掃除を始めた。洗濯して、料理して、少しでもあなたが楽に過ごせるように、部屋の中をパタパタと歩き回った。

 視野が欠けても、意外となんとかなるものだと思った。


「疲れたー」と言って帰ってくるあなたを出迎えるのも、なんだかいつか過ごそうと思った日々が早まっただけのように思えた。

 最初は、そう思えた。


「——治らない?」


 欠けた視野は二度と元に戻らないと知った。


 できることは、視野がこれ以上欠けないように点眼薬と注射を差すだけ。

 あなたが夜を越えて得たお金は……泡のように消えていく。


 毎日あなたがつけていくワックスの匂いが、どんどん胸に溜まっていく。

 夕方まで掛かっていた家事がお昼には終わるようになった。

 蝉の鳴き声が運んでくる、昼下がりの静寂が何より胸を騒がせた。


 ライムキャンディのリップを引いて、玄関に座り込む。

 帰ってきたら直ぐにお出迎えできるように。そうして胸のもやもやをわくわくに変える。


「早く、帰ってこないかな」


 あの時、夕暮れと四角が隠した笑顔を見れたら、もう一度頑張れると思った。

 ドアがノックされる。

 ばれないように、後ろ手にリップを握り締めて、ドアを開け放つ。


「おかえ」


 ————あなたの唇から香るバラのリップが、ライムキャンディを掻き消した。


 痛くても構わず抱きしめてきて、汗が滲んで、叩きつける音と喉から飛び出る声だけが夜の一室に響く。


「おやすみ」


 汗を拭って、彼はすぐ傍に倒れ込む。溶けたワックスの匂いがベッドに広がる。

 私はバラの香りに塗り替えられた唇を拭った。握りしめていたリップは玄関に転がっていた。


 それから週に何度か、彼は他のリップの香りをつけて帰って来た。

 そういう日は決まって、あなたは私の唇を他の香りに染め上げる。


 ストロベリー。

 アップル。

 ピーチ。

 レモン。

 パッションフルーツ。

 シトラス。

 ネロリ。

 ローズマリー。


「眠れない?」

「うん。目を、つむれない」


 四角がいつか私の視界の全てを覆ってしまうんじゃないかって。

 あなたの笑顔がもう見れなくなるんじゃないかって。


「大丈夫だよ。これ以上悪くなんてならないさ」


 平坦な声音で笑って、易しく抱きしめてくれた。

 高校の頃、ぎこちなく強張っていた腕は、ごく自然と滑らかに私の素肌にぴったり重なる。


 夏の夜は蒸し暑くて、私達はじっとりと汗を噴き出していた。

 ふと、その汗が噴き出る感覚が、あなたに告白された時のことを思い出させた。

 真夏の昼間だった。

 一時間くらいかけて、ようやくあなたは「好きです」と絞り出したね。


「……ねぇ、私のこと、好き?」


 胸の中で、私はあなたを見上げた。

 あなたは微笑んだ。


「愛してるよ」


 あなたは難なく愛を口にした。

 眉毛を撫でずとも、あなたは愛を囁けるようになっていた。


 ——あぁ、そっか。


 もうとっくに私の必勝法は通じなくなっていた。

 もうとっくにあの笑顔は消えていたんだ。


 私が、消させてしまったんだ。


 彼が寝静まった頃に、私は最低限の身支度を整えた。

 穏やかな寝顔だった。それだけは、あの頃と変わっていなかった。

 私はライムキャンディのリップを彼のおでこにチョンと塗った。

 そうして頬に手を添える。


「さよなら」

 彼のおでこにそっと印を送る。


 呪いを解くにはこうするの。御伽噺うそでも、そう信じたかったから。

 ライムキャンディの香りを付けて、私は部屋を出た。


 街灯に照らされた夜の道を歩く。

 途中でゴミ捨て場があったから、部屋から取ってきたワックスを放り投げる。

 これで彼は嘘をつかなくて、よくなる。

 そう、願ってる。

 ……もっと早く、こうしてたら良かったね。


「ごめんね」

 涙が零れないように、夜空を見上げる。

 月は四角の中にすっぽり収まっていた。


               ◆


 ほどなくして、私はドラッグストアのバイトを始めた。

 医療関係に携わる人が多いここだからこそ、私の目のことも理解してくれた。


 泡のように消えたお金は、紙切れ一枚で戻ってくることも教わった。

 部屋はバイト先で出来た新しい友人の家に住ませてもらった。

 新生活に緊張してた私だけれど……良くも悪くも、世界の異変が私の緊張を忙殺してくれた。


「だーから無いもんは無いんだってのぉ! なのに、馬鹿みたいにマスク買い占めやがってあのクソ客共ぉ――――!」

「どうどう、落ちついて落ち着いて」


 激務に荒れてる彼女にビールを差し出す。怒りは静まったようだ。

 私はふぅと一息ついて、テレビをつける。

 どのニュースも『新型ウイルス』の話題を取り上げていた。


「あちゃ~、飲食業界大変だぁ。ドラッグストアで働いてて良かったー」

「……あ」


 とあるニュースが、私の目を釘付けにする。

 感染拡大防止のために営業停止を命じられた夜の店、その内の一つが——彼が勤める店だった。


「どうかした?」

「あ、うぅん。ちょっと知ってる店が映ったから」

「え⁉ 行ってたの⁉ ちょっその話詳しく」

「まって。絶対、勘違いしてるよね」


 興味津々に掛けられる言葉を聞き流して、私は目をつむって彼に想いを馳せる。

 どうしてるかな。やっぱり大変かな。でも……ひどいかもしれないけれど、私はちょっと良かったと思ってる。


嘘が下手だった彼が、もう嘘をつかなくても良くなったかもしれないから。

そうして私のことなんか忘れて、生きていて欲しい。

あの日からずっと——何回も何千回も願ってる。


 ……さて。そろそろ友人の追及から逃げたいなと思ったタイミングで、チャイムが鳴った。


 私達のご飯事情の救世主:ウーバーイーツの訪れだ。


「取りに行ってくるー」


 ピュウっと離れる私の背に、友人がぶーぶー不満をぶつける。

 私は財布を持ってパタパタと駆けて玄関を開けた。


 ————ふわりと、漂うライムキャンディの香り。


「お待たせしました。ウーバーイーツで——————」


 配達員の手からボックスが落ちる。

 ぐしゃりと、頼んだピザが潰れて、ボックスの隙間から濃い匂いが漏れ出る。

 でも、私には爽やかでどこか甘い香りしかしなかった。


 彼の目は、四角の中にすっぽり収まって見えなかった。

 どんな表情か分からないまま、私は震える声で尋ねた。


「ねぇ……げ、元気、だった?」

「うん……まぁ」


 震えで喉が詰まる。怖いから震えてるのか、嬉しいから震えてるのか、分からない。胸の中がぐちゃぐちゃだ。


「だ、大丈夫……なの? お店は……」


 そうして言い淀む私の声を遮って、彼は応えた。


「大丈夫。大丈夫だから、俺は」


 その時、一瞬、ほんとうに一瞬だけれど。


 四角の中が、透けて見えたの。


 どうしてそう見えたのかは、分からないけれど。

 四角に縁取られたあなたは眉毛を撫でながら、笑いかけてくれていた。


『今まで頑張ってくれたんだから、今度は俺が頑張るよ』


 あの時仕事を辞めさせられた私に掛けてくれた、あなたの言葉が甦る。

 あれが一番最初に、あなたにつかせた嘘。


 私はまた、この人に嘘をつかせるの?


 ——駄目だと、胸の中が叫んだ。


 私はあなたに飛びついた。

 飛びついて、首に腕を回して……力いっぱい抱きしめた。

 もう、離れるもんか。


「ごめん……ごめんね……」


 嘘が下手なあなたが、嘘をつかなくても生きていけるように。

 私、強くなるから。


 だから、ずっと……ずっと……傍に————


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