世界の終わりにヒーローを
かんな
世界の終わりにヒーローを
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
足の爪を切ろうと新聞紙を広げていたトキは動きを止めた。持っていた爪切りを落とし、たっぷり十秒固まった後にひったくるようにして新聞紙を掴む。勢いよくめくってテレビ欄を探し当て、分厚い眼鏡ごと顔をくっつけた。チャンネルは一から八まで、早朝から真夜中までどの欄も世界の終わりで一杯である。ちゃぶ台に重ねていた他の新聞を広げてみても同様で、トキはテレビ横の古新聞入れから数紙取り出して見た。昨日までは「彗星来たる!」の言葉が躍って、やれ天体ショーだと騒いでいたものを、どうして一晩でこうなったと、考えるまでもなく答えは明確だった。
「あの、底辺メンタルめ……」
新聞を握りしめて横になった。縁側に面した四畳半の居間を、もったりとした夏の風が駆ける。軒先につるした南部鉄器の風鈴がちりちりと鳴り、傍らでは古い扇風機が遠慮のない音を立てて首を振っていた。天井から吊るしたハエ取り紙が風の当るごとに右往左往している。
トキは舌打ちをして起き上り、長い前髪を額の上で結んだ。それから狭い台所へ駆け込んで冷たい麦茶の入ったポットとコップ、ついでに切った小夏と塩に爪楊枝を盆に載せて居間へ戻り、ふん、と鼻息を荒くする。
まず始めたのは古い新聞をあさることだった。まだ入れている途中の物から、既に封をしている物までかたっぱしから広げ、畳の上はあっという間に古新聞で一杯になる。飛んで行こうとするのを置時計で止め、扇風機の風を弱に落とした。そしてテレビ欄を食い入るように見つめて、使えそうな部分に赤ペンで印をつけていく。額から汗が落ちそうになるのを手で受け止め、トキは冷たい麦茶で喉を潤した。すう、と体の熱が引くのを確認してから赤ペンの作業を繰り返し、一杯の古新聞のあちこちに赤い点が咲く。
次いで、電話台の引き出しからハサミとノリを取り出した。ハサミでもって赤ペンで印のついた番組欄を一つ一つ、時間帯、チャンネルごとに切り抜いてまとめ、これも風で飛ばないように小さな置時計を重石がわりにする。
「ふう」
小夏に塩をつけて食べると、酸味と塩っけの向こうで微かな甘味を呼び起こして、目がすっきりとした。
ちゃぶ台に今朝の新聞のテレビ欄だけをいくつも並べ、今度はパズルのように切り抜いた番組欄をああでもないこうでもないと唸りながら置いていき、納得のいった部分はノリでつけてしまう。合間に麦茶、合間に小夏と塩で英気を養いながら三時間後。
「できた……」
トキの目の前には切り貼りされた複数の新聞のテレビ欄が重ねられていた。そこには世界の終わりはどこにもなく、天体ショーだのカピバラが生まれただの竹の花が咲いただの、のどかな内容ばかりが連ねられていた。
トキはそれらを書類袋に束ねながら電話のダイヤルを回した。
「すぐに来てください。速達で」
それだけを言うと電話を切り、残りの小夏を食べている間に外から一羽の鳩がやって来る。鳩は庭先で一回転すると、郵便屋の青年に変わった。
「……あまりこういう使い方しないでくださいよ。他の皆さんに怒られる」
「これも仕事。あの豆腐メンタルが馬鹿なことするから、こっちだってやってやるの」
「また、全能のお方をそんな風に……」
「いいからこれ持って世界線の海に投げてくる」
郵便屋は渋々といった顔で鞄に書類袋を入れた。
「連絡はちゃんとしてくださいね」
それだけを言うと郵便屋はジャンプして鳩へ変じ、飛び去っていった。
トキは小さく溜息をついて電話に向かう。そして一の番号だけを回すと、向こうが電話に出た途端にまくしたてた。
「あんたの気分でいちいち世界を終わらせるな! いい加減にしろ!」
電話の向こうから重い息が漏れる。応えたのは壮年の男の声であり、これが郵便屋の言う全能のお方であった。
「いい加減も何も、こっちも理由があるんですけどね」
「これで何度目!? 朝気持ちよく日本の夏の気分で目を覚ました途端にこれよ! せめてやる前に予告する!」
「したら、止めるでしょ」
「そりゃ止めるよ。ここまで綺麗に育った宇宙を滅ぼすって、どれだけ暇なの。暇つぶしはよそでやって」
「暇つぶしと言いますけど。もう飽和状態なんです。いっぱいなんです。わかる? 少しは減らさないと」
トキは溜息をついた。
「なにそれ。ただ減らせばいいってもんじゃない。そういう時にはヒーローが駆け付けるものなの。そして抗って戦って時々負けて……っていうのを繰り返すのがいいんだって」
「色々見すぎです。それじゃあ何ですか、ヒーローが出ればいいんですか」
トキは鼻で笑った。
「出来るものなら。そしたら私が迎え撃ってあげるよ」
「……それ本末転倒では?」
「予告なく終わりにされるよりはいい」
はあ、と気のない返答の後、しばらく無言が続いた。それから「わかりました」との答えが返ってくる。
「検討します。とりあえず今回の世界の終わりはなしで……ってもう事象を書き換えましたねあなた。いくら時の神でも職権乱用ですよそれ」
「全能の神に言われたくないよ。それじゃあ」
「はい、また」
トキは電話を切り、大きく腕を伸ばした。
時間だけは腐るほどあるトキは、暇つぶしにあらゆる書物から演芸やら文化やらを食い散らかしていた。その中で心躍ったのが英雄譚である。初めは力なき一人の人が仲間を得て、困難を乗り越えて世界の終わりに立ち向かう──神々ばかりがうろつく中では、こういった山あり谷ありの物語は出てこない。トキも含めて彼らは山も谷も壊してゆく。
世界の終わりにはヒーローを。それのない終わりは終わりとは言えず、トキは何度も世界の終わりを書き換えてきた。
しかし、今回のやり取りで全能の彼も考えを改める気配がある。だとしたら、トキはヒーローのための終わりを用意しなければならない。
「なにがいいかなあ。異星人、いやここは怪獣か。……自分が人だと思ってる怪獣とかもいいなあ」
うきうきと古新聞を踏み、麦茶を飲み干す。
どんなヒーローが来ても、素晴らしい終わりを作ってあげなければならない。
彼らは終わりがあって輝くのだから。
終わり
世界の終わりにヒーローを かんな @langsame
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