ノクターンとカーヌーン

増田朋美

ノクターンとカーヌーン

その日は、いよいよ秋になるということで、幾分涼しく、過ごしやすい日であった。その日、杉ちゃんとブッチャーは、畳屋さんへ請求されたお金を払いに、吉原の商店街まででかけた。帰りに、カフェにでもよっていくかと、畳屋さんの近くに有る、カフェに入ることにした。杉ちゃんが、カフェの入口のドアを勢いよく開けたところ、

「お、珍しい。カーヌーンの音だぜ。」

と、杉ちゃんが言う通り、日本の琴とも、西洋のギターにも似つかない音が聞こえてきた。ブッチャーが何だと思ったら、カフェの一席に、中村櫻子が座っていて、テーブルの上に、カーヌーンを乗せて、ショパンのノクターン二番を弾いていた。ピアノではなくて、こういう中東の楽器で演奏してしまうと、ショパンとはまた別の音楽のような気がした。杉ちゃんたちは、近くのテーブルに座らせてもらって、彼女の演奏を聞かせてもらうことにした。曲が終わると、杉ちゃんもブッチャーも拍手をした。

「ああ、どうもありがとうございます。なかなか、日本人の感性にあう音ではないといわれることが多いので、嬉しいです。」

と、櫻子は、にこやかに笑っていった。

「なかなか、カーヌーンも弾かせてもらえる場所がありませんでね。このお店のマスターみたいな、親切な人は、少ないわよ。ここで演奏させてもらうだけでも、貴重なの。」

「まあ確かにそうでしょうね。こういう音は、よほど中東マニアな人でないと、聞きたくありませんよね。」

ブッチャーは正直に感想を言った。確かに、カーヌーンの音は、本当に個性的な音で、日本の侘び寂びの音でもないし、西洋的な華やかな音色でもないので、感想に迷ってしまう人もいるかも知れなかった。

「それに、今、中東では、戦争ばっかりでしょ。こういう音楽のことなんて、なかなか言及してくれる人もいないから。一度、文化会館でリサイタルを開きたいと申し入れたけど、よく知られてない楽器だからだめっていわれて、断られちゃったわ。」

それで、ここで演奏をさせてもらっているのだろう。確かに、文化会館も商売だから、集客できる見込みがない催しは、許可してくれないのだ。それはもしかしたら、イスラム圏の楽器と言うことで、有る種の偏見かもしれなかった。

「まあいいじゃないか。こうして、こういうところで演奏させてもらえるんだからさ。それは良かったじゃないか。珍しい楽器だから、なかなか理解もないと思うけど、一つでも演奏できる場所があるってことは、嬉しいことじゃないかよ。」

杉ちゃんがにこやかに笑って言うと、

「じゃあ、次の曲は、えーと何にしようかな。じゃあ、杉ちゃんたちが来てくれたから、太陽がいっぱいのテーマにしよう。」

櫻子は、爪をはめ直してカーヌーンを弾いた。確かに、そのちょっと悲しいメロディと、カーヌーンの音はよくあっていた。優れた音楽というのは、どんな楽器で奏でても、美しく響くというが、カーヌーンでも同じだった。曲が終わると杉ちゃんたちは、また拍手をした。

「ありがとうございます。」

櫻子はまた、立ち上がって杉ちゃんたちに一礼する。

「いやあ、こっちこそありがとう。珍しい楽器の音を聞けて、今日は嬉しいなあ。」

と、杉ちゃんも、にこやかに笑った。

「それにしても、櫻子さんは、すごいですね。カーヌーンを知ったきっかけというか、いつから始めたんですか?」

と、ブッチャーがきくと、

「ええ、10年前からです。わたしが、中東文化の研究を始めたのも、そのくらいでしたから。」

と、櫻子は答えた。

「そうですか。それなら、もうベテランの域に入っていらっしゃいますね。カーヌーン、教えたりもしているんですか?」

またブッチャーが聞いた。

「どうしたのブッチャー。何か思いついたのか?」

と、杉ちゃんが口をはさむ。

「ええ、まだ五人程度だけど、お教室もやってますよ。もし、ご興味がお有りなら、わたしの教室へいらしてくれてもいいわよ。」

にこやかに笑って答える櫻子が、ブッチャーは中東的な美女の様に見えてきた。なぜだかわからないけれど、そんな気がした。

「そうなんですか。もしよろしければ、ピアノと一緒にやってくれませんかね。こういうきっかけができれば、水穂さんも、楽になってくれるんじゃないかな。」

「あら、水穂さん、また何かしたんですか?」

ブッチャーは、本題を切り出した。こういうときは、直ぐに本題を言ってしまったほうがいいと思った。

「はあなるほど、ショパンのノクターンとかであれば、ピアノと共同演奏できそうだねえ。」

杉ちゃんがブッチャーに言った。

「まあ、なにかしたというわけではないんですけどね。櫻子さんが定期的に来てくれれば、もうちょっと良くなろうという気になってくれるかなと思いまして。実はですね、今日も、水穂さんが汚した畳の張替えのことで、打ち合わせに行った帰りだったんです。水穂さんに、もうちょっと、良くなろうという気持ちを持ってもらうために、そういうことをしてもいいかなって。」

「わかりました。じゃあ、水穂さんのところに、訪問演奏に行くわ。今は、どこかに勤めているわけでもなく、カーヌーンの演奏に専念してるから、日付はすぐに取れるわよ。」

櫻子は、ブッチャーの説明を聞きながら、そういった。

「ホントですか!ありがとうございます!水穂さんという人は、製鉄所のメンバーさんにとっても、必要な人ですからね。だから、少しでも良くなる様に、俺たちでなんとかしないとだめなんですよ!最近の製鉄所のメンバーさんは、問題が重たすぎる人が多くてですね。皆、表向きは静かに勉強したりしているけど、裏では、家に居場所がないとか、そういう人ばかりだから。」

「確かに、最近は、重いやつが多いよな。親が浮気して、自分の方を向いてくれない経験があるやつも居るし、学校で、いじめにあって、自殺未遂したやつも居るもんな。」

ブッチャーの話に、杉ちゃんが口をあわせた。

「まあ、僕たちは、製鉄所の利用を断ることはしないけど、でも、年々、そういう重たいものを抱えて、自分で処理できなくなっている利用者が増えてきているようだよな。影浦先生も言ってた。そういう人たちには、こういう変わった音色はいい癒やしになってくれると思うぜ。それに、水穂さんのピアノが加われば。うん、うまく行けば、ピアノとカーヌーンで合同演奏だな。」

「お話はわかったわ。じゃあ、時間を作ってそちらに伺いますから。水穂さんにも言っておいて。」

杉ちゃんの話に櫻子は、そう言って、にこやかに笑った。ブッチャーは、櫻子さんが誰でも偏見なく接してくれるのは、彼女の支持しているイスラム教の教えが有るのかなと思った。

「じゃあ、よろしく頼むわね。次の曲、行きましょうか。次は、わたしが作ったの。最近作曲にも挑戦しているのよ。なんか色々トライしたくなっちゃって。みなさんの生活も、そうなってくれるといいわね。」

櫻子は、またカーヌーンを弾き始めた。なんともいえない、不思議な音色を持っていた。台形の箱型の胴に、弦を並行に張って、両手に爪を付けて引く楽器なのであるが、普通の人から見たら、なんの箱だろうと思ってしまうかもしれない。

それから、数日経って。杉ちゃんが、今日は秋らしくていい日だな、なんて杉ちゃんが、咳をしている水穂さんに話しかけていると、

「こんにちは。アッサラーム・アライクム。」

と、言いながら、櫻子が玄関のドアを開ける音がした。ちょうど、庭を掃除していたブッチャーが、

「あ、櫻子さん来てくれたんですね。お待ちしてましたよ。ちゃんと、約束を守ってくださって嬉しいです。」

と、言って、急いで玄関先に行き、彼女を出迎えた。そして、こちらですと言って、彼女を四畳半まで案内した。

「こんにちは、中村先生。」

礼儀正しい水穂さんは、急いで布団に座り直し、丁重に座礼をする。そんなことしなくていいのよ、と櫻子は言ったが、水穂さんのこの癖はいつまで経っても治らないようであった。

「今日は、慰問演奏のつもりで来ました。よろしくおねがいします。」

櫻子は、風呂敷包みを広げて、カーヌーンを取り出した。

「演奏は、食堂の椅子をお借りしてやらせてもらおうかな。水穂さんも、もし動けたら、聞きに来てくれないかしら?」

「わかりました。」

水穂さんは、ブッチャーに支えてもらって立ち上がった。みんな椅子のある、食堂に移動する。櫻子は、食堂のテーブルの上に、カーヌーンを置いて、ショパンのノクターン二番を弾き始めた。彼女の出す音に、利用者たちも興味を持って、聞きにやってきた。演奏が終わると、杉ちゃんも水穂さんも、ほかのみんなも拍手をした。

「まあ、こんな拍手をもらったのは、久しぶりだわ。今までは、カフェで演奏したこともあったけど、なかなか褒めてもらったこともなかったし。」

と、櫻子は、にこやかに笑った。

「みなさんが褒めてくださってとても嬉しいです。じゃあ、次は、みんなが知っている曲にしようかな。里の秋。聞いてください。」

そう言って、里の秋を弾き始めた。利用者の中には、里の秋を口ずさんでいる人もいる。なぜか知らないけど、音楽というものは、気持ちを柔和にしてくれる作用があるらしい。家族のことで傷ついている利用者も、そうやって、音を聞いて、口ずさんでくれるのだから。

また里の秋を弾き終わると、みんな拍手をした。

「とても素敵な音色の楽器ですね。なんとなく、悲しいところもあって、でも不思議なことに、そういう気持ちにさせないのが音楽なのかな。」

利用者の一人がそういった。その発言をきくと、皆なるほどそうですねと顔を見合わせた。

「どうせなら、さっきのノクターンを、水穂さんのピアノと一緒に、やってもらいたいですね。」

とブッチャーは思っていた本音を言ってみた。これをしてもらうことが、ブッチャーの狙いでもあった。

「それはいい。水穂さんに是非やってもらおうぜ。」

と、杉ちゃんが言った。ほかの利用者たちもぜひやってくださいよ、と発言した。全員、ピアノがある四畳半に戻った。水穂さんは、ピアノの蓋を開けて、戸棚の中から、ショパンノクターン集を取り出し、ピアノを弾き始めた。櫻子に座卓を貸していわれたブッチャーは、急いで食堂から座卓を持ってきて、縁側に置いた。その上にカーヌーンを置いて、櫻子は、座卓の前に、正座で座った。そして、ノクターン二番を弾き始めた。ピアノとカーヌーンという異色の組み合わせだったが、なぜか、印象に残ってしまう、そんな不思議な合奏であった。楽器の音って、なぜこういうふうに、国籍を超えて、協和してしまうものだろうか。人間の求めることは同じなんだなとつくづく思う。

ちょうど、ノクターンが終了した時、製鉄所の玄関の引き戸がガラッと音を立ててなった。

「水穂さん、こんにちは。今日はどうしたの?なにかあったの?」

そういうことを言いながらやってきたのは、今西由紀子だ。由紀子は、水穂さんのことが心配になって、お邪魔しますもいわないで、急いで靴を脱ぎ、四畳半に行った。

「あ、由紀子さん。今日は、慰問演奏に櫻子さんが来てくれたぜ。ちょっと、聞いてみてやってや。」

と、杉ちゃんが言うと、櫻子は、アッサラーム・アライクム、と言って、由紀子に軽く頭を下げた。ちなみに、この言葉は、こんにちはという意味だけではなく、あなたに平和がありますように、という意味もある。なんだか、戦争が絶えなかった中東を象徴するような挨拶でも有る。

「水穂さんが、ピアノ弾いてる。ちょっとまってよ。安静にしていなきゃだめって、お医者さんに言われたじゃないの。」

と、由紀子は、思わず言ってしまったが、

「まあ、そうなんでしょうけど、ちょっと運動したほうがいいっていうか、少しピアノ弾いてくれてもいいかなって、思っただけよ。」

と、櫻子は、由紀子に言った。

「櫻子さんが、もしかして、水穂さんをそそのかして、ピアノを弾けといったの?」

由紀子は、櫻子にいう。何故か知らないけど、由紀子は、櫻子に、反感を持っているようなところがあった。

「まあ待て待て。由紀子さんそう勘違いするな。これはあくまでも、僕たちが、企画したことであって、櫻子さんは、何も罪はないんだよ。別に彼女が仕組んだとか、そういう事は何もないよ!」

と、杉ちゃんが訂正するが、

「中東の人って、何を考えているかわからないから、困るわよね。水穂さんのこと、そそのかして、ピアノを弾くように仕向けたんでしょう!わたし、見ればわかるわよ。あなたが、水穂さんに、無理やりピアノを弾かせたんでしょう?」

由紀子は、急いでいった。

「まあ、そうかっかするな。中東の人間でも、いいやつは居るさ。そういうやつが悪いって、決めつけることはやめろよな。」

と、杉ちゃんが、由紀子にいうが、由紀子はまだ納得できない様子だった。

「そういうことなら。」

杉ちゃんは、話を続けた。

「じゃあ、お前さんと水穂さんで、ノクターンを弾いてみてくれ。そうすれば、わかってもらえると思うから。」

「わかりました。」

水穂さんは、静かにピアノを弾き始める。それに合わせて櫻子も、カーヌーンを弾き始めた。水穂さんが櫻子にあわせているのか、それともその逆かは不明だが、ちゃんと、二人は音楽を奏でている。さすが、プロ同士という事はある。そういうことができてしまうのは、やっぱりふたりとも、一生懸命努力している証拠だった。

「いやあ、素敵だよ。西洋と中東の、面白い融合だ。不思議だね。音楽って、そうやってなんとでもくっつくなあ。」

杉ちゃんは、そう言っているが、由紀子は、杉ちゃんの言うとおりになれなかった。なぜか知らないけれど、櫻子が、水穂さんをはめようとしているのではないか、なにかたぶらかしているのではないかという気持ちが、どうしても捨てられなかった。

「由紀子さん、変なこと思わないで。わたしたちは、音楽家同士なのよ。音楽家が、喧嘩していたら、音楽で平和は実現できないでしょ。」

櫻子は由紀子に言った。

「不思議なものだな、楽器は、とうの昔に西洋と中東が和平しているというのに、人間は、なかなか偏見がとれない。」

杉ちゃんにいわれて、由紀子は、そうだけど、と一言だけ言った。これと同時に、水穂さんがピアノの前に座ったまま、咳き込んでしまった。由紀子が、なんとかしようと立ち上がる前に、櫻子が、水穂さん大丈夫と声を掛ける。水穂さんは、咳き込みながら、すみませんとだけ言った。櫻子は、もう横になりましょうか、と声掛けをして、水穂さんのからだを支えて立ち上がらせ、布団に座らせて、横にならせた。そんな彼女を見て、由紀子は、櫻子に悪気はないとなんとなくわかったのであるが、でも、彼女への思いはなぜか消せなかった。

「水穂さん、もう眠ったほうがいいかしら?薬、飲みましょうか?」

櫻子はそう言って、水穂さんに水のみを近づけた。由紀子は、それをむしり取って、自分が水穂さんに薬を与えたかったが、それは櫻子に取られてしまってできなかった。水穂さんは、水のみの中身を飲み込んで、数分後に静かに眠ってしまった。咳止めの薬は、眠気を催す成分もある事は、由紀子も知っていた。櫻子は、水穂さんに布団をかけ直してあげた。由紀子は、まだ彼女に反感を持っているようであったので、

「由紀子さん外へ出ましょうか。」

と、櫻子はそっと言った。そして、何を言うんだという顔をしている由紀子に、外へ出るように促す。由紀子もそれに従って、外へ出た。ブッチャーたちが、慰問演奏はうまく行ったかな、なんて、会話していた。

二人は、ふすまを開けて四畳半を出て、隣の食堂へ行った。そして、互いに目を合わせないまま、向かい合って椅子に座った。

「あなた、わたしの事を、悪い人だと思っているんでしょうけど。」

櫻子は由紀子に言った。

「わたしは、何も悪意はないのよ。ただ、音楽をやって、みなさんと仲良くしたいだけなの。誰かをバカにしたりとか、そういう気持ちもなにもないわよ。」

「そうだけど。」

そういう櫻子に、由紀子は、そうなのかもしれないと思うのだが、それでも、彼女に対する、偏見というかそういう気持ちが、とれなかった。

「そうだけど何?」

由紀子の発言に、櫻子はすぐに言った。

「いいのよ。わたしみたいな中東の事をやっている人は、日本では嫌われて当たり前なのよ。この間の同時多発テロ事件の主峰者も、中東だったからね。でも、わたしが信奉しているイスラム教も、カーヌーンも、人に危害を加えたりすることは、明記されてはいないわよ。」

「そうなんですか、、、。」

と、由紀子は言った。

「わたしはね、偏見だらけの中東で、こういう音楽があるってことに、気がついてもらえたらなと思うのよ。だから、いつまでもこの楽器を続けていきたいと思うわけ。音楽って、どこの地域でも有ると思うのよ。きっと、弾いている人間よりも優れたものになっちゃうことだって有るわ。」

「そういう見方もありますね。でも、やっぱり私は、」

由紀子は、まだ小さな声で、そういう事を言った。

「いいのよ。日本人には、中東のことなんて、わからない事もあるから。」

と言って、櫻子は、由紀子に微笑みかけた。由紀子は、それではわからないと思うけど、、、と言いかけて、それは言うのをやめておいた。

「まあ、その気持があるだけでも、わたしは、それでいいわ。」

櫻子はそういった。由紀子は、理解できなくても、櫻子の言うことは、わかるという姿勢を示していればいいのかなと思って一つ頷いた。

一方その頃、杉ちゃんたちは、主のいない、座卓に置かれたカーヌーンを眺めていた。ほんと、楽器って、独特なんだねえ、人間を癒やしてくれる面白い道具だねえ、と、杉ちゃんはつぶやいていた。ブッチャーは、本当にこの合同作業をやってよかったのかなと思ったが、それは同じことだと思っていた。




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ノクターンとカーヌーン 増田朋美 @masubuchi4996

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