世界の色とキミとソラ

ブリル・バーナード

世界の色とキミとソラ


『――ねえ、人はどうなったら【死ぬ】と思う?』

『オレは……』


 彼女の言葉は覚えているのに、自分で答えた言葉は覚えていない。

 オレの意見を聞いた彼女はつまらなさそうな仏頂面だった。


『私はね、この世界からその人のことが完全に忘れ去られたら【死ぬ】と思うんだ』


 蘇る色鮮やかな彼女との記憶。溢れ出す、虹色の彼女への想い。

 とまらない。とめられない。

 全部吐き出して、絵の具でぐちゃぐちゃに塗りつぶして忘れられたら、どんなに楽なことか……。


『だからお願い……私のことを忘れないで……』


 懇願のような小さな声で紡がれたお願いに、当時のオレは、わかった、と頷くことしかできなかった。

 いや、今のオレも頷くことしかできないだろう。

 彼女は約束の鎖でオレを永遠に縛り、そして――オレの前から忽然と姿を消した。




 数カ月後、家に届いた一通の手紙。




白雲しらぐもそら君。君がこの手紙を読んでいる時、私、最上もがみ色葉いろはは死んでいるでしょう】




 彼女の遺書を読み終わった時、世界から色が消えていた。




 ▼▼▼




「なーに黄昏てんだ! まだ昼だっつーの!」


 灰色の雲が空を覆い尽くし、気分も落ち込む日のお昼ごろ。

 湿度が高い生温かい風が吹き抜ける中、窓を全開にしてボーっと外を眺めていると、背後から頭を叩かれた。

 振り返ると、大学の友人、小林が軽薄な笑みを浮かべて立っていた。


「別にいいだろ」

「そんな辛気臭い仏頂面をしていたら女の子が寄ってこねぇーだろ」


 女の子、ねぇ。



『――少年、私に何か御用かな?』



 顔を合わせるたびに芝居がかった口調でそう尋ねてきた少女の姿が脳裏をよぎる。

 彼女と出会ったのも今日みたいなダウナーな気持ちになる曇天模様だった。

 一目見た時、爽やかな風がオレの体を通り抜けたっけ。あの時、世界が一気に色付いた。今でもはっきりと思い出せる。


「残念ながら、これが普通の顔だ」


 過去の記憶に浸りながら、オレは小林に言ってやった。


「もったいねぇ。顔の造りは良いんだから、爽やかな笑顔でも浮かべとけよ。な、鉛筆の貴公子様!」


 鉛筆の貴公子とは、オレについた二つ名のようなものだ。

 全然格好良くないし、二つ名とか恥ずかしすぎて正直嫌である。

 嫌なのをわかっていてこうして揶揄っているコイツは実に性格が悪い。


「全てを鉛筆で描く期待の新星! 『鉛筆の貴公子』白雲しらぐもそら! この間のコンクールでも賞を取ったんだろ? すげぇーな」

「それほどじゃない」

「つか、なんで鉛筆しか使わないんだ? 色を付ければ……あ、すまん。お前って……」

「まあな。色がわからないんだ」


 オレは今、白と黒と灰色の濃淡が表すモノクロの世界に住んでいる。

 色覚異常。それも心因性の。

 中学時代までは正常にカラフルな世界で生きてきた。全く異常はなかった。

 そしてある時を境に、オレの世界から色が消えた。

 色が識別できず、あらゆる物が光の濃淡でしか判別できない。

 鉛筆でしか絵を描けないのはそういう理由だ。色がわからないから鉛筆で描くしかないのだ。


「しっかし、鉛筆だけであんだけ綺麗に描けるとはなぁ。羨ましい。でも、人物画は頑なに女性しか描かないよな。柔らかな絵と違って本人は頑固というか……それに、いつも同じ美少女。あれってお前の彼女? にしては幼いような……」

「彼女じゃないよ。まあ、好きな人ではあったけど」

「うぇ……ロリk」

「違うからな! ロリコンじゃないからな! 中二の時に好きだった女の子なんだ、彼女は!」

「うわぁ。今でも拗らせてんのか? 彼女は今……」

「死んだよ。心臓が悪かったんだ」


 オレは彼女が病院のベッドの上にいる姿しか見たことが無い。点滴を付けて、心電モニターに繋がれて、鼻チューブも付けていた姿だけ。

 いつ死んでもおかしくない病人のくせに、オレよりもテンションが高かった。

 わりぃ、と小林が小声で謝る。

 別に謝る必要はない。5年以上前のことだ。心の整理はついている。


「『次に会ったらキスしよっか』と少年心をもてあそんで勝手に遠いところに行きやがったんだ……あの世で出会ったら絶対にキスしてやる」

「うわーお。お前のそんな顔、初めて見た」


 今のオレはとても意地悪な顔をしているに違いない。

 強制わいせつ? あの世に法律はないだろ。覚悟しておけ。少年の心を弄んだ罪は重いぞ。


「なあ? 人ってどうなったら死ぬと思う?」


 今日は何かと彼女のことを思い出すからか、唐突に、オレは友人に問いかけてみた。

 あぁ。雲の黒が濃くなった。雨が降りそうだ。

 彼は面食らったものの、質問に答える。


「あ? 普通に心臓が動かなくなったらじゃね? ……でも、一度心臓が止まっても生き返る人もいるな。そうなると、どうなるんだ? 人工心臓の人もいるし。あれ?」

「オレはさ、その人が世界から完全に忘れ去られたとき死ぬと思ってるよ」


 どこかの誰かさんの受け売りだけどな、と心の中だけで呟く。


「まさか……お前がその女の子を描く理由って、彼女のことが忘れ去られないようにか……?」

「さてどうだろうな?」


 人が死んでも、作品は残り続ける。有名になればなるほど、人の記憶に受け継がれていく。インターネットに取り上げられれば半永久的だ。

 まあ、ただ単純に人物を描くのが下手で、彼女しか描けないからかもしれないぞ。


「で? 告ったのか?」

「……なんだそのニヤけた笑いは」

「だってよぉ。浮いた話一つなかった鉛筆の貴公子様の恋バナだぜ! メチャクチャ興味ある。で、どうなんだよぉ~教えろよぉ~。俺も彼女のことを覚えててやるからさぁ~」

「告ってないよ。告白しようとしたら『やめて、言わないで』って言われた」

「あっはっは! フラれてやんの!」


 イラッとしたので『年齢=彼女無し』の友人に話の続きを教えてやる。


「『心臓が悪いのにドキドキさせないで』ってさ。ちなみにその時、手を繋いで彼女は頭をオレの肩に……」

「チクショウ! それはほぼオーケーじゃないか! 爆発しやがれ!」


 はっはっは! 泣いてやんの!

 悔しさで涙を流す小林。色の濃さから血の涙でも流しているのだろうか?


「お前ぇ~! 俺の恋路を手伝いやがれぇ~!」

「なんでだよ」

「その話は女子との会話のきっかけになるだろ!」


 いや、場を白けさせるだけだと思うが……って、引っ張るな! 服が伸びる!


「辛気臭い顔すんじゃねぇ! 笑え! 彼女もきっとそう思ってるだろ! ほら、笑顔でナンパするぞ! 今年の入学生にメチャクチャ可愛い子がいるんだよ。俺にも彼女ができるよう手伝え~!」


 無理やり引っ張られてオレたちは芸術学科棟から中庭に出る。

 大学のキャンパス内。まだ昼休みには少し早いが、授業がなかった学生たちが少し早めの昼休憩を始めている。

 ポツリポツリと黒い雨が降り出し、モノクロ世界の色を濃くしていく。


「ほら! あそこの女の子のグループだ。三人の真ん中の子がお目当ての子」


 小林が指差した先には、中庭のテーブルに座る三人の女子学生がいた。雨が降ってきたから、避難を始めようとしている。

 彼のお目当ての子を見た瞬間、オレの体を爽やかな風が通り抜けた。


「あれ……は……!」


 黒と白と灰色のモノクロの世界に、たった一人だけ色鮮やかに輝いている。髪も、肌も、服も、彼女だけは鮮明に色付いていた。

 記憶にある姿よりも成長した彼女から、オレは目が離せない。

 そんな……違う……似ているだけだ。彼女はもう、死んだんだ……。

 引っ張られるままに、オレは彼女たちのテーブルに近づいていた。


「やあ! こんにちは、お嬢さんたち」


 小林が軽薄な笑みを浮かべて慣れた様子で女子学生たちに話しかけた。

 二人の女子学生は露骨に警戒し、だが色付いた彼女だけは、にこやかな笑みを浮かべている。彼女と目が合い、過去の想いが溢れ出す。

 ポツリポツリと小雨が降る空。雲の切れ間からの光が降り注ぎ、が顔を出す。

 世界が少しずつ色を取り戻し始めていた。


「俺たち、芸術学科の3年なんだけど、君たちは?」


 彼女は、小林の問いには答えずに、真っ直ぐにオレだけを見つめて、会いに行くたびに聞かされ続けたあの言葉を紡ぎ出す。




「――少年、私に何か御用かな?」




 どこか芝居がかった懐かしい声だ。


「おっと。もう少年じゃなくて青年か」

「なん……で」


 オレの喉から掠れた声が洩れ出た。

 信じられない。理解できない。

 目の前の人物は、その言葉は、その声は、死んだはずの彼女のもの……。

 一体なぜ?

 彼女は立ち上がり、オレの目の前にやって来た。

 オレはもう、彼女しか見えない。友人の小林や他の女子学生のこともすっかり忘れていた。

 悪戯っぽく彼女が笑う。


「ふっふっふ。君が忘れていないか地獄から抜け出して幽霊になってやって来たぞ! なんてね。その様子だと、覚えててくれたんだね。久しぶり、ソラ」


 名前を呼ばれた瞬間、水面に絵の具を落としたかのように世界に色が広がった。

 懐かしい。彼女がオレの名前を呼んでいる。泣きたくなるくらい嬉しい。


色葉いろは……」

「あはは。なんか恥ずかしいね」

「どうして……? 色葉は死んだんじゃ……」

「うん、死んだよ? 私の心臓は動かなくなりました。なので、ソラの死の定義によると私は死んでいます。あの時、ソラは『自分の心臓が動かなくなったら死ぬと思う』って言ったよね?」


 過去の記憶が蘇る。そうだ。オレは色葉にそう言ったんだ。

 色葉はオレの手を取ると、自分の胸、心臓の真上に押し当てる。

 ドクンドクンと少し早い彼女の力強い鼓動が伝わってきた。


「これはね、私の心臓じゃないの。移植された別の人の心臓なの。ね? 『自分の心臓』じゃないでしょ?」

「ハハッ……屁理屈じゃないか……! なんだよそれ!」


 笑いと共に涙が溢れ出してくる。色葉らしい考えだ。


「ごめんね、急にいなくなっちゃって。ドナーが見つかりそうだからって急遽渡米したの」

「もしかして、あの遺書は」

「その通り! 無事に手術が成功してから書いて、ドッキリとして送ったものです! でも、思ったよりもリハビリに時間がかかってね。日本に戻ってきたらソラは引っ越して居場所が分からなくなってるし……もう! 探したんだからね!」


 色葉が死んだと知って精神的に落ち込んだオレは、今での友人たちとの縁を切って新しい土地へ家族と引っ越したのだ。


「やっと見つけたと思ったら、ソラは私の絵を描いてるし。恥ずかしかったんだから! 肖像権って知ってる!?」

「あ、それはごめん。色葉のことが世界から忘れ去られないようにって思って」

「えぇー! 本当に死んだと思ってたの? 手紙の最後に本当のこととドッキリ大成功って書いてたよね?」

「え?」

「え?」


 ポカーンと見つめ合うオレたち。思わず涙も引っ込む。

 手紙の最後? ドッキリ大成功? なんだそれは。そんなの知らないぞ。


「あれ? 入ってなかった? ネタ晴らしのページ」

「入ってなかった。遺書だけだった。家にまだ保管しているから見せようか?」


 証拠は手元にある。裁判しても勝てる。

 スゥーッと目を逸らす色葉。ダラダラと冷や汗を大量に流し始める。


「い~ろ~は~!」

「あ、あはは~! ごっめ~ん! 入れ忘れちゃったかも!」

「おいおい……マジかよ。色葉はずっと死んだと思って……」

「ごめんごめん! 私はこうして生きてるよ。ご心配をおかけしました」


 心配はあまりしてなかった。ずっと悲しかった。苦しかった。辛かった。寂しかった。また逢いたかった。

 だが、もう全てどうでもいい。生きててよかった。

 同時に、色葉に対する怒りもフツフツと沸き起こっているが……。


「というわけでソラ、待たせちゃったね。あの時の約束を果たそうか」

「約束?」


 突然そんなことを言われても、オレはすぐに思い出すことができない。なんの約束だっけ?

 死んだと思っていた少女が生きていたのだ。驚きすぎて思い出すどころではない。


「あれ? 忘れた? 次に会ったら~ってやつ」


 あぁー。あれか。キスの話か。思い出した思い出した。オレの少年心を弄んだやつだ。


「あ、ソラに彼女さんいる? それなら――」

「彼女はいない。誰かさんの呪いでな」

「呪いってのは酷いなぁ。忘れないでってお願いしただけじゃん。そっか。彼女いないのか」


 嬉しそうに微笑んだ彼女の笑顔を見た途端、数年間溜まりに溜まった色葉への想いがオレの中で爆発。ぐっと彼女の腰へと手を回して抱き寄せる。

 色葉は全く抵抗しない。むしろ、自分からオレの胸の中に飛び込んできた。


「ドキドキは大丈夫か?」

「全然大丈夫じゃないかも。心臓爆発しそう」

「今日はやめてって言わないのか?」

「言う必要がないもん。何のために心臓移植を受けたと思っているの」


 キラキラ輝く鮮やかな世界の中で、オレと色葉は至近距離で見つめ合う。


「色葉、好きだ。昔も今も」

「ソラ、私もずっと好きだったよ」


 二人の唇が重なり合う。

 オレたちを祝福するように、空には綺麗な虹が架かっていた。



 <完結>









===============================

お読みいただきありがとうございました。

気付けば、このお話を思いついてから約2年が経ちました。

長編にしようと挑戦して、挫折して……

今回、ギュギュっと凝縮して一話完結型の短編として書き上げることができました。

後半は二人っきりの世界でしたね。



他にもラブコメの作品を多く書いておりますので、ぜひご覧ください。

コレクションにまとめています。


↓特におすすめ! 心がほっこりする一話完結の短編ラブコメです。


タイトル:二十年越しのラブレター

キャッチコピー:蘇る二十年前の青春。今もあの時のことを鮮明に思い出すことができる。

https://kakuyomu.jp/works/16816700427287837375/episodes/16816700427288013968




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