二十年越しのラブレター

ブリル・バーナード

二十年越しのラブレター


「もうそろそろご飯ができるわよー! テーブルの上を片付けてー。特にパパ」

「はいよー」


 十五年近く連れ添った愛する妻へとオレは言葉を返す。

 十一月も終わる頃。外はもう寒くなっている。温かなご飯が楽しみだ。美味しそうな匂いでお腹がグーグーと鳴る。

 散らかしたものを早く片付けなければ。妻に叱られてしまう。

 ウチの序列一位は妻、二位は娘の里音さとね、最下位はオレなのである。

 逆らえない? 尻に敷かれている?

 それで家庭が円満ならばいいじゃないか。


「パパは几帳面だねぇ。昔の年賀状を全部取っておくなんて」


 妻に似て美人に育っている愛娘の里音が、頬杖をつきながら机に広がっていた年賀状を一枚手に取って眺めている。

 過去に貰った年賀状。数百枚はあるだろう。

 最近は年賀状が減ったと言われているが、オレは毎年友人知人に送るようにしているのだ。

 今年も年賀状シーズンまで残り一カ月。後々慌てて準備しなくていいよう、こうして前もって準備を始めているのである。


「里音も年賀状を出すんだろう?」

「数枚ね。友達と、たぶん担任の先生からも来るかなぁ。だからパパみたいに一カ月も前から準備しなくていいの」


 彼女は12歳。小学校六年生。密かに年賀状が来るのを楽しみにしているのは知っている。まだまだ子供だなぁ。そこが可愛い。


「ほらほら片付けないと。ママに怒られるよ」

「そうだったそうだった。背後でパパを睨んでいるかもな」

「睨んでいませんー!」


 料理の音と共に、ムスッとした妻の声が飛んでくる。

 ムッツリと睨んでいるじゃないか。オレの背中に視線が突き刺さっているのを感じるぞ。

 年ごとに年賀状をまとめて、手早く片付けていく。


「古いのもあるねぇ」

「あるぞー」

「一番古いのはどれ? 何年前の?」

「えーっと、二十年くらい前じゃないか?」

「わぁお! 古っ! 化石だよ化石!」


 か、化石って言わないで欲しいな。パパが年寄りみたいじゃないか。ちょっと傷つくから。


「ん? これは年賀状じゃないね。古い手紙? でも、切手がない」


 年賀状に紛れていた一枚の封筒。差出人の名前も何も書いていない。

 古い記憶が鮮明に蘇る。この手紙を貰った時のことが。


「それはちょうど二十年前に貰ったものだよ」

「ふ~ん。二十年前というと?」

「パパが高校生の時。卒業式に貰ったんだ」

「へぇー。卒業式。可愛らしいシンプルなお花の封筒……まさか女の子から!?」

「正解」

「じゃあ、ラブレターってこと!? 読んでもいい!?」


 お年頃の娘はこういったお話が大好きのようだ。キラキラした目がオレのほうを見て……いない。古い手紙に夢中である。

 必死に開けようとしているけれど、残念ながらそれは許可できない。


「だーめ。先にパパが読むから」

「なんで!? もう読んでるでしょ!」

「実はまだ読んでいないんだ」

「なんで!?」


 パパって馬鹿なの、と言いたげだなぁ。ラブレターを読んでいないなんて最低、と言いたげでもある。

 その眼差しは止めておくれ。パパに物凄く効く。


「その手紙をくれた子がね、二十年後に開けてくれって言ったんだよ。だから今まで保管していて読んでいないんだ」

「タイムカプセルみたい。ロマンティック……あ、本当だ。シールが剥がれてない! そーゆー理由なら仕方がない。はいどうぞ」

「ありがとう、里音」


 手紙を受け取ると、娘はオレの背後へと回って密着する。

 なるほど。待ちきれなくて一緒に読むということか。まあ、それでもいいだろう。

 約束の二十年は半年以上過ぎた。もう開けてもいいはずだ。

 破れないように丁寧にシールを剥がし、中から便箋を取り出す。入っていたのはたったの一枚だった。

 一体なんて書いてあるんだろうな。本当にラブレターなのだろうか? 一言『馬鹿』とだけ書かれていたら燃やしてやろうか。


「読むよ」

「うん!」




 飯島いいじま隆弘たかひろ君へ


 これを読んでいる時、私はもうこの世にいないかもしれません……。




「えっ!? 嘘っ!?」

「――『というお約束を書いてみましたけど、ビックリしましたか?』だってさ」

「お約束かい! びっくりしたじゃん! この子、今も生きてるよね?」

「生きてるよ」

「そっか。よかった。続き続き!」





 約束通り、20年後に読んでくれていますか?

 隆弘君のことだから、多分本当に20年後に読んでくれていると思います。

 何故こんな手紙を渡したのかというと、私に勇気がなかったからです。

 私は――隆弘君のことがずっと好きでした!!!!! 高校三年間ずっと!




「キャー! パパ! キャー!」


 痛い痛い。パパを叩かないでおくれ。揺さぶらないでおくれ。耳元で叫ぶのもやめてくれ。

 手紙の続きが読めないじゃないか。




 何度か告白しようと思ったけれど、私にはダメでした。

 だから、高校生最後の思い出として、今、この手紙を書いています。

 20年後の隆弘君は私のことを忘れてしまっているかもしれません。

 それでもいいです。

 高校生の私は隆弘君に好きだと伝えたかった。そして、感謝の言葉を告げたかった……。


 隆弘君、好きでいさせてくれてありがとうございました!

 素敵な高校三年間でした!



 PS. もし20年後の私と出会ったら、この手紙のことを話題に出してください。きっと『そんなこともあったね』と笑い合えるはずです。





「――だってさ」

「はぁ~。素敵ぃ~!」


 手紙を読み終わって、娘はうっとりと息を吐いた。

 どうやら里音のお眼鏡に適う恋のお話だったようだ。

 まさか本当にラブレターだったとはな。


「ねぇねぇ! パパ! この女の子、どんな子だったの!? 教えて教えて!」

「大人しくて綺麗な子だったよ」

「覚えてるんだ! もしかしてパパ……好き、だったの?」


 我が娘ながら鋭い。

 聞きたいけど聞きたくない。けどやっぱり聞きたい。そんなドキドキワクワクした表情でオレの顔を覗き込んできた。

 ラブレターの差出人を思い出して、思わず懐かしくて笑みがこぼれてしまう。


「ああ、好きだったよ。ずっと」

「両想いだったの!? 告白しようと思わなかったの!?」

「しようと思ったさ。卒業式にね。でも、彼女はこの手紙を押し付けて逃げちゃってね。結局その時は告白できなかった」

「そうなんだぁ……連絡先の交換もしなかったの?」

「パパが高校生の時代はまだ携帯も広まってなかったんだぞ」

「あ、そっか」


 今の時代はスマートフォンがあって便利になった。

 だが、こういう古き良きラブレターという文化は見なくなってしまったように思う。


「なんか勿体ないね……」


 オレとラブレターの彼女との昔の恋を聞き終わって、里音はそう感想を洩らした。


「そうか?」

「うん。せっかく両想いだったのに。高校卒業後にこの人と会った?」

「会ったよ。成人式の時に」

「どうだった?」

「とても綺麗だったことを覚えてるよ。今でも忘れられない」


 懐かしい素敵な思い出だ。


「その時に告白しちゃえばよかったのに。あ、でも、パパとこの人がくっついてたら私は生まれていないのか」


 そういうことになるのかなぁ……?


「ねぇねぇ! この人の写真はある? 出来れば昔のと最近のも! 私が知っている人? 年賀状はある? 今も綺麗? 最近会った? もしかして、まだ好きだったりする?」

「里音」

「なに!? 早く教えてよ!」

「この手紙の差出人をちゃんと読んで」


 オレは古いラブレターを娘に手渡した。


「えー! なによ……えっと、『高校三年間の愛をこめて 中森なかもり里美さとみより』……ん? 中森なかもり里美さとみ? これってもしかして」


 シーンと静まり返る家の中。いつの間にか料理の音が止まっている。

 娘は、まさか、と驚きながら、オレは笑いをこらえながら、ゆっくりと振り返る。

 そこには、ずっと料理をしていた妻の姿はなかった。


「ママ?」


 キッチンを覗き込むと、しゃがんで悶える愛する妻がいた。


「は、恥ずかしい……若気の至りなの……」

「やっぱりこのラブレターってママが書いたの!?」


 娘の問いかけには答えず、キッチンの台から顔の上半分だけ出した妻の里美さとみがムッツリとオレを睨んでいた。耳まで真っ赤である。


「隆弘君……どうして私のラブレターそんなものをずっと持っていたの!? 私、手紙の内容を読まれるまですっかり忘れていたんだけど! というか音読しないでよ、恥ずかしい!」

「里美さん。きっと笑い合えるはずですって書いてあるんだけど」

「笑えないわよ! もぉ~! あの時の私の馬鹿! 何を書いているのよぉ~!」


 羞恥心に悶える妻はとても可愛い。昔からずっと変わっていない。

 そう。オレはこのラブレターの差出人の女性と結婚していたのだ。だからこの手紙を二十年も大事に保管していた。

 今は愛する娘にも恵まれ、幸せな家庭を築いている。


「パパとママが名前で呼び合ってる……初めて見た」


 そこは驚くところではないと思う。

 二人きりの時は名前呼びが多いんだが、娘の里音は知らなかったらしい。


「パパとママの恋バナを聞かせて!」

「いいぞー」

「まずはご飯! 早くテーブルの上を片付けなさい!」

「おっと。ごめんごめん。すぐに片付けます」

「私も手伝いまーす」


 テキパキと手を動かして食事の準備を整える。数分後には、いただきまーす、という三人分の声が響き渡った。

 二十年越しのラブレター。これがあったからこそ、妻と結婚できたのだと思う。オレは手紙を貰ってから彼女のことをずっと忘れることが出来なかったのだ。

 あ、そうだ。二十年越しの告白の返事をしていなかったな。


「里美さん。オレは二十年前も今もずっと好きだよ」

「ぶふぅっ!?」

「キャー! パパ大胆!」

「ゴホッゴホッ! と、突然何を言い出すのよー! そういうのは娘の前じゃなくて二人っきりの時に言いなさいよー!」


 照れ隠しにビシバシ叩く妻。キャーキャーと囃し立てる娘。

 飯島家には今日も幸せな時間が流れて行く。

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