霧隠城伝説『世禰姫と妖怪ヤナ』第二話
誰にも知られず咎められないのを不思議に思い、世禰姫が屋敷を振り返ると、世禰姫の分身が何食わぬ顔で姫自身を演じていた。
世禰姫の分身は妖怪ヤナの妖術だと知った。
心置きなく妖怪ヤナに会えるのだと分かると、世禰姫はふっと気持ちが軽くなった。
妖怪ヤナに会えるのを待ち侘びて、世禰姫は毎日朝が来るのを楽しみにしていた。
――或る夜。
殿様は川越に城が建つのがむつかしいと妖怪ヤナにぼやいた。
聞けば、築城に叶う場所を手に入れたものの、土地は掘れども掘れども奥底まで泥と湿地だという。
「諦めるのか?」
「いいや、
「龍神、ねぇ。あのな、やっとこさ造ったお
「なんと! ヤナよ、では龍神様が生け贄にと、儂がその日最初に会う生き物をお濠に寄越せと申すは、ただの
「お告げなんか馬鹿らしい。人身御供に誰かお濠に投げ込んだら、俺が許さねぇ。犠牲を払って建つ城に何の意味がある? 犠牲になる奴は幸せか? お前は領民を幸せにしたいと言った。忘れたか? だから俺は手を貸すことにしたんだ」
「ヤナよ、
だが、数日後。
妖怪ヤナの訴えに反した大変なことが起きた。
「世禰姫様が居なくなりましたぞ」
「神隠しじゃー」
「探せ、探せ!」
「姫様ー、姫様ー」
日が上り始めた朝早くから仮屋敷は蜂の巣をつついたような、大騒ぎだった。
家臣やお女中や、殿様や奥方様まで、あちらこちらを世禰姫を探してまわる。
「……世禰姫、まさか」
妖怪ヤナは、仮屋敷の大騒ぎを遠目に眺めていたが胸騒ぎがした。
お濠に急ぎ、妖怪ヤナは飛び込んだ。
(世禰姫、世禰姫!)
妖怪ヤナはようやく水に沈みゆく愛しい世禰姫の姿を見つけ抱きしめ、水面まで上がった。
そこから、空まで一気に飛び上がった。
「世禰姫、なんでだ。俺と殿様の話を聞いていたのか? 何故、大事な命を捨てたっ。お濠に身を投げた? 何故だ。龍神様なんていないって俺が言ったじゃないかっ」
空に妖怪ヤナと世禰姫は浮かんだまま。
妖怪ヤナは世禰姫をぎゅうっと抱きしめ泣いた。
刹那、世禰姫は飲んだ水を吐き、瞳を開けた。
「ああっ、世禰姫。良かった、目を開けたっ」
「……ヤナ、ヤナ。わたくし、龍神様に会ったの」
「会ったって?」
妖怪ヤナが下のお濠を見下ろすと、確かに龍神様がこちらを見つめている。
(なんだアイツ。今まで龍神なんてこの土地に居やしなかった)
「いつ来た? あんた、なんでここに来たんだ」
「妖怪と人間の姫が心を通わせてると風の噂で聞いてね。ただ面白いから来たのさ。その娘を差し出すかお前の妖力を寄越せば、築城の為にワタシが力を貸そう。お前の妖力も役立ててやるさ」
「……好きに使え」
妖怪ヤナがフーッと全身に力を込めると、体中から噴き出した妖力が霧となってあたりを覆った。
しばし経って霧が晴れても、殿様たち人間には、妖怪ヤナの姿は見えなくなった。
龍神様もいない。
そして、愛らしい世禰姫の姿も。
人々の目にはもう誰も、彼らの姿が映ることも、気配を感じることすら出来なかった。
後に、
川越城、別名霧隠城。
世禰姫を失い哀しみに暮れ、涙を流し続けた殿様が歯を食いしばり、領民のためを思い、安心して暮らせる様に地域を治めるために建てた城だった。
――時代は変わり、幾百年過ぎゆき。
『ねえねえ、おじいちゃん。妖怪ヤナとお姫様はどこに行っちゃったのさあ?』
『二人はきっと仲睦まじく暮らしたんじゃよ。妖力を失くした妖怪ヤナは人間になったと思うんじゃ。そう、じいちゃんはじいちゃんに聞いたからな』
『おじいちゃんのおじいちゃん?』
『そうじゃ。それかな、まだ妖力がすこぉし残っておったら、この武蔵野の大地を今も見守ってるかもしれんの』
伝承伝説は、史実のなにかが不思議という衣装を纏い尾ひれをつけて伝わっていくのだろう。
やがて、妖怪ヤナも世禰姫も互いを大切に想い合った事実は風化していく。
でも、誰かを大事に思う心はいつまでも優しく土地に森羅万象にとけているんだと、俺は思うのじゃ。
『なあ。そうだろ、世禰姫』
平和な世。
川越霧隠城はもう、ない。
完
川越霧隠城のお姫様と妖怪伝説 天雪桃那花(あまゆきもなか) @MOMOMOCHIHARE
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