第3話 イワカン


 七月四日。日曜日。


 午前中のみの部活が終わって、現在は帰宅途中だ。


 西御門と最悪の別れ方をして、もう三ヶ月が経った。

 ちなみに出席表で知ったのだが、あいつの名前は結芽ゆめというらしい。なら小さい頃もユメって名乗れよ。

 難癖はともかく。


 とっくのとうにクラスのほとんどが部活動を決め、六月の中旬に中間テストも行われた。入学当初のうわついた空気が落ち着き、高校生らしい毎日がようやく板についてきた頃合いだ。


 それだけの期間をかけてなお、私は西御門とは一度も口を聞かずにいた。


 正直まだあの時のことが腹立たしいというのもあるが、それ以上になんと話しかけて良いかが分からないというのが本音だ。


 友達に相談したところ、まず謝ってみれば? と提案されたが、それはなんというか納得がいかない。何より私から謝るのは負けた気がするから嫌だ。


 しかも私からっていうのが、まるで私が話したいからと思われそうで踏ん切りがつかないのだ。別に話したいとかってわけじゃなくて、全く話さない空気感が居心地悪すぎるっていうか……。


 てかあいつから私をけなしたんだから、先にあいつから謝るべきじゃね⁉︎ いや、お互い様だけどさ。

 うーん。私って結構、面倒臭い女だなあ。


「あーもう! 何をイライラしてんだ私は!」


 ふと周りの人たちの視線を感じ、パッと手で口を隠す。


 やば。声に出てたか。反省反省。


「……はあ」


 もやもやした心を抱えたまま家に直帰するのがしゃくで、ついと駅へ向かう足を学校近くのメインストリートの方へ移す。


 特に目的地なんかない。どうせどこに入ろうなんて考えながらも、結局通りの一番奥まで来てしまって、そこにぽつんとあるカラオケ屋に一人で入るのがオチだ。


「かやちーもあーちゃんも部活中だしなあー……」


 一人カラオケかあ。やってる時は楽しいんだけど、終わった時に不可解な寂しさがあるんだよなあ。


 サイドテールを指に絡めてくるくるする。これは私が悩み事について考える時の癖だ。


 確かにこの三ヶ月間。普通に高校生活を楽しめてはいた。

 でも、いつも心のどこかにひっかかりを覚えながら生活しているのだ。青春の真っ青な空に、どこか一つ雲のかけらが浮かんでいるような、そんな気持ち悪さ。


 西御門も西御門でいつもつるんでる奴が数人いるみたいだし、あいつがあいつなりに高校生活エンジョイしてんなら私が変に気に病むことないよなー。


 そんなことを自分に言い聞かせつつ通りを眺めていると、見覚えのある黒髪が目に映った。


「あ?」


 その姿はひょいと若者向けの喫茶店の中へと消えていく。


 私服ではあったものの、あの辛気臭さは見間違うはずもない。二人に挟まれてはいたが、その面子はどうやらいつもの取り巻きのようだった。

 つまり、オフの西御門結芽だ。


「ふはっ」


 思わず笑いがあふれる。


 おいおい。

 まさかSNS女子御用達みたいな店に入っていくタイプとは思わなかった。むしろシックな喫茶店とかで静かにお紅茶でもすすっているイメージだったんだけど。

 意外とミーハーなとこあんじゃん。


「……おもろ。人は見かけによらないってね」 


 こっそりと周囲を見渡す。

 いや、別に他のやつに見つかってもいいんだけど、影から覗くような行為はついつい隠れてやってしまう。


 ん、一体全体何をするかって?

 勿論追跡だ。


 え、そんなことして何にするのかって?

 勿論話の種だ。


 女子高生はトークで腹を膨らませる生き物なのだ。


 そうと決まれば即実行。


「いらっしゃいませー」


「……すいませーん」


 彼女らが列に並んだのを見て、他の人に紛れて入店する。

 そしてその人を挟んで並ぶ。

 前の様子を伺うも、全くこちらに気がついた様子はない。

 ……私、天才かもしれん。前世忍者説ワンチャン。


 レジ前の立看板には、本日発売と銘打たれた新作ドリンクのイラストが描かれている。苺と焦がしキャラメルのマカダミア風味フラペチーノ。なんだか噛みそうな名前だが、そういえばコマーシャルで見たような気がする。

 うむ。この際だから味わってみるか。

 カロリーが随分と高そうだが、まあ、いける。そのための運動部だ。それは嘘だけど。


 くだらないことを考えていると、ふと耳朶じだを叩く声に違和感を感じた。


「西御門さん毎度毎度ありがとー」


「……あ、うん」


「マジ感謝。あ、そうだ。えりぴの前のいいねいくつ?」


「アタシはー、えと、五十二」


「うち七十」


「えー! 負けたー! みかぴ強すぎんだけど」


 本当にこいつら友達か? 

 あまりに西御門が発言していない。

 というより、西御門をそもそも会話に入れようとしていない。


 なんだか薄気味悪いものを感じつつ眺めていると、やがて彼女らが支払いの順番になる。そして、西御門がか細い声で注文をした。


「あの、この新作のやつ、三つください」


「かしこまりました。千七百二十五円になりまーす」


「あ、千八百円で……」


「はーい。七十五円のお返しですねー」


 店員さんが手際よく支払いのやりとりを済ませ、商品を手慣れた手つきで西御門に手渡した。


 すると。


「西御門さん、さーんきゅ」


「ありがとー」


 横の二人がパッとそれを掻っ攫い、窓際の席へ歩き始めた。


 そこで、私の中の何かが切れた。


「おい」


 気がついたら、その二人の肩に手が伸びていた。


「…………う、宇津々さん?」


 二人がビクビクと振り返り、うち一人が震えた声をあげる。


「中村と大山だっけか。何? たかってんの?」


「いや、そういうわけじゃ……ねえ?」


「う、うん。西御門さんがいいって……」


 お互いに顔を見合わせ、私の目を見ようとしない。


「おないにおごってもらうのとか、フツーにダサすぎてキモいんだけど」


 腰を倒して肩を狭めている二人に顔を近づける。

 私にはピンとこないが、一般女子にとってギャル系に詰め寄られるのはこれ以上ないくらい怖いらしい。そう。これは意図的な圧だ。


「あの、ごめんなさい……」


「は? 私に謝るとか意味わかんな。まあでも実際私の気分は悪くなったし、いちおー受け取っとくわ」


 西御門はというと、何が起きているんだと言わんばかりに目をぱちくりとさせていた。


 私に言わせれば西御門なんてどうでもいい。ただでさえイライラしているところに、目の前で気持ちの悪いものを見せられるという火種を落とされたから、黙っていられなかっただけだ。


「……行こ。なんか、空気悪いし」


 やがてやっとの思いで言い訳を思い浮かんだかのように片側が口を開き、もう一人もうんうんと便乗するように頷く。そして手に持ったドリンクを西御門に押し返すように持たせ、そそくさと店を後にした。


 二人の少女が去って数秒後。

 私がふんすと鼻を鳴らすと、徐々に店内で拍手が漏れ始めた。


「え、え?」


 むしろ店内の空気をぶち壊しにしてしまったんじゃないかと気を病んでいたのだが、その思惑とは裏腹に拍手は大きくなり、私と西御門を囲むようにピューピューと声が上がり始めた。


「姉ちゃん! 格好良かったぞ!」


「嬢ちゃん良かったな!」


 店内の客達がやいのやいのと声をかけてくれる時間が一分くらい続き、落ち着いてきた頃に恥ずかしげに頭を掻いていると西御門から脇を小突かれた。


「ひゃん!」


「ちょっと変な声出さないで!」


「えー……」


 お前が小突いたんじゃん。

 不満そうな顔は改めて見るとまだ童顔で、目の周りには少しだけだが涙が浮かんでいた。

 私、そんなに怖かったか?


 そう思って見つめていると、西御門はやがてもぞもぞと声を漏らし始めた。


「……さっきの」


「中村と大山? あー、ちょっとやりすぎたかもな」


「村山と大谷だけど」


 西御門の言葉に一瞬だけ時が止まる。


「……マジで?」


「マジで」


 本気か私。三ヶ月一緒のクラスメイトだぞ。

 馬鹿で済まされるのかこの頭脳。


「…………はあ」


 なんか何もかもがくだらなくて肩の力がふっと抜ける。

 一息ついて冷静になった途端に、精神の熱くなった部分が急速に静かになるのを感じた。

 さっきの騒動はあまりに私らしくない。厄介ごとにちょっかいを出すなんて。しかもよりによって西御門絡みでだ。


 何やってんだ私。

 さっさと帰って頭冷やそう。


「あーあ、らしくないことした。じゃ、私帰るわ」


「待ちなさいよ」


「なんでっ……!」


 西御門の静止に噛みつこうと振り向くも、その視線の先にあるものを見て納得してしまった。


 三本もの、フラペチーノ。


「……分かった分かった。一杯分買うよ」


「お金はいいから二杯分飲んで」


 うええ、と嫌そうな顔を向けるも、絶対譲らなさそうな表情が瞳に映る。妹がいたらこんな感じか、なんて思ってしまって、ないない、と思い直す。

 つうか二杯も飲んだら腹壊すんじゃないか私。


「……はあ」


 今日二度目の大きなため息をつき、二杯のフラペチーノを受け取る。私だって責任を感じてはいるのだ。


 折角の期間限定ものだ。


 私はスマホカメラをインカメラにして、記念に一枚パシャリと撮った。勿論一緒に写した私は一番可愛く見えるであろう角度。研究済みである。


 よし、それじゃ飲むか、とストローを口に加えると、また西御門がこちらに睨みを利かせてきた。


「まだ何か?」


「今の自撮り、私も映ってたでしょ。消して」


 面倒臭え!


「なっ。ほら、フラペチーノと私主体の写真だろうが」


「でも私の顔しっかり映ってる」


 ぐむむと頬を膨らませる西御門は納得頂けないご様子。


 あれか? 肖像権とか気にしてんのか?


「悪用なんかしねえっつうの! SNSにもアップしねえ! 思い出だ思い出! 私のな!」


「信用ならない」


 なんなんだコイツ!

 私が勝手にやったこととはいえ、さっきので少しくらい恩を感じてねえのか!


「あなたも同じリスクを負うべき。その写真私にも送って」


「あ、あー? 別にいいけどさあ」


 もう西御門がそれでよしとするならなんでもいいや。

 スイスイとラインの申請を行い、ポンと写真を送信する。


「ん! これでいいな?」


 数秒画面と向き合うと、西御門は怪訝な顔を浮かべる。まだなんかあんのかよ。


「……ねえ。この写真、盛った後?」


 やっぱコイツ嫌いだわ!


 この時の私は夏を目の前にして体重が増える絶望に打ちひしがれることを知らない。

 やっぱコイツと関わるとろくなこと無いわ!

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お前、女だったのか 七草はるの @hitokaragejippa

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