一人にしないよ

浅瀬

第1話





コーヒーに輪切りのレモンが浮かんでいるかのような夜。

ぼくは生まれた。泣きはしなかった。


総合病院の隣にあるアパートの一室。

ひっそりと誰にも看取られず布団の中で死んだ男が、最後に見た夢の中でぼくは生まれたのだ。


家族が欲しかった男が、逆光に照らされて顔の見えない女と微笑みあい、女の腕に抱かれたぼくに優しく触れた。


……ああ、よかった……


泣きながらしわがれた声で男は言う。

布団に横たわったまま、ちょっと調子を崩しただけだと思っていたら日を追うごとに悪くなり。

とうとう男は、夢を見たまま死んだ。

微笑んでいた。


夢の中で男の子供として生まれたぼくは、男が死んだ途端にアパートの一室に転がっていた。


うまく体が動かせない。

手足がどうも短すぎるようだ。ぼくは四つん這いに歩き出した。


外に出なきゃ。

だって僕は生まれたのだ。


玄関へ向かい、這いずる。

ぽてり、と段差を見落として玄関に落ちた。

玄関脇には姿見があって、ぶざまに転がったぼくの姿が映った。


茶色い、ぼろぼろのクマ。


男が幼ないときに母親から買い与えられたクマのぬいぐるみの姿だった。


「……ああぼくは生まれたんじゃなかった。騙された。こんなもこもこじゃ、なんにもできない……」


ため息をつきながら、ふいに脳裏を男との思い出が駆け巡る。

乱暴に扱われることも多かったけれど、でも楽しかった。楽しかったよね。


振り返って、ワンルームに寝たまま動かない男に笑いかけた。


またずっとそばにいるよ。

あんたは一人じゃないよ。



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一人にしないよ 浅瀬 @umiwominiiku

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