2.-1.1  the ‘MOON’ Night




 街明かりが賑わう夜。


 ほつれた火花を散らす路地裏の街灯。

 整備が行き届かないここは元々公共の広場だったのだろうか。「外」では人型ロボットが規律正しく塵一つない道を歩んでいるというのに、一つ隣のそこには廃棄された大量の物体が積まれてあった。空き缶から家電のようなもの、黒いゴミ袋、それにタイヤを失った車体まで。一言で表すならば、ゴミの山。使用者も利用者もいないだろうに、廃棄された生活品の残骸。ジジッと街灯に電気が点けば、否が応でもそれら全てが目に映ってしまう。


 そのなだらかな山――山と呼ぶにも大きく雪崩が生じてしまいもはや山の原型も失いかけている――の中心が小さく蠢く。一人、小さな少女がいた。


「…………ってえ、クソ……」


 溜息を漏らすように独りごちる。少女にしてはやけに口調が悪すぎるだろうか。白く長い髪がゴミ山から現れるが、それが経年で汚れていることはなかった。首を振るえば、その滑らかさに誰もが目を惹かれてしまうだろう。ここに住み着いている者ではなさそうだ。続いて起こされた全身は黒いスーツのようで、電灯がつかなければ生首だけが置かれているようにも見える。それが立ち上がって、薄ら見える輪郭からようやく一人の白銀髪の「少女」として認識できた。

 長い髪を自ら掻き上げて頭を撫でる。「少女」はここにいたことすら自覚がないようで、ふと辺りを見渡して様子を確認していた。


 その視界の先に二つ、「少女」の目に留まったものがあった。

 一つ目は巨大なハンマーだった。「少女」にも覚えがあるようだ。細い左腕を軽く上げると、突如それが震えたかと思えば飛び出すように「少女」に向けて跳ね上がった。「少女」は躊躇いもなく片手で受け止め、くるりと器用にヘッドを回す。腕を折らんとばかりの大きさであるにも関わらず、扱いにも慣れているかのようで、適当にハンマーをあしらっていた。


「…………」


 そして、二つ目へと「少女」は視線を向ける。投げ捨てられたように置かれたスキンヘッドの男がそこにはいた。遺棄されたと言われても違和感ないほどだが、特段腐敗臭がするわけでもない。「少女」も驚いた様相を浮かべながら、どこか安堵したように一瞬だけ表情を緩めていた。


「ラック……本当に、運が良い人ラッキーマンなのやら。悪運が強い、って方が幾分か納得いくな」


 「少女」はラックと呼ぶ男へと寄り、顔を近づける。顔色を覗いているようだったが、左手を伸ばしてその顔の輪郭に触れる。首筋に沿わすように指を下ろし、脈を探る。しばらく手を添えたまま動かず、そして何も表情を変えずに振り返った。


 その先は人型ロボットが行き交う大通りだ。誰もがこの路地裏に興味を示さないようで、ここの存在を認識してないかのような素振りにも見える。ゆっくり、「少女」が恐る恐る通りまで足を踏みしめる。


 『――ようこそ、ここWelcome to「ミッドナイトタウン」へ 'Midnighttown'


 ネオンライトが白い「少女」の肌を照らしたと同時に、奇怪な機械がアナウンスを告げる。「少女」は驚いた猫のようにビクリと跳ね上がっては、すぐにハンマーを握りしめて臨戦態勢に入った。しかしその声の主はスピーカー機能を備え付けられた人型ロボットで、単に入場を祝っているようだった。


 「少女」はまじまじとその人型ロボットを見つめ、そのまま胸元へと視線を下ろした。特段目立つ何かがあったわけでもないが、安心したのかハンマーを持つ手を戻した。

 人型ロボットのすぐ傍に大きなゲートがあった。鉄塔が組み合わさったような形状をしており、電飾サインで『Midnighttown』とデカデカと書かれてある。配色に対するセンスは人それぞれ――ここではロボットそれぞれとなる――だろうが、見てるだけでも目にチラつくほど眩しい。「少女」はそれを薄目でじぃっと見上げて、興味が無くなったように踵を返した。


 先の路地裏。スキンヘッドの大男は未だ動く気配はない。「少女」は男を一瞥するだけで、そのまま横を通り抜ける。他に探すものがあるといった具合に辺りを見渡しては、一つの建物の裏口に目が留まった。見上げると首が痛くなるほどの高さのビルの一つであったが、特段それ以外に目立つ建物でもない。ビルの屋上側をじぃっと見つめてから、「少女」は迷いもなくその裏口へと近づく。

 しかし扉へと近づくもそれがすぐ開くことはない。施錠されてあったのだろう。鍵を探す素振りを見せる前に「少女」がハンマーでこじ開けるまでは造作も無かった。扉だったものは残骸となって、建物の中に音を立てて転がる。「少女」は何事も無かったかのように建物内部へと入った。鉄板と床が擦れる軽快な音が「少女」の足元で奏でられた。


 ビルの中はこれといった特徴のないオフィスビルの一つであった。「少女」が入った場所は裏口のようで、奥へ進むと受付のようなカウンターを内側から覗き込むような形となる。向かって右奥がエレベーターホールとなり、その脇に緑色でぼんやりと照らされた奥まった空間がある。「少女」が気になって近づいてみれば、誘導灯が設けられた階段の竪穴であるとわかった。

 薄暗い階段を「少女」は迷いもなくのぼる。いや、多少は怖がっていたかもしれない。先を見据えながら、何十何百とある段差を上る。上る。上る。

 しばらくして、踊り場に差し込む光が見えてきた。上を見上げれば、最上段の先の扉の窓から夜の光が漏れていたようだ。暗闇の中では小さな光も強く輝いて見て取れる。「少女」は扉の前まで近づき、鍵のかかっていないそれを開いた。


 屋上。風が少しだけ、「少女」の長い髪を揺らす。


 夜の街はいたって静かだった。クラクションの一つもなければ、車が行き交うエンジンの音さえ聞こえない。深夜の寝静まった時間であればそれまでだが、視界の遠くに映るのは活発的にひしめき合う車や人型の群れであった。

 「少女」は屋上の鉄柵まで歩み寄り、そこにハンマーを立て掛ける。そのままよりかかるように腕を柵の上にかけ、街を、夜空を見つめる。


 風がなびく。一つ、誰かが屋上まで近づいてくる足音が扉から響いてきた。「少女」は慌てることもなく、ゆっくりと懐から取り出した短いラッパ銃を突き出し、その主を出迎える。


「……おそよう、ラック。お互い生きてて運が良かったな」


 ラックと呼ばれた大柄な男は、呼ばれたということよりも目の前に現れた「少女」の姿に驚いてみせた。男に向けられた銃はすぐに下ろされ、敵意がなくなった意思を示す。


「あなた、は…………いや、それよりも。ここには誰もいない……が。ラック、と言ったか……?」

「ああ、そうだ。ラック、あんたが名乗っていた名前だよ。……さっきまでのこと、どこまで覚えている?」


 その問いかけにラックは身体を壁に押し当て、片手で頭を抱える。たらりと、大きな汗粒が毛の無いこめかみを伝った。


「…………何も、覚えちゃあいない。少し前のことどころか、どうしてここにいるかも。どのような自分であったかも。そして貴女が優しく接してくれる理由さえも」

「おいおいおい、本当に忘れちまったんかよ。……そいつも仕方ねえか」


 冗談だろと言いたげに「少女」はわざとらしく肩を竦める。


「もしや……」

「…………?」

「このラックとやらの……婚約者fianceeか?」


 突拍子もない言葉に「少女」は目を大きく見開く。次第に、やれやれといった態度を素振りで示した。一瞬――ほんの僅かな時の間だけ、微笑んだように見えたのは気のせいだっただろうか。


「あんたが俺に惚れてるのは知っていたが、そうなったつもりはねえよ」


 ラックは再び顔に困惑を浮かべ、それも次第にあからさまにがっかりした表情へ変遷させていった。


「では、いったい……貴女は何者だ?」

「俺は――そうだな、ただの人間だよ。今はちと神に喧嘩を売っちまった、ただそれだけだ」


 そして「少女」は誰となく小さくぼやく。そういえば、と。何か悩んでいたようだったが、漏れ聞こえるぼやきの中に≪かむがら≫といった単語が含まれていたようだった。


「まっ、関係ないか。ついでに言うなら何でも【破壊】する<能力ノウリョク>がある。扉とかバリケードとか、この間なんかは<世界セカイ>もぶっ壊したな」

「……ますます訳が分からない。味方のような素振りを見せて、今度は敵か? ここがどこだかもさっぱりわかりゃあしない。貴女しか頼れる人がいないというのに…………」

「そう言うなって。この場所……この<世界セカイ>を説明するのだって、じゃあ簡単に一言でとは済ませられないんだ。ラック、あんたには理解してもらう必要がある。あんたにも力――<能力ノウリョク>がある。そっからどうするかは、あんたに任せるよ」

「…………それを判断できる材料が、余りにも少なさ過ぎる」


 そう答えるも、ラックはふらふらと屋上の中へと足を踏み入れる。


「だがひとつ、今ただ言えることは、記憶が無くとも、心が、体が、貴女のことを見るととても落ち着くようだ。ラックは貴女を信頼していた。記憶を失ったラックは自分を知る必要がある。そして貴女のことも、このセカイと呼ぶ街のことも。そして抗うというならば、共に拳を掲げてみせよう」

「話が早くて助かるぜ。そのためにもまずは、俺の協力者を探さなきゃならねえ」

「協力者……? 他にも誰かいるのか?」


 その問いにすぐには答えず、「少女」はほくそ笑んでから夜空を見上げる。つられてラックも、その視線を追った。

 二人が見つめる先には一つの明かりがあった。


「――ハッチ…………」


 夜空を照らす満月は、白髪の「少女」――シバにとってはとても小さく、遠く、それでいて力強く輝いて見えていた。



 *――*――*――*――*



『…………そうか』


 シバが月を見上げた頃。時を同じくして、黒髪の大きな女神<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>は別の場所から月を見上げていた。

 何も変わりの無い、普通の大きさの月。それもそうだ。<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>自身はその場から一歩たりとも動いていない。浮遊する神にとっての一歩とは疑問も生じるが、今ここで語るべきではないだろう。


『これが≪コトワリ≫の力か。あまり意識してみたことは無かったが……ニハハッ、まさか一本取られるとは思わなんだ』

われは知っていように。わざわざ朕に解説をしに来たか?』


 <終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>のすぐそばに小さな黒髪の少女が姿を現す。これもまた<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>だ。


『まだ<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>の<冠位ユモク>を得て若かろう。ええではないか、老いた者が若い者に語らうのは【アラビト】にも見る事象よ』


 声質が全く同じの二人。一見すると親子のような構図ではあるが、小さき姿の<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>が大きい姿の<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>を窘めているようでもあった。


朕々われわれカムガラ>には老いも若いも関係ない。時の概念は無いに等しい』

『だが、実際はどうだ?』

『……<冠位ユモク>が同じであれば、知っててが身に言っているのだろう』

『【アラビト】の言葉を借りるならば、これを「自問自答」と表せる。果たして<冠位ユモク>が同じ者を「自分」と言うのが正しいかは定かではないが……。朕々のように【アラビト】は個を複数持つものを示す言葉を持たぬようでな』

『…………』


 返せる言葉が無くなったのか、大きい方の<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>は口を閉ざす。ゆっくりと足元を見て、じぃっと「遠く」を見つめる。


『ところで、彼の【アラビト】はどうする? 確かに<限界ペイチゥル>へと落ちた事例は初めてではあったが、こうも普通に生き残った』

『なに、われの思うことは一つ。ニハハッ。これはこれで面白い。観察を続けようではないか』


 二神ふたりは口角を吊り上げる。

 その視線の遥か下には街並みが広がっている。二神ふたりを照らす満月に負けじと、其処ら彼処に張り巡らされたネオンライトが色とりどりに点在する街並み。音が聞こえないほど、否、そもそも音すらならない忙しない交通網。蟻のように働き続ける人型、人型、人型。

 そして、小さくも抗いの火種を残し続けている一人の少女。


 その少女は、何かを憂うように距離が遠くなってしまった月をずっと見つめていた――。



 *――*――*――*――*



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