2.1.0  ”Limited“



 シバが開けた穴は人一人分ほどが通れそうな空洞になっていた。

 そこは〝第二の障壁the second wall〟の脇に作られた、一つの通り穴。ただ、〝第二の障壁the second wall〟とは非なる道となり、穴の先には怪しげな光も何もなく「続き」の景色が窺えた。

 そのまま開けた穴を通らんとするシバを制して、ラックが先んじてその穴に腕を伸ばす。しばらくして、そのままズカズカと穴の奥へと進んでいった。彼にとっては穴は小さかったかもしれないが、通る分には問題なさそうだ。


「……なるほどAlright。安全は確保してやす。障壁ファイアウォールとしては重大な欠陥を穿った代物となりやした。姐御によって作られた穴は、一種の『抜け道バックドア』とも呼べましょうぜ」


 危険であった〝第二の障壁the second wall〟を越えるにあたり、彼なりに気を使ってくれたらしい。その言葉を聞いてから、シバも穴を潜る。自分で開けたとはいえ、屈んでいたラックと比較して頭一個分も余裕がある自分の小ささに改めて不満を内に抱えた。


 〝第二の障壁the second wall〟を抜けた先。邪魔な障壁ファイアウォールが消え、視界が広がる。高架線は真っ直ぐ続いていく。先が見えぬ程、延々と道が延びていく。


 ラックが右手でシバの後ろを手招きすると、穿った穴からゆっくりとバイクが通り抜けていった。そのままふらふらとラックの元まで近づく。まるで猫のように、傷んだ箇所を毛繕ってほしそうに機体を擦り寄せていた。不調なのは変わらずだが、自立走行するのは問題ないらしい。しかしこのまま乗って移動することはこれ以上難しいだろう。

 一つ、バイクの機体を撫でてから、ラックはシバに提案する。


「申し訳ねぇですが、ここからは足で歩きやしょう」


 シバには否定する理由がなかった。ゆっくりと、まだ見ぬ〝第二の障壁the second wall〟を越えた先へと進んでいく。

 妙な静かさが二人を包み込む。トラックもだいぶ見えなくなってきた。道は続いていく。単調に、一寸も曲がることは無く。道を照らす街灯が等間隔で配置されてなければ、進んでいることもわからないほどだっただろう。道の先には障壁ファイアウォールと呼べるような門が見えてくる気配が無い。


「…………」

「……たんま。なんか、やっぱおかしくねぇか?」


 シバはバイクの主に止まる様に指示する。バイクは主が立ち止まったのに合わせて、その動きを止めた。


「違和感、ってやつですかい……えぇ、このラック様にもヒシヒシと感じ取れやす」

「一応聞くけど〝第二の障壁the second wall〟を越えた先は知ってるか?」


 その問答にラックはすぐに頭を振るった。


「次なる〝第三の障壁the third wall〟があると予想してやした。しかし、障壁ファイアウォールを越えてからきっぱりと気配が無くなってやす。ヒューマロイドや障壁ファイアウォールも然り、一番大きいもので言うと流通トラックが消えておりやす。〝第二の障壁the second wall〟を姐御が突破するまでは、確かにあの障壁ファイアウォールから通り抜けていた。これではまるで、〝第二の障壁the second wall〟からトラックが生えていた方がしっくりきやす」

「あれが門で、瞬間移動した……にしちゃあ、そもそもこの道が続いていることがおかしいしな」

「事実あそこでは水を含むモノは完全分解されてやす。この左腕がまさしくそうでした。仮に『水を消し去る門』ではなく『水以外を運ぶ門』だとして、これもまたラック様の左腕が違うと証明してやす。今はここに、運ばれることなく繋がっている」


 一概に同意はできないが、その線も違うようだ。

 ラックはまじまじと自分の左腕を見つめる。ゆっくりと、手のひらが開閉できる程度には動かせるようだ。それでも満足には動かせず不自由がありそうだ。改造済みとはいえ、じぃっと見ていても痛々しいのが伝わってくる。

 あれこれと考えるのはシバの性に合わない。ため息を一つついてから、再び歩みだす。


 道は真っ直ぐ続く。街灯だけが頼りに、暗い高架線を照らす。月は明るいが、どうも光が足りていないようだ。

 繰り返される直線。きっと、そうだったのだろう。だが、次第にシバが奥で見えてきたのは、それではなかった。


「……今度こそ、ストップだ」


 やはり元々の<世界セカイ>が暗いのもあっただろう。近づいてようやく、僅かにシバにとっては見覚えのある破片が目に映った。無色のポリゴン片のようなものが、先の道で宙へと浮かんでは夜色へと溶け込んでいった。


『――……あれが<限界ゲンカイ>。異世界の領域外――』


 ハッチに教えてもらったのは二度目の転生を果たした時だった。シバもそれを目にするのは久しぶりである。四度目であるこの<世界セカイ>では初めてであったが、一目でそうであると見抜くことができた。


「なんですかい、あれぁ?」


 ラックは目を丸くして遠くを見つめていた。彼にもきちんと見えているようだ。<世界セカイ>が欠けている、それが何か理解できなくともむやみやたらに近づく真似はしなかった。好奇心だけはあるようで、不思議だと思いつつもすぐに逃げ出すこともなかった。


「<限界ゲンカイ>と呼ぶらしい。要はこの<世界セカイ>の端っこだよ。そこに近づいて落っこちても助けられる保障はできねえぜ」

「ゲンカイ……? それに、セカイの端、だと…………?」


 始めはそのような反応をするも無理はない。シバだって嫌でも教え込まれなければ理解できたものではなかった。ラックは転生した自覚はあるだろうが、この<世界セカイ>の仕組みが箱庭であることについては無知であろう。

 気づけば、周囲のほとんどが闇に包まれていた。後ろを振り返れば、きちんと先程までの景色が映し出されていた。<限界ゲンカイ>近くだからか、ここまでは光が届かないようだ。ポリゴン片が視覚的にも見えるためどのあたりまでが危ないかまだ判別はつく。


「詳しくはねえが、おそらくそのはずだ。底なし沼だと思えやいいよ」

「姐御……っ」

「とりあえず、ここは少し危険だな。一度引き返して――」


 振り返ったシバの視界に、闇が広がっていた。


「――――っ!?」


 闇が濃く、暗く、黒く塗りつぶされる。それががたいの大きな人影だと気付いた時には、彼は黒い腕によって掴まれていた。


「<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>……っ! てめえ、何を……」

『何って……ついでに「これ」を更生しているだけだが?』


 さも当たり前のことのように黒髪の女神は豪語する。

 <終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>がラックの首元を片腕で握っていた。一部変わっているが、以前の<世界セカイ>で見せた時とほぼ同様の元の姿に戻っていた。片腕だけが黒く大きく変容しているようだ。その手の大きさはラックの頭を容易く包み込めるほど肥大化しており、現に掌と呼べる箇所だけで全身を包み込んでいた。


「…………ッ」


 ラックが言葉にならない声を挙げる。そのしかめる眉間が、スキンヘッドの頭が、掘りの深い顔全体が、落書きされたように塗られていく。モニターへとヒビが入ったかのようにランダムな線が走って、ラックの頭をビリビリと小刻みな線を描いていく。

 転生者だけが逃れられたはずのノイズは、今、ラックの頭上にしっかりと表れていた。


『当の転生者に知られたら不都合な情報は消さねばならない。これも<世界プボム>の管理者たる朕々われわれの定めだ。全く、多少遊ばせる分には構わなかったが、こうも秩序を壊してしまうと困ったものだ。混沌への誘いと秩序を壊すのは同義ではないことくらいわかっているだろう。……ハァ。その上、ここの本来の管理者は起きない故、わざわざわれがこうして出向く羽目にまでなった』


 しばらく見ていなかったと思えばこの様だ。

 <終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>は信用するに全く足りない存在だ。彼女には攻撃が通じないというのも厄介である。


 それで立ち止まって眺めていられるシバでもなかった。

 咄嗟にハンマーを振りかぶったシバを目視するも、<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>はその場から全く動こうとしない。ラックを握る腕へと目掛けて殴りかからんとする質量は、また別の手の指一本に押しとどめられてしまう。


「離し、やがれ……っ」

『……興冷めだ。成り損ないに従う道理は、無い』


 <終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>は一瞥だけして、興味なさそうに掴んでいるラックの方へと視線を戻した。

 そのまま、指がハンマーを絡みつくように伸びていく。それが幾重にもハンマーを掴んでは、ゴミを投げ捨てるように振り払った。

 ハンマーを両手で握っていたシバは雑にあしらわれたまま、その身体を闇の奥へと飛ばされてしまう。


『……ああ。すっかり伝えようとしていたことを忘れていたよ。…………確かに、そこは<限界ペイチゥル>だ』


 それはシバにとって災難であった。

 投げ飛ばされた先。そこは壁も地面もない、<限界ゲンカイ>であった。


『≪コトワリ≫を知ったからと云え、おのが特別だとは思わないことだ。<限界ペイチゥル>の外は<カムガラ>にも識り得ぬ領域。……ニハッ。せいぜい初めて落ちた【アラビト】として謳歌するが良い』


 ふわりと、身体が宙を舞う。

 視界がスローになって、何か手はないかと必死になって情報を集める。それも、無駄な抵抗だと理解することはそう難しくない。こればかりは、シバでは何も手が出せない。

 ふと、大男が苦しむ姿が目に映る。散々手伝ってもらった挙句、こちらを庇った彼をシバは一度も助けることができなかった。頭を抱える彼へ手を伸ばすには、あまりにも遠い。遠すぎた。助けることも、助けを請うことすらもできない。今のシバはとても無力だった。


「…………ッ」

「ラック――っ!!」


 地表よりも下へシバの身体が沈む。実際は崖から離れたように落下していた。<限界ゲンカイ>の外は水が満ちているわけでもモノが詰まっているわけでもない。

 視覚からの情報が<限界ゲンカイ>を示すポリゴン片のみになる。それも遠ざかり、暗闇に溶けていく。


『…………についてだが……報告、は…………いらぬぞ――』


 自由落下は止まらない。


 落ちる。


 落ちる。


 落ちる。


 落ちていく。


 ひたすらに、シバは落下する。


 見えない<限界ゲンカイ>が遠くなっていく。<世界セカイ>から遠ざかっていく。


 くそったれな<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>の声が脳裏にだけ残って、聞こえなくなる。


 それでも自由落下は止まらない。

 空気が薄くなる。落下による血流不全の失神か、<限界ゲンカイ>を越えた先か。呼吸もまともにできず、声すら発することが出来なくなる。もっとも、言葉を掛ける相手はもう近くにいない。


 背中を下にしたまま、シバの落下は留まることを知らない。

 長く白い髪だけが、黒の<世界セカイ>に揺れながら横切る。徐々に色も失い始めた。呼吸ができなくなってから、次第に意識が遠のいていく。


『………………』


 風はまだ身体に覚えていた。自由落下はまだまだ止まらない。


 耳鳴りが脳裏をつつく。痛みはわからない。あったかもしれないが、とうに朦朧としていた。


 自由落下は延々と続く。


 落ちて、


 落ちて、


 落ちていき――


 ――ドシンッ、


 一つ。遅れてもう一つ、さらに重々しい音。


「………………」


 シバの身体に、衝撃を覚えた。



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