2.0.8  run, run, Runnnnn!




 またこれが始まった。

 あの時もそうだった。シバには何ら干渉もなく、物理的な痛みのようでもないものをクイーンが受けていた。似ている状況で言えば、停止したCitaWsシタゥーズが近くにいることくらいだろうか。それも同じくそこからの影響だとは考えにくい。


 クイーンの目を塗りつぶさんとするノイズが濃くなる。夜にも負けない黒は、頭をかき消すように悪戯書きを現実に落とし込む。


「……は、ゃく…………ここから……」


 だがしかし一つだけ、あの時とは明白に違うことがあった。ラックは何ら影響を受けていないようだ。無事に――とは言い難いが――謎のノイズから免れた者が一人でもいるのは心強い。右頬を抑えながらも立ち上がり、ラックは自身のバイクを急いで立てかける。その動作からは多少の焦りも感じ取れるだろうか。


「…………っ。シバの姐御、脱出しやしょう。レベル8で起こるのはラック様も初めてだが、非常に不味い」

「な、何を言って――」

「――さあ! 早く後ろへっ!」


 ラックが珍しく叫んだかと思えば、地震のような揺れを身に覚えた。ドシドシと迫りくるような勢いがあり、この建物全体に異変が起きているようだった。

 何が起きたのかと考えるのも束の間、屋上の扉から勢いよくCitaWsシタゥーズが飛び出す。ラックがRRAPルァプを構えていたおかげで、それもすぐ被害は抑えられた。だが、それだけでは収まらない。こちらに姿を見せたCitaWsシタゥーズは一体だけでなく、複数体が重なりあうようにこちらへと腕を伸ばしていた。動きが止まった彼らの後ろから、さらにひしめき合うような音が鳴り響く。


 嫌な予感というのはこういう時に敏感になる。シバは言われた通りラックの元へと向かい、アクセルを踏み込んだラックが伸ばした手を掴む。


 それとほぼ同時に停止したはずのCitaWsシタゥーズが動き出す。いや、停止していた個体ははじけ飛んでいた。その後ろから、ものすごい量の別のCitaWsシタゥーズが屋上へと押し寄せてきたのだ。下で河のように群がっていたのが全てが屋上まで来たと思えるほどに、いや、実際はそうだったのかもしれない。赤いランプを照らすCitaWsシタゥーズが、シバを捉えんとするように各々腕を伸ばしてくる。

 ラックの助力でそれもすぐに回避できたが、相手側の勢いも止まることは無い。シバはラックに身を委ねながら片手でRRAPルァプの引鉄を押し込んだ。指が触れんほどに近づいたCitaWsシタゥーズから、赤いランプをゆっくりと消していく。射程距離にして扉まで届かないほどだったが、跳び上がったバイクにまで押し寄せてきたCitaWsシタゥーズは皆動きが止まった。


 だがRRAPルァプの停止命令が届いていない個体はそれだけでは止まらない。氷山のように飛び出たCitaWsシタゥーズの山をよじ登るように、遅れてやってきた第二陣が山頂からこちらを追いかけんとする。


 ラックのバイクは隣のビルへと飛び移った。着地の瞬間だけは流石に手元がぶれてしまい、そこまでコントロールが必要でないRRAPルァプでさえ暴走したCitaWsシタゥーズをうまく捕捉できない。


「後ろは何とかしてやるっ。任せたぞ、ラック!」

「あいよ。しっかり捕まっててくだせぇ!」


 行く先はシバには見えていない。着々と、迫りくるCitaWsシタゥーズ一体一体をRRAPルァプで止めていた。何度も跳び上がっているのを見るに、移動は出来ているとだけシバにはわかっていた。それでも、やめる理由にはならない。


 ビルの屋上を跨ぐたびに無尽蔵に湧き出てくるCitaWsシタゥーズ達だが、それも形が変わっていった。あの蜘蛛型だ。今は嫌悪だとか言ってる場合ではないが、それが群れをなしてビルの外壁面から登り詰めてくる様はどうも気味が悪いとしか表現のしようがない。

 一体が、動きを止めてこちらをじっと見つめていた。シバは咄嗟に右手のハンマーを投げる。コツンと重々しいハンマーとぶつかったとは思えない音の後、一閃がシバ達の頭上を通りすぎていった。あのなんちゃら光線だ。翻るハンマーが目前に迫ろうとした蜘蛛型を転ばせながら、手元まで戻ってくる。


 ここで攻防するだけでは消耗戦だ。やはり、すぐにでもD8地区から出なければならない。


「ここからじゃ赤い壁を越えるのはムズイか?」

「少々、時間をくだせぇ」


 ラックには考えがあるようだ。この状況ではシバが思考を巡らす暇もない。全てを背中に預け、CitaWsシタゥーズからの攻撃を耐え凌ぐ。


 D8地区はそのほとんどが高層階のビル群で埋め尽くされている。それを凌駕するほどの高さで、隙間を埋めるが如く赤く染まった電子壁が立ち塞がっていた。地区境界のビルの横を通り過ぎれば、その赤い壁がきちんとビル上にも設けられていることがわかる。抜け道は、中から見ても無いと断言できる。むしろ上限があるだけマシだろうか。


 そうは言ってもやはり余所見をするどころではない。すぐにこちらを捉えんとするCitaWsシタゥーズが腕を伸ばしてくる。ハンマーで弾きながら、手数を減らそうと多くを巻き込んでそれをあしらう。


「……おおっと!?」


 操舵するラックのバイクが少しだけ揺れた。見れば、ラックがハンドルを握った片手間で何やら座席下部を触っていた。パーツを探しているようにも見えたが、シバにはそれを観察する余裕もなかった。視線の先からの殺気に「右だっ!」と指示を出すと、車体は大きく傾く。特段損傷受けず事なきを得たため、今は蜘蛛型ロボットからのレーザービームは躱せているようだ。

 しかしD8地区内をぐるぐる回るだけでは限度がある。とうとう周りを囲うように蜘蛛型ロボットが湧きだしてきた。先回りをされていた。気づけばCitaWsシタゥーズの骸が屋上のそこらかしこに転がっていた。


「ラック! これ以上は無理だっ」

「……いや、時間はたっぷり稼いでいただきやした。今なら行けますぜっ」


 次のビルへと飛び移ったバイクの屋上を蹴る音が強くなる。目の前のビルの屋上には山になるほどの機能停止したCitaWsシタゥーズが積もっていた。CitaWsシタゥーズではない何かもいたように見えたが、それも一瞬、けたたましい音が鳴り響く。バイクはエンジンを大きくふかしながら、突然後輪の近くから目に見える青白いジェットを噴射させ、CitaWsシタゥーズの山をジャンプ台にするようにそのまま高く空へと舞い上がった。


 勢いよくビルから飛び出したバイクからは街並みが少しだけ小さく映った。色とりどりなネオン街、天を貫かんとする電波塔、ビル群に隠れるようにある廃工場跡。最初に侵入した時よりも高度が増しているように思える。言わずとも赤い壁の上を乗り越えんとしていた。CitaWsシタゥーズも、急加速したバイクに敵うはずもなく、光線を構えていた個体も的が外れたようにあらぬ方向へと向けていた。ビル屋上での空中レースで、大きくコースアウトしたバイクを追いかけることができるものはいなかった。


 着地先は高架線のあの道路のようだ。スピードを出すためのジェットが向きを90度回転させ、今度は着地の衝撃を和らげるように強く噴き上がる。完全に軽減することができなくとも、バイクは転倒することも圧壊することもなく道路の軌道へと乗り込んだ。


 ブロロロンと轟くエンジン音が一つ。周りが静音なだけあって、かなり五月蠅い。ジェットは止められたようで、他のタイヤ無き車達に倣ってバイクはその合間を縫って進んでいく。

 こちらを追うロボットの姿はめっきり見えなくなった。CitaWsシタゥーズもD8地区からすぐに脱出することは難しいらしい。下を練り歩く個体はこちらに興味がないように『日常』を過ごす。静かに、騒がしく、バイクは高架線の道路を蹴る。


「……はーっ。危なかった! 助かったぜ、さんきゅーな」

「これくらい、御安い御用ですぜ」


 風に煽られて髪が強くなびく。シバはヘルメットすらできてないので、めちゃくちゃに髪が暴れていた。いい加減どうにかしたいものだと思いつつ、きちんとヘルメットしている大きな背中に問いかける。


「文句は言わねえけどよ。最初から飛べたんじゃねえか?」


 乗り込むときも使えたのに。結局口を尖らせてしまうシバに、「チッ、チッ、チッ」とラックは真っ向から否定する。


「今、一時的に飛べるようになっただけですぜ。このラック様のパワーがあれば、姐御が望んだものをすぐにでも備え付けられやす」

「それがあんたの能力ちから、ってか。……ラック。あんた、ここの転生者なんだな」

「……っ!」


 薄々感づいていた。

 反応を見るに、正解だろう。<世界セカイ>は一人の人間が転生せしめた上で出来上がっている。物語の<設定セッテイ>に基づいて、転生者は一つだけ適応するための力が分け与えられる。

 敵対組織CitaWsシタゥーズに対抗する術を持つ者は、それだとしか言いようがない。何より、ラックにはいくらか特例が多かった。あのノイズを免れたのも、シバ同様転生者だからだとなれば幾分か納得もいく。


「……なるほど。ああ、シバの姐御も外から来た者outsiderでありやすか」

「そういうこったな。ロボットじゃねえってわかったか?」

「それならば……」


 ふと、鼻へと違和感が過ぎる。ガソリン臭くも焼き焦げたような、不快な臭いだ。

 何となくシバが顔を下に向ければ、その正体は一目瞭然であった。


「お、おい。このバイク、煙噴いてきてやがるぞ!」

問題ないですぜno problem、姐御」


 ハンドルから片手を離し、腰に据えたドリルを一つ手に取る。煙が噴き出している箇所へと目掛け、ノールックでそのドリルを穿たんとする。


「――【改造】っ!」


 修復箇所が眩く光る。それも一瞬だけ、光が失ってすぐに煙は途絶えた。穴が空いてたであろう場所はどこにも見当たらなく、継ぎ目を残しては何事もなかったかのように直されていた。


「酷使しすぎちゃいやしたが、これでしばらくは大丈夫でしょう」

「いい力だ。RRAPルァプを産み出せただけ伊達じゃねえな」


 改造する能力。先に挙げたRRAPルァプや、このバイクもそうなのだろうか。<世界セカイ>に対抗する力を産み出せるのは違和感がない、十二分な能力だ。


「ところで、折角見つけたお仲間さん見捨てちまったが……引き返すわけにもいかねえよな。あそこに戻るってなったら俺はごめんだ」

「……いいや、戻らない。それに、もう、手遅れですぜ」

「手遅れ、だと?」


 思わず語尾が吊り上がる。

 その言葉を否定するつもりはさらさらない。シバにはあの中でクイーン達が無事に生き残ってるとは到底思えないからだ。溢れんばかりのCitaWsシタゥーズの大群。質量の波に呑まれてしまっては、圧し潰されてるのが可能性として大いにある。

 しかし、それでいとも容易く見限れるような仲でもなかったはずだ。この男が兄貴と親しまれるほどの人材であれば、信頼関係を築けるほどのカリスマ性や手腕に見合う価値を備えていなければおかしい。共に行動していて、ラックがそうでないと感じ取れたわけでもない。突然裏切るような表裏の切替が激しいほどの人格の持ち主でもない限りは、その発言は出てこないだろう。

 もしくは、彼は既に、この<世界セカイ>を理解してしまっているのかもしれない。


「このまま一緒に抜け出しやしょう。姐御となら、きっと必ずできる気がしてやす」

「知れた誘い文句みてえな言い回しだ。詳しく聞かせてもらおうか。CitaWsシタゥーズから逃げ切ったこの状況下で、どこまで、だ?」


 ここで冗談を言うラックだとは思ってもいない。答えを聞き取ろうとする耳が、バイクの音を拾って耳障りとなる。

 そりゃ、勿論。目の前の大きな背中は当たり前のように語った。


「この常夜の監獄、『ミッドナイトタウン』そのものからですぜ」



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