2.0.7 ‘RRAP’
「……シバの姐御。一つ、提案がありやす」
神妙な面持ちで、ラックがぼやくように言葉を漏らす。呼ばれたシバが振り返っても、手元にあるハンマーを凝視したまま動こうとしない。
「このハンマー。ラック様の腕にかかれば――」
「ダメだ」
「……そうですかい」
がっかりするラックだったが、強奪するような意思は見せなかった。シバが右手を上げると、すんなりとハンマーはラックの手元から離れていった。くるりとそれを一周回してみせたが、ラックは本当に借りただけのようで、シバには特に何ら手が加えられたようには思えなかった。
それでも、シバにとってはやはり、
「姐御にとっちゃあ余計なお世話かもしれませんが……」
ラックがこちらに背中を向けながらつぶやく。自分のバイクの元へと戻っていく姿は、あの大きなガタイが小さく見えるほどに、何処かしょんぼりしているようにも見えた。
「いったいそれを何処で手にいたのか気になりはしやすが……それでも尚、おそらく――嗚呼、シバの姐御の力量を疑ってるわけじゃあありません。ただ――ヒューマロイドには通じることすら敵わないでしょう。奴等の装甲は、物理だけでは易々と通らない」
「それは俺も気になってた。あいつら、硬すぎんだろ」
重量の考え方が先の<
「
「無敵かよ」
ああ、とラックはしゃがんだまま頷く。
「そう。無敵ですぜ。稼働中に損傷したのは観測上ゼロに等しい。そのような機体の目撃例さえない。どうやって加工して作ってるんだか。ラック様ですら
だが、その口調ぶりからは焦りを感じられない。彼には考えがあるようだ。シバには一つだけ、心当たりがあった。
「一度だけ見たことがある。その腰にぶら下げている……銃か? ようわからんが……それだと、あいつらに攻撃が通るのか?」
「正確には攻撃していない」
結合していたバイクを引き剥がし、ラックはシバが乗っていた方のバイクの座席カバーを開く。そこから何かを取り出すと、こちらに向けて一つ手渡してきた。ラックの大きな掌からはみ出て見えたのは引鉄の部分。彼の〝エルムヌ
「完璧とも言える
その
「さんきゅーな。ところで、あんたさっき
「……? えぇ、へぇ。姐御の仰る通りでごぜえやすが……」
「…………」
なんとなく、シバは屋上への出入り口へと振り向く。釣られたラックも疑問を抱きつつそちらへと見遣るだろう。
一つ、影が近づいていた。すぐに影は赤く染まる。かと思えば、扉を破らんとばかりに勢いよく目を光らせた
奇襲を掛けてきた
「ひゅー……。流石、仕事が早えぜ」
指が開かれた状態で、目の前の
「お陰様で、な」
「は、はぇ! 当然のことでございやすっ!」
何の因果か、ラックは助けたシバに向かって深々と頭を下げる。
彼については知りもしない恩を受けてる感じだ。そのお陰で何度も助けられているため、シバにはメリットでしかないのだが。ただの温情か、まだ見ぬ奥底に裏があるかにせよ悪い気分ではない。未だ完全に理解してない<
「ったく。タイミングが良すぎる気も――」
「――
「…………?」
襲撃を免れて間もなくコツン、コツンと一定のリズムが響く。
静かになった屋上に、階段をゆっくり昇る音が耳に入った。足音は何かを警戒するように殺している様子だったが、それでも隠しきれていない。屋上にいた二人は再度
「…………」
「――――っ!」
一つ、リズムが崩れる。数拍置いた後、勢いよく扉は再び開かれる。
「――……はぁ、はぁ」
「……ヒトか?」
「おお、クイーンか。巡回中からの行方不明だったな。発信機はどうした?」
今度はロボットでもない普通の女性の人だった。ラックが呼ぶに、彼らのチームの一員なのだろう。クイーンと呼ばれた女も胸を撫で下ろすかのように構えていた
「……はっ。連絡が取れず申し訳ございません。我らD8地区担当の〝アナーズ〟ですが、D8地区に突如
「ジャックとキングがはぐれたか……。どこまで把握できている?」
「騒動の原因ですが、何やら一体のヒューマロイドを追いかけている様子でした。警戒レベルが一瞬で膨れ上がったため、深くは探れていないですが……。暴徒かいつもの迫害行為でしょうか? 追われていた者は、ヒューマロイドにしては珍しく髪のようなものが備え付けられ、全身が黒い装甲に覆われてました。その個体が逃れてから、このような事態へと陥ってます。……ちょうど、兄貴の隣にいる方にそのヒューマロイドと容姿が似ておりますね」
「……俺?」
確かに
「……待てよ。じゃあ、まさか――」
元々、ここには『
「シバの姐御……」
「な、なんだよ」
「……まずいかもしれやせん」
深刻そうな表情で、ラックは眉をしかめる。この一連の流れで、彼も察しがついたのだろう。
「シバの姐御が狙われるかもしれやせんぜ。何せ髪付きのヒューマロイドで全身が黒い装甲に覆われてるとなると、姐御と容姿が合致しておりやす」
「ああ、そうだな。俺も狙われるかも――……ん?」
少しだけ、話の辻褄が合わない。
「
ラックは眉間の皴を更に深めながら、真剣そうに独りごちる。
「あんな……。『
「何を仰ってやすか、そのようなことがあるはずございやせん。……いやはやしかし、姐御に成りすますヒューマロイドが実在する。何せ2%を詐称できるほどだ、ラック様でもいつの間にかすり替えられてしまった場合に気付けない可能性もありますぜ。ヒューマロイドは女性型にして心臓部にモーターを組み込んでいるものがおおい。胸部の膨らみ程度では人型モデルとしても違和感なく接しやすい故。姐御に近しくできるのも納得いきやす。表面は滑らかに仕上げてますが、触れてみないことには本当なのかもわからない……――」
しばらくぶつぶつと何かをぼやいてから、ふと、ラックはシバへと向き直る。
「シバの姐御……。胸を揉んでも構いやせんか……?」
刹那にして、ラックの身体が勢いよく横へと吹っ飛んだ。
何が起きたかわからないまま、クイーンはラックの元へと駆け寄る。それを見れば、大きく腫れた頬を抑えている男の姿が見えるだろう。
「ぶっ殺されてえのか?」
左手首を回しながら、思ったより飛んだなと別の方向でシバは感心していた。重力は普通だが、力は少しだけ過剰に起こせるかもしれない。それでも耐えきった
「コントしに来たわけじゃねえだろ。こんなことしてたら日が暮れちまう……いや、今はお天道様が昇っちまう方だがよ。時間が勿体ねえだろ」
それはそれとして、シバは空を見上げた。満月の夜空。ネオン街の真っただ中にいるせいか、星の数は少なく見える。光害とやらはここでも起こるのだろう。それとも、<
「あ、あねご……」
ラックが右頬を抑えながらこちらへと腕を伸ばす。助けを求めてるのだろうが、自業自得だ。
「発言には気をつけろ」
「ちが……姐御も、それだけ、は…………」
「あ? 口答えたあ、いい度胸だ。何が違うかはっきりと――」
ラックはシバに起こしてほしいわけではなかった。その光景を目の当たりにして、ようやく理解した。それも、遅かったのだと。
「――……ッ」
突如目の前でクイーンが頭を抱え込む。すぐにその両手でガリガリと頭を掻きむしる。目が引ん剥いたようだったが、それはシバからは観測できない。
クイーンの頭上に、見覚えのあるノイズが走った。
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