2.0.6 area D8
無謀とか無策とかという言葉がある。
妙案といった「謀」らいや、打開する「策」も「無」い状態を指し示す。
シバも過去に何度かやったことはあった。空中から悪い女神を殴った時も、
脳筋だとかそういうものではない。
根拠は無くとも、一直線に勢いだけで突破できる確信を心に、突っ走る行動。結果的に見れば大成功に収まっているものの、それ相応の失敗のリスクも孕んでいたもの。ここでいう失敗とは死と隣合わせ、更には死そのものになりうる可能性が大いにあることだ。
一言で言い表すのは容易い。結果良ければ全て良しとは誰が最初に発したのだろうか。ただ、目に見えた危険を前にこれから起こりうることを危惧するのは当然となる。巻き込まれた方は尚更そのように思わざるを得ない。
今、シバはまさにその状況下に陥っていた。
『――システム認証。操作権をマスターへ移譲します』
シバが跨るバイクが、唐突に音声を発する。勿論、シバから手をつけたつもりは全く無い。
「……おわっ!? 急に加速すな……っ!」
風をさらに切る音。駆動音は静かに、それでも前へ前へとスピードを上げたため機体が傾く。バイクは自動運転中で、前方にあるラックの自走バイクへと距離を詰めていく。
「…………」
「ラック……さん、よ。このスピードだと、そっちと――」
「
かく言うラックも、前方を見据えたまま両手離しだ。明らかに危険な走行。あちらも自動運転の類だろうか。
その太い腕は後方へと周り、何やらバイクの背面をカチャカチャといじっていた。双方の手に工具も携えており、移動している最中だというのに火花も散る。何をやっているのかは目の前だと言うのに理解できない。ただ、ラック自身がノールック状態であるにも関わらずその手付きに迷いがないことは確かのようだ。
次第に距離を詰めていくシバのバイク。ラックの手が挟まれそうなほど目前にして、ギギィインと金属を削る音が響く。
その音が止み、ラックの分厚い掌がシバの乗るバイクに触れる。満足したようにラックは両腕を自らのバイクへと戻し、使用したツールを腰に提げていたポケットへと突っ込む。よくわかってないが、二つのバイクを結合したようだ。
「……さあ、シバの姐御。しっかり捕まっててくだせぇ!」
「えっちょまっ、何するつもりだ?」
その言葉と共に、ラックがハンドルを強く握る。身体に覚える風が更に強まる。バイクを加速させたようだ。二つ一緒になったため、シバが乗る機体も同じだ。より髪が荒ぶる。
ラックのバイクの前を走る車はいないようだ。加速は、留まることを知らない。バイパスの上を弾丸が放たれたように、一直線に進んでいく。
だが道が真っ直ぐとは限らない。視認出来る距離にして、右折カーブゾーンへと差し掛かるエリアだ。それでもラックはバイクを減速させず、傾けようともしない。このままでは良くないと、知識に疎いシバでもすぐにわかった。
「おい、ラック……」
「へっ。このラック様を舐めては困りますぜ」
「……本当に、わかってんだろうな?」
「この辺りのインフラを整備したのは
「……つまり、何だよ」
ハンドルを握るラックは楽しげにニカッと笑い、
「しっかり捕まってくだせぇ。こいつは、今から飛ぶ」
「…………は?」
タイヤがアスファルトを強く蹴る。カーブに向かってスピードを落とさなかったバイクは、そのまま道を外してしまう。ここは高架線。外に飛び出るとなれば、その先は下道の上、空中だ。
「――はぁぁああ!?」
偶然にも、高架線のバリケードはかなり低かった。鉄塊が猛スピードで突っ込めばそれも無いに等しい。さらに道路の端が斜めに切り取られたような形をしており、タイヤはそれに沿って進み、宙へと文字通り飛び上がった。
視界が広がる。身体がふわりと浮かぶ。ハンドルを握った手だけが頼りに、バイクは弧を描くようにビルの方へと突っ込んでいく。逆立ちするような形で身体も座席から離れてしまった。さらにハンマーで左手を塞がれているため、右手の握力だけが頼りだ。
後ろの様子を気に止めることもなく、ラックはただただ楽しそうにハンドルを握っていた。
「これ、着地は!?」
身体のバランスを取り戻そうと必死なシバに対し、重力に従おうとするバイクの主は一言だけ告げる。
「……どうしたものかっ」
嘘だろと叫びたいのも束の間、二人は赤い壁を乗り越えていた。D8地区への侵入は成功だ。ここからバイクが浮遊するのかと思いきや、そんなことは無いらしい。放られた鉄球のように、放物線を描いた物体の軌道は落下に転ずる。
「だが安心だ。このラック様がラック様たる所以は――」
「無計画ってんなら、先に言えっ!!」
地面への着地まで、あと数秒。
生身一つでここから地面へと叩きつけられては、いくら受け身を取ろうがミンチになることには違いない。ラックが作成したというバイクにクッション性能がいくらかあるに賭けるのも手だが、もっとより確実な良い手がないか、シバは目だけで情報を拾い集める。
まだビル群の上から見渡せたのは行幸かもしれない。それでもビルというものは引っ掛かりそうな看板や配管といった露出物は少ないものだ。あっても地上近くか、屋上だろう。ここにはベランダすら皆無だった。屋上までであれば受け身も含め多少はマシになるだろうか。しかし、現状この接合されたバイクでは横に振れるどころか、向きを変えるだけでも手いっぱいだろう。
「それでも。やるしかねえよ……なっ!」
「…………っ? 姐御、一体何を――」
無理くり自分の身をバイクへと寄せ、そのまま抱きつくように姿勢を屈みこませる。
片手だけでバイクに身を委ね、もう片腕でハンマーを横に薙いだ。この状態で殴っても、周りに物があるわけでもなく、宙を空かしてしまう。むしろ当たってしまうのはバイクの方だろう。
いや、シバはそこを狙っていた。シバが乗る白いバイクは左側面よりハンマーの衝撃を受け、力のままに物理法則が働く。一瞬だけ、後ろを振り返っていたラックは抗おうとしていたが、すぐに落下方向を見てはハンドルを強く握りその動きに倣った。
二つの縦に繋がったバイクはゆっくりと回転し、その向きを立ち並ぶビルに対して垂直になる。
そのまま落ちてゆくバイクはビルの狭間に収まる幅ではなく、屋上の淵に引っ掛かった。金属が削られる音とタイヤが擦れる音。ドリフトするように二連バイクが滑りゆき、運良くも落ちずすぐに停止した。密集していたビル群だからこそ、バイクが橋のような形で着地していた。
衝撃はバイクだけに吸収され、なんとか踏みとどまる。ラックは停止を確認してから、空を見上げてピュウッと口笛を短く吹く。
「ハッ、心臓がいくつか無くなると思いやしたぜ。バイクも機能は生きてる。持ち上げられれば、あとは簡単な修復作業のみで直せる。……この結果も、幸運な男だと呼べるだろう」
「……感傷に浸ってるとこ
「
シバは荒げながらも震える声で、ラックを見上げる。
声の主がやけに下だと疑問に感じたラックは、宙ぶらりんのまましがみついたシバの姿を見て急いで救助へと移った。
「…………ふう」
「……これで、一安心ですぜ」
しばらくしてバイクの橋よりビルの屋上へと逃れる。下を覗けば、赤い警戒ランプをつけている
「よっ……と。危ねえ、回収されっとこだった」
いくら助かろうがバイクは路上で接合処置をされたものだ。橋になったバイクに余計な重力負荷をかけないため、咄嗟にシバはハンマーを手放していた。それがたまたま、下にいた
「……ほう。姐御、興味深い代物を持ってるではねぇですかい」
バイクを両手で引っ張り上げ、屋上の安全なエリアへと運び終えたラックが手元のハンマーを見つめる。バイクが軽いのか筋肉馬鹿なのかはともかく、ようやく安全を確認できて一安心だ。
「ただの腐れ縁のハンマーだよ」
「…………」
「……なんだよ。っつーても、あんたには
そう言うことも気に留めず、ラックはそのまま「少し、借りても良いか」とそのハンマーへと興味を示す。口調も相まって、勢いのままシバは「お、おう……。少しだけな」と渡してしまう。忘れてはいない、あの
「……確かに、重いな」
「マジかよ……」
前の<
「しかし持ち手に対してヘッドへの荷重がかなり大きい。尊敬してる姐御だからこそでしょう、よく器用に扱えてますぜ」
『――……それに、この<
いつだったか、ハッチが言っていただろうか。別であるこちらの<
そっと屋上からビル群の間を覗き込む。赤いランプをちらつかせていた
ふと、その
下を眺めていたシバは、そのまま通りをなぞる様に奥へと視線を送る。見なければ良かったと思えるほど、その物量に目を逸らす。
何か細長い生物が通り抜けるように、道が蠢く。その先には赤い壁が立ち塞がる。いや、それは赤い壁から侵入し続ける
D8地区。
シバが通過してからそこまで時間が経ってないというのに、見違えるほどに
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます