2.0.1  the ‘Night’




 月明かりの夜。


 煌々と輝かんとする満月に負けじと、街中に張り巡らされたネオンライトが艶色に道を照らしていた。

 青緑色Cyan

 紅紫色Magenta

 その他にも様々な蛍光色の演出で賑わせている。まるで今が夜であることを忘れさせてくれるようだ。

 その光を浴びるのは鉛色の金属の箱。雑無き美しい曲線が水平移動し色とりどりのネオンライトを反射させていた。タイヤを失ったそれは近未来風にデザインされた車と表現するのが正しいだろうか。クラクション一つと鳴らないバイパス。行き交う全ての車は忙しなくも一定の速度で動いていく。車輪を失ってなお自転させず浮遊することで駆動性能を得ているようだ。道路もまた整備され、事故という言葉とは無縁な世界のように感じ取れた。


 そんな大通りから外れたとある脇道。ネオンの光が届くか届かないかのビルとビルの間。影に染まらない白銀色の長髪が蠢く。次に照らし出された時はその陶磁器のような顔の肌も見えた。白の中には目立つ程の紅蓮に染まった眼が二つ、長い睫毛に隠しきれずに窺えた。しかしその首よりも下は色味が失せた暗い色。光が届かなかったわけではなく、その全身は夜の闇を吸い込んだような黒生地の衣装であった。膨らみのある胸元から足首までしっかりと着こまれており、さながら首だけが浮いているように見えるかもしれない。


 「少女」を照らした光は無人自動飲料販売機の備え付け照明のようだ。ビルの一部が凹むように空間が造られ、自動販売機の他、近くには砂埃を被ったベンチとしばらく利用されていないスタンド灰皿がぽつりとある。その「少女」は自動販売機をじっと見つめた後、どこかボタンを押しては再び反応を待つ。しばらくして小さな舌打ちが聞こえ、鈍く何かを蹴りつける音がどことなく鳴った。

 それに反応してか、自動販売機からガラガラッと中で何か落ちる音が響く。「少女」は顔を一瞬だけ綻ばせて取り出し口へと腕を伸ばし、一本の500ml缶を拾った。タブを押し込みプシュッと空気が弾ける音がしたかと思えば、その缶に開かれた穴から薄紫色の泡が溢れ出た。「少女」は慌ててそれを零さないように口を近づけて、その勢いで缶飲料を飲み始める。シュワシュワと空気が抜けていく音から、それは炭酸飲料なのだろう。手に持った缶の柄には「ふぁんたすてっく☆ソーダ」とポップ調で印字されてあった。


『やっほー』


 ここはビルとビルの狭間。窓も近くにはないコンクリート壁にある脇道に、ポツリと穴が開かれた。穴からは黒髪の子供のような姿が顔を覗かせるように「少女」へと声を掛けた。大きく跳ねた髪の毛に混じり、片側だけ伸びた角が飛び出ている。土管や排気口でかくれんぼしていたように見えるかもしれない。しかし穴はそれとは明らかに違った全く関係の無い場所に穿たれていた。


「…………」

『オマエ、元き――っ』


 小さな子供が話しかけている最中にも容赦なく、白髪の「少女」は手に持った缶の裏でその黒髪の子供を殴った。

 いや、それは確かに穴の中にいる黒髪の子供に向けられていた。しかしながら握りしめられた缶が黒髪の子供まで届くことはない。すんでのところで缶は不自然にも急停止した。慣性や減速といった物理法則を完全に無視した現象。寸止めするように力を加減したようにも思えない。不思議な力が働いたと言われた方が納得いくだろうか。小さな子供は開けた口をそのままに、頭だけでゆっくりと「少女」を捉えようとする。


 それに驚く素振りも見せず「少女」は黒髪の子供を睨み上げた。


「バレバレだ。黒髪の女神、<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>。ハッチを真似たって俺の目は誤魔化せねえ」


 小さき姿は丸々とした眼を一度閉じ、続いて開かれたところには赤々とした瞳で「少女」を見据えた。


『……ニハッ。見事だ、シバを名乗る転生者よ。が<冠位ユモク>を知り得ていたとは』


 怒りを露わにする様子もなく、むしろ楽しそうに<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>はニカッと歯を見せつける。シバと呼ばれた「少女」はそれを見て怪訝そうな表情を浮かべた。

 二人は敵対するわけでもなく、かといって親睦深めた仲といった様子でもない。ささやかな静寂が肌をひり付かせる。まるで思い出したかのように、缶に入っていた炭酸飲料がドボドボと零れ落ちていった。流石に勿体ないと思ったのか、シバは振り上げていた手を戻して缶の残量を確認していく。


「……ったく。例の無力化ってやつか。その笑いも調子狂うぜ」


 口調の悪い「少女」シバのもう片方の手の内に大きなハンマーを携えていた。黒く角ばった大きな頭はあらゆる壁をも破壊できそうなほどだ。それを持ち運んでいながら切り替えなかったとなると、攻撃を当てるつもりは根底からなかったのだろう。


 <終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>は穴からゆっくりと身体をのり出すと、地に落ちることもなくふわりと宙に浮いたまま腕を組んだ。全身は一メートル前後といったところか。見たところ三、四歳児の人間のような容姿をしている。だがその言動といい、ぷかぷかと浮いているさまといい、中身は全く異なる存在のようだ。


『嗚呼。なるほど、なるほど。時に人間よ。彼の同士討ちに乗じてさては己の<能力バティク>で穴を穿ったか。さしずめ<世界プボム>という次元の一部を【】し、その穴に逃げ込んだ……違うか? 否や、そうでなければ説明がつかない。同士討ちに生き残ったのも、突如起こった次元崩壊ディメンションエラーも、我が<冠位ユモク>を聞いていたという事実もある』

「さあね。俺は考えるよりも先に行動する方が好きなんでね」


 難しい言語を扱う<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>に対し、シバはこれといった反応を示さない。理解しているのか、その表情から読み取ることは難しい。


『それに……ふむ。そうか。次元崩壊ディメンションエラー下からでも転生は無事果たせたようだ。転生者の<能力バティク>をこうむったにも関わらず、霊魂たましいの質に然程異常はきたしていない。失われていた肉体の欠損は、転生によりリセットできている』

「……転生は『無事』だって? 話が違ぇんだよ」


 シバは手に持った缶をプラプラさせながら口を尖らせた。


『……はて。しかし身体に「欠け」は無い様子。霊魂たましいへの記憶も健在。完璧なまでの完全なる転生では無かろうて?』

「いや、あーの……。あるんだよ……っ!」


 シバは俯く。少しだけ視線を下寄りに、それも気恥しそうに、自分の身体をまじまじと見つめる。


「――〜〜っ」

『…………やれやれ。なに、所謂性的体型でさほど影響がある訳でもあるまい。雌雄差で大きく異なるというのは生殖機能だったか。まったく、生命あるものは手間の込んだことをする。この<世界プボム>で己がしゅの繁栄を施すつもりだったか? それならば特段今のままでも可能だ。前例は少ないが、幾許か観測したことも――』

「んなことするつもりねえわ!」

『種の存続は生命持つ人間特有の本能であろう。それではないと? 何を主張したいのか人間の思考には理解に苦しむが……その「欠け」というのは、おおかた転生に先立って<想像アゥグィ>が許容しなかったか、あるいは単に「欠け」てしまったかであろう』

「ああっ、もう。うるせえ! 自分で言ってて段々恥ずかしくなってきたじゃねえか……」


 缶の中身を飲み干し、シバの手元から近くのゴミ箱へと強く放り投げ入れられる。寄りかかっていた壁から離れると、身の丈程のハンマーを軽々しく持ち上げ、肩にそれを乗せた。


『……人間は肉体に自我を持たせている。それ故に自らを苦しめているというのか。全く、常々成り損ないと言われてしまう存在よ』

「なんだ、藪から棒に。神は違うってのか?」


 <終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>が浮遊したままシバの目の前を通り過ぎる。シバは警戒心を緩めずとも、その後ろについていくように歩く。


『そう。特定の個を個として扱う特異な言葉を「名前」と呼ぶならば、朕達は個を持たぬ。故に「名前」を持たない。代わりにある共通認識を持たせるために与えられるのが<冠位ユモク>だ。「名前」や<冠位ユモク>が無ければ朕々という存在に境界が無くなってしまう。貴様はシバという「名前」の人間の者。朕は<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>の<冠位ユモク>を有する者。<冠位ユモク>は種に対しての「呼称」のようなものだ。今の朕は以前貴様が見たであろう朕とは同じでありまた異なる。しかし同じ<冠位ユモク>を有する者。姿を変えたわけではないが、まァ認識はそれに近しいだろう。人間の言葉で云わば「生まれ変わった」の方がより正確か』

「長々と、ややこしいな」

『人間の貴様が知る必要もない。これは朕の戯言よ。そして、朕は元より貴様に興味がある』

「ああ、そうかい。俺は嫌いだ」

『……ニハッ。だから、興味が湧く』


 しばらく睨み返していたシバだったが、ふと途切れたように溜息をつく。


「……ったく。んでよ、そんな姿を騙ってるが本人は何処にいるんだ。ここまで連れてきたんだ、今度はしらばっくれんなよ」


 浮遊する<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>は、振り返っては『……はァ?』と首を傾げる。


『さァ? 何の事やら、全く。知らないね』

「…………まーじで一遍いっぺん思いっ切りぶん殴りてえ。……ハッチのことだよ。≪扉の番人≫って言った方が伝わるか? ここに連れてきたってことは、ここにハッチがいるんだろ。いったい何処にいるんだ?」


 わざとらしく指を口元に当てながら宙を見つめ、<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>は思い出したかのように赤い目を大きく見開いた。


『あーはッ。貴様はそれだけのために<世界プボム>を渡ったのか。つくづく恐れ知らずなものよ』

「御託はいいから。わかってるなら手間取らせんな」

『まァまァ。そう急かずとも良い。確かに朕に把握できないことなぞ無い……が、その前に。朕は非常に穏健で寛大な存在故に助言を進ぜよう。此処は先の<世界プボム>とは異なる。人間は環境から大きく影響を被る。なればそれを理解するのが最優先だと考えてみるものだ』

「だから、何だってんだ――」


 そう言い放つ<終生ノ煽動者デイトゥィェヴフ>が短い片腕を挙げては、シバの後方を指差す。シバはつられて背後を見やり、それを認識した。


 先程までは確かにいなかったはずだったが、どうやら近づいてきたようだ。シバの頭一つか二つか高い、人型のロボットだった。ロボットだとわかるのは顔の無い頭部であったからだ。顔に当たるところは鼻も口もなく、代わりとなる一つの丸いガラス板が大きな目のようにシバの姿を捉えていた。

 人型ロボットの全身は人肌のように滑らかで柔らかそうに思えた。自然と備え付けられた腕の先には、気が付く者こそわかる不確かな手首の関節があった。顔さえ隠してしまえばこのように気づくこともなかっただろう。服とも装甲とも呼べる外装を身に纏い、そして胸元には「CitaWs」とロゴのようなものが大きくプリントされていた。



 ――*――*――*――



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