1.5.7  英雄が臨む 最終戦闘




 その場に聞こえてくる声は最低限の詠唱文句と、漏れ出たような喘鳴のみ。奏でられた鈍い音はユーシャの剣とシバのハンマーがぶつかり合った時もあれば、魔術による攻撃が当てを外し天井へと流れた時、さらにはユーシャの連れの誰かが投げ捨てられるように壁に身を打ち込まれた時もあった。


「ガ、グハッ……」

「…………フム」

「ヤァッ」

「回復、シマス」

「……っ!」


 ケジャによる火炎弾が魔王の腿を焼き焦がす。

 アーチャの放つ矢が魔王の払う腕へと刺さる。

 彼らが傷を負ってもなお、ヒーラの治癒魔術が入りダメージは実質無かったことにされる。

 終わらない連携攻撃。ユーシャ御一行がシバ含む魔王を囲うよう四方に展開してバラけ、各々が攻撃しては撤退を繰り返す。

 地道だが、ユーシャ達にとっては魔王討伐のために止まるわけにいかなかった。


 魔王はダメージを累積させていた。続けざまにダメージを受けることで魔王に自己修復の余裕を与えない算段だ。ヒーラのいるユーシャ御一行のように外部からの治癒効果を得られることも無い。この短時間で得られた一番効果的で、勝算がある可能性。魔王は節々に損傷を負っていた。

 つまるところシバにも余裕が無くなっていた。痛みはまだ控えめだが、「ダメージ」は確実に受けていた。


「幻影よ、惑わせろ。私の生きる時間を【代償】とし、私の分身となって模倣せよ!」


 ユーシャの周囲でぼんやりと空気が揺れる。それが五、六体程形作ると、一斉にシバへと向かって飛び掛かった。

 一体目は手前のハンマーですぐにあしらわれた。地に叩きつけられたハンマーを軸に、シバは次に来るユーシャの分身二体をまとめて蹴り上げる。分身は攻撃を受けるとすぐに宙へと消えた。魔王も倣って一帯を薙ぎ払い、もう二体の姿を消し飛ばす。


「だが、まだだ!」

「――っ。次は右か!」


 最後の分身が突撃するように突きを繰り出す。シバはハンマーを両手で横に持ち盾にして受け止めきれたが、反撃まで手を回すことが出来ない。分身は押し出すように何度もシバへと打ち付けた。

 勢いを押されたまま後退ると、上空からケジャが仕掛けたであろう魔術の陣のようなものが妖しく光った。罠として設置された魔術の陣から、それに嵌った魔王へと向けて光の槍が降り注がれる。同時にシバは全身が引っ掻かれるような「痛み」を覚えた。


「ぐっ……。はぁ、はぁ……」

「――はぁっ!」


 隙を狙うようにユーシャ本人が真っ直ぐ駆け出す。対象と思われたシバがハンマーを振るうも、ユーシャは身を翻すように避けた。足を止めず、後方にいた魔王のパンチも回避して軽々しくその拳の上に乗る。そのまま剣を突き立てながら魔王の腕を伝い、肘辺りでかち上げた。続けて三度、その腕を斬り刻む。


「……あ゙っ!?」


 思わず手に持ったハンマーを手放すシバ。強い「痛み」により膝をついてしまう。一瞬だけ左腕が取れたような感覚を覚え、そこから力を込められずただそこにぶら下がる。無論シバの腕は依然繋がれたままだ。ハンマーを右手で掴んでから杖のように地面に押し込み、それでも立ち上がろうと試みる。


『――――ッ』


 偶然か必然か。この場にいた者が皆、何かが聞こえたように顔を上げていた。攻撃を仕掛けてくると身構える者も少なくなかった。視線の先は、彼の魔王であった。


 魔王は虚空を見詰めながら大きく口を開けていた。叫んでいる、と見て理解するのは簡単だ。しかしながら己の聴覚を疑わしくなるほど、この大口から発せられるはずの悲鳴はいくら待っても届いてこなかった。

 大広間内には声にならない咆哮が響き渡る。

 言葉とも呼べないそれをシバやユーシャには聞き取ることはできないが、ユーシャ除いた御一行は煩いと感じるように耳を塞いでいた。


『――ッ!!』

「何が起きてるってんだよ……っ!?」


 みるみるうちに魔王は姿を大きくし、ただでさえシバの体長を優に越していたその身をこの部屋の天井に達するほどにまでなった。もう一度声無き叫び声を上げ、右腕だけをグツグツ煮立てるように増幅させていく。右腕だったそれは膨張したまま黒ずみ、そしてすぐ鞭のように大きく横に薙いだ。

 魔王の右手がメキメキと壁にめり込む。柱にぶつかる衝撃で広間全体に振動が起こる。シバは右掌に摩擦熱のような火傷を覚えた。バランスを崩さぬよう踏み堪え、天井からの影を察知して横に転がる。先程までシバがいた場所には大きな音を立てるシャンデリアや瓦礫が落ちてきていた。見渡せば方々にも同じような現象が起きているではないだろうか。魔王はそれを避けるでもなく、ひたすらにこの広間の壁や空間を邪魔そうに破壊していた。


 ユーシャもすぐに反応して回避するが、御一行は未だに耳を塞いでいるのがほとんどであった。落下する瓦礫等の餌食にならないように絶対防護魔術を貼るが、それだけでは衝撃を全て受け流すことは難しいだろう。


『――――ッ』

「くっ…………」


 ユーシャは咆哮する魔王を睨み上げる。シバの行動に関係なく、独りでに暴れ回ってしまっているように見えた。言葉は聞こえないが、天井を崩れさせて諸共巻き込もうとしていた。部屋にある数本の柱のおかげですぐに崩れることはないだろうが、それも時間の問題であろう。そうこうするうちに、一つ、部屋に聳える柱がなぎ倒された。足元の震動がさらに強まる。


「……無ければ良いのだな」


 ユーシャは踏ん張る両足をより広げバランスをとる。剣を掲げて、窮屈そうに壁を殴り続ける魔王に向けて言い放つ。


「なれば、私がどけてみせよう。――この空間を守る柱を【代償】として、歩めるべき地を残し取り巻く構造物を吹き飛ばせ!」


 一瞬だけ、ピタリと震動が止まった。


 ユーシャの宣言通りに柱がフェードアウトしていく。忽ち王宮全体が揺れ出したかと思えば、部屋を構成していた天井や壁が弾け飛ぶように崩れ散っていった。それは内側から圧砕されるように、瓦礫となって外へと投げ出された。

 室内にいれば気付かないものであったが、既に夜も更けていた。不思議と空間は明るいまま次々と無くなる天井や壁であったが、ふと外を見やると、それは渦を巻くように周囲に吹いているようであった。渦の中心はユーシャを含むこの大広間だ。


 空間が広がり、魔王も満足したのか暴れるのを止めた。暴風が吹きすさび、小さな破片がちょっとずつ飛んできていた。風の渦は止むことなく瓦礫を飛ばす。国王の部屋は最上階の最奥部にあった。能力ちからの仕掛けか魔王の力も作用したのか、ここだけを取り囲むように渦が生じたのだろう。場外に出てしまえばこの巨大な竜巻に巻き込まれてしまう。一難去ったがまた一難。ユーシャはそれに対する策を講じようとする。


「なっ……!?」


 不意を討たんとするシバの攻撃に、すんでのところでユーシャは受けきった。片手だけで振るうハンマーから、ユーシャもシバの左腕がダウンしていると理解できるだろう。隠された形態か、魔王も姿かたちを変えた。つまるところ、魔王への「ダメージ」は確かに起きていたのだ。いよいよ本気を出してきた魔王であるが、シバへの影響は未だ続いたままともわかった。

 シバもそのつもりなのだろう。本格的に殺り合うしかなさそうであった。


「…………っ」

「何故そこまで無茶ができる……?」


 考える隙を与えないようにシバはその右手だけでハンマーを振るわんとする。ユーシャは剣で弾き返し、大きく一撃を与えた。シバも同様に受け止めようとするも、片手だけでは受け止め切れず勢いに押されて転がるように大きく後退した。


 ユーシャは周囲を見渡す。瓦礫や聞こえない咆哮から逃れたユーシャの御一行もどうにか体勢を整ることができたようだ。運良くも崩落事故に巻き込まれた者は――壁にめり込んでいたはずの変異した王国騎士を除いて――いない。猛攻する際は多少の無茶もあったが、今は吹き飛ばされると流石に救うのも厳しくなるであろう。

 魔王が大きく振りかぶり、黒く肥大化した右腕だけで足元を殴ろうとする。ブドウが駆け寄り、腕を交差させてそのパンチを止める。じりじりと拮抗するその両者を余所に、アーチャが一矢を射るも、それは刺さることなく弾き返された。詠唱を済ませたケジャやヒーラも魔術の弾で追撃するが、どうやら影響があるようには思えなかった。


「あれは攻撃の無効化……いや、装甲のようなものか」


 ケジャからの感覚共有を得て、変化した魔王の性質を理解する。とめどなく続けた攻撃は小さくも塵積もらせるようなものばかりであった。今度はある程度大きな攻撃でなければ通らなくなったとなれば、同じ手を受けないということだ。何か大きく打撃を与えるような手段が必要となる。


「ウルァ!」

「……やはり、来るか!」


 魔王がユーシャの仲間を襲うように、シバはユーシャを相手に取ったようだ。

 シバがハンマーを片手でかち上げる。受け止めようとするも、ユーシャの予想を越えた力量でハンマーが殴らんとしてきた。殴るだけでなくシバがハンマーごと蹴っていたのだ。勢いに押されユーシャの身体が宙に浮くが、反応早くも後転して着地できた。


 距離を詰めるようにシバは駆け出す。一度だけくるりと横に回転して、裏拳の要領でハンマーを振るった。ユーシャは両手で剣を持ちながら脚で踏み込み、突き出すようにハンマーに対抗する。


 ジリジリと火花が走り、しかし互いの武器が欠けることもなく伯仲する。ユーシャは少しずつハンマーをいなし、一気に横に払った。隙が生じたシバの横腹を柄でどつく。シバはその細身を大きく捻らせたが、遅れた左腕に当たった。感覚がほとんどないためか、「痛み」の表情も浮かべずにシバによる反撃が続く。


「何をぼうっとしてんだ。早くやらねぇと、やられちまうぞっ」

「…………っ」


 確かにユーシャは多少の手加減をしていた自負はあった。

 それもそのはず、既にシバは限界のはずだ。彼の左腕が機能していないとユーシャもわかっていながら、その猛攻には防衛に徹するしかなかった。

 それでもなお、遠慮や躊躇を廃しこちらに敵意を向けさせようとシバは自演しているのだ。

 だが余裕があるほどでもないのもユーシャの本音である。シバの攻撃は、かつての強敵まもの達にはない意志があった。機械的な繰り返しの攻撃ではなく、臨機応変に行動パターンを変えてきている。「殴る」という単調な動きにもユーシャから見て同じものがどれなのか判断がつきにくかった。


 間をついて、ユーシャは剣を縦に振るう。空気の刃が数歩離れたシバへと向かって襲い掛かる。

 シバはそれを何とか横に避けたようだ。一度だけしか見ていないはずだが、動きがわかっていたような避け方であった。しかしギリギリで躱したのか、その右手からハンマーが離れる。ハンマーはユーシャがいた場所から大きく逸れて投げ出される。


 ユーシャは好機だと図り、シバの元まで踏み込んだ。その一歩は誰にも視認できるものでもなく、気づいた時には眼前にまで近づいていた。

 振りかぶるユーシャに対し、シバは抵抗する様子もなく右手で口元を拭っていた。そうだとユーシャは思っていたが、違和感を察知し、剣を振るうことなく左後方へと視線を向ける。


「――くっ!?」


 凄まじい勢いで何かが飛んできていた。反応が遅れながらもユーシャにぶつけられることなく回避できた。シバの挙げていた手に戻ってきたとなれば、ほうられたはずのハンマーであったとわかるだろう。その特性があることをユーシャはすっかり抜いていた。


 ユーシャとシバが戦闘を行う場所から離れて、ユーシャ御一行もまた同様に一進一退の攻防を繰り返していたようだった。

 手厚い加護を受け、ブドウが前線で魔王の攻撃を受け止める。攻撃、といえども魔王はひたすらに変化した右腕でパンチを繰り出していた。アーチャとケジャが攻撃支援するも、いずれも効いている気配がない。

 加勢に向かいたいユーシャだが、シバがこちらへと執着してしまって手が離せない状況だ。ユーシャは感覚共有からの応用で最低限の指示を送った。

 何とかシバの気を引ければ魔王にまで辿り着けそうではある。魔王の元まで寄れれば、ユーシャからの一撃を魔王へと見舞わせることが可能だ。しかし魔術を唱えようにも、その間隙すら与えてくれない。


 大きな一打が必要。ユーシャには遠距離からの高火力はない。伝説の剣一つのみだ。

 思考を巡らせ、一手の賭けに踏み込む。


「幻影よ――」


 ユーシャは同じように剣を掲げようとする。シバにも何度も見せていた、能力ちからを使う時に安定する姿勢だ。


「その<>はさっきも見たな。だったら先に【破壊】するっ!」


 シバもこちらの攻撃を受けるばかりではおかないというのだろう。ユーシャの能力ちからは失うことが多く、失敗に終われば損失が大きい。

 しかし失うばかりがユーシャの持つ能力ちからではない。

 分身の発現よりも先に殴らんと、宙を舞いこちらへと飛び掛かるシバ。その後方でユーシャ御一行が誘導させていた。魔王の背中が大きく露わになる。ほんの数刻の間だけ、二つは点と点で結ばれ、直線状に並ぶ。


 この時をユーシャは待ち望んでいた。


「――【代償】破棄。魔術複製」


 刹那。その場に光の柱が立った。

 それがユーシャの持つ伝説の剣であると理解出来たのは、本人と目の前でそれを目撃した者だけだろう。


 ――赤目の少女を消し去る能力ちからへの【代償】。


 光の柱はとうに伸びていた。夜空を拝められるほどに空間は開けていた。力強くも天を切り裂かんほどに複製されたそれは、以前にも勝らずとも劣らぬ煌々と照らす光を放つ。

 シバは見るからに危ないとわかっていただろう。これもまた一度体験している。その身を何とか翻せれば、ユーシャからの一撃を免れられたかもしれない。しかし、それができなかった。


 既にその光の柱はシバの半身を飲み込んでいた。




 *――*――*――*――*



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る