1.5.6 力と 代償と 犠牲と
ユーシャに斬られた魔王の右手は肘辺りまで裂けていた。それもみるみるうちに再生するように元の形へと戻っていく。間もなくしてシバの右掌の熱も収まった。
誰もその場から動こうとしなかった。ユーシャの連れはユーシャの命令でピクリとも動かない。王国騎士達は、シバの力加減が誤っていたのだろう、壁にめり込んでいる者がほとんどである。<中核>となってしまった国王は言わずもがな、変わらず項垂れたまま奇妙な文字列が皮膚面を巡回していた。そして損傷箇所を回復しきった魔王は、静かにその場に佇んでいた。
突然の偽魔女神の出没に、ユーシャへの攻撃。それにハッチが独りでに追いかけてしまったことも相まって、シバには落ち着いて思考することができていなかった。黒髪の女神が易々と魔王の<想像>を出していることに疑念を持つべきだったのだ。あからさまに裏があると見るべきだった。
後ろで魔王がギチギチと強く拳を握る。その音を聞きシバも自身が握っているハンマーの手がまた一段と力強くなっていたことに気付いた。少しだけ爪も食い込んでしまったようだ。持つ手を替え、指を開いたり閉じたりして痺れを和らげようとする。魔王もその動作を真似た。
「…………」
「…………」
二人は無言で対面していた。武器は手にしていようにも互いに手を出せずにいた。
「……シバの
「俺か。それはどうだろうな」
シバ自身にはわからない。しかし今回に限り可能か不可能かとは別にシバの思惑があった。
この
だがこのままそうしてしまうことはシバ自身にも影響が及ぼされるであろう。魔王が受けたダメージがシバにも共有されてしまった。「痛み」はこの<世界>では軽減されている。魔王城前での戦闘で既にシバは理解していた。その上で「痛み」を感じてしまうとなるとかなりの大ダメージを受けたのだろう。魔王自体に再生能力があることが幸いか、今は引いてきていた。これが斃されるまでシバにも流れ弾のように受け続けることは何とか避けたい。
ユーシャもそれをわかっていた。ユーシャ自身は痛覚といった感覚を【代償】により排斥してしまったが、シバはそうではない。このまま魔王を斃しきるまで斬り刻んでしまえばシバがどうなってしまうかなんて考えたくもない。そもそもユーシャがシバを斬るという行為に躊躇いが生じてしまう。ユーシャにとって今のシバという存在は救世主であり立派な仲間であるのだ。
「いったい私はどうすればいいのだ……」
「……ア゙、ア゙ァ゙」
迷いが隙を生んでしまったか、止まっていたユーシャ御一行が一斉に動きだした。一度動き始めたら止められるような速さではない。ユーシャはそれでもしかと認識できていた。わかってなお、今のユーシャは止めることができなった。赤い目の魔物は敵であり、目の前にいるのが魔王であれば猶更だ。ユーシャが斃したい相手であり、それに同意してこれまで共に行動してきた仲間達。ここにきていきなり攻撃をするななぞ言うのは手前勝手すぎる。
いっそこのまま仲間が魔王を斃してくれればなんと気が楽だろうか、ともユーシャは考えてしまう。己の手を汚さずに、短い期間ではあったが友となったシバを殺められてしまえば。そんな迷妄が頭を過ぎる。
「――ァ!!」
意気消沈するユーシャの頬を叩くような風がビュヴンと大きく吹きすさぶ。続いて仲間が一斉に飛ばされる影が見えた。咄嗟にユーシャは己の魔術で四人への衝撃を和らげる。四人は姿勢を崩さずに着地はするが、ダメージを受けたためかすぐ追撃には移れないようであった。
「400年以上も、待ったんだろ?」
ヒーラが気力を絞るようにそっと杖を掲げ、柔らかな光の粒子で周囲を包み込んだ。雪のように舞う光の粒子につられ、ユーシャは項垂れていた顔を上げた。
「たった一人のためだけに全てを無駄に出来るんか? 影響あるっつーたって直接
「犠牲…………。シバ、おまえは……怖くない、のか?」
ユーシャの焦点が遠くへと移る。点は身の丈程あるハンマーを肩に乗せてこちらを窺っていた。そのまま長い睫毛を伏せて大きく溜め息をつき、「この程度でびびってりゃあんなことやってねぇよ」とぼやく。
「なあに、死んでもすぐ転生すりゃいいさ。今はハッチいねえけどな。そこはなんとかなるろ。俺のことは気にすんなって。これが神に与えられた運命ってんなら、俺はただただ抗うだけだ。やることはいたって変わらねえよ」
「……本気なのか? おまえってやつは――」
言葉を制するかのように、ユーシャの後方から一閃が走る。シバはわかっていたようにすぐに反応して、同じ動作をする魔王がそれを打ち落とすように遮った。カーペットの上で矢が転げた。この場で弓矢を扱える者はユーシャが引き連れている一人しかいない。
「だからって、ただでやられるつもりはねえさ。……俺は『魔王』としてこの場で宣誓する。――この世界は、俺がぶっ壊してやる。ユーシャ、それにその御一行さん。互いに情けは無用だ。止めたくば、力で示して見せろ」
「…………」
悪役を演じるシバはニカッと歯を見せつけた。赤い目の魔王が、ここに顕現していた。
ユーシャは一度目を閉じ、気持ちを落ち着かせる。対峙するのは二度目だろうか。三度目だったかもしれない。しかし今回はユーシャだけではない。ユーシャと、ユーシャと共に幾百年過ごしてきた皆がいた。一度二度敗れはしたが、今度こそそうはいかせまい。意気込んで決意を固める。
「ケジャ、身体能力向上魔術と絶対防護魔術を全員に。魔術妨害無効化……はいらないな。ブドウとアーチャが前衛へ、ヒーラは前に出過ぎないで。シバ――魔王の攻撃についてだが、一撃が重いがその分隙も大きくなる。手数で押すこと、何より被弾抑え目の回避優先で動こう」
ユーシャが指揮取る合間にケジャが全員分の魔術の詠唱を終えた。
シバにも聞こえていただろう。ユーシャの言う通り、シバへと手数で攻められることはきついだろうと考えていた。後ろの偽魔女神が余計に
「さぁ――行くぞっ」
戦闘の幕が切って落とされた。
ユーシャの後ろから、一人の姿が消えた。
シバはそれを理解し、すぐに身を捻じらせる。そのまま後ろを振り返れば想定通りアーチャが弓矢を引き絞った姿があった。放たれた矢は魔王の脇を綺麗にすり抜け、天井のどこかへと衝突する。続けられる矢はシバがハンマーを構える前に、振り返った動作からか魔王の腕へと受け止められた。じんわりと伝わる程度だが、すぐにその感覚はシバの腕から消え去った。蚊にでも喰われたのだと勘違いする程度だ。急所に当たらなければ矢は平気なのだろう。
正面からはブドウが、左前方にはユーシャが駆けながら構えていた。受け止めるのはどちらかは間に合わないと悟ったシバは、すぐにハンマーで地面を叩きつけた。シバが身体を浮かせると、魔王もその身を浮遊させた。
ブドウは赤い目を剥けたままシバへと向けて突進していた。目の前にいたシバの姿が宙に舞い、突進が不発に終わる。
魔王への直接攻撃を狙ったユーシャもまた、横に薙ぎ払わんとした剣の軌道を思わぬ挙動によりスカしてしまう。それでもユーシャは憤ることなく、冷静ながらもシバがジャンプしたのだと理解し、なるほどなと心の中で称賛していた。
飛び越えた後、背中を向けたままのブドウへと向けてシバはハンマーを突き出す。ハンマーごと思いきり蹴り飛ばし、その大きな背中に向けて命中させた。相当な重量を持つハンマーごと背中に衝撃を与えられたブドウ。勢いが過剰に働いてしまい殺しきれず、魔王の股下を転げていく。背後で次に備えていたアーチャを巻き込みながら吹っ飛ばされていった。
魔王もシバの蹴りを反復すると、それはユーシャへと向けられた。ユーシャは剣で受け止め、後退しつつも何とか持ち堪えたようであった。
後続では魔術を詠唱するケジャとヒーラが待ち構えていた。ケジャが火炎弾を繰り出し、遅れてヒーラは光の弾を放とうとする。ハンマーが自力で手元に戻ってきたシバは、その流れのままかっ飛ばすように火炎弾を打ち上げ、光の弾と相殺させる。
魔術の弾がぶつかり合い轟音と共に爆発した。生じた硝煙で視界を塞がれた双方であった。その爆風には顔を上げていた者が皆思わず身を固めるよう顔を覆ってしまう。そんな中、物ともせず黒い腕が伸びていく。魔王が、シバの動きをなぞっていた。煙幕から突如飛び出た掌は身動きが取れずにいたケジャとヒーラどちらもを巻き込んで叩く。二人は絶対防護魔術で守られながらも、大きな力に抗えずその身を壁へと打ち付けられてしまう。
「……っ!!」
煙幕が薄らいだと思えば、その中から影が飛び出す。シバは咄嗟に防御を構えた。ハンマーで受け止めた先はユーシャの伝説の剣であった。力で押し出すように一度弾き、ユーシャはその場で一振り、斬撃を放つ。
ユーシャが斬った剣の斬撃が目に見える空気の刃となり、シバを襲った。それをもハンマーで打ち消そうとするも、受け流すにまでしか留めきれず、空気の刃はシバの頭上を飛び越えた。それと共にシバの両腕に熱を覚えた。後ろでは腕を交差させた魔王の手首辺りが切り裂かれてゆく。暫くしてその切れ目も収縮した。
「……流石だ」
振り下ろした剣を軽く振るい、ユーシャは構えを崩さぬままシバを見据える。吹き飛ばされていた御一行もユーシャの元へと集った。殺気に溢れた赤い目のまま、無言でユーシャを守るように彼らもこちらへと武器を携えていた。
魔王は傷を受けてもすぐに回復していた。元々こういった<想像>だったのだろう。回復に限度があるのか、詳細はこの中ではまだ誰も知らない。魔王とあらば永続とも考えられよう。ユーシャもそうであるが、シバにとっても厄介だった。ただひたすらに試せばわかるわけでもない。シバに少なからず影響が及んでいる。今はまだ耐えきれる時だが、無限に試せるわけでもない。
この魔王を斃すにはそれ相応の苦難を強いられる。二人は言葉にせずとも同じことを考えていた。
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