1.5.5  狂を謀らんとする 神




「魔王の不在はやっぱあんたの仕業かっ」

「……シバ。彼奴あやつは何を喋っているのだ? 私には全く聞き取れないどころか、知らない言語のようだ」


 ハッと我に返ったユーシャが駆け足でこちらまで近づいた。彼の連れも同じように付いてきていた。

 この時になってシバは御一行の異常さに気が付いた。妙に静かで違和感はあったのだが、視線を交わして漸くそれを確信した。交わせられたのかすら怪しい。以前とは異なる、彼らには無かった赤い目。ユーシャ除く四人ともが瞬きもせず赤い瞳孔を見開いたまま、ぼうっとその場に突っ立っていた。ユーシャには従順な様子で、これまで口出しすることや取り乱すようなことすらしてない。


「あ、あぁ。魔王について何か知ってるみてえなことをほざいてた。んで……そうだな」

「……彼らは、巻き込まれてしまったようだ」


 目線を察してユーシャが独りごちる。ユーシャの言う通り、王国騎士のみならずこの異世界のヒトが皆そうなったのだろう。御一行もまた<>の一部にしか過ぎない。


「突如としてこの世界に異変が生じた。ラスト村も魔物に溢れ襲われたのだ。あの時見た魔物は、おそらく王国騎士だった者達であろう。宿が消え、次に目覚めた時には私の仲間もこうなってしまった。姿かたちが魔物になってないのは幸いか、しかしどうにもだんまりとした様子だ。恐らく私の魅了で今はどうにか取り留めているようだが。何故なにゆえ急にこのようにおかしくなったのだ……?」

「いんや、この世界は初めっからおかしかったんだよ。魔王城には辿り着けないようにされていた。魔王なんて端から魔王城にはいなかった。……ユーシャ、あんたはわかっていたはずだ。わかっていてもどうしようもなくて目を逸らすことしかできなかったんだ」

「……この世界に魔王が本当にいないならば、私は何の為に…………」


 その先の言葉は続かなかった。


「……魔王がいない、か」


 シバは振り返り、口を挟まずにニマニマと笑みを浮かべながらこちらを眺める黒髪の女神へと向き直る。そして、指を二本突き立てた。


「さっきの質問の続きだ。王様はあーなっちまったが二個あるっつーたからよ、代わりに答えてもらおうか。魔王の所在……は聞いても教えてくれねえだろうな。だが、これならあんたも答えられる。――魔王は、いるんだろ?」

『…………へェ。その心は?』

「シバ、さっきおまえの口から魔王がいないと……」


 ユーシャの疑問にシバは頭を振るって否定する。


「魔王城には魔王がいない、っつーただけだ。魔王は必ず存在する。これに間違いはねぇ。ハッチから聞いた話、この世界は<>が確立されていなければならない。なら、神だろうが何だろうがルールは絶対守らなきゃいけねえはずだ。『始まりと終わりの異世界<設定>』……あんたはついさっき魔王のことを<>ってはっきりと言っちまったもんな」

『御名答』


 隠す素振りすら無く黒髪の女神はパチパチと手の腹を叩く。ふと、その手を止めた。『で、だから?』そう呟きかけ、何かを考えるフリをしてはわざとらしくぼやいた。


『……あァ、なるほど。<>を上書きしたあの<>か。やりたいこととしては、そこなる適当なヒトやモノの<>を上書きして魔王に仕立ててやろうという魂胆だな。ふむふむ、魔王が在ればその座位を書き換えるくらいできそうだ。それで討伐成功となれば<>も満了。めでたしめでたし。いやはや、大団円。完璧だねェ』


 褒めているのか貶しているのか、黒髪の女神は大きく一回パチンと両手を合わせる。楽しそうに緩んでいた表情を一変させ、眉間に皺を寄せた。そしてわざとらしくこちらにも聞こえるような溜息をついた。


『……あァ、しかしそれでは趣が欠ける。定められた秩序が成り立ってしまう。つまんないねェ。とはいえ一定軌道を行く秩序からでも混沌は生まれやすい。レールに敷かれた小石のように、ちょっとした悪戯でも激動する。余興ゲームに支障はきたさないどころかますます興が乗りそうだ。――なれば』


 ぶつぶつと独り言をする黒髪の女神。項垂れている国王の元へと降りていく。椅子の背凭れに足を掛け、しゃがむ体勢で国王を見下ろしていた。

 <>となった国王の全身には知らない言語で書かれた文章が駆け巡っており、もはやヒトの形をした何かと化していた。輝くその身には生気すら感じ取れない。

 水面下の獲物を狙うように目を細かく動かす黒髪の女神が何かを捉えた。


「なっ……!?」


 次の瞬間、その右腕が伸びていき国王の頭蓋を掴んだ。

 普通ならば背凭れの上から届くとは思えない。明らかにその腕が長く伸びていた。魔女神ダイズも似たようなことをしていただろう。しかし問題はその指が国王の頭を貫通していたことだ。


「国王陛下に何をっ……」

「ユーシャ、近づくんじゃねぇ!」


 シバは制しようと腕を伸ばさんとするも、素速くユーシャが黒髪の女神へと飛びついた。他の四人も素早くユーシャについていくだろう。

 黒髪の女神はその速さに追いつくように一瞥するも避ける素振りすら見せない。ユーシャが踏み込み、剣を引き抜く勢いで一薙ぎしその腕を切り落とさんとする。

 しかしながらそれは腕に触れることすら許されなかった。剣はまるですんでのところで振るうのをやめたかのように止まった。ユーシャが息を飲む音が聞こえるに、それはユーシャの仕業ではないのだろう。先にシバが体験したような力の相殺だとシバにも理解できた。


 ユーシャも無敵な女神に対して半信半疑で斬りかかったのか、すぐ撤退するように剣を引く。


「――……っ!?」


 ユーシャは黒髪の女神の元から勢いよく離れた。身体のバランスを崩したまま壁に打ちつけられていた。まるで突き飛ばされたかのようで、勢い余ったユーシャの身体が砂埃を飛び散らせながらめり込んでいた。


「――誰っ?」


 腕を伸ばしていたシバの隣から、大きく黒い影が更に奥まで伸びている。その方向に先程吹き飛ばされたユーシャの姿があった。シバは伸ばしていた腕を下ろす。影もまた伸ばしていた腕をするすると元に戻さんとする。ゆっくりとその腕を辿り、真後ろに立つその主を見上げた。

 首が痛くなるほどそれは巨大であった。人型ではあったが、膝がシバの胸元程の高さまであり、総じてかなり大きい。全身は白い衣装に包まれており、一部は頭から垂れ下がる長い白銀の髪の毛であった。下から見上げてもその胸元は影となって豊満さが伝わるだろう。

 それは赤い目で虚空を見詰めていた。


魔女神ダイズ!? くそ、いつの間に背後にっ」

『これは<>。本物じゃない』


 姿形はまるで魔女神そのものだ。

 しかしその少しばかりでかすぎる大きさやこちらへの関心が無さそうな態度からも、本神ほんにんではないようではあった。ハッチの主張もあり、そうだと悟る。意識があるのかないのか、シバがハンマーを強く握ると呆けた魔女神もまた不器用そうにも構えを取っていた。


 魔女神の姿とはいえ偽物で<>物だ。至近距離の今ならハンマーで退けることは容易いだろう。

 シバがハンマーを振り下ろそうとするも、偽魔女神は無言でスッと綺麗に避けた。同じく攻撃の構えを取っており、シバが空振ると同時に大きな掌を薙ぎ払った。対象は攻撃してきたシバ――ではなく、ユーシャの連れであった。


「そっちに行くのかっ――」


 ユーシャと同じく御一行四人ともが抵抗せず壁際まで吹き飛ばされていた。壁にぶつかる手前で魔術のような障壁が直撃を防いでいた。赤い目になったとはいえ、仲間に対してユーシャが気を働かせたのだろう。衝撃だけが城全体を揺らし、少しだけ塵が舞った。


「……赤イ、目」


 誰かが呟いたのだろう。その言葉は地を蹴る動きで続けられた。


「急に襲いかかってくるんかっ」

「…………魔王マオ゙ヴタオ゙ス」


 赤い目のブドウがこちらを押し付けるように突進してきた。奥では視認可能な速さで赤い目のアーチャが弓を引き絞っていた。遅れて赤い目のケジャと赤い目のヒーラも杖を振るおうとしているだろうか。


「魔王……って、だから俺は違うぞ!」


 タックルをハンマーで受け止めてから、力一杯に横へと振るう。それに合わせるように背後で偽魔女神が目前を片腕で薙ぎ払った。鞭のように振るわれた腕が四人を巻き込んで引き離す。射られた弓矢もその腕で防いだようだ。

 再び見上げるが、偽魔女神は意識が無いようでやはり虚空を見つめていた。無意識で動いたようにも思えない。こちらの動きに連携するように、偽魔女神は腕を動かしていた。


『否定も何も、それが魔王の<>だ。直々に用意してあった方が楽であろう? <>の最終目標なんだ、君達にとって良いことではないか。その見た目は朕からのサービスさ。勿論御本人では無いがね。まッ、期待以上の結果を待ってるよ』

「――っ、どっか逃げるつもりか」


 椅子の背もたれから音もなく飛び降りた黒髪の女神。手首をくるりくるりとノールックでこちらに合図だけ送り、玉座の後方へと離れていった。

 そして人差し指を一本だけ立てた。身体はそのまま歩み、顔さえもこちらを気にかける様子すら見せつけない。


『……あァ、それと一つ。この物語に≪ことわり≫が介入する訳にはいかない。≪壱≫だったか、こちらに来てもらおうか。尤も、言わずもがなこちらへ来るしかなかろう』


 誰かに向けてか呟き、黒髪の女神は何もない空間に手で触れた。触った空中に波紋が生じると城の中に闇が展開された。黒髪の女神一神ひとり分の高さ程度だろうか。その闇はハッチの役割である次元の扉に酷似していた。

 それだけではなかった。次元の扉の中に所々別の何かが映し出されていた。高速で走る曲線美を持つ金属の箱。闇とは違った黒が空に広がり、その下でネオンライトが照らす街並み。それは明らかにこの世界には不釣り合いな映像であった。


『――っ!!』

「ハッチ――っ!」


 声を掛ける間も与えずハッチが単独で黒髪の女神を追いかけた。黒髪の女神は次元の扉へと入っていく。ハッチはその次元の扉へと向かって己の次元の扉を駆使して移動する。徐々に狭まるその次元の扉の中に、小さな身体は完全に閉じ切るまでに滑りこんだ。

 一瞬だけ、扉の先に入る前にハッチがこちらへと目だけで合図を送っていた。口も動かしていたかもしれない。『ウチは平気』そんな風なことを言っていたようであった。


「くそっ……」

「…………」


 ハッチに気を掛けたい間も与えてくれず、ユーシャ除く御一行達がタフにもユラユラと立ち上がった。武器を持つ者はそれを手にし、もう一度こちらへと歯向かおうとする。


「――止まれ。これは勇者直々の命令だ」


 その声で四人は一切の動きを止めた。踏み出そうとした脚も石像のように固まり、呼吸さえもしているか怪しいほど微動だにしなくなった。


「……ユーシャ」


 青き甲冑は多少汚れついたのだろうか。傷を負ったのだろう、それを隠し堪えたまま一歩ずつ踏みしめてこちらへと歩み寄る。


「シバ。いったいどういうつもりだ」

「あ? 何の話だ」

「後ろのその者……魔王、なのだな。そうだろう? 漸く見付けだすことができた。シバによく似ている気が――いや、私も以前何処かで出会ったような――……今はひとまずよしとしよう。何故、ここに姿を現した。何故、私と仲間の邪魔をした。何故、共に行動をする?」

「一緒じゃねえよ。俺の後ろに付き纏ってるだけだっ」


 シバが背後にいる偽魔女神へ向かってハンマーをかち上げる。偽魔女神は何処となく大広間の上を見ていたが、シバの攻撃を容易く避けて、真似するように両拳を握りしめながら振り上げた。腕が黒く変色したまま伸びていき、ぶら下げられたシャンデリアの一つを殴った。ガシャガシャと擦れ合う音がした後、大きくガシャンッと落下する音が部屋中に響き渡った。

 特に破片が手元にまで飛んできたわけでもない。しかしながら、シバの手元にはじんわりとぶたれたような感触が残された。シバは何も殴れていない。むしろ殴ったのは偽魔女神の方であっただろう。


「くっそ……こいつは何なんだっ」


 続けてシバは大きくジャンプして横薙ぎにハンマーを振るう。偽魔女神もまた、その巨体をジャンプして避けた。こちらへと関心があるのかないのか、見下すように眺めては右掌で薙ぎ払った。今度はさっきと同じようにユーシャ御一行を狙ったようだ。

 その動きを見てユーシャが素早く右側前方に出る。剣を掲げて、魔王の右手を受け止めた。そのまま大きく押し返しては剣で一撃を食らわせる。

 同時にシバの右腕にチクリとした刺激が走った。痛みは一瞬であったが、右掌辺りから熱が籠っていた。


「――いっ……」

「シバ、よく聞いて欲しい。おそらくシバの動きに合わせて魔王は行動するようだ」


 ユーシャはシバの後ろにびったりと付き纏う偽魔女神、もとい「魔王」へと剣先を向ける。シバも見上げるが、それを見てとりわけ動こうとする気配もなく虚空を見ていた。あの魔女神を知っていると猶更不気味だ。無性に腹立ってきて殴りたくなるのは俺のさがだろうか。

 シバが目を合わせるとユーシャは少しだけ視線を落とした。後ろめたい様子で、次に出す言葉を躊躇っているようにも思われた。


「ここから先に続けて言う内容は、不確定ではあるが同じく得られた悪い情報だ。……ああ、実に最悪な情報だ」

「何だ? 魔王が不死身とかでも言うんか?」

「否。不死身ではないだろう。むしろ、それ以上に厄介な状態だ……」


 ユーシャはシバの方へと向き直る。目は鋭い眼差しへと変わる。同時にそこからは悲哀の感情も含まれていただろうか。何処か迷っているようでもあった。察する程度でしかないが、目を合わせたシバはギュッとハンマーを握りしめてしまう。


「……この魔王への影響はシバにも与えられる。つまり、私が斬らなければならない魔王は、シバ、おまえをも斬ることとなるのだ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る