1.5.4  興を図らんとする 神




 ニヤリと妖しく笑う女神は碌なことを考えてなさそうだった。

 一方的な押し付けは理不尽にもほどがある。ゲームと言っていたか、それに付き合う合理などあるはずもないのだ。シバは右手に握るハンマーをいつでも振れるよう臨戦態勢で備えた。


「御託はもういい。始めの質問に戻るが、あんたが俺を探していた理由は何だ? その返答によっちゃあ俺はあんたを殴らなきゃいけねぇ」

『殴る、ねェ。親切にも伝えておくがわれ彼奴きゃつとは違う。彼奴は低位故に切符売り程度の役目しかしてなかったからな。それに人間。どうやら自分の<>に相当の自信があるようだけど、人間の<>を以てしてもこの余興ゲームには従うしかない』


 黒髪の女神が指でパチンと鳴らすと、これまで微動だにしなかった王国騎士達が一斉に動き出した。御丁寧に陣形を組んだかと思えば、一瞬にしてシバの周囲を取り囲み槍の矛先をこちらへと向けた。あまりにも統率のとれた綺麗な円で槍をシバへと狙い定めている。半歩でも動いてしまえば刺さってしまいそうだ。

 力や数で圧倒するわけでもなく、王国騎士達は構えた槍を急に上へと向けた。柄の下の方を握り、皆が右腕を一斉に上げる。そのまま槍を振り翳すように振るうが、シバを直接狙ったわけではないようで、頭上へと槍は放り投げられた。これも円を描くように槍が飛び交うが、お互いの槍がぶつかり合い、空中で三角錐の形で静止した。

 カチンカチンと矛先が更にぶつかり合う音がすれば、三角錐の先端が開かれて台形の円柱のような形をとるだろう。宙に留まる槍が自由落下していく。綺麗にもシバを避けるような空間を残して地にまで至った。勿論、シバは一切動かずにいたが、その落ちてくる槍が身体を掠めることすらなかった。カランカランと乾いた音が鳴り、床に槍が重なったままのサークルが築かれた。サークルの中心にシバがいるのは言うまでもないだろう。


が指一つでこの<>は自在に操れよう。意味や意義なぞ必要ない。朕がそうしたいと想うから、<>が応えてくれる』


 黒髪の女神の言う通り、突発的にも彼らが今意味のある行動をしていたとは到底考えられない。余りにも不自然極まりないとしか言いようがないだろう。

 槍に気を取られてしまったが、その槍を失った王国騎士へと見遣ると、今度は二人組を作ってこれまた丁寧な社交ダンスを踊っていた。息がピッタリどころか、皆が同タイミングで全く同じステップを刻んでいるのがわかる。


『人間とそこなる≪壱≫はこの<>を壊すのが目的、そうだろう? 宜しい、認めようではないか。ちょうどこの<>にも退屈が過ぎた頃合いだ』


 舞い踊る王国騎士達はそのまま散開するように壁際までくるくると回っていった。


『ならこの場に舞台を設けよう。<>を有する朕であれば造作も無いよ。人間は余興ゲームは好きだろう? そうでなくとも参加するしか無いがね』

「……よくわからねえけど、一つだけあんたは勘違いしてるぜ。俺は、この<>を壊すんじゃない。――【ぶっ壊す】んだよ」


 ハンマーの頭を黒髪の女神へと向けて突き出す。

 身を乗り出して頬杖突く黒髪の女神はキョトンとした表情を浮かべるも、すぐに理解したかのようにニンマリと微笑んだ。女神の笑みにこれほどまでに悪意しか感じ取れないことなどあるだろうか。


いねェ、いねェ! そう来なければつまらないもの。俄然そそられるじゃないかッ。人間如きがとは言わないでおこう、まして折角場を盛り上げてくれたことだ。早速、余興ゲームを始めよう』


 ふわりと浮遊する黒髪の女神。宙に浮いたまま直立し、広い空間を仰ぐように両手を広げた。

 その時までシバには一切気が付かなかったが、この大広間の天井部――ちょうど国王が座っていた椅子の直上だろうか――に大きな照明が存在していた。照明と呼んだのはその明るさからであり、器具のようなものが取り付けられている様子はない。光源だけがそこに浮かんでいた。光の中を更に注視すれば見たことも無い言語のようなものが帯状に爛れ、グルグルと回転していた。文字だと認識はするがどれも知っているものではない。記号が多く集い、圧縮されて光の塊と化しているようだ。それに、シバには一度見たことがあった。


『<>……』

「まじかよ。あんなとこにあったんかっ」

『見えていなかっただけ。もしくは今ここに現れた』


 光の塊――<>はゆっくりとそこから落ちていくように下へ下へと向かう。それは吸い込まれていくかのように国王の元へと降りる。二つが重なった瞬間に、凄まじいほどの風圧がシバ達を襲った。


「――っ!?」


 思わぬ突風に身体ごと吹き飛ばされてしまう。ハンマーは自重でその場に留まり、それを両手でしがみつかんとする。身体がふわりと浮かび上がるが、握力だけでは到底持ち堪えられそうになかった。

 風の勢いは止まず、スルッとハンマーの柄から手が離れてしまった。身体は凩が降りかかる枯れ葉のように舞い、出入口側へと軽々と吹き飛ばされてしまう。視界から黒髪の女神が一瞬にして遠のくが、すぐに衝撃を背中に覚えた。壁に打ち付けられたという感触よりも、不思議と誰かに受け止められたような優しい抱擁であった。


「シバ! やはりこちらにいたかっ」


 開かれた扉のすぐ手前。その者に抱きしめられたまま見上げれば、この異世界で見知った顔があった。すぐ周囲にも見慣れた格好の四人組もいるようだ。魔王城に向かっていたはずの彼らは、何故かここにまで辿り着いたようだった。


「あ? ……ユーシャ!? 何でこっちに来たんだよっ」

「無事そうで何よりだ。私は魔物と闘っていたが自分ごと巻き込んでしまってな。復活する場所が無くなってしまうと王宮内の部屋に戻ることをすっかり忘れて……いや、今は関係ないだろう」

『へェ。まッ、想定内』


 黒髪の女神は嬉しそうに歯を見せつけ、さらにぐるりとその場で一回転する。たちまち大きな風の渦が国王の椅子を中心に巻き上がり、それはすぐに広がっていくだろう。ユーシャに抱きかかえられたまま風を凌ぐ。風が再び通り過ぎたのを感じて目を見開くと、そこには光り輝く国王の姿があった。

 椅子に座ったまま項垂れている国王であったが、囲うように光の円陣が組まれていた。その円陣が国王を照らして輝いてるように見えるのだと理解できるだろうか。国王は気を失っている様子だ。

 ユーシャから離れると、背中に避難していたハッチも姿を現した。遠くで置き去りにされたハンマーも主に向かってぶんぶんと飛び戻ってくる。ユーシャは危なっかしそうにそれを首だけ動かして避けていた。


『<>の中に、<>を取り込んだ』

「嘘だろっ。国王さんが今は<>だっつーのか」

「シバ、今何と……? 国王陛下の身に何が起きた?」

『≪壱≫がいるなら言うまでも無かろう。嗚呼、<>を破壊する者よ。目の前に<>があるではないか。これはチャンスを与えてしまったかなァ?』


 黒髪の女神はあたかも失敗したかのように顔を手で覆う。目の前に<>があるなら、それを破壊できればこの<>を壊せよう。

 しかしながら、シバはすぐに手を出すことができなかった。<>への干渉は以前の異世界で実証済みである。問題は、今<>を壊したところで意味がないのだ。リセットはかけられるかもしれないが、ここにいるユーシャを救う順当な手段ではない。<>を満了していないユーシャには『未練』が残ってしまい、再び転生の儀が行われてしまう。そうなれば繰り返しになるだけだ。それによってユーシャが正しい異世界に転生される確証があれば問題ないのだが。

 そのユーシャに視線を送れば、ユーシャもまた見上げていた。


「黒い髪の女が何か申してるが、何と言っているのだ」

「ああ、今回はそっちも見えてるんか。あれが女神ってやつさ。俺と対立していた奴とはちょっと違うがな」

「女神……神様? 確かにこの力は魔術とも形容しがたく不自然だが。まさか、出会った時に揶揄っていたことは本当だったのか?」

「俺があんなとこで冗談言う理由がないだろ。とにかく、あいつの言葉に耳を傾けちゃならねぇ。碌なことにはならねぇぞっ」 

『……やはり素直には動かないかァ』


 どうも動く様子が無いのを悟って黒髪の女神はつまらなさそうに見下していた。神は如何様にしても人間を卑下するのだろうか。しかし半分がそうであるように、半分はそれとは異なった何とも言えない表情を浮かべていた。

 空中で胡坐をかきながら、目線をシバ達から外す。その先には突風で倒れていたらしき王国騎士達の姿があった。

 鎧や兜をガチャガチャと鳴らしながらユラユラと立ち上がる。槍は投げ捨てたため誰も手には持っていないだろう。そのまま空いた両手を前方に突き出しながら、ゾンビのような恰好でのそのそと動き出した。


「まずい――っ!」


 シバは急いで国王の元へと駆けだす。王国騎士が向かう先は、同じく<>と化した国王であった。

 動きが鈍いためか、王国騎士達よりも素早く国王が項垂れる椅子の元まで着いた。そのままハンマーを縦に構え、半弧を描くように近づいてきた王国騎士達を一蹴する。王国騎士は抵抗するでもなく再び広間の壁際まで飛ばされていっただろう。


「王国騎士が国王を……やはり、異変はここでもか」


 ユーシャが遠くでぼやく。状況を理解するのに精一杯のようで、その場からすぐに駆けつけてくる様子はない。他の御一行もまた妙に静かにユーシャの傍らを離れようとはしなかった。王国騎士の異常な行動にも目もくれていない様子だ。


『おやァ? どうした、何故<>を護ろうとする。それを一気に破壊すればこの<>は壊れよう』

「……ちっ。わかって言ってやがるな」


 次々とやってくる王国騎士を払いのける。近づく者がいなくなったのを確認して上空を睨み上げる。ハンマーの動きを止めずに地面を叩きつけ、シバ自身の身体を浮かび上がらせた。これは怒りによる衝動だろうか。身体が感情のまま動き、余裕そうに宙で顎杖つく黒髪の女神へと向けて反時計周りにハンマーをかち上げる。


『……だから無駄だと言っただろう』


 黒髪の女神が指先をハンマーに向けると、ハンマーは指先に触れることもなくその場で停止した。黒髪の女神の指が砕かれることはない。力を加えても奥に押し込める様子もない。見えない壁があるというよりも、力が相殺されている。そんな感覚が握りしめた手元にまで伝わってきた。


「…………っ!」

『……は?』


 しかし、突如としてシバが振るったハンマーの頭が虚空へと掻き消された。柄は握られたまま、むしろ力が入っていたため頭が見えないまま慣性が働く。

 そのハンマーの頭は何処からともなく虚空から現れては黒髪の女神の右頬へと触れる。黒髪の女神は不意を突かれハンマーで殴られた。顔の大部分を歪ませながら何が起きたのかをゆっくりと目だけで追って理解しようとしていた。誰もが当たったと理解することに、高らかな笑い声が鳴り響くまでは気づかなかっただろう。


 次元の扉から突き出したハンマーの頭だけが黒髪の女神を捉えていた。


『…………あァ。ああッ! ニハハハハッ! なるほど、なるほどねェ。彼奴も殴られたとか喚いてたな。≪壱≫が働くとは稀有なこと。……ところで。それ、そろそろどけてもらえるかい?』


 殴り飛ばされることもなく、黒髪の女神は鬱陶しそうに己の顔を変形させるほどのそのハンマーをゆっくりと手で押しのけた。直後にその波打つように変形した顔はギュルルンと何事も無かったかのように元の形へとすっかり戻ってしまう。

 押しのけられたハンマーの頭は次元の扉からニュルッと飛び出てきた。こちらが力任せに押していたにも関わらず、抵抗もできずに押し返された形だ。柄に頭もついたまま特に異常はない。

 シバは大きく一歩下がる。遅れてハッチも扉から飛び出てきた。横に並んで、余裕そうな態度を見せつける黒髪の女神を見上げていた。


『外傷無し。物理的影響を受けていない』

「ダメージすら入ってねぇんか」

『肯定』

「なんだ今のは……。突然時空が歪んだかのように見えたぞ。あれもシバの力……いや、シバの連れの技だったな。それにしても神様は無敵、なのか? …………この一連の騒動に、見たことも無い力を持つ存在。先程の仕業もそうならば王国騎士をも自在に操っていたようだ。王国騎士はこの城の外では魔物とも化していた。まさかあの神様が魔王か?」

『魔王? ああ、<>のね。転生者はそれを探していたかな。さあて、どうだかねェ。だがしかし今しかと見ただろう。少しばかり刺激が強すぎたかい? なるべくそうじゃない方が転生者には好都合じゃないかなァ』


 ニヤニヤとこちらを見下す黒髪の女神。殴られたことに対してとりわけ怒ることも反撃してくることも無いようだ。むしろこの状況をこれまで以上に愉しんでいるように思われた。


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