1.5.1  おうこくきし ふぜん




 日は暮れ、夜の帳が下りる。

 しかし今、ラスト村を包むように広がる闇は黒煙であり、灯りは緋色に燃え盛る炎であった。


『ゥヴヴァワァッ!』

「……くっ」


 村の中に入り込んでいた魔物を切り伏せる。だが、そこに倒れ伏した魔物は先程まで普通の人達であったことにユーシャは気付いていた。


「――ユーシャさん、しゃがんでっ!」


 倒壊する屋根瓦。反応が遅れるが、アーチャが身を挺して屋根瓦を蹴り飛ばす。無茶をさせてしまったが、危うく下敷きにならずに済んだ。

 ヒーラが火傷したアーチャの手当にあたる。安全地帯に住民とサンタイチョウ隊長を運んでいたブドウとケジャもこちらに駆けつけてきた。


「感謝するよ、アーチャ」

「まだ残ってるのがい゙やがる……っ」

「ああ、そうだな。ケジャ、絶対防護魔術を村の一ヶ所に。それで結界を張ってくれ。ヒーラも終わったらそっちの援護に回ってほしい」

「御意」

「はいっ」


 各々ができることを率先して救助へと移る。


 どうしてこうなってしまったのか。

 シバの痕跡を追っていたのだが、突如として一部の人が前触れもなく魔物と化してしまった。見間違いとは思えないが、はっきりと赤い目を睨みつかせこちらへと襲い掛かってきた。

 おそらく――いや、ほとんどがそうなのだろう。魔物になった人の正体は、皆王国騎士であった。

 全員がとは言い難い。というのも、サンタイチョウ隊長だけここに人のまま残されているのだ。正確には一度魔物となってしまったが、シバの力により無力化されたようだ。魔物嫌いなアーチャが特に嫌悪の反応を示さないのを見るに、人に戻ったと解釈できるだろう。

 不幸中の幸いとも言えるのか、ラスト村を訪れた王国騎士は多くない。一部外からの魔物も乱入していたようで、門番が珍しくも活気溢れんばかりに前線で身体を張っていた。今だから言えるが、魔物に臆せず奮闘する彼らの方が王国騎士達よりも優れているのではないだろうか。


 門番を横目にユーシャも魔物を的確に処理していく。見渡す限り目につく敵は鎮圧できただろうか。


「……火の元はどこからだ?」

「ふむ。火炎を消すのは少々お時間いただければ可能ですがな」


 ぼやくユーシャの傍らに絶対防御魔術を張り終えたケジャが歩み寄る。怯える村人達にはヒーラが寄り添って慰めていた。癒しの魔術効果だろうか、徐々にその表情から緊張の糸が解れていっていくのが遠目からでもわかった。


「ああ。お願いするよ」

「では僭越ながら……――っ!?」


 ケジャが杖を振るうと同時に、不穏な気配を何処からか察知する。

 それは身を焼き焦がすような熱量を持って襲い掛かってきた。反射的にケジャが絶対防護魔術を張るが、擦り抜けて突風が全身に降り注ぐ。二人は踏み堪えつつ、顔元は腕で覆い隠す。

 薄ら目で歯を食いしばる。偶然か、足元に転がる魔物の残骸がユーシャの視界に映った。それは熱風を浴びてしまい赤く発熱する。そのまま発火し炎を巻き上げ始めた。だがその「炎」が、煙が吸われていくように不自然にも一ヶ所に集まっていくではないだろうか。

 「炎」はラスト村の中心部にうねるように向かう。重なった「炎」が負のオーラをも交えながら螺旋状に空へ空へと昇っていった。首を上げるのも辛くなるほど火の手が伸びたかと思えば、曲がるように地面へと向かって折れた。火が折れるとはおかしな話ではあるが、その「炎」が先端を二股に分けながら勢いよくこちらに飛び込むとなればそれどころではないだろう。


「くっ……」


 同様に眼前でケジャが襲い掛かる炎を打ち消す。ぶつかった衝撃から、「炎」に実体があるとわかるだろう。それはこちらを噛みつくのを諦めると、首を上げてこちらを窺う。はっきりと、その赤々しく燃える目で「炎」がこちらを見詰めていた。


「新たな魔物か……っ!?」

「北西部の火山に生息しておりました『炎の魔蛇フレア』ですな。しかしこんな火山とは真反対に位置するこの村にも現れるとは」


 火山を活性化させ周辺に多くの被害を齎した大型の魔物。ユーシャ達は何百年か前に一度対峙したことがあった。遥か昔の記憶、ケジャの一声でようやく思い出したユーシャだったが、この村に出没することには疑問を感じざるを得ない。


 王国騎士の魔物化といい、異常な現象が続出している。始まりは――魔王城に辿り着いてからだろうか。遡るならばシバと出会ってからだろうか。更に顧みれば、この村でルーティンを繰り返してた時に起きた謎の地震からかもしれない。

 はっきりと理解ることとして、この世界全体で異常が起きてしまっているのだ。

 そう思考を巡らせるユーシャだが、問答無用で『炎の魔蛇フレア』が二度目の噛みつきを仕掛けてきた。ケジャの魔術によるバリアで何とか凌ぐことができているが、いつ住人達へと狙いを替えるかもわからない。


『……ッ?』


 威嚇するその魔物の口元に、突如として一閃が走る。『炎の魔蛇フレア』は首を少しだけ村の東側に送るだろうか。その視線の先にはアーチャが弓を構えていた。『炎の魔蛇フレア』がアーチャに噛みつかんとするが、既にその場から離れてユーシャの後ろまで逃げ込む。見失ったかのようで、『炎の魔蛇フレア』はキョロキョロと辺りを見渡している。


「矢が効かないなんて。ユーシャさん、あたしにゃ無理無理。何とかして」

「無理をい゙ゔな、ア゙ーチャ。だが、この熱量だ。流石に長丁場ながちょゔばは避けたい゙」


 ブドウも駆けつけてくる。防衛に徹するだけでは何の解決にもならないのはその通りだ。


「解析を」

「既に終えております。全身約1500度の魔物、触れるだけで全てが蒸発するでしょう。物理無効、これは火の手がある限り炎の肉体が再生するといった具合でございます。水による鎮火は不可、凝固した氷ならば本体の炎までに通るやもしれませぬな。――以前の火山にいた個体とほぼほぼ相違ないかと」

「全く同じだとは考えにくいが……」


 以前はノースィースト村からの協力も受け、『炎の魔蛇フレア』へと特大な氷をにぶつけることで何とか食い止めることができた。その戦法が今回もできれば何ら問題はないのだが。


「魔術で氷を生成するにも、この巨体を消火するほどの量とならば少々お時間いただきます故」

「言わずもがな。火山で実践できなかったからこそ手間をかけてまで北東部から氷を運んだのだ。私が手伝っても間に合うか、といったところか」


 それも突発的に遭遇するとは予想だにしないだろう。

 まさに危機一髪の状況。それに、早急な判断も迫られている。

 村の人達の身の安全は今のところ大丈夫そうではあるが、立ち並んでいた町並みのほとんどに火が移ってしまっていた。村人を護るにしても、村の全てを守るのは既に厳しい。


 どうするべきだろうか。ユーシャの脳内に過ぎったのは、一つの考えであった。


「……もう一度聞こう」


 シバならば、ここはどうするか。

 突破不可能だった道を常識の外から殴りかかった彼なら、その並外れた判断力でこの展開でさえも切り開いていくだろう。そう思いながら、可能性を一つずつ言葉にしていく。


「物理攻撃は無効、水も駄目だな。……他はどうだ?」

「ええ、他は……特に耐性はございませぬ。氷以外ですと、光弾のような魔術攻撃では多少の効果はあれど時間はかかるかと。火の手がある限り再生もするため、それを上回る魔術攻撃を繰り返す必要がございます」

「なるほど。炎はどうだ? 例えばだが、温度の高い炎で奴を上書きはできる、という認識か?」

「……っ!?」


 逆転の発想を仕掛ける。炎により炎の相手を更に燃やすのだ。


「あれは約1500度の炎だと言ってたな。その数倍に文字通り火力を上げて、こちらからの炎で『炎の魔蛇フレア』に喰らわせてやろう」

「なんと……ええ。それに必要な炎であれば、この村全体や周辺の森をも包み込むほどの劫火となるでしょう」

「なるほど。……ちょうど、良いか」

「……??」

「ケジャは絶対防護魔術を。ここにいる人は集っているな。皆が炭にならないよう耐熱性能を注力してくれ。ヒーラは継続的に全員を回復魔術で援護してほしい。ブドウとアーチャは村人が飛び出ないように抑え込むんだ」

「ユーシャ様っ」


 ユーシャは右手を掲げ、高らかに宣言する。

 この能力には不可能を可能にする力は備わっていない。しかしながら、犠牲から望まれた願いは確実に発動する。


「――全てを焼き焦がす10000度の劫火よ。燃え盛るこの村の家々全てを【代償】として、『炎の魔蛇フレア』を呑み込め!」


 途端に息苦しさをこの場にいた者は覚えただろうか。しかし皆は呼吸すら忘れてしまうほどに、眼前に起こった光景へと目を奪われていた。


 赤い炎に包まれた村の家々が、其処彼処そこかしこと大きな火柱を立ち上げた。倒壊により爆ぜたわけではない。それは赤い炎とはまた別の、「白い炎」であった。

 「白い炎」は赤い炎を呑み込むほどに力を増幅させ、唸るような音を立てながら天へと昇っていく。白き光は今が夜であることですら忘れてしまうほどに煌々と輝いていた。方々から天へと向かう「白い炎」は赤い炎とは対峙するように新たに一つに集い、そしてその口を開かんとする。

 ラスト村を見下ろすほど高く反り立つ『炎の魔蛇フレア』であったが、その「白い炎」は更に見上げるほどであった。赤い炎を蛇と譬えるならば、その「白い炎」は伝説上の存在とも言われた竜と言えようか。


 竜は蛇を睨む。蛇は身じろぐが、負けじとがら空きの首へと嚙みついた。それもすぐに無駄な足掻きであったと、失った口元を離して『炎の魔蛇フレア』は理解しただろう。『炎の魔蛇フレア』の火は永久とも思われたが、今は炎の大部分が吞まれてしまったが故にひと回り姿を小さくして再生された。「白い炎」は一切動じず、その大きさや迫力も保たれたまま、寧ろ増していっただろう。


『……ッ??』

「…………」


 ユーシャは挙げたままの右手で簡単に竜の口を模す。人差し指と小指を立てたまま、親指を残りの指の腹へとくっつける。何かをつまむような形を取りながら、ゆっくりと右腕を下した。


『――ッ!?』


 『炎の魔蛇フレア』は鳴いたのだろうか。何かを訴えたようにも見えた。その声は誰にも届かぬまま、竜にひと思いに喰らわれた。静かに、「白い炎」は赤を消した。

 魔物の死骸も『炎の魔蛇フレア』が見えなくなったと同時に塵となって宙に溶け込んでいっただろう。「白い炎」は『炎の魔蛇フレア』を喰らった後、静かにその火を弱めていく。


「やっつけた、のか……?」

「な、なんという……力、だ…………」


 魔物の気配が失せた頃合いを見て、ぽつぽつと村人達が呟く。呼吸も何とか取り戻せたようだ。絶対防護魔術を幾重にもかけていたお陰で被害は及んでいないようだ。


「あ゙い゙つをやったか」

「あつあつだ」

「ふむ。お見事でございますユーシャ様。……ユーシャ、様?」


 三人が声を掛け合うが、ユーシャはピクリとも動かない。


「ユーシャさん……?」

「どゔしたってんだ?」

「…………」

「――っ!?」


 その場に突っ立っていたユーシャは、ガシャンと前のめりに崩れ倒れた。


「ユーシャ様っ!」

「ユーシャさん!?」


 アーチャとブドウが駆け寄るが、意識はとうに事切れてしまったようだ。抱えるブドウの手袋がジュウッと焼けるような音と共に焦げ臭い異臭を放つ。熱を遮断できず自ら放つ力を受け止めてしまったのだった。


「体力が減らされておりますな。ヒーラ殿、回復を頼みますぞ……っ?」


 ケジャも申し分程度の魔術で治癒を施すが、回復魔術はヒーラの方が長けていた。

 だが急を要するケジャの声に応答する返事がない。疑問に思うケジャは、ふとそちらへと顔を向けた。


 そこには茫然と項垂れながら立ち尽くすヒーラの姿があった。ケジャがじっと目線を送り続けると、意識はあったのか、ヒーラは顔を上げるだろう。しかしながらやはり様子がおかしい。そこには既にヒーラはいなく、ヒーラではない何かがいた。


 そこには、赤い目をした何かがいた。


「――っ!」


 追い打ちをかけるように異変は続く。村人達も、何処か様子がおかしい。目はそのままだが、頭を抱えて悶える者、発狂して顔を掻き毟る者、様々だが尋常ではない様子であった。

 三人はふと動きを止めた。彼らの頭の中に、割り入るような声が響く。これに逆らうことはできない。直感で、本能で『声』を受け止める。

 ヒーラ含め四人は無表情で顔を上げた。彼らには何が映っていたのかは誰にもわからない。その場に居合わせたものがいたならば、不自然とか無感情だとか考えただろうか。


 その場からユーシャの姿がこと消えた。黒い靄が漂い、投げられたボールのように空に弧を描く。それを追うように、ユーシャ御一行は村から北西部の方向へと跳び上がった。




 ――*――*――*――


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