1.5.2 王国城前大通り 圧砕
――*――*――*――
扉のきしむ音。
空模様は次第に悪くなり、曇天。今か今かと雨が降るようなベタつく湿気が漂う。太陽はすっかり雲に隠れてしまい、夕暮れ時かさえもわからない。
風で煽られたのか、誰かを出迎えるようにゆっくりと王国へと至る大きな口が開かれようとする。
しかし扉の傍には誰もいない。護るべき姿も、それを指摘する姿も。何かあったのだろうか。ここの日常を知る者ならばこう呟いたはずだ。それらを示唆する者ですらこの場にはいない。
王国の全てを囲うように隔てられた城塞が立ち並んでいた。
公に知らされた内外へと繋がる出入口は、南にある大きな正門と北東部に向けた比較的新しい門の二つのみだ。城塞の周りは幅のある堀が設けられ、そこに小川がぐるりと流れている。城塞まで辿り着くためには小川を横断する必要があり、そこから絶壁のように佇む城塞を登るなど到底不可能であろう。門以外に井戸が繋がってるとか王宮からの緊急避難口がある等と噂する者もいたらしいが、詳細を知る者はほとんどいない。門には桟橋が掛けられており、通行するだけならば元より不便がないのだ。噂が真ならばそれを利用するのは市民権を有してない異端者くらいだろうか。
城塞の門には普段王国騎士が構えており、市民権の確認や通行許可証の確認も然り、低位程度であれば魔物を近づけさせない役割をも果たしていた。門が開く時は、王国騎士あっての事象であろう。
それが今や、その影も姿も見当たらない。
「…………」
蹄の踏みしめる音。
一匹の白馬が桟橋へと差し掛かる。鞍はかけられているが、背には誰も乗せていない。主を見失ったのか、主を追ってなのか。帰巣本能でここまで辿り着いたのだろうか。
白馬は開かれた正門の扉には気にもせず、ただ真っ直ぐ中へと押し進む。
正門入ってすぐに城下町の大通りが出迎えた。屋台が並び、夜が更ける前から灯りを点している。日の出から月が上りきる宵まで賑わいの絶えない場所だったであろう。今はそんな風情もなく、人出でさえ感じさせない。はらりはらりとどこかからかチラシが通りへと舞い落ちてきた。セールの告知だろうか。目にする者も、関心を持つ者もいない。文字が読めぬ白馬は気にも留めずそのチラシを踏みつけた。
「……よっ」
突如として白馬の背中に大きく裂け目が開く。白馬は痛がる様子もなく、それどころか気にする様子も無くトコトコと歩んでいた。姿が二つ、その裂け目から飛び出した。
白い長髪が軌道を描く。仮面をつけた少女と思われる者には不釣り合いにも甚だしく巨大なハンマーが掲げられていた。もう一つは少女よりもかなり小さく、先にも見た裂け目を宙に開きながら器用に中に入っては移動していた。転生者シバと≪扉の番人≫ハッチだ。
「ここが例の王国か? 栄えてるようだけどよ。
『異世界の中心。<中核>も近くに感じる』
しかし灯りはあれどどこか暗い印象を覚えるだろう。
ふたりは視線を交わし、釣られたように大通りの先を見上げた。
赤いとんがり帽子を連ねる、レンガ調の城。近代西洋風な造りで、その大きさは王国の大部分を占めていた。そこから整備された通りが何本か敷かれ、城下町が広がっていく。この大通りもそんな一部だ。それは謂わば、王国の核を担う国王の居城だった。
「なーんか、魔王城と似てるな。コピペしたみてえだ」
『<想像>から生まれた構造物は<想像>主に依存する』
「別にその主を批判してるわけじゃねえよ」
他人気の無さに奇妙さを拭いきれないふたり。何かに気づいたかのように、ふと視線を落とす。
「……はあ。言わんこっちゃねえ」
大通りの脇道から、ノロノロと人影が現れた。――人、だったのだろう。影は負のオーラを全身から溢れさせながら歪なステップを刻む。すぐにオーラが全身を覆いつくし、その姿かたちを異形へと変化させた。長い鉤爪、人にあるはずのない尾、翼。遠くにチラつく他の影も次々と異形と化していく。それらは様々に形取るが、共通して赤い目をギラつかせていた。
赤い目を持つは魔物。見るからにも常識からにも、それは本能として伝わってくるだろう。
『<想像>が、変質している』
「戦いを避けられれば嬉しいんだが」
『進むなら、襲われる。進むなら、戦う道しかない』
ハッチに言われるまでもなくシバは両手でハンマーを強く握りしめていた。
『オマエ、また治す? 仮面は用意可能。オマエの<能力>なら<想像>への上書きもまた可能』
「こっから一人ずつ粗治療するのは一生かかっても終わらんだろうな」
『この異世界なら一生かければ終わる』
「いややらんわ」
『……諦める? <想像>へ干渉しないなら、ここから離れるしかない』
「まさか」
シバにとって諦めるという選択肢はなかった。目的地はもう目の前なのだ。立ちふさがる障壁は壊すしかない。かの魔王城への道を切り開いたように、シバはここも打破するべきだと考えていた。
会話しているふたりへと、近くにいた魔物が二体飛び掛からんとした。それを知ってか、シバはハンマーを大きく振るい、二回転させる。たちまちにその魔物達はハンマーの回転に巻き込まれるように横薙ぎにされ、呆気なく屋台へと体を投げ飛ばされた。危険を察知してか、ハッチは回転の最中にシバの背中へと隠れたようだった。
「――強行だっ」
回転の反動を足に掛け、地を蹴ってシバはそのまま駆けだした。魔物は次々と大通りの脇道から飛び出てくるが、ハンマーを巧みに振るうその姿を止めることはできない。同時に四体程がシバの脚を止めようとするが、シバはハンマーを地面に叩きつけて宙に舞う。四つの腕は伸びていくが、それに届くことはなかった。
翼の生えた魔物が一匹、シバを空中から落とさんとする。シバが続けてハンマーを突き出すと、魔物の鉤爪は鈍い音と共に曲がるはずのない方向へとひん曲がった。痛みに耐えかね翼の生えた魔物は地に落ちる。
着地したシバは走りを止めない。大通りから続く橋を渡ろうとする。
王国内部を循環するように人工の川が流れており、橋は所々主要通路に架けられていた。シバが通りかからんとする手前で、橋の影より魔物が出没する。水を滴らせながら気味の悪い叫び声を挙げるが、問答無用で先にシバのハンマーがその口を塞いだ。いや、叫ばなくなったと言った方が正しいやもしれない。
「こいつら、王国騎士とやらなんだよな」
『推測と可能性。特定の<想像>――その王国騎士という<想像>が別の<想像>、魔物に変質した』
「…………なんで川ん中にもいたんだ」
橋を越えると通りは緩やかな坂道となり、屋台も見かけなくなった。レンガを基調とする密集した集合住居が並んでおり、量産された小窓が並列していた。時折豪邸とも呼ぶべき一軒家の塀も見かけるだろうか。隣地境界の隙間も狭く、そこから魔物が湧き出てくる様子もない。
その代わりなのか、大通りの中央に魔物の姿がポツポツと見えた。その数は近づくにつれ増していき、雑踏の如く蔓延っていた。
魔物の一匹がシバに気づくと、次から次へと反応を示す。それらは一斉にシバへと襲い掛かり始めた。夥しい奇声を響めかせ、雪崩のように押し寄せる魔物の大群。ただ一つの個に対して過剰とも言える数だ。一生命の人間で抑え込めるのはほぼ不可能に近いだろう。
『オマエ――っ』
「無理だ、って言いたいんか?」
この状況でもなおシバは突っ込むのを止めようとしない。それどころか少し笑ってるのではないだろうか。
シバがハンマーに込める力が強くなる。握りしめるほど、ハンマーは呼応するように大きさを増していく。
『――っ!?』
パシン、と何かが割れる音がした。
シバがハンマーを横薙ぎに振るう。それはハンマーと呼ぶには余りにも大きすぎた。大通りの住居の屋根にも達するほど膨れ上がったハンマーの頭は、最早岩山の塊とも言わざるを得ない。それは小惑星が蟻の巣窟に落ちるように、戦艦級の鯨が小魚の大群を捕えるように、多量の魔物を一斉に呑み込んだ。
「ウルルァッ!!」
魔物と謂えど、圧倒的質量に為す術もなくそのまま身を砕かれていく。
一陣の風で塵が煽られるが如く、無数にいた魔物の群れは全て薙がれた方向へと散り去った。
「多勢に無勢、突破不可能という【概念破壊】だ――」
その一薙ぎだけで目の前にいた魔物は全て片されてしまう。
気配も何処か消えたようだ。移動は止めずもゆっくりと歩きながら、シバは一息つく。
『……その<能力>なら、全てが可能になる?』
見計らってか、ハッチがシバの背中から飛び出しては呟く。
「それなら理想的な
『理想的は現実的とは相反する。オマエの言い方では現実的ではないということになる』
「そう、だからよ」
シバは気づいていた。確かにこの<能力>は万能だろう。神ですら殴ったのであれば、不可能を可能にすることは容易く見えるかもしれない。
「ぽんぽんできるわけじゃないさ。理屈とか原理とか、俺にぁ難しいことはわからんけど。<能力>ってのは最低限生き抜くために必要なんだったよな? おそらく……できる! とか、そう強く想わんと俺の<能力>は働かねえかな。知らんけど」
『曖昧。わからないなら可能かもしれない』
「だってよ、例えばだけど。突然俺が、この世界の神になる! ……っつーてもよ、なるわけじゃねぇじゃんか。できるって時じゃなきゃ、不可能も可能にはならんもんよ」
『……そう』
ふと、シバは足を止めた。そこに聳え立つ構造物へと視線を送る。赤い目の人間を探しているという国王が住まう王宮。魔王城の時はユーシャ御一行も一緒であったが、今のシバは独りだけ。いや、ハッチと共にいる限りは独りではないのかもしれない。
『再確認する。オマエはこの<世界>の<中核>を壊す?』
「…………」
暫く考え込むように腰に手の甲を押し当てながら、シバはじっと王宮を凝視する。
「それだとよ……ハッチが言ってた『未練』とやらはユーシャに残るか?」
『……肯定』
「なるほどな。前の異世界には誰もいなかったが、今回は他に
『オマエは<中核>の近くまで来た。転生者が<設定>を満了するまで待つ?』
「待つのは
そう言いながら、シバは王宮の扉の前まで足を踏み入れた。
「やってやろうじゃねえか。この<世界>とやらも、
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