1.X.X ひいらあのものがたり
*――*――*――*――*
小鳥の囀りにつられ、ふと視線を窓の外へと送る。
今日も日の光が煩いほどに差し込んできていた。窓から望むのは日光を反射させる城下町の屋根の稜線と、地平線を遮るように隔たれた城塞。普遍的に不変的ないつもの景色だ。
その日常がヒーラにとってあまりにも退屈であった。
「はぁ……」
「……お嬢。今はこちらをご覧になってください。窓に教材はございません」
銀髪をオールバックにした眼鏡の青年が注意を促す。黒いスーツを纏い、端正な佇まいで片手には分厚い資料を広げていた。
「うるさいわ、シツジ。頭を使いすぎることはかえって悪いことよ」
「本日の内容は、先日からの
「貴方は相変わらず他人を怒らせることが得意ね。私の教育係よりも前線に出て士気を上げることの方が向いてるのではなくて?」
「いいえ、滅相もございません。このシツジが傍につくのは王国騎士ではなくお嬢ですから」
口論とまではいかないものの、言葉で彼に勝てるなんてヒーラには到底考えられなかった。生まれてこのかた一時も離れずにいてくれたのがシツジだった。お風呂や着替えの時だけ後ろを向く程度で、食事時から寝かしつけまでいつも付き添ってくれていた。こちらがシツジを理解しているように、シツジもまたヒーラのことを何もかも知り尽くしているのだ。
「いっぱいお喋りしてたら喉が渇いてしまったわ。このままじゃ、集中もできないこと」
「まだお時間にはいささか早いですが……。ここで区切りをつけ、すぐにご用意致しましょう」
シツジは手際の良い手捌きで広げられた資料を片付けていく。押し花で作られた栞をはさみ、あっという間にテーブルの上にあった分厚い本を書斎へと運ぶ。資料には「医療用代謝促進魔術」「実践向け魔術併用薬学全書」といった小難しいタイトルが伺えた。
ヒーラは鋭意勉強中である。
これは自発的なものではなく、血筋故の過程にすぎなかった。
父は王宮一の医者として王国の城の一部を担うほどの力を持っていた。魔物との争いが絶えない現況、王国騎士達は無傷で帰還してくることがほとんどない。医療に熟知する者は重宝されていた。
むしろ彼らは怪我を負うことにやりがいを感じているのではないかと疑うほどに、戦ってきた痕跡としてわざと攻撃を受けてるのではないかと思うほどであった。実際はそうではないと耳にタコができるほど言い聞かされてきたが、ヒーラは魔物を見たことが無くどれほどの危険があるかもわからずにいた。
医療術に長けた父の血統を受け持つヒーラには逃れられぬ
「はぁ…………」
口にしたお茶のカップを皿へと戻し、窓へと歩み寄る。錠を外し、風を素肌に感じる。何もかも投げ出して、城のベランダで毛づくろいし合う小鳥を延々と見ていたいものだ。
「僭越ながら。先のような大きなため息はお嬢の美貌には些か不釣り合いかと」
「……シツジ。今日の予定をもう一度確認してもよろしくて?」
振り返ると、既に手帳を広げて読み上げようとするシツジの姿があった。不満一つ言うことなく着実に責務を熟すのは頼りがいがあるのだが。
「午後は来客が三組いらっしゃいます。王宮直属の薬師殿……こちらは在庫と発注の手続きですね。他は王国騎士団第三騎士隊隊長殿がノースィースト村までに続く橋の改修作業が終わったとのことで村への挨拶前に。それからユーシャ御一行殿、その改修に貢献したとのことで国王より御礼が譲渡されるとのことです」
聞いた通り彼らは皆ヒーラに用事があって来てるわけではない。ただ、王宮内へと立ち入る物を歓迎するのが責務だ。用件を知っていれば会話のきっかけにもなるだろう。
「ユーシャ御一行様……よく噂はお聞きしますわ。何でも、西の森の深部に縄張りを構えていた
「お嬢の
「……なんだか気分が悪くなってきたわ」
わざとらしく頭を抱えるが、シツジは表情変えずに「勘違いされてるようですが」と続ける。
「ユーシャ殿が仰る魔術は人智を超えるような魔術――肉体欠損の再生といったもの。国土一の医療技術を持つお嬢の父殿ですら実用レベルに至るまで厳しいと仰るものです。魔術と言えど、無から有は易々と発現できません。魔術を扱えるのも多くない上、要求されたものは人には到底不可能な領域でしょう」
「そんな魔術があれば、私も楽できるのかしら」
「お嬢は魔術の才がございますが、医術に楽はございません」
冷やかしてるわけでもないが、シツジの言葉にはきっぱりと「無理だ」と言っているようにも聞こえた。確かにそんな技があったなら、とうに広まっていてもおかしくない。父も率先して利用していただろう。人にとっては薬草を正しく使用することや魔術で身体のエネルギーをコントロールしやっとのことで代謝を高めるのが精いっぱいだ。
知識はあれどその技術すらヒーラにはまだ届きすらしていないのだが。
「……お話が過ぎました。来客のお時間です。シツジは片付けを済ませてから向かいます。遅れてしまうことには如何なる懲罰もお受けしますので」
「あら。……そう、でも、それくらいでそんなこと誰も言わないわ」
止めることもせずお願いをした。
片付けができてないといけないわけでもない。ヒーラの潔癖な性格を悟っているのだろう。
部屋を出て、王宮にいた召使いが駆け寄ってくる。シツジがいなくともお世話してくれる使用人はいる。代わりと呼ぶには頼りないが、各々の対応はお任せすることができる。
大きく弧を描く階段を下りて、エントランス近くまで歩く。最後の段を越え、赤いカーペットを踏みしめると扉が開かれた。
予定通り、来客が訪れたようだ。始めは薬師と言っていただろうか。顔馴染みはあるが、名前までは憶えていない。フリルの裾をつまんで、ニコやかに微笑んでいれば接客はそれくらいでいい。
召使いの一人が案内へと移る。難しい金銭関係の話題はヒーラには御免だ。階段脇の部屋へと案内されるのを確認してから、笑顔を戻す。
続いて第三騎士隊を引き連れたサンタイチョウがやってきた。サンタイチョウは跪くが、自分は王宮にいるだけで姫君ではないとすぐに直すように促す。
「これはこれは、ヒーラ殿の気遣いに感謝致す。……時に。我の勘違いでなければ、今日は側近の者は何処へ?」
サンタイチョウ隊長は洞察力に長けていると聞く。面会も数回程度しかないが、記憶力はかなり優れているようだ。
「今は私の指示でお部屋を片しておりますわ。もうすぐ戻ると思いまして」
「ならば良い。第一騎士隊からの報告で、王国近くで不穏な動きがあると報告がある。我はこの地を離れるが、くれぐれもご安全に」
騎士の敬礼か、拳を胸元に当ててから深くお辞儀をする。軽く手を振って姿が見えなくなるまで見送った。
ヒーラは王宮から滅多に外へと出ることはない。魔物が城門からズカズカと無謀にも攻め入るようなことがなければ縁がない話だろう。
それにしてもシツジはまだ戻らないのだろうか。彼が業務をサボるとは思わないが、そんなに掃除に力を入れるものでもないはずだ。
「…………っ!」
しばらくして扉の外が騒がしいことに気づく。喧噪というより、一人だけ騒がしくあり、それを周りが宥めているようだ。
声が聞こえなくなったと思えば漸く扉がゆっくりと開かれる。先頭には青い甲冑姿の男と、それに付きまとうようなだらしない容姿の女の子。大柄な男が喧しい口を抑えるように奮闘していた。傍らにいた一人の御老体がそれに気にも留めず城内を物珍しそうに眺めているが、その
「いやはや、彼の王宮内直々に招き入れられるとは。このケジャ、最早悔いはございませぬな」
「そんなこと言わないでくれ。ブドウももう良い。ここは王宮だ。中に入ってしまえばアーチャも流石に弁えているだろう」
青の男が周りを諭す。彼がユーシャと呼ばれる者だろうか。
ぼうっとしてたせいか、こちらに気づいたユーシャが歩み寄ってくる。ヒーラは気を取り直して丁寧に形だけの挨拶をする。
「ヒーラさん、だな。初めまして、私はユーシャだ。貴女のお父さんから話を伺っている。彼らは私の連れだ。迷惑をかけるかもしれないが、許してほしい」
「ユーシャ様、お会いすることができて光栄です。魔物を討ち倒す勇敢なる者と」
「ははっ。ありがたきお言葉。ですが、とんでもない。これが私の天命ですから」
「魔物……魔物……」
アーチャと呼ばれた少女だろうか。言葉を復唱し、不服そうにユーシャを睨む。
「まだ根に持ってるのか。とっくに王国内部なんだ。それに、ここは王宮内だからあまり物騒なことは……」
ユーシャが何かを言いかけたところで、御一行が一斉に上を見上げた。つられて天井を見るが、シャンデリアや手入れされたラウンジが見えるだけで、特に目新しいものはない。
「……ケジャ。範囲探知魔術を」
「御意」
流れるようにケジャと呼ばれた老人が杖を振るい、仄かな光をエントランス全体へと巡らせる。
「反応は……」
ケジャがその言葉の先を言う前に、ユーシャ含めた御一行が一斉に飛び出した。振り返った時には既に二階へと駆ける三つの姿が見えた。少女の姿はそれよりも早いのか見えなかったが、どうやら皆ヒーラの部屋の方へ向かっているようにも思えた。
「あの――っ」
嫌な予感が働き、ヒーラも急いで後を追う。
ユーシャが勝手に王宮内を走ることを咎めることよりも、その行く先が気がかりで仕方が無かった。ヒーラの部屋にはシツジしかいないはず。
最悪は最低なタイミングで会うものだ。
「シツジ……っ!」
開かれた扉。その先のヒーラの部屋はとても綺麗とは呼べるものではなかった。
奥にブドウと呼ばれた大男が構えており、その目前に得体のしれない翼が生えた何かを見つめていた。魔物だ、とヒーラは本能から理解した。アーチャとユーシャが武器を構えており、既に討伐は成功したようだ。その後方でケジャが何かを護るように半透明のバリアを魔術で展開していた。
そこに転がるのは紛れもないシツジの姿であった。彼は抱えるように蹲っているが、遠くらからでもわかるほどの多量の出血を負っていた。致命的な重症。手当が必要となるのがわかるが、応急処置をしても間に合うかすら怪しいほどだ。
「……お、お嬢。……大変、申し訳……ございません…………。部屋を、汚してしまい、ました……」
「喋らないでっ。早く父を呼んで! 誰でもいいからっ!」
「間に合い……ません。シツジが一番熟知してます、から…………」
「いいから黙ってて!!」
泣き叫ぶヒーラの顔を見て、シツジはこの期に及んで微笑みかけてきた。腹部からの出血がひどく、これ以上出ないように抑え込む。無駄だとわかっていても、知識のないヒーラにはこれが精一杯であった。
「……あっ、小鳥」
誰かが呟く。少しだけ傷付いたようであるが、この場にやってきたわけではない。小鳥はそそくさと部屋を後にして窓から飛び出ていく。
「……馬鹿」
「お嬢の……為でした。不甲斐ない、このシツジを……どうか、許して…………」
シツジはぐったりと倒れ込む。顔色からも血の気が無くなっていた。
「誰か……助けて…………」
泣きじゃくる顔のまま、ヒーラは顔を上げる。偶然か、ユーシャと目が合った。助けを求めるも、彼にだってどうしようもないとはわかっていた。
ああ、こんな時に医療魔術があれば助かっただろうか。それでもここまでの大きな傷は治せないだろう。それこそ、肉体再生の回復魔術なぞ存在しないのだから。
だからこそ、ヒーラはこの身を呪った。血統だからと言い聞かせて勉強だってしてきた。わからないなりに理解しようとしてきた。その結果でも、この傷が治せないならば意味がないのではないか。
「望むのであれば……その代償は、世界を救う力となる」
ユーシャが祈りを込める。
途端にヒーラが抑えている手が光り、勝手に魔術が作用する。流れ出す血が収束し、傷口が塞がっていく。
光が収まると出血は収まっていた。顔もどこか温かみのある色に戻っていた。シツジが起きる気配もないが、気を失っているだけだろう。
「なんと……」
「すげぇ……」
「…………」
シツジは助かった。
誰かが施してくれたのか、自分で無意識にやったのか。とにかく一人の命が救われた。
この世に無かった肉体に干渉する回復魔術が今作用したのだ。
そんなことを考えるよりも、ヒーラは何処か住み慣れたはずの王宮にいることが正味気持ち悪く感じていた。とてつもなく不愉快で不快な気分だ。
――……早く、こんな所は離れようかしら。
救った一つの命――それ以上に大事な何かを余所に、ヒーラはその王宮の一室を後にした。
*――*――*――*――*
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