1.4.2  シチューは 美味しい




 ――時は遡る。

 これはユーシャが魔王城探索を始めてどれくらい経った頃だろうか。


 そんなことも知らない俺は、三度寝から目覚めてようやく落ち着きを取り戻していた。


「――あぁ。あ゙あ゙ぁ……」


 今の状況は、例えるならば、飲んだくれて意識が返ってきた二日酔いに一番近しいかもしれない。

 生前にもそのようなことがあったのだろうか。その記憶は一向にも思い出せない。あったような、無かったような。朦朧としており全てが夢のようにも思えてくる。


 首だけを横に動かして窓の外を見る。日がテッペンにまで昇っていた。


「いや……しんどい…………」


 まさか転移魔術がここまで身体に影響が出るものだとは思いもよらなかった。


 一昨日魔王城に魔王がいないため一旦撤退したユーシャ御一行。その後ろについていってた俺は、≪扉の番人≫のハッチを差し置きユーシャに誘われて村に一瞬で戻れるという転移魔術を受けた。

 転移魔術は謂わば瞬間移動テレポーテーションだ。現実世界じゃ有り得なさそうな話だが、魔術という概念が存在するこの異世界では可能なのだという。それを利用したがためだろう、村に辿り着いた途端に押しかかるような気怠さを身に浴びたのだ。

 ユーシャ曰く、そんな体調を崩すとはと想定外の事態が起きたようだ。非常に焦った表情を浮かべており、とりわけ陥れようと謀った様子でもさそうだった。本心からこちらを心配してくれていた。この宿屋まで運んでくれたのも彼だった。回復術に長けたヒーラも呼んで快復を試みたようだったが、どうやら肉体には異常が出ていないらしい。根本的な魂に負荷がかかっているのだとか。


『…………ふんっだ』


 傍に居てはくれるハッチから手を貸してくれることはなかった。かなり拗ねていた。≪扉の番人≫であるハッチがいたのであれば、移動という頼れる時に頼るべきだっただろう。近くにいながらも無視されるというのは現状精神的にも辛いものがある。


「……さっきよりか、マシか…………」


 吐き気はない。頭がぼんやりするような、熱でうなされるような、そんな感覚だ。


『異世界の<>に深く干渉するということは、異世界に合わせるということ。オマエは異世界外から来た転生者だ。身体への干渉にはそれ相応の負荷がかかる。自業自得だ』


 そんなことを言っていたような気がした。

 俺にはてっきり「疲れ」のようなデメリットは最低限しか表れず、身体的な影響は受けないものだと勝手に思い込んでた。悪意もなく誘われただけの瞬間移動にデメリットがあるなんて普通考えもしないだろう。


 ……次からはどんな長距離移動でも歩行移動以外でご一緒することは遠慮させてもらおうか。


 頭痛のようなものが頭の中をかき回してくる。

 傍らにあるテーブルの上に置かれたコップを手に取り、注がれた水を飲み切る。なんとか身体を動かせそうだ。


 布団から身を起こし、大きく一呼吸つく。


 部屋は電気がついており以前よりははっきりと内装が見て取れた。

 とは言うもの、そこに大きな変化があるものでもない。入口側の本棚寄りに大きく地図が貼られているのを見つけたくらいだろうか。

 ベッド近くのサイドテーブルに木の器が二つ置かれてあった。器には根菜がゴロゴロと転がっている白いスープが湯気を立てていた。いつからあったのだろうか。すぐ傍までユーシャがいたのだろうか。もしくは、冷めないようにこの世界なりの保温魔術をかけてくれたのかもしれない。


 落ち着いたからか、今ならばなんとか動けそうだ。

 気を利かせてもらったならばいただこうか。それでも二杯も必要ないのだが。彼は案外大食いなのかもしれない。ギャップというやつだ。

 木の器を手に取り、添えられていた匙でスープを味わう。


「……あったけぇな」


 火傷しないくらいに程よく温かかった。具材は形を残しながらもほろりほろりと口の中で崩れていく。少しだけ噛んで飲み込むと、口触りがいい滑らかなスープが喉を優しく通る。食べ始めてから、自分がお腹が空いているのだと気付かされた。気分が悪かったのも忘れるほど匙を動かす手は止まらず、すぐに一杯目を平らげてしまいそうだ。

 二杯目にも器に手を伸ばしつつ、未だ拗ねている≪扉の番人≫にその器を掲げる。


『…………なに?』

「俺ばっか食べるのも変だなって。食うか?」

『ウチはこの異世界に基本干渉しない。できない。扉を開けることがせいぜい。……それに、干渉することへの危険性を警戒していない。不自然に置かれたモノには干渉しないのが普通』

「そうか? これはユーシャがくれたもんだろ。ユーシャが今になって裏切るなんざ俺には考えられねえがな。んまぁ……確かに言わんことは正しいかもしれん。食えないならそれもしゃーないしな」


 そうぼやきつつも、匙を口まで運ぶのを止められない。この味を知っていた気がした。シチューといっただろうか。どこか懐かしくもあり初めて出会うような味でもあった。そんなことをぼんやりと考えていれば、二杯目も同じく木の器の底が見えた。


「……ごちそうさん」


 器を元にあった位置へ重ねて戻す。洗い処はこの部屋にはなかったはずだ。ユーシャが戻った時に聞いてみようか。もしくは、村を歩けるならば聞き回るのもありかもしれない。


 眠気も疲れもほどほどに去っていった。ご飯を食べたからだろうか、やはり腹が減っては何とやらだ。


 ベッドから身を離し、軽くストレッチをする。服装はやはり変わらずだ。傷も臭いもなく、活動に支障はきたさないだろう。ハンマーもベッドに添えられたままあった。置いてって急に窓を突き破られても困るため、これは持っていくしかない。


「さーて、これからどうしたもんか」


 背伸びをして、何となく部屋を歩き回る。物が少ない宿屋は相も変わらず質素だ。本棚にも本は増えていない。日記の日付が更新されたくらいだろう。今になってすべてを見返すのも億劫だ。できるならば、勇者の冒険譚は本人の口から聞いてみたいというのもある。


 思い出したかのように本棚から目を離し、地図を見遣る。

 本棚程の幅がある大きな地図だ。中央に白と赤の基調で建てられた城があり、その南東部に黒く禍々しい城が見えた。黒い城の周りの森は枯れており、荒野が広がっているようだ。この黒い城が彼の魔王城と容易に想像がついた。そうなると、中央の白い城が王国とやらだろう。王国周りは森が茂っており、北東に向かうにつれ雪景色へと地図上でも染まっていた。森はそこから西に向かうにつれ不気味な色で表現されていき、北東とは打って変わって北西の端には熱々しい火山が形成されていた。残りの南西部には海岸が広がっており、離島も見られた。

 地図の概要はこんなものだろうか。こうしてみるとこの異世界はかなり広い。以前の異世界は走っていたらすぐに中央部にまで辿り着いてしまった。元来異世界はこのくらいが自然で、箱庭としても違和感は起きなさそうだ。


 箱庭。異世界に転生せしられた者は、そこで物語を形成し終わらせるまでを生涯とする。

 ユーシャ達御一行は北東部の豪雪地方も南西部の離島にも訪れていたのだろう。

 そして今、最終局面に突入しようとしている。


「……実感が湧かねえなー」


 思っていたことがふと、言葉として漏れた。


『感傷に浸っている。何があった?』

「もし仮に、ユーシャが魔王討伐できたらさ。この異世界でのユーシャの転生物語は終わるんだろ? そうなると、スッとこの異世界が無かったことになるだろうなって」

『肯定。始まりと終わりの異世界<>が満了した瞬間に、転生システムは否応なく終わる。前の異世界みたいにじんわりじゃなく、一瞬で消失する』

「一瞬、か。そしたら俺らはまたどこか扉で移動するか。……というか、ハッチはマジでこれからどうしたいんだ?」

『…………』


 だんまりされても。そこに突っ込む気力は起きなかった。

 さっきからハッチの様子がおかしい。拗ねていたからではなく、伝えたいことが喉まで突っかかっているが、それを言葉として表に出すまでを躊躇っているようでもあった。


「あん時――ハッチが大仕事してくれてからこの異世界で目覚めた時、さ。『今、動く予定はない』っつーてたよな。ハッチにはきちんとした目的があるんじゃないか? 俺にこうして、わざわざ神にすら反逆させるように仕向けてさ」

『…………』

「そんな悲しそうな表情するなって。言っとくけど、責任感じてるとかそういうのやめてくれよな? 俺だって無限牢獄に閉じ込められてたかもしれねえんだ。生き長らえさせるなんて御免だ。知らなかったとしてもよ、そういうのすんげームカつく。マジ。一番いっちゃん嫌いかもしれねえ。神都合のためだけに踊らされる理不尽ってヤツがよ」

『……オマエは――』


 言いかけて、ハッチは口を噤む。俺は促しもせず、止めもしなかった。しばらくの間を有して、ゆっくりと語りかけてくる。


『オマエは、ずっと生きてる方が幸せと感じないのか?』

「…………」


 すぐには答えず、それでもしかとその問いに頭を振った。


「何も覚えちゃいねえけどさ。命ってのは、限りあるからこそやりたいことを選んで楽しめるもんだと考えるよ。何でもこなせて死なない身体になったら、さぞ退屈になってしまうだろうな。与えられた環境下で、生きている世界に興味を持って、終わりまでもを飾るのが一生涯。――だと俺は思うぜ」

『……そう』


 そして、静かな間が流れる。


『ウチは……』


 ハッチは、小さな姿は、力強く言葉を選んで話す。


『ウチはあの神アイツを懲らしめたかった。アイツの元には戻れない。帰りたくない。アイツは、自分のためだけに人間の転生システムを巻き込んで全てを閉じ込めている。そして、みんなを喰らっていった。異世界のいくらかはここと同じくアイツのゆりかごの支配下。ゆりかごの中に、もしかするとみんながいるかもしれない。異世界をどうにかする手段がなければ、みんなを助けられない』

「んじゃ、俺とハッチの目的はその『みんな』を助けるってことだ。そして、異世界をどうにかする必要があるってわけだ」

『えっ――』


 驚いたような表情でハッチがこちらを見つめてくる。


「ん? 言ったじゃねえか、ハッチを手伝うって。それが、俺がちょっと特殊に転生できた誓約だと考えてるぜ」

『……ウチはそんなことを考えていない』

「良いんだって、今更。断られちゃやりづれえっての。むしろここまできて突き放される方が辛いぞ」

『それに、どう行動する? またあの策を実行する?』


 あの策と言えば、以前の異世界でやった力技だろうか。策でも何でもない、ただ<>を殴ってリセットかけただけの作戦だ。

 だが、それで魔女神ダイズが悔しがるのであれば、想定外とも思われるのであれば。

 可笑しくなってつい笑いがこぼれてしまう。悪役はどちらだろう。異世界を閉じ込める神か、それを掻い潜り破壊する人間か。

 足掻けるまで足掻いてみるのもまた、人間らしくていいではないか。

 理不尽には理不尽を顔面に突き付けてやればいい。


『……? 何を笑っているか。理解不能』

「んはっはっ……いや、我ながら可笑しくてよ。――いいな、それ。魔女神ダイズの作った異世界とやらを、ぶっ壊してやろうじゃねえか」


 これからも俺は、異世界の中で叛逆し続ける。

 それに応えるかのように、宿屋の外で何かが慌ただしくざわめき始めた。



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